読書記録2009年1月から りょう99@笠原良太
下から書いてます
読書予定
今年は漫画から読んでいこうと思っています。漫画本もいっぱいもっているので。古いけど。
日本史と世界史と現代史の勉強をしたい。
夏目漱石、森鴎外、芥川龍之介を読みたい。
歴史小説を読み返したい。
聖書はやっぱり無理かな。。。
■2009年6月30日
「徳川家康」 (10) 山岡荘八著 講談社
信長が本能寺で倒れてからほぼ1年で秀吉が信長の地盤をついだ。
織田信孝は切腹させられ、織田信雄は家康に救いを求めた。
ここに秀吉vs家康の戦いがはじまった。小牧、長久手の戦いである。
この戦いは家康の勝ちであった。
だが勝ちすぎてもよくない、家康が秀吉を倒せば日本中の大名と戦わなければならなくなるのだ。光秀と同じ。
そして秀吉と信雄が和議を結んだので家康も戦う理由がなくなり家康も秀吉と和議を結ぶ。
だがこの和議で家康の子を秀吉の養子として差し出すことになった。人質である。
家康の家臣たちは皆不満やるかたない。
■2009年6月27日
「徳川家康」 (9) 山岡荘八著 講談社
信長は明智光秀の謀反によって倒れた。
そして秀吉が明智光秀を討ち果たしたが天下は簡単には秀吉にめぐってこなかった。
織田家相続争いに発展したのである。
柴田勝家が織田信孝をかついだのに対し、秀吉は信忠(信長の嫡男、信長とともに死亡)の子三法師をかついだのである。織田信雄もだまってはいない。
柴田勝家vs秀吉、賤ヶ岳の戦いで柴田勝家を破った秀吉は北の庄で籠城した柴田勝家を滅ぼす。
浅井滅亡後、柴田勝家に嫁いだ市姫は柴田勝家とともに死亡。
市姫の娘、茶々、高姫、達姫は城から出て助かった。
ここに秀吉は織田家相続争いを制したといっていい。まだ信孝、信雄がいるが。
家康は織田家相続争いをよそに甲州、信州に進撃、三河、遠江、駿河、甲斐、信濃の5カ国を手に入れる。
■2009年6月25日
「徳川家康」 (8) 山岡荘八著 講談社
信長が武田勝頼を滅ぼすと家康は新たに駿河をもらい、三河、遠江、駿河の三カ国を統治することになった。
ここに信長は天下を統一したといっても良い。
ところが明智光秀の謀反により信長はあっさりと殺されてしまう。
秀吉の援軍をいいつけられた光秀はその1万5千の兵を信長の泊まっていた本能寺にむけたのである。
備中高松城を水攻めしていた秀吉はすぐに毛利と和睦して光秀と戦うべくとって返した。
光秀で見方するものはほぼなかった。
皆仇討ちをかかげる秀吉の見方についた。
信長の性格がどうであれ主君殺しはいただけなかったのかもしれない。
光秀は秀吉に敗れ逃走中に土民の手にかかり殺されてしまう。
家康は本能寺の変の直前、信長にもてなされ上洛していた。
信長が光秀に殺されると家康は伊賀越えをして帰郷する。土民に襲われそうになり大変難儀した。
国元に帰った家康は光秀を討とうと兵を繰り出そうとするが秀吉がなんなく光秀を討伐してしまったため甲斐、信濃をめざして兵を進める。
明智光秀は何故信長に謀反したのか?黒幕はいるのか?っと永遠のテーマですね。
光秀が謀反にいたるまでのくだりを読むと光秀もかわいそうだと思うし、何故光秀は天下をとれなかったのだろうか?っと思う。
■2009年6月23日
「徳川家康」 (7) 山岡荘八著 講談社
武田勝頼は家康領の長篠に兵を出してきた。
信長は援軍にきて3千挺の鉄砲で武田軍を破った。武田軍はほぼ全滅、再起不能。
これで家康にも余裕が出てきた。
しかし信長はおこないの悪かった家康の嫡男信康と謀反を企んでいた家康の妻築山殿に切腹をいいわたした。
やはり二人は今川の血をひいていたからというのがあるのだろう。
信長は安土城を築き地盤をかためる。また武田勝頼を滅ぼす。上杉謙信も卒中で死亡する。
これで信長は天下を統一したといっていいかもしれない。
■2009年6月22日
「徳川家康」 (6) 山岡荘八著 講談社
浅井を滅ぼして近畿をほぼ統一した信長。
浅井を滅ぼして市姫と娘たちを助け出した秀吉はほめられる。浅井領18万石をもらう。
