読書記録2006年7月から りょう99@笠原良太

下から書いてます

 

■2006年12月27日
「世界経済 30分でまるわかり」 伊豆村房一+岩崎博充編著 高橋書店

 

■2006年12月27日
「早わかり昭和史」  古川隆久著 日本実業出版社

 

■2006年12月18日
「バッテリー」 U、V、W、X  あさのあつこ著 角川文庫

おもしろかったので一気に5巻まで読みました。
ピッチャー巧とキャッチャー豪の苦悩が語られていきます。
しかし苦悩に負けずこのバッテリーはそれを糧として強くなってきているのかなと思います。
中学を入学してX巻までに1年間しかたっていません。
まだ中2になる目前です。
このバッテリーシリーズ、すごい長編小説になっていくかもしれない。
ところで、あさのあつこさん、女性なのにこれだけ書けるのはすごいですね。
少年野球だけどこれだけ書けるのはすごいと思います。

ところで村上春樹さんが、良い小説は、セックスシーンがないことと人が死なないこと、
っと書いたところがあるのだけど、「バッテリー」はそういうシーンがなくておもしろいですね。
バッテリーは学園物でもあるようなので、思春期の色恋沙汰も今後出てくるかも知れないし楽しみにしています。

 

■2006年12月16日
「バッテリー」  あさの あつこ著 角川文庫

おもしろくて一気読みしました。
中学入学目前の春休みに引っ越してきた孤高の天才ピッチャー巧。
そこの地元で巧の前に現れたキャッチャー豪。
2人は認めあいバッテリーを組む。
続編が何冊か出てるみたいなので読んでみようと思います。
良太が出てきました。(^o^)

 

■2006年12月16日
「4TEEN フォーティーン」  石田衣良著 新潮文庫

石田衣良さんの直木賞受賞作。
最近よく石田衣良さん、テレビに出ていてちょっと前から読んでみようかなーと思っていたんだけど、
本屋で見つけて直木賞受賞作と書いてあったので買って読んでみました。
14歳の4人がおりなすドラマがおもしろいです。
登場人物が同じで、短編小説みたいな感じです。
今度長編小説も読んでみたいなと思いました。
やはり性がらみの内容って多いですね。

  

■2006年12月14日
「早わかり日本史」  河合 敦著 日本実業出版社

 

■2006年12月10日
「手にとるように日本史がわかる本」 岸 祐二著 加来耕三監修 かんき出版

 

■2006年12月2日
「天使の卵 エンジェルス・エッグ」  村山由佳著 集英社文庫

前に2回くらい読んだんだけど恋愛小説が読みたくなってまた読み直してみました。
本の内容はほとんど忘れていました。
清純な恋愛小説といった感じでおすすめの一冊です。

 

■2006年11月28日
「手紙」           東野圭吾著 文春文庫

主人公の兄は強盗殺人事件をおこして刑務所に15年くらい入られなばらなくなる。
そして主人公は犯罪者の兄を持っているというレッテルをはられ
どこへいってもそれがつきまとってぬぐいさることはできずつらいめにあう。
私は精神障害者なんだけど主人公の境遇が私と似ているような気がして
自分とかぶってみえて入り込めました。
この小説のエンディングに救いが訪れるんだろうと思っていたんですが救いはなかったですね。
私も救いはないです。。。
泣けます(ToT)

  

■2006年11月17日
「もう一度学びたい日本の近現代史」 菊地正憲著 西東社 

  

■2006年11月16日
「国境の南、太陽の西」 村上春樹著 講談社文庫

この本は主人公が子供時代から37歳くらい?までの人生が語られていて興味深いです。
子供時代から赤裸々な恋愛関係とか書いてありそういうのはおもしろいです。
有名人の自伝とかには恋愛関係などは書いてないしね。
僕と鼠の初期三部作など僕の人生を読みとるのもおもしろかったですね。
村上春樹さんの本では主人公が女性を傷つけてしまっているっと書いてあることが多いのですが
私も女性を傷つけたり、またそれ以上に自分も傷つけられたりっということが多かったような気がします。
私は生まれつき眼が悪くて普通とはちょっとちがった人生を歩んできたような気がするので、
村上春樹さんの小説は、ホントはこういうものかぁっと思うことが多いです。

  

