下から書いてます
読書予定
歴史小説制覇
「坂の上の雲」「翔ぶが如く」など。
簡単な歴史の本。日本史や世界史の。
自伝が読みたいけど秩父では売ってない。図書館にあるかな?
読書もお正月休みにします。
お正月はみかんでも食べながらゆったりテレビをみましょう。
2004年12月24日
「翔ぶが如く」 6巻 司馬遼太郎著 文春文庫
特別6巻はたいして大きな事件もなく書くようなネタもありません。
薩摩に帰った西郷隆盛は猟ばかりやっていて桐野利秋とかも農業をやってます。
廃藩置県から廃刀令が出るにおよんで各地で士族の不満がたまっています。
各地の代表者が西郷に新政権打倒をもちかけるが西郷は動く気配はまだなかった。
ここで熊本の士族が反乱をおこした。神風連の乱である。すぐ鎮圧された。
前におきた佐賀の江藤新平の乱やこの熊本の神風連の乱がおきたが、
箇々にやらないで薩摩とも一緒になって乱をおこせば新政権もくつがえったかもしれない。
2004年12月19日
「翔ぶが如く」 5巻 司馬遼太郎著 文春文庫
征台論。
台湾に漂着した沖縄の民を台湾原住民が虐殺してしまったことからおき、
日本は台湾の原住民を成敗した。
清国からみれば台湾は清国領だという。
大久保利通は全権を委託されて清国にのりこんだ。
大久保は台湾は清国領ではないでしょうっという。そして賠償金ももらおうとしている。
この変、筋が通ってないと思う。
清国領の台湾人が沖縄の民を殺したから賠償金を払えっというのならわかるんだけど、
台湾は清国領ではないでしょうっといってるんだからよくわからない。
台湾が清国領ではなかったら台湾を植民地にするつもりだったんでしょうか。
大久保は清国に50万両の賠償金を払わせて帰国した。
板垣退助、木戸孝允、中央に復帰している。
2004年12月15日
「翔ぶが如く」 4巻 司馬遼太郎著 文春文庫
征韓論。
ロシアの南下政策が強く対馬を占領されそうになったり北海道にもロシア船がかなり出没していた。
征韓論はロシアの南下政策をふせぐためでもあったという。
しかし征韓論は敗れて西郷たちは国元に帰った。
廃藩置県。
藩が廃止されて廃藩置県が実施され、士族もなくなった。
各地で士族の不満がたまっていた。
そこで征韓論にやぶれ西郷とともに国元に帰った佐賀の江藤新平は乱をおこした。
佐賀で乱をおこせば西郷の薩摩も兵をあげるだろうと思っていたが西郷は兵をあげなかった。
江藤新平は新たに徴兵制となった軍に敗れた。
農民軍だとバカにされていた軍隊であった。
大久保利通が全権をにぎり指揮をとった。
他に征韓論にやぶれて国元に帰ったのは土佐の板垣退助がいた。
民選議員設立の建書を出そうと準備している。(3巻終わりに)
またそのころ沖縄の民の船が台湾に嵐で漂着してほぼ全員虐殺されたという事件がおこった。
それを期に征台論がおこった。
征韓論は敗れたが征台論は簡単に実施された。
なんかおかしい。
2004年12月11日
「翔ぶが如く」 3巻 司馬遼太郎著 文春文庫
征韓論に敗れた西郷隆盛は中央を去り薩摩にもどった。
中央の役職の大半を薩摩がしめていたがそのほとんどが西郷を追って薩摩に帰った。
この事態に事をおさめるのは長州の木戸孝允しかいないとかつがれそうになったが、
木戸はよごれやくはゴメンだと要職にはつかなかった。
そこで指揮をとることになったのは薩摩の大久保利通であった。
大久保は西郷と考えがあわず一緒に薩摩には帰らなかったのである。
(維新の三傑。西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允)
この事態に内乱がおきなかったのはフランスを手本にして出来た川路利良の警察隊3千人がいたからかもしれない。
2004年12月8日
「夏の庭」 湯本香樹実著 新潮文庫
死んだ人って見たことある?っと小学生たちはいった。
誰も見たことがない。(一人いたかな)
死んだ人ってどんなんだろうってすごく興味を持つ。
なんかスタンドバイミーを思い出す。
近所にもうすぐ死にそうな一人暮らしのおじいさんがいるという。
小学生3人はそのおじいちゃんを監視することにした。
そんなことでいつにか小学生3人とおじいちゃんはすごく仲良しになってしまった。
なんかすごくおもしろかったです。
新潮文庫読書アンケート3位とのことでした。
2004年11月19日
「翔ぶが如く」 2巻 司馬遼太郎著 文春文庫
征韓論の賛否がずっとつづいています。
征韓論、賛成は西郷隆盛、板垣退助などで、
征韓論、反対は大久保利通、岩倉具視、木戸孝允、伊藤博文など。
征韓論は西郷隆盛だけがやる気で後はみんな反対という感じで、
どうやって西郷隆盛を止めるかっということでずっと書いてあります。
誰も面とむかって西郷に征韓論は反対だといえないのであった。
2004年11月16日
「きらきらひかる」 江國香織著 新潮文庫
精神病の笑子と、ホモの睦月のセックスレスの結婚生活が淡々とかたられていく。
睦月には紺という恋人(男)がいてつきあっている。
笑子はそれにヤキモチを焼くこともなく、紺が好きである。
三角関係になることもなく、3人仲良く暮らしていくのであった。
何故、笑子と睦月は結婚したのか?ってことに結構とらわれます。。
笑子と睦月がむすばれてエンドが良かったな。。
新潮文庫読者アンケート2位とのことでした。
2004年11月15日
「西の魔女が死んだ」 梨木香歩著 新潮文庫
ふとしたきっかけで少女まいは、
西の魔女こと祖母のもとで魔女になるための訓練をするのであった?