一方、家康は武田勝頼と小競り合いを繰り返す。
築山殿と謀って謀反をくわだてた家康の家臣は誅される。武田軍を岡崎城に導き入れようとしたものだ。
さんざん戦い合った上杉と武田だが信玄が死ぬと勝頼は上杉と和睦を進める。
これで武田軍は集中して徳川軍と戦うことができるようになる。
しかし近畿を統一した織田軍は家康に援軍をおくることができるようになる。
■2009年6月20日
「徳川家康」 (5) 山岡荘八著 講談社
家康はたびたび信長の援軍におもむいた。
朝倉攻めでは浅井にそむかれ前後にはさまれて大苦戦をした。
姉川の戦い、浅井朝倉の戦いの勝利には家康は大いに働いた。
しかし、武田信玄との三方ヶ原の戦いでは信長は3千の兵しかおくってくれなかった。
織田の援軍は真っ先に崩れ家康は大惨敗をきっした。
武田信玄の上洛戦である。その数2万7千。家康5千に織田の援軍3千である。負けて当然。
相手は武田信玄である、大惨敗だったが真っ向勝負した男いきはすばらしい。
そして武田信玄は上洛戦の途中死んでしまう。この本では鉄砲の弾にあたったことになっている。
武田軍は撤退していった。家康にとっても織田にとってもこれで武田の驚異はとりのぞかれた。
家康は駿河に兵をすすめる。
ところが家康の最初の妻築山殿が武田と謀略をめぐらし岡崎城に武田軍を導き入れようとする。
築山殿は今川義元の姪で、織田との同盟は気に入らなかったのである。織田は敵国である。
築山殿と家康との子は信康だが、信康の妻が信長の娘(徳姫)だったことも気に入らなかった。
築山殿は武田と組んで家康、信長を倒し、家康の所領を信康につがすようにする。信長の所領も一国もらう約も結んでいる。
■2009年6月17日
「早わかり世界史」 宮崎正勝著 日本実業出版社
■2009年6月15日
「徳川家康」 (4) 山岡荘八著 講談社
今川義元が死ぬと、岡崎城にいた今川の武将も逃げ出してしまい、家康はやっと自分の城、岡崎城に入ることが出来た。
そして家康は尾張の信長のもとにいき和睦した。東は家康、西は信長がおさめようと約束する。
さらに信長の娘徳姫を、家康の嫡男信康につかわせた。
ここに家康の正室築山殿(鶴姫、瀬名姫)は今川出身のためおもしろくなかった。
信長は美濃をとり岐阜と改め、浅井長政に妹市姫をつかわすと足利義昭を奉じて京を制圧、義昭を征夷大将軍にした。
一方、家康は一向一揆を治めると今川の領土を侵食しはじめた。家康が遠江を、武田信玄が駿河をねらっている。
■2009年6月13日
「徳川家康」 (3) 山岡荘八著 講談社
信長は織田家相続争いを制し尾張をまとめあげる。
一方成人した家康は今川義元の姪の鶴姫をもらい子供もできた。
しかし岡崎城には返してもらえず、その上、最前線で織田勢と戦わされるのは岡崎勢であった。
岡崎勢は苦しい立場にたたされていた。本多平八郎忠勝のくだりは泣いた。
戦国武将たちの夢は京に上洛することである。
武田信玄と上杉謙信が川中島で戦い千日手となると、このすきに今川義元に上洛するチャンスが訪れた。
しかし上洛するには織田の尾張を通っていかなければならない。
ここで最前線にたたされるのは松平元康(家康)の岡崎勢であった。
一方尾張では信長に仕官をはたした台所奉行の秀吉が籠城に見せかけるために味噌買いに走る。
信長は竹ノ内浪太郎などの野武士を見方につけていた。野武士は南朝に見方した勤王の人たちである。室町幕府は敵方である。
信長はもちろん父信秀の代から天皇家には献金を行っていて勤王家だった。それで野武士たちは信長み見方した。
今川義元3万に対し織田勢は2千ほどである。
先鋒の家康は信長の小城を落とした。今川義元もほくほく顔である。
竹ノ内浪太郎は今川義元に酒やにぎりめしなどまいないを贈った。土地の者が新たな支配者に礼のモノを贈るのだった。
勝利を確信している今川義元は田楽狭間(桶狭間付近)で酒を飲み休んでいた。
信長はすでに城を出ている。義元が田楽狭間で休んでいると聞いた信長はいちもくさんに今川義元の本陣を襲った。
今川義元散る。
■2009年6月11日