■2006年11月11日
「ダンス・ダンス・ダンス」 上下2巻 村上春樹著 講談社文庫

よくいるかホテルの夢を見るようになる。
彼女がまた僕を求めているからだっと思うようになる。
彼女とは「羊をめぐる冒険」に出てきた耳の綺麗な女の人で途中でいなくなってしまった。名前をキキという。
よって「ダンス・ダンス・ダンス」の僕は「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」の僕と同一人物である。
キキとのつながりはいるかホテルしかない。
いるかホテルには羊男がいて僕のために僕と世界をつなげている。
羊男はいった。「踊るんだよ」っと。
何故、キキは僕をまた求めたのか?
それは自分のことを知ってもらいたかったからか、自分が死んでしまったことを。
「自分のことを忘れないでいて、いつまでも覚えていて」っとノルウェイの森のようにうったえたかったからだろうか。
しばらくいるかホテルに泊まっていると受付のユミヨシさんと知り合いになる。
でもいるかホテルばかりにいてもいけない、踊らなければ。
たくさんの人が死んだ。
なかなかハッピーエンドにならない村上春樹さんの本ですが、
最後にユミヨシさんと結ばれてよかったですね。
いちおうハッピーエンドでしょうか。

この本はバブル景気の絶頂期に書かれたもので、それを背景に読んでみてもおもしろいかもしれない。

 

■2006年10月31日
「三国志の英傑たち」 北方謙三著 ハルキ文庫

北方三国志は5・6月に読んだんだけど、
この本は、どうして三国志を書いたかとかどんなことを考えて書いたか
っというふうなことが書いてあります。
三国志論、おもしろいですね。

 

■2006年10月31日
「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」 上下2巻 村上春樹著 新潮文庫

この本は「世界の終わり」という物語と「ハードボイルド・ワンダーランド」という物語が
同時進行していく。
「世界の終わり」では、「僕」は影と切り離され心を失い、
壁に囲まれた世界で一角獣の頭骨から夢を読んで生活している。夢読みといわれる。
一角獣は人から心を吸い取っていき冬が来ると死んでいく。
僕はその獣の頭骨の夢を読む。それはその街に住む人たちから吸い取った心である。
僕と切り離された影はだんだん弱っていき死んでしまうことになる。
影は僕の心と記憶の大部分を持っている。

「ハードボイルド・ワンダーランド」では「私」は「計算士」という仕事をしている。
頭、あるいは脳をつかって洗い出しやシャフリングをおこなう。
簡単に説明すると、脳をつかってデータ変換をおこなう仕事である。
計算士は記号士と対立してデータの奪い合いをしている。
計算士の「私」も記号士との対立にまきこまれ危ない目にあう。
オープニングで博士にたのまれシャフリングをおこなう。
そのとき博士は私の脳に細工をする。
もういちどシャフリングをしなければならなかったのだが記号士が博士の研究所をおそい、
その私の脳にほどこした細工を解除できなくなる。
私の中で世界は終わろうとしていた。
頭に手術を受けて計算士になった26人のうち25人は何故だか死んでしまっている。
私も死んでしまうのか。

「ハードボイルド・ワンダーランド」の私の意識の核、深層心理のようなものが「世界の終わり」である。
これは博士が、意識の核、「世界の終わり」の世界を「私」に組み込んだのである。
何を隠そうシャフリングシステムを作ったのが博士であった。
「世界の終わり」を作ったのは博士だったのである。
あるいは博士が作った世界をもとに自分で作った世界かもしれない。

壁に囲まれた世界、「世界の終わり」から脱出しようとする影と僕。
脱出口は川の出口しかないと判断した僕の影は2人で川に飛び込もうと提案する。
しかし僕は川の出口まできて街に残ることを決める。この街は自分の作った世界だからだ。
影は川の終わりに飛び込み、僕は残った。

影と一緒に僕も川に飛び込んでいればハードボイルドワンダーランドの私は死ななくてすんだのだろうか?
影は川に飛び込まなくても弱って死んでしまう運命で影の行動は理解できるような気がする。
だから影が残っていれば?っという仮定はなりたたないような気がする。

 

■2006年10月24日
「ノルウェイの森」 上下2巻  村上春樹著 講談社

昔読んだときにキズキは「鼠」なのかなっと思ったのですが妄想だったかな。。
直子と「僕」の親友キズキはつきあっていたがキズキは自殺してしまう。
それは直子と僕が浮気をしたからだっとひらめくがそんなことはなかったし書いてない。
時が流れ、直子と僕は偶然でくわし関係をもった。
そのせいか直子は精神科の施設に入ってしまう。直子は僕のせいではないという。
僕は大学で緑と知り合いつきあい始める。
そのせいか直子は自殺してしまう。
直子は僕と緑のことは知らないが何か感じとったものがあったのかもしれない。
直子と同じ2人部屋に住んでいるレイコさんは僕と緑の関係を知っているが直子に話したのかもしれない。
でもそんなことは書いてないし話さなかったとおもう。
オープニングの終わりに「何故なら直子は僕のことを愛してさえいなかったからだ。」っという文章がありとても悲しい気持ちになる。。。

好きな人が他の人と関係を持つことはつらいですね。。
これは私の意見。本とは関係ないけど。。。

あと好きな人が死んだとして、すぐ他の人と関係がもてるかっというのも永遠?のテーマですね。。

  