ええと登校拒否になってしまった少女まいは祖母の元でリハビリというか生活訓練というか、
魔女になるための訓練?をするのであった。
なんか精神障害になってしまった人が、再び社会に出るべく生活訓練というかカウンセラーをうけて正常な心を取り戻し元気に社会に出ていくような感じでしょうか。
ゲンジさんて男の人が出てくるんだけど私みたいな感じでしょうか(爆)
新潮文庫読者アンケート1位とのことでした。
2004年11月10日
「翔ぶが如く」 1巻 (全10巻) 司馬遼太郎著 文春文庫
過去に2度くらい読もうと思って2回とも5巻くらいまでで挫折してます。
主人公がはっきりしてなくてなかなか一気読みできません。
でも論文みたいで中身はすごいと思います。
明治維新がすぎ外国へ視察にいく外遊組と居残り組で思想がわかれていく。
居残り組を中心に征韓論がふきだしていた。
日本もついこないだまで鎖国をしていて開国して明治維新がおきた。
朝鮮も当時鎖国していて日本は朝鮮も開国させようとしていた。
日本は朝鮮に開国の使者をおくるがほうほうのていで追い返されるのであった。
そこで征韓論が浮上してきた。
征韓論組の大将は居残り組の西郷隆盛である。
西郷隆盛は自分が朝鮮に使者にいき自分が殺されれば征韓論をおこなえばいいという。
そこへ外国へ視察にいっていた外遊組が帰ってきていた。
外国の偉大な文明を見てきた外遊組は、征韓論などもってのほかっと反対した。
まず日本を富ませて外国並にしなければならないし、
征韓論などおこしたら欧米列強にここぞとばかり入り込んで日本も清国のように欧米列強に分割されてしまうであろう。
居残り組は西郷隆盛などであり外遊組は大久保利通、木戸孝允、岩倉具視などであった。
他に大隈重信、板垣退助、伊藤博文などよく出てきます。
川路利良がいちおう主人公なのでしょうか。よくわかりません。警察庁長官なのかな?