「徳川家康」 (2) 山岡荘八著 講談社
竹千代(家康)は人質として駿府の今川義元のもとへ送られることになった。
しかしどう間違えたのか竹千代は織田家にさらわれてしまう。
織田家をしきる織田信秀は日の出の勢いだった。
織田信秀は竹千代の父、松平広忠に織田家につくように言うが広忠は頑としてそれをうけつけなかった。
信秀は竹千代を斬ろうとしたが、信長が竹千代の身をかばってくれて何かと世話をやいてくれた。三河の弟と何かと眼をかけてくれたのだ。
竹千代(家康)もこのときのことをよく覚えていて、その後、信長に献身的につかえたのだと思う。
まもなく竹千代の父、広忠は戦死し、岡崎の城には今川の武将が入ることになった。岡崎の松平党は今川の植民地みたいになってしまう。松平党は戦いの最前線で戦うことになってしまった。
安城の城を落とし織田信秀の長子信広を捕虜とすると、竹千代と信広との人質の交換が行われ竹千代は岡崎に帰ってきた。松平党は大変喜んだ。
しかしそれもつかの間、今度は今川への人質として竹千代は駿府に送られることになった。
それからまもなく信長の父、織田信秀は亡くなった。卒中だったようである。
織田家相続争いがはじまった。うつけと呼ばれた信長と行儀のよい信行。信行をおす声の方がおおきかった。
信秀の葬儀に信長はひどい身なりで香を信秀の位牌になげつけた。
皆信長の行動に驚いたが、信長一人で主君をなくした尾張を守ろうとしたものであろう。
■2009年6月9日
「カラー版徹底図解 幕末・維新」 新星出版社
■2009年6月8日
「カラー徹底図解 戦国時代」 新星出版社
■2009年6月8日
「徳川家康」 (1)小説全26巻 山岡荘八著 講談社
家康の父と母が結婚するところから物語りがはじまります。
父、岡崎城主、松平広忠。母、刈谷出身の水野於大。
そしてこのふたりの子、竹千代(家康)が生まれる。寅(とら)の年の寅の刻の生まれであった。
秩父神社は1592年に家康が再建したものらしいけど、寅の年の寅の刻にちなんで秩父神社の前面に左甚五郎作の虎の彫刻がある。
どうして広忠と於大が結婚することになったのかはよくわからない。
松平家は今川方であり、水野家は織田方につくことを決めたため広忠と於大は離別することになった。
それでも松平家では竹千代を大事に扱ったようである。
だいたい歴史小説は年号で書かれているのでよくわからないのだが、
家康が生まれたのが1542年。武田信玄は22歳。上杉謙信は13歳。信長は9歳であった。
■2009年6月6日
「ろくでなしBLUES」 漫画全42巻 森田まさのり作 集英社
■2009年6月1日
「1Q84」 BOOK1 BOOK2 村上春樹著 新潮社
「海辺のカフカ」のような2部構成になっています。
BOOK2あたりから二つの物語が頻繁に交差してきます。
長編のねじまき鳥ではあまりおもしろいとは思わなかったのだけど1Q84はとてもおもしろかったです。
舞台は1984年です。
発売されたばかりなので内容は書かないようにします。
■2009年5月27日
「スーパービジュアル版 早わかり日本史」 河合 敦著 日本実業出版社
■2009年5月26日
「スーパービジュアル版 早わかり世界史」 宮崎正勝著 日本実業出版社
この世界史と日本史の早わかりシリーズ、何冊も出ていて去年末にも出てるんだよね。
欲しいのだけどお金がなくて。。。内容はあまり変わらないみたいだから我慢しようか。。
村上春樹さんの本も買わなきゃだし。
■2009年5月25日
「ダ・ヴィンチ・コード」 上中下 ダン・ブラウン著 角川文庫
読むのは2回目です。
キリスト教の謎とか、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵の謎とか、黄金比や、暗号の解読など面白かったです。
「この小説における芸術作品、建築物、文書、秘密儀式に関する記述は、すべて事実に基づいている。」っと
書かれているのだけど、イエスの子孫の話はホントなんでしょうか?イエスの子孫っているの?