■2006年10月22日
「羊をめぐる冒険」 上下2巻 村上春樹著 講談社文庫

「僕」は翻訳事務所で働いている。
最近では広告などにも手をのばしていた。
そんな僕のもとへ友人「鼠」から手紙がくる。
鼠は僕に地元の港町で別れた彼女とジェイズバーのジェイに「さよなら」をいってほしいとたのんだ。
鼠はこの時点で自殺するつもりだったのだろう。
もうひとつ鼠は羊の写真を人の眼につくところで公開してほしいと頼む。
その写真には不思議な羊がうつっていた。
大物右翼からクレームがきてその羊を探さなければならないことになる。
そうして羊をめぐる冒険がはじまった。

僕は離婚したばかりで耳の綺麗な女の人とつきあっていた。
その彼女と羊をさがすことになる。
途中で彼女はいなくなってしまう。
その耳の綺麗な彼女を捜す物語が「ダンス・ダンス・ダンス」である。

はじめてこの本を読んだとき羊男が羊博士だろうと思ったんだけどちがいました。
村上春樹さんの本では現実的ではないものがよく出てきます。
また春樹さんの本ではいきなり過去にいったり現在にもどったり
前はそのタイムテーブルがわかりませんでした。理解できなかったのです。
今回読んでみてタイムテーブルが理解できるようになっていました。
やっと人並みな読解力がついたかなっという感じです。

  

■2006年10月19日
「小沢主義」  小沢一郎著 集英社

民主党党首小沢一郎さんの書いた本です。
小沢さんは松下村塾みたいなことをやっているんですね。
私も頭が良かったらやりたかったなぁ。。私は近所でもアホだと思われてるからなぁ。。。

ゆとり教育なんだけどそれが悪かったというふうになってきてるみたいなんだけど、
学力が低下したのはゲームがはやったからだと思いますよ。いやホントに、まじで。。  

 

■2006年10月18日
「ニッポン、ほんとに格差社会?」  池上彰著 小学館

データを見て日本はいろんな面で外国諸国とくらべてみるとどうか?っというようなことが検証されています。
結構いろんなことが新しくわかりました。結構新鮮な情報がわかりました。

 

■2006年10月17日
「1973年のピンボール」  村上春樹著 講談社文庫

1973年9月、この小説ははじまる。
同じ大学でつきあっていた直子、彼女は死んでしまった。
その彼女の実家のある街を感慨をもって訪れてみたあたりから物語は始まる。
「風の歌を聴け」で、大学で首をつって自殺してしまった彼女、が直子であろう。
「ノルウェイの森」のヒロイン直子のことでもあろうと思われる。
主人公、「僕」は、渋谷の近くで友人と翻訳の仕事を始める。
双子の女の子とも出会い3人で同棲する。

一方、「僕」の地元の港町で生活している「鼠」。
大学をドロップアウトしてしまった鼠だが家は金持ちだ。
あいかわらずジェイズバーでバーテンのジェイを相手にビールを飲む。
つきあってる女もいた。

物事には必ず入り口と出口がなくてはならない。
でもそんなふうにできてないものもある。例えば、鼠取り。っと書いてある。
これは「鼠」の将来を暗示しているようだ。
「羊をめぐる冒険」で鼠は死んでしまうのだ。

鼠は街を出るとジェイにつげる。女とも別れる。
双子の女の子は僕の元を去っていく。
出口をみつけるために文章、この小説を書いてきたようだが出口はみつかったのだろうか。。。

  

■2006年10月16日
「風の歌を聴け」  村上春樹著 講談社文庫

村上春樹さんの本は大学にいっていた頃からよく読んでいたのですが、
最近はあまり読んでいませんでした。
この度、村上春樹さんがノーベル文学賞候補になったことでまた読んでみようと思いました。
「風の歌を聴け」は処女作ですね。
1970年夏、大学の夏休みで地元、海辺の街に帰省した僕は親友の鼠とジェイズバーに入り浸りビールを飲み語る。女性とのひと夏の思い出?もできた。
「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」の初期青春三部作はよく読んでみるとおもしろいです。

  

■2006年10月16日
「もう一度学びたい日本の歴史」 西東社

覚えるはやさより忘れるはやさの方が圧倒的に大きいです。。。

 


「もう一度学びたい世界の歴史」 西東社

 

■2006年10月7日
「放課後」  東野圭吾著 講談社文庫

学園物いいですね。
女子高生と事件にまきこまれる男先生。ドキドキします。
そしてまた密室なのか。何故密室にしないといけないのか?いつも疑問に思います。

   

■2006年10月5日
「真田太平記」 十二巻 池波正太郎著 新潮文庫

大阪の役の後、家康も亡くなった。
将軍徳川秀忠は関ヶ原の折り真田のせいで関ヶ原の戦いに間に合わなかったことにより
真田を深く恨んでいた。
また大阪冬の陣、夏の陣で次男真田幸村が豊臣方についたことにより徳川方についた長男真田信之は苦境にたたされる。
しかし生き残った忍びの働きなどによりお家断絶をまぬがれ家督を守る。
真田信之は90歳近くまで生きた。