士農工商が撤廃されて、何百万人の士族の不満がたまっていた。
また農村でも徴兵制になり農民が兵士にとられるようになりそれも不満がたまっていた。
これらの不満を外国にむけようとして征韓論はおこった。
2004年11月3日
「おいしいコーヒーの入れ方U 僕らの夏」
村山由佳著 集英社文庫
良いです。平和で。
平和ボケしてしまいそうになります。
サラサラしていて。
恋愛小説というと嫉妬感でドロドロしていてっていうのも多いですが
あっさりと読めて良いです。
いつまでたってもキスから先にすすめないかれんと勝利なのでした。
2004年10月31日
「おいしいコーヒーの入れ方1 キスまでの距離」
村山由佳著 集英社文庫
良いです。
かれんには本当の兄妹がいてって聞いたとき主人公勝利が本当の兄妹かと思いました。
でもそんなありきたりなことはなかったです。
よくあるパターンかなっと思ったんだけど。。
1994年頃に書かれた本なんですね。もっと最近かなっと思ったんだけど。
あんまり普通の小説とか読んだことないのでこんな感じの本を読んでいこうと思います
2004年10月29日
「宣戦布告 NOと言える日本経済」
石原慎太郎、一橋総合研究所 著 光文社
1998年初版発行です。
デリバティブのはっきりした記述があります。
デリバティブとか株の売り浴びせにやられて東アジアが崩壊していた頃です。
株を売り浴びせられると崩壊しますよね。でもそうすると何のメリットがあるのかよくわからないです。
2000年くらいから経済とかの本でデリバティブとかよくとりあげられるようになりました。
マネーゲームですよね。実体がなくて金だけ動いてるんですよね。虚です。
そんなのなければいいのに。。
損が出たときは保証されたいですけど。。
2004年10月25日
「天国までの百マイル」 浅田次郎著 朝日文庫
高校同級生の澤に「浅田次郎さんいいよ、泣けます」っと聞いて読みました。
主人公がなんか自分を見てるようで入り込みました。
ハッピーエンド風に終わったので良かったです。
マリさんはいなくなってしまったけど。。
狭心症で心臓病のような母を心配する主人公がよかったですね。道徳的に。
三国志で劉備が母に当時高価だったお茶を買ってあげたのとかダブって思い出しますね。
私は狭心症なんでしょうか。でも心臓に異常があるとはいわれたことはないですね。
私の発作もなおってほしいです。。。
読みやすい文体ではいりこんで一日で読めました。
2004年10月24日
「それでもNOと言える日本」 石原慎太郎、渡部昇一、小川和久共著 光文社
1990年初版発行の本です。
日米経済摩擦がすごくて日本バッシングがすごかった頃ですね。
私が買ったのが1992年発行のものなので22歳頃読んだと思うのですが、
当時読んでわかったんでしょうか。
ODAとか当時からあったんですね。
アメリカではデリバティブみたいなこともおこなわれていたみたいで。
そんなようなことが書いてあります。
■祖母が亡くなりまして。。。休憩。。。
2004年10月13日
「NOと言える日本」 石原慎太郎、盛田昭夫共著 光文社
1989年初版発行の本なんですけど特に今読んでも違和感はないです。
10年以上も前に読んだので内容とか全く忘れていたので、
読み直してみると結構おもしろいですね。
もうお金もなくて本を買うお金もあまりないので前に買った本を結構読み直していきたいと思います。
歴史小説もここ3年くらいでほとんど読んでしまったし、政治経済新刊も特にあまり興味がなくなってきました。
このくらいの字数ならいいですよね。
最近の本は厚くてなかなか読みづらいです。。
2004年10月10日
「義経」 2巻 司馬遼太郎著 文春文庫
京では義経が木曾義仲を討伐した。
また西国にハバをきかせている平氏を義経が次々とうち破った。
一ノ谷に陣取る平氏を、義経は一ノ谷の裏の断崖から奇襲をかけ大勝した。鵯越(ひよどりごえ)
平氏といえば海軍であり、源氏といえば騎馬隊であっった。
平氏はまだ瀬戸内海を中心に莫大な海軍勢力をほこっている。
義経はまた四国の屋島の平氏海軍を奇襲して大勝した。
そして壇ノ浦で義経は平氏を滅ぼした。
義経の戦功は莫大であった。頼朝は鎌倉にいただけである。
義経には当然朝廷から位をもらった。
しかしそれが頼朝にはおもしろくなかった。
ついには頼朝は義経追悼令を出した。
義経は奥州から単騎でやってきて義経の兵はあまりいない。
義経は九州にのがれて巻き返そうとしたがあいにく暴風雨にあいちりじりになってしまう。
最後には奥州藤原氏のもとに逃げ延びたが追いつめられて自害した。
両雄並び立たずってことなんですかね。
義経は戦功をあげれば頼朝は喜んでくれるだろうと思っていて、
頼朝は義経が戦功をあげるほどに眼の上のタンコブのようになっていて。
弁慶はいちおう出てきたんだけど特におもしろいことは書いてないです。ちょっと残念。
2004年10月6日
「義経」 1巻 (全2巻) 司馬遼太郎著 文春文庫
藤原氏がさかえていたが、平氏や源氏などの武士が台頭するようになってきた。
平治の乱で平氏、平清盛が勝ち、源氏の嫡男源頼朝は伊豆に流された。
源義経も鞍馬山の寺?にあずけられたが脱出して奥州藤原氏のもとで成長する。
平氏の全盛で、平氏でないものは人ではないっといわれるほどだった。
しかし、おごる平氏は久しからず。
源氏は兵をあげた。
関東で源頼朝が兵をあげ、義経も奥州からかけつけた。
頼朝軍は富士川の戦いで平氏を敗る。平氏は水鳥のはばたきに驚いて退却してしまった。
信州あたりでは源氏の木曾義仲が兵をあげた。
木曾義仲は平氏を京から駆逐した。平氏は西国に逃げた。
しかし木曾義仲は京で乱暴、狼藉をくりかえし公家の反発をうける。
木曾義仲を討ってくれと頼朝のもとへ勅命が下った。
平氏と戦っていたのに源氏が源氏を討つっというおかしな話しで。
平氏は西国で勢いを盛り返していた。
この「義経」は読んでいてなんか苦しいというか陰気な感じがします。
人間関係、兄弟、血族とかいろいろ考えさせられます。
頼朝と義経の仲がなんともビミョーで。。。
(義経が頼朝に合流したのは、富士川の戦いの後だったと思います)
2004年9月29日
「竜馬がゆく」 8巻 司馬遼太郎著 文春文庫
竜馬がうちだした大政奉還案。
薩摩、長州、土佐藩は京に兵をのぼせ武力を背景に大政奉還を押し進めようとした。
ついに徳川慶喜は政権を朝廷に返上することになった。
竜馬は新政権まで構想するがここまできて竜馬は新政権を見ることもなく中岡慎太郎とともに暗殺されてしまった。
竜馬は誰に暗殺されたのか?黒幕は?
