下から書いてます
■2008年3月18日
「新・平家物語」 16巻(完) 吉川英治著 講談社
頼朝は守護、地頭などを各地にもうけて平氏残党狩り、義経一味狩りなどを強化した。
この守護地頭の制は武家政権を各地にしめしかなり恐れられたようだ。
義経は奥州藤原氏をまた頼り落ち延びる。しかし藤原氏は頼朝の命には逆らえず義経を滅ぼす。
そんな藤原氏も義経をかくまったと頼朝に滅ぼされてしまう。
平氏から源氏に天下は移った。
しかし因果応報か頼朝が落馬で死去するとまもなく源氏も滅び北条氏の台頭。
やっと平和な時代が訪れようとしていた。
こんな時代を生き延びた影の主人公麻鳥がとりをおさめ感動の完結。
平氏を滅ぼした源氏も平氏にたたられたように北条氏にとってかわられる。
因果応報ってありますよね。
やったらやりかえされる。悪いことをしたら悪いことが帰ってくる。
そんなに悪いことをしたつもりはないんだけど結構身にしみて貧しい生活をしています。。。
384ページ、畠山重忠(秩父出身)。
■2008年3月16日
「新・平家物語」 15巻(全16巻) 吉川英治著 講談社
何が頼朝をそんなに怒らせたのか?
義経追討令が出て、義経は九州に落ちて再起をはかろうとする。
しかししけに合い船が難破。義経は各地を転々として逃げる。
義経の愛人静(しずか)は頼朝に捕まり義経の子供を産んだが男子だったので子供は殺されてしまう。
一時義経に頼朝追討令が出たりしてますが骨肉の争いとなっています。
九州に落ちて再起をはかった人に足利尊氏がいますね。
■2008年3月13日
「新・平家物語」 14巻(全16巻) 吉川英治著 講談社
義経はついに平氏を壇ノ浦の海戦で滅ぼした。
しかし平氏が連れていた幼帝はなくなり、三種の神器の宝剣をとりもどすことはできなかった。
義経は京に凱旋(がいせん)したが、どうやら義経のことを頼朝に悪く伝える人がいるらしい。
義経は平氏の捕虜を連れて鎌倉にむかうが頼朝は義経が鎌倉に入ることもゆるさずシカト状態を続けた。
義経はしかたなく悲憤にくれて京に帰る。
157ページ、280ページ、340ページ、畠山重忠。
■2008年3月9日
「新・平家物語」 13巻 吉川英治著 講談社
四国の屋島を急襲した義経は勝利にわいた。
平氏はまた船で逃走していった。
義経は船をもっていなかったが熊野の水軍たちが集結してきた。
たった150騎で屋島を急襲して勝ちをおさめると各地の者たちが集結してきた。
6万ほどの人数になる。
西国に逃走した平氏、追う源氏。
義経に勝敗がかかっているのかと思いきや、範頼ははや九州までいっている。
でも範頼のことはあまり書いてありません。
49、143,375、408ページ 畠山重忠(秩父出身)。
義経のとりまきの一人として書かれていますが名前が出てくるだけで特別重要なこともありません。
■2008年3月5日
「新・平家物語」 12巻 吉川英治著 講談社
鵯越えで活躍した義経だが、義経だけ頼朝から任官の沙汰がない。
範頼はじめ他の武将たちは皆任官の沙汰があった。
平氏追討からも義経は外され京都守護を任じられていた。
義経と頼朝の仲がうまくいっていない。義経は頼朝からうとまれているようだ。
そのうち平氏追討の総大将範頼(頼朝の弟、義経の兄)の敗色が伝わってきた。
そこでやっと義経にも平氏追討の命が下る。
義経はさっそく精鋭150騎のみで平氏の拠点、四国の屋島を奇襲する。
義経のおかげで勝ちをおさめていると見られるが、義経の奇襲などかってにやっているふうがある。
そこが頼朝には気に入らないらしい。
敗色がこくても正攻法で大兵をひきつけているのはいつも範頼なのである。
311ページ、401ページ、412ページ、畠山重忠(秩父出身)
■2008年3月2日
「新・平家物語」 11巻(全16巻) 吉川英治著 講談社
源氏同士で内輪もめ(木曾義仲のこと)をしている間に平氏は西国で勢いをとりもどしていた。
しかし義経の鵯越え(ひよどりごえ)の奇襲により源氏は大勝する。
三種の神器をもって逃走する平氏、義経は三種の神器をとりもどすことはできるのか?