■2009年5月22日
「グレートギャツビー」 フィツジェラルド 野崎孝訳 新潮文庫
はじめて読みました。過去に何度も読もうと思ったのだけど挫折を繰り返し。
村上春樹さんの一番好きな小説のようです。
私にはよくわかりません。何回か読めばわかってくるかな。。
基本的に洋書は感情移入ができなくて読めません。
村上春樹訳も読んでみたいとは思うのですが。
■2009年5月20日
「早わかり世界史」 宮崎正勝著 日本実業出版社
■2009年5月18日
「ニュートン」5月号6月号を読む
ニュートン5月号は時間のお話。それでふと思いついたこと。
未来から現代にタイムトラベルした人はいないことからタイムトラベルは無理という証拠。
しかし現代にタイムトラベルすると未来に帰れなくなるから現代にタイムトラベルしてこないのか。バックトューザフューチャーみたい。
他の証拠は人類は将来滅亡してるから。。。
しかし結局タイムトラベルはできないと思う。
■2009年5月18日
「豊臣秀吉」 (8)完 山岡荘八著 講談社
秀吉は妹の朝日姫を家康のもとにおくったがそれでも家康が上洛してくれないので、
秀吉の母の大政所を家康のもとにおくりやっと上洛してもらう。
これで家康との仲がよくなったのですんなり日本を統一する。
日本を統一すると矛先は中国にむいた。
秀吉は朝鮮が中国へ道案内をしてくれて簡単に中国を征服できると思っていた。
大きな間違いだった。朝鮮の抵抗ははげしく中国からも援軍がきた。
日本の船団がたびたび全滅に近い打撃をうけるとまさに進退きわまった。
秀吉はひとたび和睦しようとするが中国から「汝を日本国王となす」という使者の口上に激怒し第二次征討をはじめる。
秀吉は「汝に明の王位をゆずる」っというものだと思いこんでいたのである。勘違いも甚だしい、まさに妄想。
後年の秀吉は精神に異常をきたしていたような感がある。
千利休を切腹させたり関白秀次(姉の子かな)を殺したりその妾30人を殺したり。
淀殿(茶々)が産んだ秀頼のことを心配しながら亡くなりました。
この戦国時代に老衰で死んだことはすごい。
■2009年5月14日
「豊臣秀吉」 (7) 山岡荘八著 講談社
柴田勝家を打ち破った秀吉はほぼ織田の領土をついだといっていい。天下人という言葉がよくみられるようになった。
秀吉は長年いくら攻めてもおちなかった本願寺の城の跡地に大阪城を築いた。
大阪城には金がふんだんにつかわれたようだが瓦や城壁にも金箔がはられていたようである。
「花の慶次」という漫画では黄金城として描いてあった気がします。
天下人になった秀吉だが徳川家康は秀吉に屈しようとはしなかった。
秀吉vs家康、小牧・長久手の戦い。家康の勝ちに終わる。秀吉、翻弄される。
秀吉は家康の戦上手に舌を巻き手をかえる。
秀吉はすでに結婚していた42歳の妹、朝日姫を離婚させて家康につかわせようとする。
朝日姫の夫は切腹してしまった。家康もうれしくはないだろう。
それでも秀吉は妹を家康につかわし義兄弟としたかったのである。
現代の道徳では理解できないが、当時の常識でも理解できなかったのではないだろうか。
家康に茶々をつかわすことも考えたが秀吉は茶々(淀殿)を自分のものとしてしまう。
好きだった市姫の娘の茶々を自分のものとして秀吉は歓喜したことであろう。
手をつけた女性は数しれないほどだが子供ができなかったのだから秀吉に子種がなかったのだろう。
秀吉は子供ができなかったので妹の朝日姫を家康につかわすことにもなっちゃったわけで、兄弟やその子を登用したり養子をもらったり秀吉も苦労したようである。
家康からも養子をもらう、後の秀康である。
■2009年5月13日
「豊臣秀吉」 (6) 山岡荘八著 講談社
秀吉vs柴田勝家、賤ヶ岳の戦いがはじまった。秀吉の勝利に終わる。
北の庄に退いた勝家は、茶々(淀殿)はじめ三人の娘を城から落とすと市姫とともに切腹してはてた。
茶々(淀殿)は浅井長政、柴田勝家と二人の父を秀吉に殺されたが、秀吉の正室となった茶々はどう思ったであろうか。
これに恨みをもっていた茶々は秀吉の子ではない子供を産んでうっぷんをはらしたのかとも思うのだが。秀吉には子種がなかったと思われるから。
市姫を柴田勝家にやることにした信長を恨んで、秀吉が信長を本能寺で殺させるように仕組んだとか書いた本があると書いてありました。
■2009年5月11日
「豊臣秀吉」 (5) 山岡荘八著 講談社
敵は本能寺にあり! 明智光秀は秀吉に救援にいこうとしていた部隊を本能寺にむかわせた。その数1万5千。
