26巻 山岡荘八著 講談社
下から書いてます
2004年6月23日。14巻〜26巻まで作成。
2003年12月末から2004年6月初旬まで入院していました。
入院中に読み切ってメモを書いておいたもの。
読んですぐ書かないと感想って書けないですね。。
とりあえずメモのまま書いてみます。
1月頃に読んでメモをとって、
6月の今読むとなんかすべておかしく感じます。
感想は読んですぐ書かないとダメですね。。
大阪冬、夏の陣の頃には秀頼ももう20歳くらいになっていて、
家康が死ぬのがはやいか秀頼が成人するのがはやいかっという感じでした。
家康がはやく死んでいれば成人した秀頼の世の中、豊臣家の世の中になっていたかもしれません。。
徳川家康26巻
大阪夏の陣から、
伊達政宗に謀反のきざしがあり、
注意して読むとおもしろいかもしれない。
ただ単に秀頼vs家康ではなかった。
みな家康の死をはかっていた。
でも家康から徳川政権が3世紀もつづいたんですね。
徳川家康25巻
同じ時に同時進行するストーリーって
山岡荘八さんが書いていたんですね。
誰が最初なんでしょう?
大阪夏の陣、あっさり家康が勝ったと思っていたんだけど、
かなり苦戦したんですね。
家康の影武者はみんなやられたようですけど、
残ったのが影武者だったりして。
影武者徳川家康っなんて小説もあったけど。
それはいれかわったのは関ヶ原のときだったけど。
徳川家康24巻
大阪冬の陣。
大阪城に籠城する豊臣方、
冬に城攻めとか、寒い中、何十万も長帯陣で、
現場はどうなんでしょうか。
夜、ふとんもないと思うし。
それで和議にして、夏やりなおしたのかなっと。。
徳川家康23巻
長年の戦いで焼けてしまった大仏殿。
豊臣家が大仏殿を建てかえ、
開眼供養で人があつまり、
その人たちを集め豊臣家が蜂起するという噂でもちきりになる。
国家安康、君臣豊楽という言葉も、
家康の名前を分断するものだと豊臣vs家康が激しくなり、
戦いは避けられない状態になる。
大阪城にはたくさんの浪人が集まりだした。
真田幸村などもいた。
徳川家康22巻
新教に家康がつき、
旧教に大阪側がついた。
マルコポーロの書いた黄金の国ジパングをめざしてくる。
大阪城は金ぱくが??
この本を読むとこの頃に
日本はキリスト教になってしまうと思うほど。
徳川家康21巻
紅毛人と南蛮人の対立がすごい。
新教、旧教の対立がこれほどであったことはあまり知らなかった。
家康はどちらも同じようにつきあおうとしている。
プロテスタントとカトリックの対立はすごかった。
徳川家康20巻
家康の嫡男秀忠に嫡男がうまれる。
世継ぎが秀忠にまちがいなく
秀忠の次ぎに秀頼と豊臣側は期待しているのだが。。
旧教、イスパニア、ポルトガルの旧勢力は南蛮人。
新教、イギリス、オランダの新興勢力は紅毛人。
徳川家康19巻
家康は公卿にはならず征夷大将軍になる。
日本の武将の指揮権をもてる。
16歳で秀頼に政権を返すという話しもあり、
秀忠の次ぎに秀頼という話しもあり。
西欧の植民地政策。
その手段はまず宣教師を入り込ませ、
切支丹をひろめて土民を手なづけ、
しかるのちに軍隊を送り、
信徒と相呼応してその国を征服する。
徳川家康18巻
上杉会津征伐で、家康と秀吉武断派武将たちは、関東に行き、そのすきに、
石田三成と西日本武将たちが蜂起した。毛利筆頭。
秀吉武将たちは西にむかい岐阜をおとした。
有利な展開になるまで家康は江戸で様子をみていた。うまい。
ころあいを見て、家康が出てきて関ヶ原となる。
西軍10万、東軍7万。
西軍は東軍をまわりからつつみこむように陣どった。
陣取りだけみれば、西軍が勝つといわれているようだ。
東軍家康側は中央突破の形をとりおしまくった。
それでまわりで見ていた西軍も東軍になびいた。
勝ち馬にのる。
石田三成vs家康ではやはり家康になびくのは当然である。
豊臣家vs家康ではなく、
石田三成vs家康、秀吉武断派武将でもあるし。
関ヶ原で家康が勝った。
秀吉武将たちにたいへんな加増がおこなわれた。50万石とか。
その後になって、
秀頼に千姫をとつがせている。
前からの約束ではあったが、家康もなかなかしたたかで、
