世に棲む日日感想 りょう99@笠原良太

司馬遼太郎著 文春文庫 全4巻


 

●2003年10月6日
「世に棲む日日 1」 司馬遼太郎著 文春文庫

主人公、長州(山口)の吉田松陰。
わかくして長州藩のナントカ流(兵法学)の指南役?っということで
小さい時からいろんな長州の学者?から教えをこう。
はじめに十代で九州の学者に教えをこいはじめて遊歴する。
帰ってきたらすぐ江戸にいきたくなり江戸にいく。
江戸でいろんな学者や論客?っとまじわり
吉田松陰もちょっと調子にのって東北遊歴にいきたくなり脱藩までしてしまう。
坂本竜馬の土佐藩脱藩はわかるような気がするが吉田松陰が脱藩するってのがよくわからない。
やはり最初からカゲキ派?だったのだろうか。。
水戸や会津にいく。
帰ってきたら脱藩の罪にとわれ国元の長州にかえったが追放されてしまった。
また各地を遊歴して江戸にいく。佐久間象山を師と仰ぐ。
そこへ現れる黒船。ペリー。
吉田松陰ははじめて国を考える脱藩浪人、志士であったのか。。剣士じゃないけど。。
またあとで来るとペリーは帰っていった。
アメリカに遅れをとってはとロシアのプチャーチンがつづいて長崎にきた。
吉田松陰は外国に対抗するにはまず外国をみなければダメだと国禁を犯してロシア艦隊に密航しようとするが長崎にいったがクリミア戦争?がはじまるとかでロシア艦隊はすでに国へ帰っていた。
そしてペリーがまた浦賀にきた。
吉田松陰の胸中にはアメリカへ?

感想じゃなくてアラスジだ。。

●2003年10月10日
「世に棲む日日 2」 司馬遼太郎著 文春文庫

再び現れた黒船、ペリー。
吉田松陰はアメリカに連れて行ってくれっとペリーの黒船に密航する。
ペリーの黒船にも中国語ができる人はいるものだ。漢文を使って交渉する。
しかし浜へ追い返されてしまった。
吉田松陰は牢屋にいれられ、また国元(長州)に帰りまた牢屋にいれられ自宅蟄居(謹慎?)となる。
そこで開いた塾がかの松下村塾(しょうかそんじゅく)である。
尊皇攘夷の過激志士の巣窟(そうくつ)になる。高杉晋作。久坂玄瑞など。
明治維新志士を数多く輩出(はいしゅつ)する。
しかし松下村塾で教えていたのはわずか3年。
井伊直弼による安政の大獄で吉田松陰は殺されてしまった。
吉田松陰から次の主人公になったのは高杉晋作である。
中国はアヘン戦争でやぶれ外国の植民地状態になり外国の文化がはいり外国の建物とかもずらり建てられていた。
そこで中国に渡った上海で高杉晋作は外国文化に接した。
とてつもない外国文化に接した日本人は開国論にすぐなるらしい。
でも高杉晋作はちがった。よけい尊皇攘夷がはげしくなったのである。
日本に帰った高杉晋作は脱藩して横浜の外国人公使の襲撃を計画する。

この本で明治維新志士の有名どころがづらり出てきた。
司馬遼太郎さんの人物考察はすさまじくかなり興味深い。
改革、革命とあいまって現在にかさなるトコロがあるような気がしてかなり興味深い。

私は前に日記で本を読んだっとだけ日記に書いていた。
そこで私に吉田松陰を読んでみては?っといった人がいた。
去年、山岡荘八さんの吉田松陰を読んで、
本を読んだっと書いただけではそれは嘘だろっということで感想も書きなさいっということだと理解してそれでそれからこの簡単な感想を書きだした。
でもこの本を読んで、それもあるだろうけどそれとはちょっと?ちがう意味もあったのだろうと思った。

●2003年10月21日
「世に棲む日日 3」 司馬遼太郎著 文春文庫

高杉晋作は外国人公館を襲撃したり暗殺を計画したりぶっそうなことばかりしていた。
尊皇攘夷である。
高杉晋作個人にとどまらず長州藩は尊皇攘夷に爆心してつきすすんでいた。もう止めようがなかった。
吉田松陰一人がまいた種がこんなになってしまったのだろうか。
長州藩は禁裏と結び尊王攘夷論を乱発する。外国船はうち払えっとか。
しかし長州藩が実権をにぎるのがおもしろくなかった薩摩藩は会津藩などとくんで長州藩を京からおいおとしてしまう。佐幕派で。
でも長州藩ににげてきた公家たちとともに長州藩はそれでも尊皇攘夷まっしぐらだった。
京へ挙兵して敗れるも今度は下関を通る外国船をかたっぱしから砲撃した。
しかし外国の連合艦隊に敗れ去ってしまった。
そして長州藩ではクーデターがあり佐幕派が実権をにぎった。
高杉晋作は九州に落ちて再起をはかろうとした。
しかし長州藩が尊皇攘夷のときは九州各国も尊皇攘夷になびいたが
長州藩が敗れるとまた九州各国も佐幕派にもどっていった。
高杉晋作は思った。長州藩が玉砕覚悟で爆心すれば他の藩もついてくるだろうっと。
長州藩ひとつで日本が変わるっと。

外国各国の思惑は日本を植民地にしたかったのだと思う。
外国各国もいろいろ考えてどうにか日本を植民地にしたかったんだと思う。
薩摩や長州と手をむすんだ外国は薩摩や長州に幕府をたおさせようとして日本を内乱にすれば簡単に日本を植民地にできると思っていたのではないだろうか。

●2003年10月22日
「世に棲む日日 4」 司馬遼太郎著 文春文庫

佐幕派になってしまった長州。
高杉晋作はわずか80人でクーデターを起こす。
前に作っておいた奇兵隊などが活躍する、
わずかな人数でも長州全土をふるわすもものだ。
高杉晋作が挙兵した。それだけでよかった。
各地で民衆がさわぎだす。
そして初戦に勝ち勢いに乗る。相手は2千人とかそういう数。
クーデターは成功し長州はまた尊皇攘夷。倒幕派になる。
しかし幕府に対抗するには開国して横浜みたいに産業国?貿易国?にするしかなかった。
高杉晋作たちは開国派にはやがわりする。山県有朋、伊藤博文、井上馨などなど。
いつ頃かよくわからないけどこの頃に薩長同盟や英国(イギリス)など?と同盟がなったようだ。
しかしやはり尊皇攘夷派たちがゆるすわけもなくまた高杉晋作は国をおわれてしまう。
内乱してるときがいいときと思ったか幕府は長州征伐にきた。
やはりこんなときは高杉晋作しかいない。
幕府艦隊を夜襲して追い払い、九州幕府軍もけちらす。
こんな高杉晋作も病気には勝てなかった。
幕府が和睦を申し込んできて安心して高杉晋作も死んでいく。。

3巻で吉田松陰一人が思想をまいて長州一つで日本が動くって感想を書いたけど
4巻で今度は少数人数でも初戦を勝てばみんなついてくるって感想をもったんだけど
でも司馬遼太郎さんがあとがきに書いてるんだけど
吉田松陰がいなくても高杉晋作がいなくても長州がなくても
ペリーが来たことからどうやっても明治維新はなったみたいに書いてます。
考えさせられます。。

あと内乱があると戦闘経験とか戦闘意欲とか意識的にも逆に国は強くなるのかなって。。