村上春樹読書記録2 りょう99@笠原良太

下から書いてます。。


■2019年11月6日(水)

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」
村上春樹著 文春文庫  読破

主人公多崎つくるは高校時代、仲の良い5人グループに入っていた。
男3人、女2人のグループだ。皆名前に色があった。
ラグビー部の男アオ、頭の良い男アカ、清純な女シロ、活発な女クロと色のないつくるだ。
アオ、アカ、シロ、クロは皆地元の名古屋の大学に進学し、
つくるは東京の大学に出た。
つくるは名古屋に帰るといつも皆に会っていたが
ある日、皆から絶縁される。
つくるは絶望し自殺を考えたが、なんとか乗り越え駅を作る会社に入った。
十数年が過ぎた。つくるは現在の彼女に促され大学時代に
何が起きたかはっきりさせるために高校時代の仲間に会ってみようとする。

私も大学時代に同じようなめに合いました。
話したこともない女の子をやったとかやらなかったとかいう話になり、
学校中の噂になり、有楽町の職場にも学校の人がいたので
学校中、有楽町中の噂になり、東京中の噂になり、地元でも悪口を言われ
秩父に帰ってきてひきこもり手首を切り精神病院に入院しました。
女の子とは何もしてないし話をしたこともありませんでした。
何もかかわっていません。幻聴、妄想、うつ病だったのでしょうか。
多崎つくるは大学では普通に生活できたろうからいいよね。
私の経験からいってシロをやったのはアカだね。
シロを殺したのもアカかもしれない。

2013年4月に単行本で刊行されました。

  

■2008年12月8日
「ねじまき鳥クリニクル」 全3巻 村上春樹著 新潮社

村上春樹さんの一番長い長編小説ですね。読むのは2回目です。
読むのに一苦労しました。感想はないなぁ。。
構成をあまり考えずにとりとめもなく書いていったと何かの本に書いてあったのだけど
わき道にそれたところが多かったんじゃないかと思います。
もっと短くできたはず。読むのがつらかったです。
間宮中尉や笠原メイの長い話は必要だったのか。なければないでさみしい気もしますが。
この小説ははじめ2巻がでてしばらくたってから3巻目が出たんですよね。
2巻までの加納マルタ・クレタの役割が、3巻から赤坂ナツメグ・シナモンにとってかわる。

主人公は岡田亨(おかだとおる)で法律事務所で働いていたがそこをやめて主夫をしている。
妻クミコはたしか雑誌の編集の仕事をしていて順調に働いている。
しかし、ある日、クミコは仕事にいったまま家には帰ってこなかった。
他に男ができたと手紙がきて離婚してくれという。
しかしその影にはクミコの兄綿谷ノボルの影があった。
主人公はクミコの実家とはうまくいっておらず、とくにクミコの兄、綿谷ノボルとは気があわなかった。
綿谷ノボルは学者で政治経済のコメンテーターを務めたりそのうち親の地盤をついで政治家になる。
主人公はノボルから圧力をかけられる。働いてないことも妹クミコの結婚相手としてふさわしくないと思っているのだろう。
主人公も有名人のノボルにはったりをかまし脅しをかける。人は誰でも公表されたくない弱みを一つくらいはもっているものである。
そんなわけで主人公はテイサイの悪い生活をしている。
そんなところを、間宮中尉、笠原メイ(15歳くらい?)、加納マルタ・クレタ、赤坂ナツメグ・シナモンと僕の力になってくれる。
マルタ、クレタ、ナツメグ、シナモンは羊男のようなキャラクターかな。

春樹さんの小説でよく出てくる井戸。
主人公は間宮中尉から井戸の話を聞き、ちょうど近所にあった枯れた井戸に何度も入ってみる。
井戸の答えは出たのだろうか。私はそこまで読みきっていない。
笠原メイにはしごを故意に外され井戸に3日間くらい閉じこめられる。オレなら笠原メイとは縁を切る。
この小説の主人公は結構おおらかだ。エンディングまで笠原メイは出てくる。

こっち側とあっち側についてちょっとふれている。

さてクミコは主人公のもとへ帰ってくるのだろうか?