その後の政局を穏便にもっていこうとする心づかいが見られる感じ。
協調性も大事である。
家康の子、秀忠が中山道をとって真田にくいとめられて
関ヶ原におくれたっというのがあったけど、
会津の上杉軍の様子をみていておくれたのではないかなっとちょっと思った。
徳川家康17巻
上杉征伐。
家康は会津にいったのではなくふりをして
江戸にもどって準備したかっただけでは。。
西軍、石田三成文治派 vs 東軍、秀吉武断派武将、家康
イスパニア、ボルトガル船が減り、
オランダ、イギリス船が増える。
家康が死ぬのがはやいか、秀頼が成長するのがはやいか。
徳川家康16巻
日本を統一したら武断派はいらず文治派がおさめるべき、
それで文治派石田三成派と武断派が争うようになった。
武断派、黒田長政、細川忠興、浅野幸長、福島正則、藤堂高虎、加藤嘉明。
文治派、石田三成、小西行長。
武断派は北の政所、家康に近づき、
文治派は淀殿、前田利家に近づいた。
まだ幼い秀頼を残して秀吉は死んだ。
朝鮮出兵していた武将たちもさんざんなていで退却してきた。
かなりの不満が日本中に充満したと思う。
石田三成を筆頭に文治派と武断派も争うようになっていった。
文治派は秀頼の母、淀殿側につき、
武断派は北の政所ねね側についていった。
この武断派が石田三成と仲が悪く家康側についていく。
豊臣側の前田利家も死に一気に内乱ムードになっていくのであった。
豊臣側について勝っても土地はあまりもらえそうにないけど、
家康側について勝てば土地がかなりもらえるのではないかっとか、
利害関係もかなりあったのではないかと思う。
家康はたくみに豊臣側武将と婚姻関係を結び調略していく。
伊達、上杉、毛利、島津などが再び天下をねらって動き出す。
天海、明智光秀説があるけど、
天海、石田三成説はないかなぁ??
秀吉の秀っと明智光秀の秀の関係っとか、
秀吉の吉法師の吉かなぁっとかいまさらそんなことまで考える。
吉法師は織田信長の幼名。
徳川家康15巻
五奉行、前田玄以、浅野長政、増田長盛、石田三成、長束政家。
五大老、徳川家康、前田利家、宇喜多秀家、毛利輝元、上杉景勝。
秀吉にまた子供がうまれて相続争いで分裂しだした。
秀次に関白をゆずっていて秀次を世継ぎにきめていたのだ。
秀次の態度が悪いと秀次を処断したのだが、
態度が悪くなったのも秀吉に子供がうまれて、
秀次は相続できなくなるからだったと思う。
わかるような気がする。
秀吉もなくなった。
秀吉の辞世の句。
露と落ち露と消えぬるわが身かな。
浪花のことは、夢のまた夢。
徳川家康14巻
家康は関東を治め、たびたび京、大坂を訪れていた。
秀吉は日本を全統一して、その矛先は明にむいた。
朝鮮出兵、唐入りである。
千利休は茶道の枠をこえて権力をもつようになっていた。
あれほど秀吉に寵愛された千利休であるが、
寺院の門に千利休の木像をおいたことから、
門の下を秀吉も朝廷の人も通ということで
千利休は切腹させられてしまった。
権力をにぎった2人は対立するようになっていたのである。
朝鮮出兵。
当時はアメリカンドリームならぬチャイナドリームがあったんだと思う。
前は言葉の壁があるし無理だと思っていたけど、
当時は日本でも日本語は統一されてなくてバラバラだったと思う。
日本を簡単に統一してしまった秀吉はすごいと思う。
封建制度。働いた人に褒美で土地をあたえる。
日本を統一したらあたえる土地がないので朝鮮、明にむかう。
チャイナドリーム。秀吉は天子を中国に移すことまで考えていたようだ。
そんな中、秀吉の子供が死んだり(淀殿の子)
母の大政所が死んだりした。
朝鮮出兵に反対する勢力もかなりいたようだ。
海戦でたびたび敗れて苦戦した。
そんな中、また秀吉に子供が産まれた。淀殿との子。
他の人たちとは子供がうまれておらず淀殿不倫説がある。
淀殿vs北の政所も注意したい。
2003年12月末から2004年6月初旬まで入院していました。
入院中にメモを書いておいたもの。
読んですぐ書かないと感想って書けないですね。。
●2003年12月7日
「徳川家康 13 侘茶の巻」 山岡荘八著 講談社