真田信之の妻は家康筆頭武将の本多平八郎忠勝の娘で稲姫である。小松殿とよばれている。
家督が守れたのもそのせいが大きい。 

   

■2006年10月3日
「真田太平記」 十一巻 池波正太郎著 新潮文庫

一度は和議になったもののまたたくまに戦いがはじまった。大阪夏の陣である。
大阪側7万8千、関東側15万5千。
大阪城は冬の陣で和議になったときに堀をすべてうめられてしまったので、
大阪城を出て野戦で戦わなければならない。
野戦の得意な家康。ちなみに秀吉は城攻めが得意。
冬の陣の時もそうだったんだけど夏の陣でも家康が江戸から出てくる途中をつこうとする案があったのだけど真田幸村などが考えた作戦などもほとんどつかわれることがなかった。
豊臣秀頼と淀殿のまわりにはあまり良い人がいなかったのである。
結局大阪城で戦いをすることになった。
決戦は1日で終わる。再び起こる関ヶ原といってよい。
真田幸村軍は家康本陣にせまり家康は1里(4qかな)ほども退いた。
一度は家康も死を覚悟したらしい。
でも家康の軍はあつみがあり幸村の突進もこれまでだった。
真田幸村死亡。。。  
秀頼、淀殿死亡。。。

 

■2006年9月30日
「真田太平記」 十巻 池波正太郎著 新潮文庫

豊臣と徳川の開戦があきらかになると浪人が次々と豊臣秀頼のいる大阪城に入った。
浪人の数はまさに12万ほども入城した。
関ヶ原で負けて家督を奪われた浪人がいっぱいいたのである。長曾我部などなど。
真田幸村も蟄居していた九度山をぬけ大阪城に入った。
幸村は、浪人たちが思い通りに動くように指揮をとる練習をした。
これが浪人たちにはおもしろく士気も上がった。
また幸村は大阪城南方に出城、真田丸をつくる。
豊臣秀頼22か23歳、家康73歳。
ついに戦いははじまった。大阪冬の陣である。
幸村は真田丸に徳川軍を呼び寄せ撃滅させた。
しかし徳川軍が大阪城に打ち込んだ大筒に驚いた淀殿(秀頼の母)はすぐ和議を結んだ。
和議を結ぶと徳川軍は大阪城の堀を全部埋めてしまった。
冬で寒かったからすぐ和議にしたんだろうと考えたことがあったんだけど、
そのことは少し書いてありました。
天海、光秀説なども書いてあったり。
真田太平記は20代の頃に3回くらい読んだのですが文章などほとんど忘れていました。
やはり何回も読まないとダメかな。

  

■2006年9月28日
「真田太平記」 九巻  池波正太郎著 新潮文庫

成長した豊臣秀頼だが、加藤清正など豊臣恩顧の大名が次々と亡くなった。
加藤清正については徳川が毒殺をつかったという設定になっている。
家康は自分が生きているうちになんとか秀頼をかたづけようと思っている。
そこで豊臣家で建てたお寺の鐘名をもちだした。
国家安康、君臣豊楽。
これは家康の字を安で分割して家康を呪っているものだともちあげたのである。
一気に豊臣家と徳川家の間は険悪になった。
大阪城には浪人が集まりだす。

父、真田昌幸亡くなる。

  

■2006年9月17日
「真田太平記」 八巻  池波正太郎著 新潮文庫

1610年くらいになったらしい。
関ヶ原が1600年で大阪の役では1615年ですね。
父、真田昌幸は体調が悪くなってしまいました。
「関ヶ原の戦い」はまだあると思っていて家康の首を捕ってやろうと思っていたけど
どうやら昌幸の方が先に死にそうである。
豊臣秀頼はもう19歳になっていて家康が先に死んでいたらおもしろくなったかもしれない。

 

■2006年9月16日
「憂国論」 田原総一郎著 朝日新聞社

週刊朝日のコラムをまとめたもののようですね。
こないだの小沢一郎さんの本と似ています。
田原総一郎さん、石原慎太郎さん、池上彰さんの書いた本は結構読んでいます。
後は歴史小説かな。
毎日安定剤をたくさん飲んでいるせいか頭が退化して感想とかあまりうかんでこなくなりました。
言葉が出てこなかったり痴呆かなー。
センスがなくなりました。
237ページの「理論おたく」って自分のことかなーっと妄想しました。

  

■2006年9月15日
「統合失調症の疑問に答える本」 福西勇夫 編著  法研

まさに私のことを書いた本、あるいは私のために書かれた本ですね。
でも発作のことは書いてありませんでした。
またそれは別物なのかな。
眼も悪いしなー。。。

  