  

■2008年11月28日
「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」 上下 村上春樹著 新潮文庫

この小説は「世界の終り」という物語と「ハードボイルド・ワンダーランド」という物語が同時進行していく。かわりばんこ物語が入れ替わる。
現実の世界である「ハードボイルドワンダーランド」では私は「組織」(システム)に属し計算士という仕事をしている。
自分の脳を使ってデータ変換をおこなう仕事である。脳に特別は手術をしてこのようなことができるようになった。
しかし「組織」は「工場」(ファクトリー)の記号士と情報の奪い合いをし私にも危害がおよんでいた。部屋をあらされたり腹の下をナイフで切られたりする。
いままで26人の人が計算士となったが25人の人は1年かそこらで死んでしまっている。
3年間もなにごともなく生きているのは私だけだった。

一方もう一つの物語「世界の終わり」では、僕は影とひきはなされ壁に囲まれた世界で生活している。
影は僕の記憶と心の大部分をもっていてだんだん弱って死んでいく運命にある。
この世界、街には一角獣が住んでいて人々の心を吸収し、冬がくると死んでいく。春になると同じ数の一角獣が生まれる。
僕は夢読みといわれ死んだ一角獣の頭骨から夢を読む。
この世界は「ハードボイルドワンダーランド」の私の意識の核、深層心理のようなものが「世界の終わり」である。
僕は心をなんとかとりもどそうと努力する。

ワンダーランドの現実世界の組織、計算士を作った博士が私に「世界の終わり」の世界を私の脳にインプットしたのだ。
世界の終わりではすべてがありすべてがなかった。それだけで完結しているのである。
ただ心がないのだ。心がないことは不思議なことかもしれないが、そこには争いもなく平和だった。
私以外の25人の計算士は完結した世界が作れづ意識もバラバラで死んでしまったと思われた。
私は博士の悪いいいかたをすれば人体実験をされ、そして24時間後くらいに世界が終わることを知る。私は死んでしまうのだ。

僕と影は「世界の終わり」の街から脱出を試みる。
川の出口しかないと判断した影は僕と一緒い川にとびこもうとする。
しかしその川の終わりはたまりとなりその下には水が渦巻き地下深く吸い込まれていくようだった。
そして影はそこにとびこみ僕は残った。

そしてワンダーランドの私は眠りに落ちた。

最近、影が逃げ出したからワンダーランドの私が死んだのかと思っていたのだけど
影が弱って死んでしまえば「世界の終わり」の世界は完全体になりワンダーランドの私は死ななかったのかなと思った。

2015/08/02 心を失ってしまった時、あるいは影を失った時が主人公が死ぬ時ではないかと思ったけどわからない。。

    

■2008年11月24日
「海辺のカフカ」 上下 村上春樹著 新潮社 2002年9月発行

「海辺のカフカ」面白いですね。
「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」のような2部構成になっている。話が交互に入れ替わる。
15歳の主人公田村カフカは家出する。家族は父しかいなくて父との関係はあまりうまくいっていない。
家出しても父は心配もしてくれないだろう。
田村カフカは前から家出しようと思っていて人並みな体つきになる15歳まで待っていたのである。
南の方へいきたいと思った。知り合いもいない四国がいいと思う。
知り合いのいる所にいったらすぐ見つかると思ったのだ。
夜行バスに乗り高松まできた。読書家のカフカはホテルをかりて図書館通いをする。お金は父親からくすねてきたのだ。たしかクレジットカードも。
私立図書館に何日か通っていると事務の大島さんと親しくなり世話をしてもらう。そこの図書館に寝泊まりできて図書館の仕事を手伝うようになる。
そんなおり田村カフカは林の中で倒れ、服に血がべっとりついていた。記憶がない。
そして同じ時刻、カフカの父は殺されてしまう。しかしカフカにはアリバイがある。四国の高松にいたのだ。

もうひとつの物語、中田さんというおじいさんの物語。
中田さんは小さいときに事故にあい頭が悪くなり字も読めなくなる。知事さんから補助、生活保護をもらって生活している。
その事故というのはとても不思議な話であった。
中田さんは頭が悪くなってしまったが猫と話ができるようになった。
迷子になった猫をさがす仕事、アルバイトのようなことをしていた。猫と話ができるので猫探しの名人になっていた。
猫にこんな猫をみかけなかったかと訪ねてまわっていたのだ。
そんなおり猫をつかまえていっていまう男の話を猫から聞いた。
今探してる猫をその人がさらっていってしまったらしい。
中田さんはその猫をさらっていってる人に会えた。
その人は猫をさらって虐殺していたのだ。目の前でそれをみせられた中田さんはその人を殺した。
しかし中田さんの服には返り血もついていなかった。
そしてその人は田村カフカの父親だったのだ。
そして中田さんはその地を去り導かれるまま高松にきた。入り口の石をさがすためでもある。
入り口の石が何かはよくわからない。石とは意志のことかもしれない。それはわからない。