静岡、山梨、長野を支配する家康に秀吉は妹(朝日姫)を嫁に送り西日本を制圧してしまった。
家康からみれば秀吉の妹は質のようなものだった。
家康の嫡男秀忠を秀吉の妹は養子にする。
秀忠はやはり秀吉の秀を使っている模様。
徳川二代将軍秀忠だった。
西日本を制圧した秀吉は関東の北条を攻める。
有名な小田原城攻めである。
北条は前にこの小田原城で上杉の十数万をふせいだことがあった(本には書いてない)
上杉軍は大群をようしていたため兵糧がたもてず撤退していった。
秀吉も同じになるだろうと思ったのだろう。
でも秀吉は兵糧も船でどんどん輸送していた。
秀吉にしてみれば祭りのようなものだった。
北条を倒すと秀吉は家康を関東に転封した。
秀吉は東の静岡、山梨、長野を身内でおさえたかったのである。
家康も加増にはなった。江戸を本拠とする。当時の江戸はただの野原というかなにもなかった。
1590年頃のことだった。
秩父神社を家康が再建したのが1592年だと思う。結構はやい手回しだったと思う。
このときに左甚五郎が「つなぎの龍」を彫ったんだと思うけど、
こないだ秩父神社にいったときに「つなぎの龍」の下で、
水害がおきたときに地元の人がこの龍のせいだとおおさわぎしてどこそこに陳情にいったとかなんとかおもしろおかしく老人がまわりの人に話していた。
日光東照宮の「ねむりねこ」を彫ったのが左甚五郎なんですけど、
日光東照宮は徳川家康をまつっています。
日光東照宮の神は家康なんです。
秩父神社にも日光東照宮の「見ザル、言わザル、聞かザル」と同じような三匹の猿の彫り物があるんですよ。小さいですけど。。
哭(な)きの龍。。。
●2003年9月30日
「徳川家康 12 華厳の巻」 山岡荘八著 講談社
近畿を統一した秀吉
ぜんぜん上洛してくれない家康
秀吉の妹を家康の妻にしてなおかつ秀吉の母を家康の元へ送る。
やっと家康が上洛した。
これで東のかためが整い秀吉は九州征伐をする。
大陸への夢がでてくる。
コロンブスの新大陸発見のときのように秀吉も簡単に中国大陸を自分のものにできると思っていたんだと思う。
当時は手柄をたてたらどんどん土地をあたえなけらばだったからね。
いろんな本には最初から朝鮮出兵なんかするなんてってのが多いけど
明治維新のときにも簡単に征韓論っとかおきてましたよね。
秀吉は九州征伐でキリシタンをみせつけられてキリシタン追放令がでた模様。
●2003年7月31日
「徳川家康11巻 竜虎の巻」 山岡荘八著 講談社 読破
近畿を完全に統一した秀吉。四国遠征して九州遠征をめざす。
家康は静岡、山梨、長野。
北条は関東
上杉は北陸
着実に統一していく秀吉と家康と北条と上杉が三つ巴でやりあっている感じ。
ここで秀吉と家康の婚姻話。
なんと秀吉の妹の40歳すぎの朝日姫を家康の正室に。。
朝日姫は夫と離縁させられて夫は切腹。。そして家康の正室に。。
子供がぜんぜんできない秀吉に姫はなく秀吉もかなり苦労したんでしょう。
これで秀吉と家康は義兄弟なんですけど三国志の義兄弟みたいな良いイメージではないですね。。
家康の武将の石川数正が秀吉につきました。
この本にこんな感じの文章をみつけました。
信長が壊して 秀吉がまいて 家康が収穫した。
●2003年7月3日
「徳川家康 10巻 無相門の巻」
山岡荘八著 講談社 読破。
信長が明智光秀に本能寺で殺されてから1年で秀吉が天下をうけつぎました。近畿一帯ですが。
秀吉がいたから信長が天下統一できたのかっとかちょっと考えてしまいます。
美濃(岐阜)攻略で攻略できなかった川向こうに墨俣城を築いたのも秀吉でしたね。
それで天下は秀吉vs家康になりました。
秀吉に対する家康が書かせた高札がおもしろいですね。
こういう高札の内容のようなものは三国志によくでてきます。
そのへん三国志はおもしろいです。
秀吉vs家康で小牧、長久手の戦いがあり家康の勝利でした。
秀吉vs家康はこれっきりなんですよね。
あと16巻もあるんですけどそんなに重大事件がないと思うんですけど。。
ウグイスの歌の他におもしろいのがありましたよね。ほととぎすか。。
信長がついて秀吉がこねて家康が食べたって。。
信長がこねて秀吉がまるめて家康が食べただったかなぁ。。?