■2006年9月12日
「池上彰のこれでわかった!政治のニュース」 池上彰著 実業之日本社

よくわかりました。
池上彰さんの本はよく読んでいます。

  

■2006年9月8日
「真田太平記」 7巻 池波正太郎著 新潮文庫

父真田昌幸と次男真田幸村は中山道を通っていく徳川秀忠を上田で足止めさせた。
交渉を長引かせたり戦ったりと。
そのために秀忠の軍3万は関ヶ原の戦いに間に合わなかった。
真田昌幸、幸村親子はこれで西軍が勝ったと思ったにちがいない。
しかし西軍は負けてしまった。
どんなに無念だったことか。
徳川側についた長男真田信幸の助命嘆願のかいもあり真田昌幸、幸村は
高野山に流されるだけですむことになった。
上杉は会津120万石から米沢30万石、毛利は百数十万石から三十数万石、島津はそのままっと
案外軽い処置だったかもしれない。

関ヶ原の戦いの様子がくわしく書かれていておもしろかったです。
真田は関ヶ原の場にはいなかったからあまり書かれてないかなーと思ってたんだけど。
司馬遼太郎さんの「関ヶ原」もまた読んでみたくなりました。
2年前くらいに読んだかなっと思うのだけど。  
後でゆっくり関ヶ原の戦いの検証をしてみたいです。

あと5巻もあるよー(ToT)

 

■2006年9月2日
「真田太平記」 6巻 池波正太郎著 新潮文庫

秀吉が死に前田利家が死に家康が天下人に近づいた。
前田家は、まつを関東に人質に送り完全に家康に屈した。
しかし家康に屈しない人がいた。
上杉である。会津120万石の上杉景勝は戦いの準備を始めた。
家康は上杉を討とうと秀吉武断派武将をひきつれて東に向かった。
家康が江戸に着いた頃、石田三成が西から兵を上げた。
西軍の旗頭には毛利がついた。毛利は大阪城に入る。
家康はうまいこと秀吉武断派武将を味方につけることができた。
岐阜でこぜりあいになるが東軍が勝った。西軍の岐阜城も一日で落ちてしまった。

東西から家康をはさみうちにする作戦はどうだったのか?
家康にとっては想定内だったのか?
どっちがハメたのか?
あとでゆっくり検証してみたいです。

父真田昌幸と次男真田幸村は西軍につくことに決め、上田で中山道を西にむかう徳川秀忠の軍を迎え撃つことになる。
長男の真田信幸は東軍につき上田城攻めで先陣をつとめなきゃかもしれない。
関ヶ原の戦い前夜。。。

  

■2006年8月28日
「真田太平記」 5巻 池波正太郎著 新潮文庫

秀吉の子、秀頼が生まれた。
しかし幼い秀頼を残して秀吉は死んでしまった。
朝鮮出兵のさかなであり、皆、朝鮮から退却した。
秀頼の守り役前田利家もまもなく死んでしまった。
これで徳川家康の力が大きくなった。
家康に対抗できる人もいなくなったといっていい。
家康は禁止されていた各大名との婚姻を勝手におこなった。
前田利家がなくなって誰も家康には何もいえなくなった。
石田三成が家康を弾圧しようとするがどうしようもなかった。

秀吉が育てた武将は文治派と武断派にわかれる。
文治派に石田三成、小西行長などがいて武断派に加藤清正や福島正則などがいる。
文治派と武断派は仲が悪く、武断派は皆、石田三成を目の敵(かたき)にしていた。
武断派が皆、家康の味方につくことになります。
何故、文治派と武断派が仲が悪いといえば朝鮮出兵のおり
石田三成が武断派の人たちを秀吉に悪く吹聴したからです。
石田三成からすれば事実をいったまででどっちが悪いかはよくわかりません。

家康の婚姻関係の相手に福島正則がいます。
真田幸村の婚姻関係の大谷吉継は石田三成よりかな。

もうすぐ関ヶ原の戦いがはじまろうとしています。
6巻で真田の活躍が見られるでしょうか?
いままで真田と甲賀の忍者合戦などが書いてあったりします。

  

■2006年8月24日
「真田太平記」 4巻 池波正太郎著 新潮文庫

秀吉の朝鮮出兵、最初こそ調子よかったものの、
明の援軍が来て、また朝鮮水軍に日本の船団は焼かれ敗北し輸送もとどこおった。
朝鮮出兵といわれているが、秀吉は朝鮮の案内を受け明を倒し天竺(インド)まで支配下におこうと簡単に思っていた。
秀吉が敗れたせいか、たいていの本は誰もが朝鮮出兵に反対し無謀な戦いであったと書いているけど、
実際、当時の世論はどうだったのだろうか。
案外イケイケドンドンだったかもしれない。
西郷隆盛の征韓論、太平洋戦争真珠湾攻撃などの当時の世論とくらべて想像してみるとおもしろいかもしれない。