■2008年2月26日
「新・平家物語」 10巻 吉川英治著 講談社
朝日将軍を賜り絶頂をむかえた木曾義仲もとうとう悪者にされてしまった。
位をあたえて腑抜けのようにしてしまうのを位責めといったかな。
一時6万人の兵を集めた義仲も兵を食わせることができず気づいたときは数千の身方しかいなかった。西国の平氏を滅ぼすこともできない。
頼朝は義経、範頼を派遣して義仲を滅ぼす。
西からは平氏、東からは義経、範頼、京では兵糧不足。義仲はどうすることもできなかった。
義経たちも数千の兵しかいなかった。かえって兵が少ないほうが兵糧不足に悩まなくていいくらい。
あいつぐ戦乱で京は食べるものがなく皆、飢餓で苦しむ。
義経が京に入ったときに民家を焼いているんだけどやはり悪く書かれてないのは勝てば官軍、負ければ賊軍ということだろうか。
249ページ、秩父党の畠山次郎重忠
253ページ、畠山重忠の秩父鹿毛(馬)
264ページ、秩父
269ページ、秩父鹿毛
■2008年2月24日
「新・平家物語」 9巻(全16巻) 吉川英治著 講談社
この巻も木曾義仲中心で書かれています。
でもこの平家物語の主人公は麻鳥かも(えっ?)
木曾義仲は北陸で平氏に大勝し京に入る、平氏は京をすてて西へはしる。
この時、平氏は京を焼いて焦土戦術をつかったのだろうか。
それで義仲が京に入っても食料とかなくて乱暴狼藉がめだったのかもしれない。
前に読んだもので木曾義仲の悪逆ぶりがめだったようなものを何回か読んだような気がするのだけど
吉川英治さんは義仲をそんなに悪くかいてないです。結構好感的。
私も平氏を破ったのは義仲だと思っているので義仲を結構評価しているのですがこの巻で義仲の苦悩がうきぼりになっていきます。
■2008年2月23日
「新・平家物語」 8巻 吉川英治著 講談社
各地で旗をあげる源氏。
そして平清盛の病死。
平氏の落ちていく様子、源氏の台頭。このへん面白いですね。
そして8巻はなんといっても木曾義仲。こんなにくわしく書いてあるとは思わなかった。
富士川の戦いの頼朝の勝利。
奥州から頼朝のもとへかけつけた義経。
60ページ、秩父五郎。
172ページ、平家党、笠原平五頼直、長野。
■2008年2月21日
「新・平家物語」 7巻(全16巻) 吉川英治著 講談社
平清盛は福原(神戸かな?)に遷都(せんと)を敢行(かんこう)。
福原は日宋貿易の拠点になっている。
しかし平氏に対する不満がもちあがりだしていた。
ついに以仁王は平氏の打倒を呼びかけた。(以仁王、幽閉された後白河上皇の息子)
その呼びかけに各地の源氏が応じた。
伊豆の源頼朝、木曾義仲。
頼朝は初戦は敗れるも海を渡り千葉に逃げてそこから兵を集め鎌倉を本拠にする。
しだいに関東の源氏が集まり2万人くらい集まる。
木曾義仲はまだあまり書かれていないのだけどまっさきに北陸を通って京に入った義仲はすごいと思うのだけど、義経、頼朝に滅ぼされてしまったので悪く書かれたり悪くいわれたりしてるけどそのへんよく読んでみたい。
義仲は京に入って乱暴狼藉をはたらいたとかよく書かれているんだけどそれは誰もがやっていることだと思う。
戦地で食糧補給をしなければならない。きれいごとはいってられない。戦争とはそういうもの。
歴史は勝った者がすべて善として書かれているから本当のことはよくわからない。。。
374ページ、秩父。
377ページ、秩父の庄司、畠山重忠の一族、「そちが秩父の重忠か」っと頼朝の言葉。
378ページ、秩父十郎武綱、このへんちょっとうんちくが書かれています。
■2008年2月16日
「新・平家物語」 6巻 吉川英治著 講談社
平家でなければ人でない、とまでいわれている。
ところがおごれる人も久しからず。
平氏の有力者が次々と亡くなっていく。
後白河上皇はその領地をことごとく召し上げた。
それに怒った清盛は後白河上皇を鳥羽に幽閉。
どうなることか。
弁慶と義経の出会いが書いてあります。
269ページ、314ページ、天狗の一人、秩父五郎が出てきます。
■2008年2月13日
「新・平家物語」 5巻 吉川英治著 講談社
鞍馬山を抜け出した義経。
12ページに潜伏先として秩父の名前があがっています。
秩父には吉田の城峯山に平将門伝説があるけど、どこかに義経伝説はあるでしょうか?
