「新太平記」読書記録 りょう99@笠原良太

下から書いてます


 

■2008年6月10日
「新太平記」 5巻(完結巻) 山岡荘八著 講談社

再び京を制圧した足利尊氏、
新田義貞は越前(福井かな)にのがれ、
後醍醐天皇は吉野に逃れ南朝をたてる。大覚寺統。
一方、尊氏は北朝、持明院統の天皇をたてる。
そしてまた後醍醐天皇、新田義貞を助けるために奥州から北畠氏がやってくる。
その数、2万、しかし美濃で敗れ兵は四散してしまう。
新田義貞も敗れ、足利尊氏が天下人となる。

吉川太平記と山岡太平記では山岡太平記の方がおもしろかったかな。
九州に落ちのびて巻き返してきた足利尊氏はすごいですね。
奥州からかけつけた北畠氏もすごいです。
関ヶ原よりすごいかもしれない。
太平記、おもしろいですね。

  

■2008年6月7日
「新太平記」 4巻  山岡荘八著 講談社

北条の残党から鎌倉を奪還した足利尊氏だったが、
尊氏に批判的だった護良親王を殺してしまったため、
朝廷は新田義貞を尊氏討伐のため鎌倉にむかわせた。
尊氏は新田義貞をやぶると50万の兵で京を制圧。
後醍醐天皇は比叡山にのがれる。
都をとると食料や女を奪い合い皆暴徒とかし士気は乱れる。
そんなところを奥州からかけつけた北畠氏により尊氏は敗れ九州に落ちていった。
楠木正成が、尊氏が京に入る前に兵糧を買い占め北畠氏のために食料を用意したのだ。

九州に落ちた尊氏は不死鳥のようによみがえり数十万の兵でまた京にせまってきた。
持明院統の天子から支持をとりつけたのだ。(後醍醐天皇は大覚寺統)
勢いにのる尊氏に、楠木正成と新田義貞が対峙する。
楠木正成は善戦するも湊川で最後となったが新田義貞を逃すことに成功する。
また京に入った尊氏と、また比叡山にこもった後醍醐天皇。
尊氏は比叡山を攻める。

  

■2008年6月3日
「新太平記」 3巻  山岡荘八著 講談社

六波羅を滅ぼした足利尊氏と隠岐を脱出した後醍醐天皇、
籠城戦を戦い抜いた楠木正成、そして鎌倉を落とし上洛した新田義貞。
ここに後醍醐天皇を中心とした公家中心の建武の新政がはじまる。
しかしこの改革は武士をないがしろにしたものだったので各地で武士の反乱がおこる。
鎌倉では尊氏の弟の直義が守っていたが、北条の残党が蜂起して鎌倉をうばわれる。
幕府再興を夢見て征夷大将軍になりたかった源氏の尊氏だが朝廷はそれをゆるさない。
尊氏は朝廷のゆるしをえないまま勝手に直義を助けて鎌倉奪還をねらう。

    

■2008年5月28日
「新太平記」 2巻  山岡荘八著 講談社

死んだふりをして身を隠していた楠木正成はまた兵をあげた。
北条を倒し、天皇家を擁護する戦いである。
楠木正成の用兵は見事だった。
相手が押してくれば引き、相手がひきあげれば追撃した。
しかし楠木正成がこもる千早城は数十万の北条勢に包囲された。
しかしこれも日本中の大軍をみんな近畿に呼び集める楠木正成の計略だった。
籠城すると兵糧に気をつかうが、城を包囲した北条勢の数十万の兵を食わせていく兵糧もこれも大変な苦労であった。
千早城、大軍をここに長くとどめたら大名たちはみな破産である。
その間に留守にしている領地で一揆がおこるかもしれない。
そこへ宮方の、味方せよっという密書が飛んでいったら後はどうなるか。
皆、楠木正成に一杯くわされた形である。
楠木正成の千早城にこもる兵はたった2千、兵糧の心配はないようだ。
たった2千の千早城を包囲する北条軍は数十万、それでも千早城は落ちない。
各地で動揺がはじまった。
楠木正成側の天皇家に味方するものが各地で出てきたのだ。
各地で反乱が起き始めた。千早城攻めから退却する者も出てきた。
後醍醐天皇は隠岐を脱出し、中国地方で勢いを盛り返す。
そして足利尊氏は、皆千早城を攻めていて手薄になっている北条の機関、六波羅を攻めた。
そして関東では新田義貞が兵をあげ鎌倉幕府の本陣を攻める。

  

■2008年5月24日
「新太平記」 1巻(全5巻) 山岡荘八著 講談社

まだ1巻しか読んでないのでよくわからないのですが
吉川英治さんの太平記は足利尊氏が中心に書かれていたようだけど
山岡荘八さんの太平記は楠木正成を中心に書かれているようです。
主人公は北条氏に殺された公家の後家の浅茅(あさじ)という女性のようです。
主人公がその場面場面でどんどん変わっていく小説もあるのでよくわからない。

執権北条の鎌倉幕府の時代、
北条の時代が続いてきたが長くは続かないものである。
いつの時代でも同じなのだけど現政権に対し不満がもちあがってくる。
北条への不満が高まってきていた。
そんなおり我の強い後醍醐天皇が北条に対し兵をあげた。
しかし兵は少ない。笠置山に籠城する。兵3千ほど。
後醍醐天皇に呼応して赤坂城で楠木正成が兵をあげ籠城する。兵5百ほど。
北条の兵は数万。笠置は落ち赤坂も落ちた。
後醍醐天皇は隠岐に流され楠木正成は死んだと噂された。