  

■2006年8月21日
「剛腕維新」 小沢一郎著 角川文庫

この本は新聞にコラムで載せていたもののようですね。
2003年から2006年7月分まで載っています。
当時、何があったか思い出しながら読みました。
とりあえず来年の参院選ですね。
参院選で民主党が勝っても衆議院で自民党と公明党が3分の2あるので法案は一応通るんですよね。
(憲法第59条の2)
ということで次ぎの衆院選がどうなるかですね。
なんか混乱状態になりそう。。。
参院選で自民党が勝てば問題はないんだけど二院制はきびしいですね。
二院制だと政権交代が起ころうとしてる時には混乱状態になりそう。法案が通らない。。
小沢一郎さんの総理大臣というのは見られるでしょうか?

  

■2006年8月17日
「真田太平記」 3巻 池波正太郎著 新潮文庫

お盆をはさんでしまったので前半はよくおぼえてないのですが。。

父真田昌幸、長男真田信幸、次男真田幸村。

真田の領地は長野の上田と群馬の沼田である。6万石くらい。
徳川家康は東海から山梨、長野と勢力をのばしていた。
長野の上田城を徳川家康の軍が囲んだ。
しかし真田軍は徳川軍を退ける。真田昌幸の知略により真田大勝利であった。
群馬の沼田城では北条軍を真田軍が退けた。
同盟のかいもあって越後(新潟)の上杉も援兵を送ってくれた。

このころであろうか秀吉は九州まで平定したのは?
秀吉はもはや私闘はゆるさず天下を平定したといっていい。
秀吉が講和にのりだしたせいか真田と徳川は講和を結んだ。
真田家の長男、信幸と徳川家筆頭武将の本多平八郎忠勝の娘、稲姫の婚姻がなる。
(稲姫は最近のゲームにも出てきますね)
しかしこのかわりに沼田城は北条家にあけ渡されることになった。
そして北条が真田家の小城まで攻め落としてしまったことを怒った秀吉は北条征伐をおこなう。
小田原城は落城し北条は滅亡し、沼田は真田家にもどされ、家康が東海から関東に移ってきた。
東北の伊達政宗も秀吉に臣従をちかい秀吉は天下を統一した。

真田家長男、信幸は徳川と婚姻がなったが、一方次男の真田幸村は上杉の元へ行き、さらに大阪の秀吉の元へおくられ、上杉と秀吉の寵愛を受けた。
実際は人質なんだけど、幸村は上杉と秀吉の恩を受け、そう感じた。
関ヶ原で、父真田昌幸と幸村が何故西軍豊臣家側につき、長男信幸が家康についたかわかったような気がします。
幸村と大谷吉継の娘との婚姻の話も上がりました。
大谷吉継は関ヶ原で真っ先に石田三成についた人です。親友同士でしょうか。

日本を統一した秀吉は朝鮮出兵をおこなう。

お盆をはさんでしまったので先に読んだ所はよくおぼえてなくて間違ったこと書いていたらすみません。

  

■2006年8月8日
「美しい国へ」 安部晋三著 文春新書

ポスト小泉さんの有力候補、安部さんの書いた本です。
わかりやすく読みやすいですね。
ビミョーな時期なのでコメントは差し控えたいと思います。

明日はサッカー、オシムジャパン。
そしてそろそろ8月15日。。。

  

■2006年8月7日
「真田太平記」 2巻 池波正太郎著 新潮文庫

本能寺の変、織田信長は明智光秀の謀反によって死んだ。
秀吉はすぐ毛利と和睦して明智光秀を討った。
真田昌幸は織田の武将、滝川一益を追い出し、滝川一益は地元の伊勢にもどっていった。
天下が荒れるのは真田昌幸にとってはのぞむところである。
これを機に真田昌幸は大規模な築城をした。上田城である。(長野)
徳川家康はこれを機に甲州(山梨)を手に入れた。
真田にとっては重大事件である。すぐ近くで徳川家康が勢力をのばしてきた。
また北条の魔の手ものびてきている。
徳川家康と関東の北条は同盟して真田の領地を分割しようとたくらんでいる。
しかし真田は越後の上杉と同盟することに成功した。
真田は長野の上田、群馬の沼田をあわせて6万石あまり、小藩の真田はあっちについたりこっちについたりといそがしい。滅びなかったのが不思議です。

秀吉は織田一族をことごとくほうむりさり、大阪城も築きもはや天下人であった。
秀吉と家康の一度きりの戦い、小牧、長久手の戦いで家康が勝っている。

  