まぁ、歴史小説もフィクションが多いから。。。
義経はその後、奥州藤原氏の元へ身をよせました。でもいろいろ渡り歩いているようです。
16ページ。「秩父颪(おろし)は、白い風花をチラチラ見せて、十二月の夜空を、ひょうひょうと鳴っていく。」
18ページ、秩父行俊という名前、22ぺーじ、秩父の地名が出てきます。
やっと頼朝が出てきました。伊豆に流されて18年くらいだったかな。頼朝31歳。
北条政子との恋話など載っています。
平氏をくつがえす陰謀、鹿ヶ谷事件などおこっています。
平清盛ももう60歳です。
■2008年2月8日
「新・平家物語」 4巻 吉川英治著 講談社
保元の乱と平治の乱が終わり平氏が実権をにぎった。
平氏でないものは人ではないっといわれるくらいだった。
平清盛は大輪田ノ泊(神戸かな)に港を作り日宋貿易に力を入れる。
そんなおり牛若こと義経は鞍馬山を抜け出した。
母、常磐が生んだ義経の兄、今若、乙若は僧になっている。
義経15歳。頼朝29歳。っであってるかな。
245、273、304、306ページに秩父という人が出てきます。
たぶん秩父五郎重春という人で同一人物だと思われます。
武蔵の有力者として名前が出てきます。ストーリーとはあまり関係ないかな。。
天狗の一人として書かれているかな?
■2008年2月4日
「新・平家物語」 3巻 吉川英治著 講談社
平治の乱で源氏は敗れ、源義朝(頼朝の父)らは東国にむけて落ちていった。
しかしつかまり殺されてしまう。
頼朝もつかまったが池ノ禅尼(祇園女御?、平清盛の母か義母?)という人が自分の子供だか孫だかに似ていると命乞いをしてくれて伊豆に流されるだけですんだ。
何故、東国は源氏の地盤が強いのに頼朝を伊豆に流してしまったのか。。。
源義朝の妻に常磐という人がいた。義朝との3人の子供がいた。今若、乙若、牛若(源義経)
常磐と3人の子供も助けられた。
それは平清盛に常磐は自分の身をさしだしたからであった。なんとも不思議な話で。
常磐は美人で有名でまだ23歳くらいである。
頼朝と義経を助けてしまったばかりに平氏は滅ぼされる。これまたなんとも不思議な話で。意味深。
■2008年2月1日
「新・平家物語」 2巻 吉川英治著 講談社
新院、上皇側と天皇側で対立が深まり藤原摂関家、平氏、源氏はそれぞれが敵味方に分かれ
骨肉の戦い、保元の乱が始まった。
天皇側が勝ち、平氏は平清盛、源氏は源義朝(頼朝の父)が勝ちをおさめた。
負けた方は一族の首が切られたが死刑は3世紀くらいおこなわれておらず非難囂々(ひなんごうごう)だったとのこと。
それからまもなく平清盛が熊野詣でに出てるおりに源義朝らが兵をあげた。
平治の乱である。
源義朝らが優勢かと思われたが悠長に構えているうちに清盛は無事に六波羅に帰り迎え撃つ。
また義朝らが突出して優勢かと思われたが清盛側はすきをついて後ろから義朝らの本陣を奪い平氏の赤旗を上げた。
ちなみに源氏は白旗。
99ページに秩父行成という人が出てきました。秩父の人でしょうか?
■2008年1月24日
「新・平家物語」 1巻(全16巻) 吉川英治著 講談社
しばらく落ち着いたので吉川英治さんの平家物語を読んでみようと思います。
途中で挫折するかもしれません。。
12世紀頃からだろうか、平氏、源氏などの武士が台頭するようになった。
それまでは藤原政権の摂関政治が行われ、また院政なども行われていた。
貴族政治が続いてきたのだが 延暦寺、興福寺などの僧兵が大勢力を築き貴族と対立した。
そこで平氏や源氏などの武士が、北面の武士だかで登用されるようになった。
少年時代、貧乏だった平清盛も成長すると安芸守に任じられ重く用いられるようになっていく。
平清盛を主人公とみたてて書いてあるようです。
清盛の親は白河上皇であるという説もあり。
院政をしている天皇家、摂関政治をしている藤原氏、平氏や源氏の武士の台頭、
ごちゃごちゃしていて読むのが大変です。
本地垂迹説、本地である仏が衆生救済のため、仮に日本の神になって現れたと説く神仏習合説。
奈良時代に成立し、平安時代に発展したようで、そのせいか延暦寺や興福寺といった僧団が大勢力を築き、かなりの力を持っている。朝廷でも頭があがらないほどだ。
まだましなのは寺ごとにいがみ合って対立して協調することがない。
上皇と天皇も対立し、摂関家も対立があり、僧兵のこともあって、武士が台頭してきた。
本地垂迹説、明治初期の神仏分離令まで存続。