そして二つの物語は交差する。
警察が2人を追っている。田村カフカと中田さん。

  

■2008年11月21日
「スプートニクの恋人」 村上春樹著 講談社 1999年4月発行

ぼく(主人公?)はすみれが好きだったが友達の関係にとどまった。
すみれはレズビアンだったのだ。
すみれはミュウという女性に恋をする。
ミュウの仕事のアシスタントをするようになったすみれだがギリシャの小さな島で失踪してしまう。
ミュウは過去に起きた出来事によってすみれを受け入れることができなかったのだ。
ミュウの過去におきたドッペルゲンガー。こちら側とあちら側の世界。
すみれもあちら側の世界にいってしまったようである。
すみれはあちら側の世界からもどってくることができるのか?
ぼくが鍵をにぎっていたかはわからない。。。

すみれはもどってきた。すみれが本当に必要だったのがぼくだったとわかったようである。
そのためにこちら側の世界にもどってこれたのかはわからない。。

妄想
単行本193ページ 
「Kの言うフィクション=トランスミッション説はなかなか説得的だ。」という文章があるのだけど
Kが何だか、だれのイニシャルだかよくわからないのだけど、公式の人だか。
Kとは私のことじゃないかと妄想した。あれはノンフィクションだったのだけど。。。 
この本が出版されたのは1999年4月です。

   

■2008年11月6日
「国境の南、太陽の西」  村上春樹著 講談社文庫

1951年生まれの僕(主人公)の自叙伝的小説。
特別感想はないのだけど。。。
小学生時代に好きだった同級生と大人になってから再会した。島本さんという名前だ。
僕はもう結婚していて妻の父が金持ちだったことから資金を借りてBARを開いていた。
BARが雑誌で紹介されたことで同級生などが何人か訪ねてきた。島本さんもその1人だった。
それから島本さんとの微妙な関係がはじまる。
僕は島本さんを得るためには何もかもすててもいいと決意するが島本さんは消えてしまう。
僕は妻と破局しそうになったがなんとかやりなおすことができた。
んーー。落ちがない。。。
僕が高校時代にイズミという女のコとつきあっていたがイズミのいとこの大学生と浮気をしてしまってイズミを傷つける。
人は多かれ少なかれ人を傷つけ合って生きている。
んーー。落ちがない。。。

 

■2008年11月3日
「ダンス・ダンス・ダンス」 上下 村上春樹著 講談社文庫

「ダンス・ダンス・ダンス」の主人公、僕は「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」の僕と同一人物である。
僕は「羊をめぐる冒険」で右翼とトラブったが「ダンス・ダンス・ダンス」でちゃんと仕事して生活している。ちょっと安心。
舞台は1983年、日本は高度資本主義社会へとすすみ、僕は34歳になった。
僕はよく「羊をめぐる冒険」で出てきたいるかホテルの夢をみるようになる。誰かが僕のために泣いているっと実感する。
耳のモデルをしていた女の子だと思う、彼女は消えてしまった。彼女を探し出すことはできるだろうか。名前はキキ。
僕はひさしぶりにいるかホテルを訪れる。ここからすべてが始まる。
しかしいるかホテルは超高層ビルへと変貌をとげていた。
でもそこには羊男がいて僕を待っていた。
羊男はいった。「踊るんだよ」っと。そうすれば羊男が僕と世界をつないでくれる。立ち止まってはいけない。
僕は新しいいるかホテルで働いている女性に惹かれる。
またその人から13歳の女の子をその札幌のホテルから東京まで一緒に帰って欲しいと頼まれそのままその少女のめんどうをみることになる。
その少女が彼女の名前を教えてくれた。ユミヨシさんである。つながっている。
また五反田君という人気芸能人で同級生(男)の出ている映画を見てみた。五反田君が先生をしている。
アパートで五反田君と女性がからみあっている、そこへ生徒の女の子が訪ねてきた。
鍵のかかってないドアを開けるとそこで先生と女性がやっていた。女の子は走っていってしまった。
そこで「どうしたっていうのよ?」と言う女性の顔が写る。キキだった。つながってる。
五反田君と連絡がとれたがキキの行方はわからない。僕はキキを見つけることができるのか?