岐阜の織田信孝が切腹させられました。
●2003年6月13日
「徳川家康 9巻」
山岡荘八著 講談社 読破
織田信長が明智光秀に殺されて秀吉が光秀を討って
織田の家督相続争いですね。
秀吉vs柴田勝家になって賤ヶ岳の戦いですね。
家督相続争いになってから信長の妹のお市が柴田勝家にとついだんですね。
浅井とお市の子の茶々が秀吉の子秀頼を生むんですけど
茶々がよくでてきます。
NHKドラマでもこのへんはよくやっていましたけど
秀吉もお市が好きだったんですよね。
でも浅井を攻めて滅ぼしたのも柴田を攻めて滅ぼしたのも秀吉なんですね。
茶々の淀殿はずっとどう思っていたんでしょうね。。
家康は新たに山梨と長野を手に入れてます。静岡と山梨と長野ですね。
この巻で家康はあまり出てきませんでした。
秀吉が勝利して柴田勝家とお市は自害しました。
岐阜に三男の織田信孝がいて三重に織田次男の信雄と滝川一益がいて四男が秀吉の養子になっているのかな。。
長男の織田信忠は本能寺のときに二条城あたりで殺されていたかな。
長男の織田信忠の長男が三法師で秀吉がかついだわけですね。
●2003年5月30日
「徳川家康 8巻 心火の巻」
山岡荘八著 講談社 読破
8巻が明智光秀謀反で本能寺の変があって信長が殺されて秀吉が明智光秀を倒すまでなんですけど。
安土城が出来て信長が家康を安土城によんで、その家康の接待役が明智光秀で途中で接待役をしりぞけて中国地方で毛利と戦っていた秀吉の援護にいかされました。
秀吉は毛利の城を水攻めにしていました。
そこへ毛利の援軍がたくさん来たので秀吉が援軍を要請したんです。
信長もいこうとして本能寺に兵力なしで泊まりそこへ中国地方へいこうと兵をあつめた
明智勢が謀反で本能寺を襲ったわけです。
信長はひとたまりもありません。
信長に滅ぼされた室町幕府の足利義昭は追放されてどこかにいたんですよねぇ。
中国地方の毛利の方にいたんでしょうか。
いろいろ画策していたとか他の話で聞いたことがありますが
福井の方の朝倉に身を寄せていた足利義昭を当時そこに使えていた明智光秀が
信長にひきあわせて光秀も信長に仕官したわけで。
それで信長のおかげで足利幕府の再興がかなって、でもまた足利義昭は追放されたんですね。
その辺で明智光秀に足利義昭の工作があったのではないかと思うのですが。
中国地方で毛利と戦っていた秀吉も信長が死ぬとはかったように毛利を和睦していて。。
足利と毛利、秀吉で画策があったのだろうかっと。。
この小説では家康が安土にいったときに秀吉に使者を送ってますが実話なんでしょうか。
ちょっと何かあるかなっと連想してしまうところです。
柴田勝家は信長がまだ尾張(愛知)で弟の信行と争っていたときに信行側についたんですよね。
信行は殺されたんですけど。そんな昔のことはどうでもいいかな。。
家康が実際兵をどこまで(地点)出していたのかとかも気になります。
安土城が意味なく焼かれてしまったのをみると家康が入ろうとしたからなのか実際わかりません。
明智軍ではなく信長の子が焼いたようですが、秀吉に入られたくなかったんでしょうか?