結構考えさせられますよね。見回り組の人だったみたいですけどね。
明智光秀はなぜ信長に謀反したのか?っと同じくらい考えさせられます。
2004年9月27日
「竜馬がゆく」 7巻 司馬遼太郎著 文春文庫
第二次長州征伐。
勝ったのは長州であった。幕府に勝ったのである。
長州の勝ちを知り、佐幕派だった土佐藩ではおやおや?っと思い始めた。
これは長州によりそった方がよいのではないかっと思いはじめた。
長州、薩摩だけでなく土佐も加わって薩長土っといわれるようになろうとした。
いわゆる、土佐出身の脱藩していた坂本竜馬の海援隊と、中岡慎太郎の陸援隊を
土佐藩の籍にいれることになったのである。
竜馬と中岡慎太郎は、土佐藩後藤象二郎と板垣退助を説き土佐藩を動かした。
竜馬が投じた案は、船中八策、いわゆる大政奉還案であった。
2004年9月23日
「竜馬がゆく」 6巻 司馬遼太郎著 文春文庫
竜馬は長崎に亀山社中っという海運会社を作った。のちの海援隊である。
薩摩藩に名義をかりて船を買いそれで商売しようとしたものだった。
また竜馬は長州と薩摩を同盟させようとしていた。
第一次長州征伐では薩摩の西郷隆盛が幕府側の指揮をとって長州を降伏させた。
長州と薩摩はとくに仲が悪い。無理難題である。
長州征伐があり長州では武器がほしかった。薩摩では不作で米不足だった。
そこを薩摩名義で竜馬の亀山社中が外国から武器を買い長州に流し、
長州からは米が薩摩に運ばれることとなった。 (武器、主に新式の銃)
そして竜馬が仲介に入りやっと薩長同盟がなった。
長州の桂小五郎、土佐の坂本竜馬、薩摩の西郷隆盛の会見であった。
このすぐ後、竜馬は旅籠寺田屋で幕府に襲われるが逃げ延びる。
第二次長州征伐となった。
幕府側、薩摩は参加しない。
長州は高杉晋作の奇兵隊が活躍し、
坂本竜馬も長州側の海軍として参加している。
ちょうど薩長同盟のトコロはNHKドラマ新撰組で先週やっていました。
教科書にも、坂本竜馬の仲介により薩長同盟が結ばれたっとそればかり書かれていたのを覚えています。
2004年9月21日
「竜馬がゆく」 5巻 司馬遼太郎著 文春文庫
長州は、薩摩、会津を破り天皇を擁すべく京に攻め上った。
しかし長州は敗れた。禁門の変。
神戸海軍塾からも志士が多数長州軍に参加してしまったため神戸海軍塾は閉鎖となった。
京では新撰組が浪人を斬りまくっていた。
竜馬は最近仲良くなった西郷吉之助(西郷隆盛)の薩摩藩邸でかくまってもらっていた。
2004年9月17日
「竜馬がゆく」 4巻 司馬遼太郎著 文春文庫
神戸海軍塾ができて竜馬が塾長になった。
はじめは船もなかったが竜馬が頼みまくりやっと幕府の船を一隻手に入れることができた。
このころ船を買った藩が多いが運転できる人がいない。
各藩からこの塾に人が入っており結構期待されている。
勤王第一の長州藩は京を追われた。
薩摩、会津が協力して長州を京から追い落としたのだった。
土佐でも土佐勤王党が粛清され武市半平太も切腹した。
竜馬も土佐によびもどらせそうになったが、また脱藩してしまった。
粛清であった。
尊皇攘夷の長州は外国船に発砲しまくった。
また外国船もしかえしにやってきた。
2004年9月12日
「竜馬がゆく」 3巻 司馬遼太郎著 文春文庫
脱藩した竜馬は長州藩邸にいそうろうしたり、剣を習った千葉道場にいそうろうしていた。
当時、攘夷といえば尊皇であり、開国といえば佐幕っといわれていた。
海軍を指揮していたのは幕臣の勝海舟であった。
船=開国論者だと思ったのか、竜馬は千葉道場主千葉重太郎と勝海舟を斬りにいった。
ところが竜馬は勝海舟に会って話しを聞くと勝海舟に弟子入りしてしまった。
船をたくさん作り、貿易をして日本を強くするっという話に共感したのだった。
勝海舟は尊皇攘夷志士たちにかなりねらわれていたが竜馬は勝海舟の警護をするようになった。
また勝海舟のはからいで軍艦操練所で竜馬は船の講義をきくようになった。