信長は本能寺で討たれた。本能寺は焼けたが首はみつかっていない。ここから面白い話が出てくるとまた面白い。信長が天海だったとか(嘘)。
二条城に泊まっていた嫡男の信忠も殺された。光秀も抜け目がない。
光秀はこれで天下を取ったと思ったことだろう。信長の武将は各地で戦っていて皆悪戦苦闘している。
しかし毛利の高松城を水攻めにしていた秀吉はたった一日で(たぶん)毛利と和睦し京にとって返した。
秀吉のあまりの要領の良さに秀吉黒幕説が出るゆえんである。
秀吉vs光秀。京にとって返した秀吉は山崎の合戦で光秀と戦う。天王山を先に制した秀吉が勝利をおさめる。
光秀は土民の手にかかって死んでしまったようである。しかしこの本では生きている。光秀天海説とかいろいろあるけど義経からはじまってこうゆうの多いよね。
織田家相続争い、信孝、信雄、秀吉が養子にもらっている秀勝、死んだ信忠の長男三法師。
筆頭家老の柴田勝家は信孝を推して皆それにならうかと思いきや秀吉は三法師をかついだ。
光秀を討ち取ったのは秀吉である。三法師に決まった。秀吉と柴田勝家の確執が深まる。
それでも信孝との約束で市姫をもらった柴田勝家はちょっとほくほく顔か。
■2009年5月8日
「豊臣秀吉」 (4) 山岡荘八著 講談社
浅井長政に市姫を嫁がせると信長は圧倒的早さで京を制圧。
次に朝倉を攻めるが浅井長政にそむかれ挟み撃ちに合い命からがら京にのがれる。秀吉はしんがりをして無事に引き上げる。
浅井朝倉連合軍との姉川の合戦のことはあまり書いてないのだけど朝倉などが比叡山に逃げ込み信長は比叡山を焼く。叡山を滅ぼすものは叡山なり。比叡山は仏教の聖地である。修学旅行で比叡山にいったときに比叡山で使っているろうそくの火は比叡山焼き討ちの時の火をたやすことなく使っているとお坊さんがいっていました。
浅井長政の城を落とすのは秀吉にまかされた。市姫と茶々はじめ3人の娘を城から落として浅井長政も自刃した。
市姫たちを助け出した秀吉は信長にほめられ浅井の領土をもらう。いままでの長浜とあわせて14万石である。
秀吉はこれで家老の一人に数えられるようになった。秀吉は褒美に市姫をもらいたかったようである。
このへんで武田信玄は死んだのかな。
次に驚異となったのは上杉謙信である。柴田勝家がそれにあたった。秀吉は柴田勝家の下について上杉にあたるようにいわれるが柴田勝家とケンカして帰ってきてしまう。
秀吉は人の下にはつきたくなかったようである。何かの本で秀吉は退却を進言して柴田勝家とあわなかったと読んだ気がするのだけど冬が来れば上杉は越後に退却するからそういったのかもしれない。そう読んだのは私の妄想だったかもしれないが。
信長は秀吉を怒ったがすぐ秀吉に毛利攻めを命じる。秀吉はいさんで毛利攻めにむかった。
このあたりで竹中半兵衛は死んだのかな。かわりに黒田官兵衛が軍師に加わっている。
信長は長篠合戦で鉄砲隊で武田軍をやぶり、甲州信州などを攻略していく。関東は滝川一益がまかされる。
秀吉は毛利の城を水攻めしていたが毛利の本軍5万が救援にくる。
秀吉も信長に救援を請う。明智光秀に秀吉の助太刀をするように命じた信長は後から救援にむかおうとして本能寺に泊まる。
上杉謙信も卒中で死にました。四面楚歌におちいっていた信長も各個撃破でがんばりましたね。本願寺なども降伏させました。
今度の日曜の天地人は本能寺かな。時は今、雨が下しる五月かな。。。
■2009年5月5日
「豊臣秀吉」 (3) 山岡荘八著 講談社
お城の石垣を8日でなおした秀吉はだんだん認められてきた。
そして秀吉は佐久間も柴田も誰も築けなかった美濃領の墨俣に城を築くことに成功。
美濃斉藤の武将を切り崩しにかかった秀吉は今孔明竹中半兵衛を見方につけることに成功。
秀吉のおかげか気のせいか稲葉山城を降し美濃を手に入れた信長。美濃を岐阜となずける。
一気に尾張岐阜120万石となった信長。戦国時代の主役におどりでる。
そこへ信長に期待して仕官してきた明智光秀。室町幕府将軍足利義昭をつれてきた。濃姫のいとこでもある。
信長は京への道筋をつけるために北近江の浅井長政に妹の市姫をとつがせようとする。
秀吉が市姫のことを好きだった設定になっていておもしろい。浅井長政と市姫の子供の茶々(淀殿)と結婚?するからいいよね。淀殿との子が秀頼で。
■2009年5月4日
「豊臣秀吉」 (2) 山岡荘八著 講談社
日吉改め木下藤吉郎(秀吉)
尾張にもどって針売りをしていた秀吉は信長と知り合って仕官をはたす。前田犬千代(利家)とも知り合った。
馬屋番から草履取りになり台所奉行と秀吉はとんとん拍子に出世する。
そんな折りだった今川義元が上洛戦を起こしてきたのは。