■2006年8月5日
「真田太平記」 1巻(全12巻) 池波正太郎著 新潮文庫

武田信玄、上杉謙信が死に、織田信長、徳川家康が勢力をのばしてきました。
秀吉は織田の配下で中国地方で毛利と戦っています。
織田信長が、長野と山梨の武田信玄の息子武田勝頼を滅ぼすあたりから物語がはじまります。
長野と群馬の一部(上田や沼田など)を支配していた真田幸村の父、真田昌幸は勢力争いにまきこまれていきます。
勢力争いは武田信玄、上杉謙信、北条などが争っていた昔からあったんだけど。
武田勝頼が信長に滅ぼされて真田の支配地に信長の武将、滝川一益がまわされてきました。
真田昌幸は滝川一益の支配下に入ります。
そんなおり本能寺の変が起こります。  

真田の忍びの視点から物語りが書いてあります。

1巻127ページに秩父の地名が出てきます。
(真田の忍びが)雁坂峠を越えて、武州の秩父へ抜けた。っという文章です。

 

■2006年7月31日
「天使と悪魔」 上中下 全3巻文庫本 ダン・ブラウン著 角川文庫

とある研究所で反物質の検出に成功した。
数学や物理の計算式で出てくるあの実体のない反物質である。
研究所では1/4グラムの反物質を検出していた。
この反物質は核爆弾の何倍もの威力をもっている。
しかしこの反物質がイルミナティという宗教結社によって盗まれてしまった。
研究所の機材からこの反物質をとりはずすと24時間で核爆弾以上の爆発をしてしまう。
反物質はイミナルティによってヴァチカンにもちこまれたらしい。
気がついたときにはもう爆発まで何時間も残されていなかった。
ヴァチカンではその頃、最近でも話題になったあのコンクラーベをしていて
新たな教皇を選ぼうとしていた。
イミナルティはヴァチカンを消滅させようとするだけでなく
教皇候補を次々と殺していく。
ヴァチカンの世界遺産は消滅してしまうのか?教皇は?人民は?

ダヴィンチ・コードを書いた人なんだけどその前作です。
おもしろかったですよ。

■姉貴を病院につれていくので30日から31日にかけて姉貴邸に一泊してきました。

■2006年7月26日
「5日でわかる世界歴史」 羽仁 進著 小学館文庫

■姉貴を病院につれていくので23・24日と姉貴邸に一泊して来ました。

■2006年7月21日
「世界の歴史がわかる本」 全3巻 綿引 弘著 知的生きかた文庫

インド、中国のあたりはとばして読みました。  

■2006年7月16日
「早わかり世界史」 宮崎正勝著 日本実業出版社

一気読みしました。
アジアのところは読みとばしました。

■2006年7月16日
「手に取るように世界史がわかる本」 小松田 直著 かんき出版

アジアのところは読み飛ばしました。

■2006年7月14日
「もう一度学びたい世界の歴史」 西東社

主にヨーロッパの所だけ読みました。
インド、東アジア、中国は読みとばしました。
私が持ってる世界史の本で一番簡単な本です。
しばらく何冊か世界史の本を読もうと思っています。
やっと時の流れがわかってきたかなっといったところです。
個人名などはなかなか覚えられません。すぐ忘れます。
歳はとりたくないのぅ。。よろよろ。。

 

■風邪をひく  

2006年7月10日
「伊達政宗」 八巻 山岡荘八著 講談社

伊達政宗は天下の副将軍っといわれるほどになっていた。
ひとたび天下がみだれれば風雲にのって天下をとってやろうとたびたび考えていた伊達政宗だったが、
歳をとるごとに険が抜け将軍家を助けるために奔走(ほんそう)する。
1636年頃に亡くなったそうです。15人くらい殉死者が出ました。 

   

2006年7月8日
「伊達政宗」 七巻 山岡荘八著 講談社

大阪夏の陣が終わり豊臣秀頼、淀殿は亡くなりました。
そういえば前に秀頼は家康に似てた、なんてことも書いてありました。
秀頼は誰の子だったんでしょうか。
そうそう伊達政宗のことを書くのをすっかり忘れていました。
たいしてあまりめだったこともないんですよね。
伊達政宗は70万石ということで、50万石以上はあまりいなくて影響力はかなりあったようです。
まだまだ戦乱が続き、天下をねらおうとちょくちょく考えていたようです。
大阪夏の陣が終わり、まもなく家康は亡くなりました。
戦乱にはなりませんでしたね。

  

2006年7月6日
「伊達政宗」 六巻 山岡荘八著 講談社

天下は家康のものになったが大阪城には秀吉の子、秀頼とその母、淀殿がいた。
家康はキリスト教を禁止したのでキリシタンがこぞって大阪城に入った。
また関ヶ原で敗れた西軍について浪人していたものも大阪城に入っていった。
真田幸村や長曾我部など有力なものが大阪城に入る。
家康は秀頼に、秀忠の子で家康の孫の千姫を婚姻させてしたたかにやっていたんだけど、
家康は寿命で死ぬ前に秀頼を滅ぼさせようと思ったのかその点どうなんでしょう。
大阪冬の陣は和議となったけど大阪城の外堀、内堀は埋められてしまいました。
そしてまたすぐ大阪城には浪人が集まり出しました。
大阪夏の陣がはじまろうとしています。