もひとつ勝海舟のはからいで竜馬は脱藩をゆるしてもらいまた土佐藩の籍にもどった。
武市半平太の土佐勤王党は尊皇攘夷であり竜馬はまた開国論者?になっておりなんともおかしなことになっていた。
竜馬がいうには、船をたくさん作り貿易して国を強めその力で外国にたちむかおうということだった。
そのうち勝海舟は兵庫(のちの神戸)に海軍学校を作ることになった。竜馬が塾頭になるのであった。
京では尊皇攘夷志士たちが佐幕派の人たちを天誅と称して斬りまくっていた。そのほとんどが武市半平太の指示らしかった。
新撰組などもこのころできた。
そんな志士、浪士たちを竜馬はこぞって海軍学校に入れてしまうのであった。
なんともおかしな?ことで。。。
やっぱり明治維新はおもしろいです。
2004年9月9日
「竜馬がゆく」 2巻 司馬遼太郎著 文春文庫
坂本竜馬は強かった。北辰一刀流免許皆伝である。竜馬24歳。
江戸の剣術修行の期限がきれ竜馬は土佐(高知)にもどった。
武市半平太も土佐に帰っていた。
武市半平太は土佐勤王党を作った。勤王倒幕をかかげている。竜馬も加盟した。
土佐を勤王でつつみ、薩摩、長州とともに、天子を擁し兵をあげ倒幕にむかおうとした。
しかし土佐でも、薩摩、長州も佐幕派の重鎮がしきっていた。
ここで竜馬は、狭い土佐より広い天下へ躍り出たいっと土佐藩を脱藩してしまった。
武市半平太は、佐幕派の重鎮吉田東洋を斬り、土佐勤王党が土佐を牛耳ろうとした。
クーデターであった。
吉田東洋を斬ったのは竜馬ではないかと疑いがかかった。
竜馬は学者を訪ねたり、本を読んだり、また長州藩を訪ねたりするようになっていた。
北辰一刀流免許皆伝ということでいろいろな道場からひっぱりだこであった。
安政の大獄、井伊直弼殺害などおこっている。
2004年9月7日
「竜馬がゆく」 1巻 (全8巻) 司馬遼太郎著 文春文庫
字数が少ないので読みやすいです。
地元の土佐(高知)の道場で目録をもらった坂本竜馬(19歳)は江戸に剣術修行に出た。
千葉周作の流れの北辰一刀流の道場であった。
何年かするとその道場でも一番強くなった。目録ももらい塾頭になった。
長州の桂小五郎は斉藤弥九郎道場、神道無念流の塾頭。
土佐の武市半平太は桃井春蔵道場、鏡心明智流の塾頭。
江戸の三大道場で、位は桃井、技は千葉、力は斉藤、っといわれている。
剣術を通じて皆、剣客が知り合いになっていく。
そんなオリ、ペリーの黒船がやってきた。
剣客を中心に、尊王攘夷論がわきあがっていく。
桂小五郎は竜馬の良いライバルで1巻の終わりには竜馬が桂小五郎に試合で勝ったことがかかれているけど実話なんでしょうか。
武市半平太は土佐のリーダー格で思想的リーダーであり竜馬も武市半平太にひっぱられていくんでしょうか。
明治維新に向かうこの当時、藩政を動かしていったのが皆、剣客だったのはなんか考えるとおもしろいような気がします。
吉田松陰とかの思想家に学んだのも皆、剣客だったり。
桂小五郎(長州の木戸孝允)
2004年9月2日
「5日でわかる世界歴史」 羽仁 進著 小学館文庫
345ページに、今から3千年くらい前まではサハラは豊かな草原でしたっと書かれています。
サハラ砂漠の下にうまってしまった文明もありそうですね。
教科書のような歴史の言葉がただ羅列されているような本はよくわからないんだけど
こういう風に書かれている本はおもしろいです。
作者の感情というか感想がつづられているような本は。
世界史の本を何冊か読んだけどまだいまいち世界史わかってません。。。
2004年8月26日
「新しい歴史教科書 (市販本)」 扶桑社
なんか思い出したので読みました。
山岡荘八さんの「徳川家康」を読んだ時、書いたのがありました。127ページ。
織田がつき 羽柴がこねし 天下餅 すわりしままに食うは家康
織田が準備し、秀吉(羽柴)が完成した天下統一という事業を、家康がそのまま受け継いだという意味。
織田がつき、秀吉がこねて、家康が食べた