このくらいにしておこう。村上春樹さんの文章力ってすごいよね。今更感動。
20年前に書かれたものだけどそれでも新鮮な感じがします。

   

■2008年10月30日
「羊をめぐる冒険」 上下 村上春樹著 講談社文庫

僕(主人公)の女性遍歴。(1949年生まれ)
最初の女の子は高校のクラスメート。(1966年)
二人目は新宿の地下鉄の駅でひろったヒッピーな女の子。(1968年)
三人目は大学の図書館で知り合った仏文科の女子大生。翌年首をつって死んでしまう。直子であろう。(1970年)
大学の近くの喫茶店にいつもいた誰とでも寝ちゃう女の子。(1970年末)
双子の姉妹。(1973年)
友人と3人で翻訳事務所を始めた時のアシスタントの女の子(たぶん)と結婚(1974)、そして離婚(1978)
耳のモデルをしていた女の子(1978)

1978年9月、耳のモデルをしていた女の子と知り合い、そして羊をめぐる冒険が始まる。僕は30になろうとしていた。
ことのはじまりは、羊の群れを写した風景写真をある広告に掲載したからであった。
その羊の群れには一匹だけちがう種類の羊が写っていた。背中に星形がついている。
その羊は特別な羊だった。この写真は友人の鼠が撮影したものだ。
その写真を使ったことで右翼の大物の秘書からクレームがきた。その羊が原因だった。
その人が一代で右翼の大物になれたのもその羊のおかげだった。その羊が彼に取り憑いたのだ。彼は裏社会で日本を支配していた。
しかしその羊は右翼の大物からはなれ、彼は脳腫瘍で死のうとしていた。羊のおかげで今まで生きていたのである。
羊は宿主をかえようとしていた。その次のターゲットが鼠だった。
僕は鼠とその羊を探し出さねばならなくなった。そうしなければ日本で生きていけなくなる。右翼の秘書はそういった。
鼠は今いったいどこにいるのか?耳のモデルの女の子が僕を導いてくれる。
しかし彼女も途中でいなくなってしまう。
彼女を捜す物語が「ダンス・ダンス・ダンス」

私は「羊をめぐる冒険」が一番好きかな。すごいと思うんだよねこの小説。青春三部作完結編。
村上ワールドを堪能してみてください。

  

■2008年10月28日
「1973年のピンボール」  村上春樹著 講談社文庫

村上春樹さんの2作目の作品。「風の歌を聴け」と登場人物は同じ。

彼女、直子が死んだのは1969年だろうか。いや1970年かな。
P10、それから4年後、1973年の5月、僕は直子の故郷の街を訪れる。
彼女が話していた街を見てみたかったようだ。とくに駅を散歩している犬を。
彼女の街を見てやっと犬にも会えた。満足して帰る。
P23、「帰りの電車の中で何度も自分に言い聞かせた。全ては終わっちまったんだ、もう忘れろ、と。そのためにここまで来たんじゃないか、と。でも忘れることなんてできなかった。直子を愛していたことも。そして彼女がもう死んでしまったことも。結局のところ何ひとつ終わってはいなかったからだ。」

P25、「これは僕の話であるとともに鼠と呼ばれる男の話でもある。」
「1973年9月、この小説はそこから始まる。それが入り口だ。出口があればいいと思う。もしなければ、文章を書く意味なんて何もない。」
P15、「物事には必ず入り口と出口がなくてはならない。」

僕は友人と翻訳事務所を始め成功する。また双子の姉妹と知り合い同棲(どうせい)する。
一方、僕の地元の港町に住んでいる鼠はあいかわらずジェイズバーに入り浸りビールを飲む。女ともつきあう。
僕と鼠との接点はこの小説ではないといっていい。