何故そんな時に秀吉は信長に仕官したのか。ただ地元だったせいか。
今川4万に対し、織田は3千。籠城すると見せかけるため台所奉行の秀吉は味噌の買い占めに走る。
今日の今川義元の予定の宿泊先(確か大高城)を確かめた信長はいちもくさんに城を出た。くつわをとるのは秀吉である。
きらびやかなこしに乗っていた義元はさぞ目立ったころだろう。そして豪雨が信長に見方した。
勝った。
「織田信長」では桶狭間の様子が詳しく書いてあったけど「豊臣秀吉」ではほとんど書かれていない。
今川に勝つと秀吉と寧々(ねね)は前田利家に仲人になってもらい祝言をあげる。
秀吉は台所奉行と薪炭奉行と山林奉行の三つを命ぜられ忙しい。
またお城の石垣が崩れ3ヶ月かかっても直せなかった。
ここで秀吉が普請奉行をまかされることになった。なんでも10日で直すそうな。
■2009年5月3日
「豊臣秀吉」 (1) 全8巻 山岡荘八著 講談社
悪ガキ日吉(秀吉)のおさない頃からの出来事がおもしろおかしく書いてあります。
日吉は仕事が長く続かなかった。なんども奉公先を変えた。
でもそれは2ヶ月くらいで仕事を覚えてしまうとまた他の仕事に興味がうつってしまうからであった。
これは日吉(秀吉)の天下取りであった。天下のことを隅々まで覚えてしまおうと思ったのだ。
それに日吉は人の3倍は働いた。しかしそれがかえって他の奉公人から批判を受けることになった。
仕事というものは出来ないのもうまくないが、出来すぎても不満を受けることになる。
秀吉は野武士の蜂須賀小六と知り合って兄弟の杯をかわす。
野武士は南北朝時代に南朝に荷担した勤王家たちであった。足利幕府とは敵方である。
秀吉は天朝の世をとりもどそうと蜂須賀小六と大いに語り合った。竹ノ内波太郎なんて名前も出てきたけど。
秀吉の天下取りが始まる。
愛知で生まれた日吉は斉藤道三の美濃、今川義元の東海、武田信玄の甲斐などを見てまわる。針売りなどもしながら。
秀吉が色盲だったと書いてあるのだけど本当なんでしょうか。
■2009年4月30日
「もう一度学びたい世界の歴史」 西東社
メモ、仏教 四苦 生きること、老いること、病むこと、死ぬこと
八正道 正しい見解、決意、言葉、行い、生活、努力、思考、瞑想
■2009年4月27日
「織田信長」 (5) 山岡荘八著 講談社
長篠合戦、織田信長の鉄砲隊が武田勝頼の騎馬隊を破った戦い。
戦国時代の騎馬隊は今のような立派な馬ではなく、ポニーのような子馬だったそうですね。
とにかく武田を弱めると次は上杉謙信である。
上杉謙信の上洛戦をおそれて信長は安土城を築く。たいそう立派な城だったようである。
信長は謙信をたいそう恐れていたが謙信は卒中で死んでしまう。
松永を滅ばし本願寺を大阪からたちのかせ武田勝頼を破った。
秀吉は毛利と戦い、柴田勝家は上杉の遺臣と戦い、滝川一益は関東をまかされた。
これに明智光秀を入れて四天王とよばれるらしいが明智光秀と信長の関係は悪化した。
この小説を読むと明智光秀の被害妄想や魔王信長の意地の悪さが恐ろしいほどに書いてあります。
家康の嫡男の信康を魔王信長は切腹させます。武田と通じたからだということで。
信長は家康をもてなそうと安土によんだけど接待役を光秀がした。
このとき家康と光秀はなにか密談をしたかもしれない。
光秀は接待役をおろされ、毛利と戦っている秀吉を助けにいけと信長から命令をうける。
接待役を途中でかえさせられるのは、とんだことで不名誉なことだったようである。
これで光秀は信長に謀反することを決めた。
この直後に光秀が読んだ詩が「時はいま、あめが下しる五月かな」
信長、本能寺で死す。信長の嫡男信忠も二条城で死す。
■2009年4月25日
「織田信長」 (4) 山岡荘八著 講談社
信長が朝倉を攻めると浅井は反旗をひるがえし信長軍の後ろをおそった。
朝倉、浅井の挟み撃ちにあい信長は京に退却した。生きるか死ぬかの瀬戸際であった。10年逆行したかもしれない。
浅井、朝倉が敵にまわると、三好、松永、毛利、本願寺、比叡山、武田信玄と信長包囲網がつくられた。
室町幕府将軍足利義昭が信長を倒せとみなに密書を送っていたのであった。
信長は浅井、朝倉軍が逃げ込んだ仏教の聖地比叡山を焼き討ちにして皆殺しにした。かなりの反対があった。
つづいて武田信玄が上洛戦をおこしてきたが信玄は流れ弾にあたったのか死んでしまう。
武田信玄が死んだことで信長の一番の恐怖はとりのぞかれた。
浅井、朝倉も滅ぼした信長は足利義昭を追放し室町幕府を滅ぼす。
残る敵は本願寺と上杉謙信だけとなった。三好、松永はどうなったっけな。。