っということでなんか印象に残っています。
美化してるっとさんざん話題になった教科書ですが
美化してるかもしれないけど悪いとこもちゃんと書いてあるような気がします。
今日のニュースで、どこかでこの教科書がつかわれるようなことをいっていました。
黒船のペリーの来航ルートなどものっています。177ページ。
ペリーは大西洋から喜望峰をこえてシンガポールを通って日本に来たんですね。
前は太平洋通ってきたんだと思っていました。
また再来するまで中国の港にいただけだと何かの本で読みました。
2004年8月21日
「世界の中心で、愛をさけぶ」
片山恭一著 小学館
この本は前に床屋の人に勧めれて、またネットフレンドにも勧められたので今日かってきて一気に読みました。
オープニングでヒロインが死んでしまうってわかってしまったので、死ぬって知らないで読んだ方がよかったかなーどうかなーと思いました。
ツボにはまった感じの良い文体で読みやすかったです。
2004年8月19日
「時代の流れが図解でわかる!早わかり世界史」
宮崎正勝著 日本実業出版社
明治維新は世界でもかなり遅れて革命がおこったのかと思っていたのだけど、
この本を読んで日本の革命はそれほど遅れてはいなかったのではないかと思いました。
他の国の革命とかより遅れて100年もたってないくらいみたいで。
鉄道とかの普及も100年たってないくらいかな?
過去を知れば未来を予測することもできる。歴史の教訓をいかして下さい。
みたいなことが中学か高校の教科書の終わりに書いてありました。
私は理系だったので後々になるまで歴史の本は読まなかったけど、
そう書いてあってかなりインパクトを受けたことを覚えています。
歴史の教訓をいかして未来に対処して下さいっみたいな。。
参考書だったかな。。。
この本の「はじめに」にもそのようなことが書いてあります。
この本の前に読んだ「手にとるように世界史がわかる本」の「はじめに」にもそのようなことが書いてあります。
2004年8月16日
「手にとるように世界史がわかる本」 小松田 直著 かんき出版
こんな感じの世界史や日本史の本を結構読みたいと思っています。
簡単な本でいいので。
基本がわからなくて難しい本を読んでもわからないもので。
中学で卓球をやっていたときに基本がなってないとダメだと身にしみました。
また基本がなってないと応用がきかないっというのも高校の数学や物理でみにしみました。
ホントは特定の国の歴史の本とか自伝とかを読みたいのですが。
秩父に住んでいてはなかなか手にはいりません。
本の内容をみないと買えないので通販は使用しません。
っということでこんな感じの本を何冊か読みたいを思います。
しばらく読書も夏休みにしたいと思います。。。
2004年8月5日
「戦後 歴史の真実」 前野徹著 扶桑社文庫
東京裁判、侵略戦争、南京戦、大東亜戦争、原爆投下、自虐史観、憲法、エトセトラ。
こういった内容です。
ちゃんと20世紀の歴史を総括したほうがいいですね。
何がホントで何が嘘かってよくわからないですよね。
特別コメントは差し控えたいと思います。。。
2004年8月1日
「坂の上の雲」 8 司馬遼太郎著 文春文庫
東郷平八郎の日本艦隊はロシアのバルチック艦隊にあっさり勝った。
旗艦を先頭に近づきつつある両艦隊。
東郷は8千メートルくらいに近づくと横に90度?舵をきった。
■
■ ■ ■ ■ ■(旗艦)→ ■ 日本艦隊
バルチック艦隊 ■(旗艦)
↓
↑こんな感じの形になるんだけど。
横になった日本の旗艦も砲撃をうけたがバルチック艦隊の旗艦も一斉にねらいうちされた。
速攻でバルチック艦隊の旗艦はやられ、あとは指令もばらばらになり所々で日本軍に殲滅されて全滅した。
日本の被害はほとんどなかった。
バルチック艦隊50艦はほどんど全部沈み、日本艦隊で沈んだものはないくらいだった。
まさに完全勝利であった。
これで講和条約ポーツマス条約がむすばれるのであった。