その辺よくわかりません。。
家康は兵を出していたのか誰の味方なのか家康の子の信康を信長に切腹させられたばかりなだけによくわからないです。
たまったものではないのが長野のなんとかさんと上州(群馬でしょうか)の滝川一益で
そんなトコにいて信長に死なれたらかないませんね。
滝川一益は運が悪かったですよね。実はすごい人だったかもしれない。
最前線のその地点をまかされていたトコは信長にかなりかわれていたんだとは思うんだけど。
家康は西は誰の味方なのかわからないけど東にいってもたなぼた式に織田の無統治状態の土地が手に入るわけで。。北条はいますけどね。。
NHKドラマ「利家とまつ」とかで秀吉は信長が死ぬのがわかっていたような取り扱いをされていたのですが、
この辺は今川義元の上洛戦からあるように武田信玄の上洛戦まであって
上杉謙信もいつ上洛戦するかわからなかたし
長篠の戦いも武田勝頼の上洛戦だったかも知れないし
だから謙信が死んでもいつ上杉軍が上洛戦するかわからないし
家康の子信康が切腹させられて家康も上洛戦するかもしれないし
秀吉が姫路城をまかされて5年くらいと書いてあったような気がしたんだけど
武田、上杉、家康に信長が滅ぼされるのを予期して準備していたのではないかなっとも思う。
年代とか前後関係とかよく調べないとわからないですけど。。
信長が死ねば誰がトクをするかってとこから考えてもいろいろあると思う。多そうだけど。。
誰がとかじゃなくていろんな人がからんでいていろんなコトが関連しておこったことなんじゃないかとも思う。
信康が切腹させられたから光秀は家康は味方になってくれるとか思ったりいろいろとあるんじゃないかと。
はっきりしているのは秀吉と光秀は天王山で戦っている。。
光秀が秀吉に勝っていたら家康はどうしていたかっとかいろいろ考えちゃいますね。。
山岡荘八さんの小説は小説で読んで自分はこう考えるなぁって感じで読んでますので。。
歴史小説はみんなそんな感じで読んでいます。。。
資料があればいろいろ自分で考えてみたいのだけど。。
資料があっても私漢文古文やそういう資料がわからないのが。。。。(爆)
武田信玄と上杉謙信が死んで家康の子も信長に切腹させられて
誰かが信長に謀反してもどうにかなる状態だったんでしょうね。。
●2003年5月20日
「徳川家康」7巻
山岡荘八著 講談社 読破
武田勝頼が1万5千で大挙して徳川家康にかかってきました。
織田信長が援軍に来ました。
武田勝頼vs織田徳川連合軍。長篠の戦いです。
日本ではじめて鉄砲をつかったといわれている戦いです。
織田の鉄砲3千。一人の射撃で一人を倒せるように訓練されていたようです。
武田の最強騎馬軍団もこれにはかないませんな。。
鉄砲が伝わって戦国時代に日本は世界でトップの鉄砲保有数だったとか。。
世界の半数の鉄砲が日本にあったとかないとか。。
武田の武将の多くは負けるんじゃないかと思っていたようですが
戦うまではそんなこと思ってなかったと思うんですけどね。。
鉄砲がなければどうなっていたか。。
織田が援軍にこなければ家康は負けていたろうしおもしろいものですね。
最近はよくタラレバはいうなっといわれますが。。
上杉謙信も卒中で死んだようです。
武田信玄が死んで上杉謙信が死ぬとやはり織田は強くなりますよね。
家康の正室築山殿と信康が信長に切腹させられました。
今川の血をひいているということであたりまえでいいじゃないですか。。
家康にも他に3人くらい男子ができていたんですね。
でもこれを思うと明智光秀に謀反をたきつけたのは家康かなっともちょっと思いますね。
家康を安土城によんだときの接待役が明智光秀でその途中で中国出陣いわれて
それで本能寺おそったような気もするんですけど。。っで家康がからんでいるかなっと。。
よくわかんないですけど事実関係確かめて書いてるんじゃないのでよくわからないですけど。。
妄想だったかな。。
元にもどって安土城もできました。
それで武田勝頼と北条が同盟関係だったようですけど、
家康と北条の同盟がなって織田もきて一気に武田勝頼が滅ぼされました。
織田の先方は滝川一益だった。
やはり同盟関係ですよね。
上杉と武田の同盟関係とかもいろいろありました。