  

2006年7月4日
「伊達政宗」 五巻 山岡荘八著 講談社

五巻は特別おもだったものはないんだけど、
キリシタンのこととか書かれています。
伊達政宗も外人の側室を作ったりキリシタンに近くなっています。
家康はキリスト教を禁止したようです。

関ヶ原後、家康は征夷大将軍となり、息子秀忠に征夷大将軍をゆずり静岡の駿府に住みました。

  

2006年7月2日
「伊達政宗」 四巻 山岡荘八著 講談社

秀吉が死んで関ヶ原の戦いが起きたわけですが、
福島で上杉が兵を上げ、家康が大阪か京から上杉征伐をしようと東に向かいました。
家康が東に向かったとこで、石田三成が大阪か京で兵を上げました。
これは上杉の直江兼続と石田三成がしくんだことで東西から家康をはさみうちにしようということでした。
ほぼ東日本の勢力は家康につき、ほぼ西日本の勢力は石田三成につきました。
東日本でも真田などは西軍につき、中山道を西に進む秀忠の軍と戦い秀忠を関ヶ原に遅参させました。
伊達政宗は北方から上杉をつき、上杉の江戸進出をはばみました。
伊達政宗がいなかったら江戸進出できたかはわかりません。。
伊達政宗は東北で戦っていたので関ヶ原の様子はかかれていません。
伊達政宗は関ヶ原の戦いですぐかたがつくとは思わず、
東北で勢力をのばそうとしていましたが無念でした。
九州では黒田如水(黒田官兵衛)が北九州を席巻しました。
これも関ヶ原がすぐ終わると思わず無念なことだったと思います。
関ヶ原の戦いはおもしろいですね。
あとで真田太平記を読んでみようかなっと思い立ちました。何回か読んでいるんだけど。

日本はその頃、キリシタンが多くなっていました。
しかし紅毛人と南蛮人が仲が悪く互いに悪魔と呼んでいるほどでした。
紅毛人がイギリスやオランダでプロテスタント、
南蛮人がエスパニアやポルトガルでカトリックのようです。
同じキリスト教でもプロテスタントとカトリックはすごい戦いをくり返していたんですよね。

  


2006年6月29日
「伊達政宗」 三巻 山岡荘八著 講談社

この小説は伊達政宗だから東北のことばかり書いてあるのかと思っていたんだけど、
1巻は東北のことばかりだったけど2巻から天下を統一した秀吉のことが多く書かれてきて、
この3巻では秀吉、家康、石田三成などがとりあげられるようになりました。
朝鮮出兵のこととか、秀吉が死んだこととか、家康のことなどくわしく書いてあり
なかなか興味深いです。
そして関ヶ原の戦いがはじまろうとしています。
秀吉が死んで関ヶ原の戦いあたりは、司馬遼太郎さんの小説「関ヶ原」とかあるのですが
他にあまり思いつきません。
そういうことで「伊達政宗」はなかなか興味深くおもしろい作品だと思います。
伊達政宗は家康よりかな。

 

2006年6月27日
「伊達政宗」 二巻 山岡荘八著 講談社

西日本を制圧した秀吉は東日本の制圧に乗り出した。
小田原の北条攻めになる。
小田原城に籠城する北条。
秀吉軍は何重にも小田原城を取り囲む。
東北の伊達政宗にも小田原攻めの参加の要請が来る。
遅参したが許される。
小田原城を落とした秀吉は福島まで北上して東日本制圧は終わる。
秀吉は日本を統一した。
家康は東海から北条のいた関東に国替えとなる。
正宗は山形の米沢、福島あたりから、たぶん宮城あたりに国替えとなった。
日本を統一した秀吉は朝鮮出兵をする。
秀吉は朝鮮は明まで道案内をしてくれると思っていたが反対だった。
はげしい抵抗にあうことになる。

    

2006年6月25日
「伊達政宗」 一巻(全8巻) 山岡荘八著 講談社

この間、単行本を友達からかりたのですが全巻そろっていませんでした。
それで最近でかけたおりに鴻巣ブックオフで文庫本を一冊100円で8巻買ってきました。
またはじめから読んでいます。

伊達政宗の出生から成人して父、輝宗が亡くなるくらいまで書いてあります。
中央では信長、秀吉、家康がしのぎを削り、
信長が死んで秀吉が近畿を統一したくらいまで書いてあります。
もはや中央では天下人が決まっていて伊達政宗は少し遅れた感じ。
伊達政宗があと20年はやく生まれていればっといったところ。
山岡荘八さんの本はおもしろいですね。
もう本屋ではあまりみかけなくなりました。。。