読み終えてホっと一息。
来年のNHKドラマは義経で再来年のNHKドラマは司馬遼太郎さんの「功名が辻」だそうなんだけど読んでおこうかな。
2004年7月29日
「坂の上の雲」 7 司馬遼太郎著 文春文庫
満州、奉天会戦がはげしくおこなわれた。
左翼と右翼から攻撃して中央の敵の勢力を左右にわけさせて中央突破をこころみる作戦だった。
ところが中央をぬくことができない。
左翼の乃木希典が出てさらに秋山好古の騎兵隊が奉天の背後まで進出した。
そこでロシア軍は後方へ退却した。
退却しつつ敵をよびこみ殲滅する。ロシア軍のおはこであった。
ナポレオンもこの手でやられたらしい。焦土戦術だったかな。
しかしロシア軍が退却したということで日本が一時的勝利を得ることができた。
しかし日本軍にはもう兵力の余裕はなかった。
ロシア軍はシベリア鉄道でどんどん兵力を充実させてきている。
日本は長期戦になると不利で勝ったトコロではやく講和がしたかった。
アメリカのルーズベルトにはたらきかける。
ロシアのバルチック艦隊と東郷平八郎の日本艦隊の海戦の様子をみてからということに。
バルチック艦隊もウラジオストックに入るべく日本近海まで来ていた。
2004年7月24日
「坂の上の雲」 6 司馬遼太郎著 文春文庫
特別6巻はこれといったことがないです。
日本は明石という人に大金をもたせ西欧ロシアに潜伏させて革命煽動(せんどう)をこころみた。
これはかなり効果があったらしい。
血の日曜日事件などがおきた。
フィンランド人やポーランド人はロシアの圧迫や侵略をうけていて日露戦争をしている日本人にかなり同情し味方のような感じだった。
明石も仕事がやりやすかったようだ。
満州戦は日本が負け気味だったが旅順を落としたので乃木などが満州方面に移ってきた。
そこで日本は中央突破作戦をこころみようとした。
左翼と右翼が攻勢をかけるようにみせかけてロシアの中央の軍隊を左右へ移させて手薄になった中央を一気に突破するといった作戦であった。
オトリの左翼は乃木希典が担当することになった。
秋山好古も左翼かな。
バルチック艦隊はインド洋にいてまだまだこない。
2004年7月19日
「坂の上の雲」 5 司馬遼太郎著 文春文庫
ここで乃木希典も転換して203高地を攻略することにした。
しかしはじめは手薄だった203高地もこのときには要塞とかしていた。
また正面攻撃をくり返し無惨に死体の山を築くのであった。
これではいかんと児玉源太郎という人が乃木を退かせて203高地攻略の指揮をとることになった。
児玉はあっというまに203高地を落としてみせた。
203高地から残っていた20隻くらいの旅順艦隊を砲撃し一隻残らず撃沈させることができた。
児玉は安心して満州方面の攻略にむかうのだった。
203高地を落とし士気もあがり乃木は旅順を陥落させることができた。
一方、アフリカ、インドをまわってやってくるバルチック艦隊は日英同盟の影響をうけていた。
イギリスの駆逐艦がバルチック艦隊をつけまわしたり、
石炭の積み込みをしなければならないのだが、イギリスの植民地になっているトコロが多く、
石炭を積み込むのも妨害され、ロシアと同盟国のフランスもイギリスに遠慮して石炭の積み込みを認めなかった。
日英同盟はいきていたのである。
石炭の積み込みには全員がかりだされ体や顔を真っ黒にして作業をおこなった。
これは大変つらい作業であった。
喜望峰の近辺では海はあれ、また暑いところでは船室の温度が50度にもなったという。
また日本の水雷艇がつけまわってるらしいっという虚報もたびたび流れ、
バルチック艦隊は極端に緊張し精神に異常をきたし発狂するものまで出た。
士気もあがらず病人も続出し発狂するものも出てくるのだった。
そこへ旅順が陥落し、旅順艦隊も全滅した報道もバルチック艦隊につたわった。
西欧の本国に帰還するべきだっと誰もがおもいはじめた。
大型艦はスエズ運河を通れないです。。その当時は。