●2003年5月12日
「徳川家康 6 燃える土の巻」
山岡荘八著 講談社 読破
長野山梨の武田信玄が上洛しようとして死んだわけですが、
上洛戦に時間がかかって雪が溶けてくると新潟の上杉謙信に空いた長野をつかれるわけですよ。
っでやはり時間がかかって撤退したのを徳川軍が武田信玄は死んだっといいまわってのではないかとちょっとそうとも思う。
それでくちおしくて武田信玄は死んでしまったのかなっと。。
考えるとキリがないですよね。
っで武田信玄が死んで武田勝頼(長野山梨)と家康(静岡)は小競り合いをくり返してます。
これだけ戦っているんだから家康は強くなりますよね。
家康は自分から仕掛けていくようなことはあまりないようですが。。
石田三成(佐吉)も秀吉についてこのころから戦いまくっているようですが、
関ヶ原の戦い(家康vs石田三成)で石田三成ははじめて全軍の指揮をとったわけですから。
やはりそのへんのちがいがでたのではないかと。。
関ヶ原の戦いでは家康(東軍)と石田三成(西軍)では武将配置的には西軍が
勝つといわれているようですがやはり士気的なものがあるのではないでしょうか。
みんな家康に寝返っていったようですが石田三成がおしていれば石田三成側についていたと思うんですけど。
やはり士気とか勝組にのろうとかの方が強いと思うんですけど。。
陣形とかも大事なんだと思うけどやはり机の上での論と実際戦ってみるのではちがうのではないかと。。
「項羽と劉邦」司馬遼太郎著でも張良は最初めだたなくて小競り合いをくり返したみたいですが。
やはり実戦をつまないとダメなんじゃないかな。。
信長は福井だか石川だかの朝倉を滅ぼして信長の妹の市姫がとついでいた滋賀の浅井を滅ぼしました。
市姫は救いだされて浅井との3人の娘も救いだされました。
この3人の娘の中の茶々が淀殿とよばれて豊臣秀吉の子、秀頼を生むわでけすね。
大阪夏の陣、冬の陣で滅ぼされます。
茶々の性格的なものがこの頃から書かれています。
家康の子、信康が信長の子、徳姫の侍女を手打ちにしています。
武田との内通者の謀反が発覚し処罰されました。
上杉(新潟)、武田(長野山梨)、北条(伊豆神奈川)、徳川(静岡)、織田(愛知岐阜近畿)の同盟とかのかけひきが結構興味深い。
北条はほとんどでてこないけど。。
秀吉は市姫を救い出した手柄らしく浅井の滋賀18万石をもらってますね。
●2003年4月12日
「徳川家康 5 うず潮の巻」
山岡荘八著 講談社 読破
ちまちま一ヶ月くらいかけて読んだので
最初の方は忘れていて感想といってもなにもないのですが。。
信長は近畿に手をかけていて浅井、朝倉と戦っていたと思います。
家康もたびたび援軍にいってます。
そこへ武田信玄軍が京に上洛するために静岡にでてきました。
今川義元のときの上洛戦のときのような感じです。
武田軍はすごく強くて家康はなすすべなしでしたが
途中で武田信玄は亡くなり武田軍は撤退しました。
このへん最後の武田の城攻めはかなり日にちをつかってるので
実話ではもう武田信玄は死んでいたのかなっとも思います。
城が頑固なだけだったんでしょうか。
信長の今川義元みたいに家康の部下のだれかが信玄の首を実は
あげていたのかもっとちょっと思います。
信玄は死にましたが家康の正室の鶴姫の築山殿が武田と密通しています。
武田につけば築山殿と家康の子、信康に静岡をおさめさせるっというものです。
私、愛知っていまいち把握してなかったんですけど愛知もかなり入ってますね。。
やはり築山殿と信康は今川の血をひいてるからなーっとあらためて思います。
当然といえば当然で。。
今川と武田は婚姻関係とか同盟関係がありましたから。。
こういう点はコーエーの信長の野望というシミュレーションゲームやっててもよくわかりますよね。
絶対同盟とか婚姻とかうまくやっていかないと四面楚歌で滅びますもんね。。
最近日本がポチとかってよくいってるけど、
家康も信長や秀吉のポチでしたよね。。
最後にはポチだった家康も天下をとりましたよ。。参考になるかと。。
●2003年3月10日
「徳川家康 4 葦かびの巻」
山岡荘八著 講談社 読破
今川義元が桶狭間で織田信長に敗れ、