しかし上杉謙信は春になると戦いに出てくるが雪が降る冬になると必ず撤退した。雪深い越後である。
やっと四面楚歌から脱した信長は、武田勝頼と戦っている家康にやっと援軍を送ることができた。
長篠合戦のはじまりである。
話が前後するが伊勢長島の一向一揆も皆殺しにした。叡山のこともあるし信長が魔王とよばれるゆえんである。
上杉は越後ですが秀吉が1598年に上杉を会津に移します。
■2009年4月22日
「織田信長」 (3) 山岡荘八著 講談社
今川義元を破り尾張を統一した信長は松平元康(家康)と同盟し西日本は信長が東日本は家康が治めると約をかわす。
次に攻略するのは美濃である。秀吉が墨俣に城を築いたのを手始めにじわじわ美濃を攻略する。
竹中半兵衛の乱が起こると竹中半兵衛は美濃にいずらくなり秀吉の軍師となる。
稲葉山城を落とし美濃を制圧した信長は天下布武をかかげ美濃を岐阜と名付ける。
伊勢も滝川一益が攻略する。
信長の名は天下に知れ渡った。信長の正室の濃姫のいとこの明智光秀が室町幕府将軍足利義昭をつれて信長に仕官してきた。
北近江の浅井長政に信長の妹の市姫を嫁がすと足利義昭を奉じて圧倒的な力で三好、松永を追い京を制圧する。
京を制圧しても強盗、強姦など一切厳しくとりしまりそれをやらなかった。信長の人気は上がった。
そして室町幕府将軍義昭の館をつくり、天子の館も築いたようだ。
それで信長はというと、管領や副将軍といった役職を断りなんの地位もうけなかった。そして速攻で岐阜に帰ってしまった。
なんの役にもつかなかったのは最初のうちは武田や朝倉などへの遠慮であった。また既存の体制の役職になんの興味ももってなかったのかもしれない。
信長が岐阜に帰るとやはり謀反をたくらむものが出てくる。三好がまた勢いを盛り返し、降参していた松永久秀は謀反した。
信長はまた京に攻め入り三好を追い松永久秀をまた降参させた。
京?で相撲行幸をした。たいへんなお祭りさわぎで有力な力士は皆兵士として雇われた。朝倉責めをするための兵士であった。
越前の朝倉は呼び出しても出てこず反信長であった。
しかし朝倉攻めは浅井との盟約に違反していた。朝倉がなければ浅井は北近江で勢力を築くことはできなかったのだ。
そして織田徳川連合軍は越前の朝倉領に攻め入った。はたして浅井の動きは??
■2009年4月21日
「織田信長」 (2) 山岡荘八著 講談社
信長の弟信行は自分が家督をつごうと信長暗殺をたくらむ。
信長はうつけと呼ばれていて皆行儀の良い信行が家督をついだほうが良いと考えていた。
ところが信長がただのうつけではないとだんだんわかってきた。
信長は信行を殺すと家中を粛正して織田家をまとめあげる。
今川義元が上洛戦を起こす前に家中をまとめることができたのは幸いだった。
今川義元は2万の兵で尾張にせまった。
信長は籠城するかにみえた。信長の兵は2千あまりしかないのである。
また信長は野武士と連携した。野武士は勤王家で足利氏に敗れた人たちである。
野武士も信長の父信秀が天子にお金をおくったり勤王家であったことを忘れていなかったようである。
そして土地のものが新たな統治者にお礼に酒などを贈ることがあるのだが信長はそれを利用した。
今川義元は桶狭間(田楽狭間かも?)で休んでいた。前衛が信長の砦を落とせばそこに入る予定である。
それを聞いた信長は桶狭間にむかって進発した。目指すは今川義元の首ひとつである。他の首はうちすてである。
信長側の砦は今川によっていくつか落ちたが信長は今川側にきどららないように桶狭間にむかったようである。
今川側では信長は籠城するものと決めてかかったいた。
そこへ信長に天が見方したのかにわか雨が降った。豪雨だったらしい。
見事今川義元の首をとることができた。うつけで終わるか天下をとるか。やはり信長はただのうつけではなかった。
今川の兵は皆逃げ去ってしまった。
岡崎城にいた今川の代官も逃げてしまって松平元康(徳川家康)はやっと自分の城に入ることができた。
長いこと今川の人質になっていたのである。その前に織田の人質にもなったけど。
木下藤吉郎(秀吉)も信長に仕官していて面白い。
■2009年4月19日
「織田信長」 (1) 全5巻 山岡荘八著 講談社
織田家にもいろいろ上下関係があるようで織田信秀が下克上で力をつけてきて尾張をおさめていた。
その子、信長はうつけで有名で身なりも悪く尾張のガキ大将を集めては戦争ごっこばかりしていた。
毎日勉学をさぼり馬を走らせ川を泳ぎ戦争ごっこの毎日だった。
あんなうつけじゃどうしようもない、っとみんながいった。