1万5千トンとか無理だと書いてありました。
今は知らないですけど。。
2004年7月13日
「坂の上の雲」 4 司馬遼太郎著 文春文庫
まずロシアの太平洋艦隊?を滅ぼさねばならなかった。
そうしなければ日本から船で兵士を送ることも心配された。
また西欧方面にいたロシアのバルチック艦隊がアフリカ、インドをまわり東洋にかけつけてくるという。
この二大艦隊が一緒になれば東郷平八郎の日本艦隊は負けるしかなかった。
ロシアの太平洋艦隊は旅順港にこもりバルチック艦隊を待った。
陸地の砲台からもねらいうちにされるので旅順港に入っていくことはできない。
東郷はなんとか旅順港にこもったロシア艦隊をおびきよせ全滅させられないまでも殲滅することができた。
しかし旅順は落ちない。
陸から乃木希典が攻め続けるもガンとして落ちない。
乃木希典は、機関銃を前に正面突撃をくり返すような戦闘をつづけ死体の山を築くのであった。
何万、何千という兵が無惨に死んだ。
海軍は旅順港もみわたせる203高地を落としてくれと乃木に要求するが、
乃木希典は敵の一番あついところへガンとして正面突撃をくり返しまた死体の山を築くのであった。
主人公、秋山好古、秋山真之とかあんまりでてこなくなってしまいました。
でてこなくなってきたのは3巻あたりからだったんだけど。
最初から東郷平八郎や乃木希典を主人公にして書いてくれればいいのにねって思います。
乃木希典は無能な戦闘を繰り返したっとさんざん書いてあります。
いつか勝ってくれるだろうっとそればかり楽しみで読んでいます。
2004年7月6日
「坂の上の雲」 3 司馬遼太郎著 文春文庫
日清戦争も通り過ぎ、正岡子規もなくなってしまった。
そこで日本の驚異になったのはロシアであった。
ロシアの極東における南下政策を日本はふせがねばならなかった。
満州や朝鮮をとり防衛線にしなければ、ロシアにとられさらに日本もあぶなかった。
ロシアと外交するもこの東洋の小さな島国日本は軽くあしらわれ相手にもされなかった。
日本の要求は何もみとめられなかった。
そこで日本は日英同盟を結ぶのであった。
東洋で日本がロシアと戦いをおこせば西洋でイギリス(英)がロシアと戦いをおこす。
そこまでははっきりしてなかったかな。。?
ついに日露戦争がはじまるべくしてはじまった。
遼東半島、旅順?をめぐり戦いがはじまるのだった。
2004年6月29日
坂の上の雲 2 司馬遼太郎著 文春文庫
主人公、秋山好古。その弟秋山真之。真之の同級生?のような正岡子規。
この3人の物語である。伊予(四国、愛媛)出身の3人である。
明治維新をへて、日清戦争、日露戦争あたりの物語である。
秋山好古は、騎兵を学び日露戦争でロシアのコサック騎兵を破ったとか。
その弟秋山真之は、海軍を学び東郷平八郎の参謀となり、ロシアのバルチック艦隊を破ったとか。
正岡子規は同級生?の秋山真之が外国をとびまわっているのをうらやましがりながら、
一人病気と戦いながら短歌、俳句の確立をめざす。雑誌ホトトギスを出版している。
正岡子規は夏目漱石と交わりもあり夏目漱石もちょっと出てくる。真之とともに同級生?かな。
坂の上の雲をいままで読まなかったのは主人公がそれほど有名ではなかったから。
主人公が織田信長とか豊臣秀吉とか徳川家康とか源頼朝っとか坂本竜馬っとか、
主人公が有名な歴史小説しか読んでなかった。
坂の上の雲は良いっと聞いていたけど、主人公が有名ではないからおもしろくないかなっと思っていた。
ところが読んでみると結構おもしろい。
今度、主人公が有名でない歴史小説も読んでみようと思った。
2004年6月22日
坂の上の雲 1 (全8巻) 司馬遼太郎 文春文庫
明治維新からの勉学の発達していく様子とかおもしろいです。
西欧の兵学をまなんでいく様子とか。
有名人同士のつながりとか、当時ホントにつながりがあったのかフィクションなのか?
司馬遼太郎さんの書き方ってノンフィクションのようにみえるんだけどどうなんでしょう。。