岡崎城の今川勢も逃げてしまったので家康が岡崎城に入りました。
長年の人質生活ともおさらばでやっと自分の城に帰ってきました。
っで信長と同盟して今川と敵対しますね。
一向一揆が起きたりして大変だけどなんとかおさめて
今川勢を駆逐していき西静岡は家康勢力になったようです。
信長は美濃(岐阜)を攻め取り市姫を滋賀の浅井と婚姻して京に上洛してます。
明智光秀もちょこっと出てきました。
家康は最初姓が松平で幼名が竹千代で、松平元信、松平元康、松平家康、徳川家康って
名前が変わっているんですけど、
松平元信は、元は今川義元の元、信は信長の信でもあるんですね。
松平元康は、今川の人質生活が長かったので信をはずして、
徳川家康は、家康の子供が信長の徳姫をもらったあたりでついてますね。
なんか関連ずけていくとおもしろいですね。考えすぎると妄想っていわれるんですけどね(爆)
家康の正室が鶴姫の築山殿なんですけど、
今川義元の姪で今川の血をひいてますからいろいろ確執がすごいです。
今川義元を破った信長と同盟してますからね。徳姫が信長の子ですからね。
後で信長の子徳姫をもらった家康の子信康が切腹させられていたと思うんだけど、
築山殿との子で今川の血をひいているのでやっぱりなぁみたいに思うのですが。。
鯉の話がなんかいいなぁっと思った。ネタが。
●2003年2月26日
「徳川家康 第3巻 朝露の巻」
山岡荘八著 講談社 読破
家康が成人して妻ももらってですね。今川の人質状態なんですけどね。
妻が今川義元の姪だったかな。
これがかわいがっている1番や2番の姪らしくて好待遇のようです。
1番2番が鶴と亀ってよばれてる姫だったんですけどね。
鶴をもらったわけですよ。
結構人質生活送りましたけどモテモテでいいですよね。
出てくる人出てくる人、女には不自由してないですね。。
君主ってのはやっぱそうなんだと思うけど、
最近ゲームとあいまって君主と部下でどっちが主人公の方がおもしろい小説になるのか
考えさせられます。
っでそんなことで織田と今川にはさまれた家康の岡崎勢がどうかけひきしていくのかっと
いうことなんですけど本多平八郎忠勝なんかでてくるとこがいいですね。
織田勢が総勢4千くらいですけど、家康の岡崎勢だって2千5百とかあるんですね。
最初小勢力とかいってたけど結構多いですよね。
家康が鶴姫をもらうわけですよ。
っで桶狭間で今川義元が撃沈されました。
そうそう秀吉(猿)も信長に仕官してますね。
●2003年2月23日
「徳川家康 第2巻 獅子の座の巻」
山岡荘八著 講談社 読破
精神崩壊ですが、家康の父広忠の側室がそんなふうになってますね。
でもそれは演技だったんですけどね。
広忠も精神崩壊っていえばそうかもしれないですね。ちがうかな。
今川へ人質になるはずだった竹千代(家康)はさらわれて織田の人質になってしまいました。
広忠が死んで岡崎は今川の植民地みたいになってしまいましたね。
植民地じゃおかしいな。。
今川が織田家のものをつかまえて竹千代と人質交換になり、
竹千代は今度は今川の人質に。家康も苦労しましたよね。
織田家では信長の父信秀が死に相続派閥争いが盛んになってます。
信長もホント孤独でしたよね。俺も孤独だけど。。
信秀の葬式で信長が私服みたいな恰好で遅参してきて焼香で香をなげたっていう
有名なシーンあるじゃないですか。
あれは葬式につけこんでまわりの国が攻め込んできようというのを、
信長一人で守ろうとしていたとか解釈しているんですけどね。
愛知織田。岐阜斉藤。山梨長野武田。静岡今川、伊豆神奈川北条。
家康の松平家の岡崎は静岡の西の方かな。
●2003年2月12日
「徳川家康 1巻 出生乱離の巻」
山岡荘八著 講談社 読破
一巻500ページっておおすぎですよ。
よめねーよ。こんなに。。
全巻26巻どころか何巻つづくか微妙になってきた。
せめて一巻300ページだよな。でもそうすると全巻50巻くらいになっちゃうか。。
家康の両親の出会いからはじまってその恋物語ですね。
っで家康(竹千代)が産まれるんだけど、
松平家が今川と織田にはさまれてすったもんだで波乱で。
母親は勢力争いで離別になっちゃって。
父親の広忠がなんか私の状態入ってるようなないような。