P28、「これはピンボールについての話である。」
3フリッパーのスペースシップというピンボールがジェイズバーにあったが処分してしまう。
僕と鼠がスコアを競い合ったピンボールである。(たしか)
そして僕は新宿のゲーセンでスペースシップを見つけやりこむがゲーセンはなくなってしまう。
スペースシップは日本に3台しかなく渋谷のゲーセンにあったスペースシップは火事で焼けた。
新宿のゲーセンのスペースシップはスクラップいきになったが引き取った人がいた。ピンボール収集家のようだ。
そしてその人の倉庫でスペースシップとまた出会うことができた。
スペースシップ、彼女とまた語り合う。スペースシップを直子に見立てていたのだろうか。

鼠は女と別れジェイにも別れを告げ街を出て行く。
双子の女の子は僕のもとを去っていく。

ずっと出口はみつからなかったんじゃないかと思っていたのだけど
鼠が街をでていくのも出口をみつけたからであって、双子の女の子も出口をみつけて帰っていったのかと思った。
よくわからないけどね。。


■2008年10月27日
「風の歌を聴け」  村上春樹著 講談社文庫

村上春樹デビュー作。
この話は1970年の8月8日に始まり、18日後、つまり同じ年の8月26日に終わる。っと書かれている。
僕(主人公)は大学生で夏休みに地元の港町に帰省している。
よくジェイズ・バーに入り浸って友人の鼠とビールを飲む。バーテンのジェイとも仲良しだ。
女の子とも知り合うが、鼠同様、その女の子も悩みをかかえているらしい。
僕(主人公)はいままで3人の女の子と寝た。3人目が直子だと想う。注意して読むと興味深い。
最初の女の子は高校のクラスメート。
二人目は新宿の地下鉄の駅でひろったヒッピーな女の子。
三人目は大学の図書館で知り合った仏文科の女子大生。翌年首をつって死んでしまう。直子であろう。

直子だと想うけど僕は質問に答えていった。
「愛してる」「いつか結婚したい」「子供は3人欲しい」「女2人に男1人」
彼女はいった。「嘘つき!」っと。
僕は嘘はひとつしかついてないと言う。
前は何が嘘か全くわからなかったけど「結婚したい」というのが嘘かなっと想った。

夏休みに知り合った女の子は子供をおろしているのだけど僕の子供ではないのか?
女の子は僕の子供ではないとわかっていたらしい。
何週目とかそういうのでわかるのだろうか??

僕は1969年の8月15日から翌年の4月3日までの間に54回のセックスをしている。相手は直子のはず。
これは大学生の平均的な回数なんでしょうか? 
私はほとんど経験がないからわからない。大学時代に経験ないし。。  

    

■2008年10月26日
「ノルウェイの森」 上下 村上春樹著 講談社文庫

「ノルウェイの森」という言葉にはインパクトがあるのだけど
ビートルズの曲名で「ノルウェイの森」があるからです。
冒頭、僕(ワタナベ)はドイツに着陸した飛行機で「ノルウェイの森」の音楽を聴いて混乱する。
18年前、大学生の時、僕は大恋愛をしていて「ノルウェイの森」は思い出の曲、いわくつきの曲であった。
そして一緒に「ノルウェイの森」を聞いた彼女、直子は自殺してしまった。
37歳になった僕はたびたびドイツに来ているようだが、仕事であれ旅行であれ社会的に成功した人生を歩んでいるようである。
昔、チャット友達が永沢さんに会いにドイツにいったんじゃないかっていった人がいて
ちがうとは思うけどそのセンスに驚いたことがあります。

緑とはその後うまくいったのだろうか。
私は小説のどこかを受けてうまくいかなかったんじゃないかと思ったのだけど
その場所が思い出せません。そんな場所はなかったのかもしれない。
うまくいったと信じたい。
でも緑とうまくいったとしたら「ノルウェイの森」を聞いてそれほどふさぎこむことがあるのだろうかと思う。
緑とうまくいってなかったら「ノルウェイの森」を聞いたときに絶望にくれて混乱すると思う。
もしかしたらレイコさんも死んでしまったのではとも思う。
緑とうまくいっていても、18年後「ノルウェイの森」を聴いて直子が死んだことを思い出して混乱するだろうか?混乱するかもしれない。。。

もう少し本を読み返してみました。
8ページ(上巻) 単行本は6ページ
「自分がこれまでの人生の過程で失ってきた多くのもののことを考えた。失われた時間、死にあるいは去っていった人々、もう戻ることのない想い。」
ここを受けて緑ともダメだったんじゃないかなぁーと想った。