ところがみんな信長のことはたいそう恐れていた。
信長がいうには、みんなと同じようにしては駄目だ。自分の考えを知られるようでは困る。
泣きたいときに笑い、笑いたいときに泣く。
私も泣きたいときに笑います。
信長の父信秀はいった、うつけで終わるか天下を取るか、だった。
信長のうつけな行動をおもしろくないと思う人たちがいた。柴田勝家たちである。
彼らは行儀のよい信行をたてようとした。
しかし信長は気にもとめなかった。尾張じゅうのガキ大将を集めて自分の力で城を奪ってやると思っているのである。
信長は将来にそなえて、戦争ごっこをしたり、川で泳いだり、馬を走らせたり、恐れられるようにしたりしていたのである。
信長の奇行はすべて将来に備えてのことだったのである。
本文には書いてなくて私の妄想が入っている所があるかも。。。
■2009年4月16日
「ノルウェイの森」 上下 村上春樹著 講談社
最近10年くらい恋愛してないのでちょっと恋愛時代を思い出してみたいくてノルウェイの森を読んでみました。
1987年の発売でその頃から何回も読んでいるのでその頃の恋愛してた時のことも思い出したりできます。
昔の音楽とか聴いても恋愛に限らずその頃に思っていたことを思い出したりしますね。
その場合、古い本や古い音楽を聴いた場合、私はせつなくなることが多いです。
あまり楽しい思い出もあまりないので。
実際、村上春樹さんの小説はエロ小説だとかって言う人が多いのだけど実際みんなエロいことをしてると思います。
私は奥手でセックスはあまりしたことがないのでそれだけが心残りです。
ワタナベ君が永沢さんとナンパしまくっていたのを聞いた直子は実際はかなりショックを受けたと思います。
自分の好きな人が他人と寝てるのがわかるのは私は結構つらい。
あとワタナベ君が緑とつきあいはじめたのも直子にはかなりつらかったと思う。そのせいで自殺したのだと思う。
最後にワタナベ君が緑と仲直りができたかどうかは微妙ですね。緑は怒るとなかなかおさまらないから。
仲直りできても苦労しだでしょうね。
そろそろ村上春樹さんの新刊が出るそうなので楽しみにしています。
■2009年4月14日
「小説十八史略」 (四) 陳舜臣著 講談社文庫
半分くらいまで読みました。諸葛孔明が死んだとこまで。
ここまででやめにしようと思います。
■2009年4月11日
「小説十八史略」 (三) 陳舜臣著 講談社文庫
三巻の後半でやっと三国志に入ったのだけどそれまで読むのがきびしかったです。
同じような皇后と皇太后の話が何世代にもわたって書かれていて。
劉邦からはじまった漢王朝が前漢、後漢と四百年続いて三国志の時代になりました。
この十八史略はどこまでが史実でどこまでが陳舜臣さんの作ったフィクションなのかがよくわかりません。
ウィキペディアでは全くの別物と書いてあるようです。
4巻の半分くらいまで三国志なのでそこまで読んだらやめにしようかなっと思っています。挫折宣言。
■2009年4月8日
「小説十八史略」 (二) 陳舜臣著 講談社文庫
二巻は項羽と劉邦の話で一巻の終わりで張良が出てきたのは前のとおり。
司馬遼太郎さんの「項羽と劉邦」全3巻を何度か読んでいるのでよくわかるのですが
司馬遼太郎さんの「項羽と劉邦」では項羽が死んだ所あたりで終わっています。
中国を統一した劉邦は用無しになった韓信とか殺してしまうのですがそういう所まで書いてあり興味深いです。
しかし巻末の方になると知らない名前が結構出てきてあまり考えずに読んでいたらわけわからなくなっていましました。
やはり一筋縄ではいきませんね。
なぜ三国志や歴史小説が読めたかというとゲームで武将を覚えたり何度も読んだりしたからで
小説十八史略も何度もよまねば駄目かな。
やはり秘訣は武将の名前を覚えることですね。名前がわからないとわけがわからない。
3巻の後半から4巻にかけて三国志になるのでそれまで我慢してよまねば。
三国志の所まで読んだらそこで挫折するかもしれない。。。
がんばって全巻読みたい。
■2009年4月6日
「小説十八史略」 (一) (全6巻) 陳舜臣著 講談社文庫
難しくてわからないかなっと思い買ったけど読まなかったのだけど読む本もなくなってしまったので
いざ読んでみると文章もあまり難しくなく結構知ってる名前や物語など出てきて面白いです。
一度も読まず小屋の奥の方にしまいこんでいたのだけどもっとはやく出してくればよかった。
一巻では殷周時代から春秋戦国時代をとおって始皇帝まで書いてあります。
張良が巡行する始皇帝をおそって、橋のたもとで老人に兵法書をもらうとこまで。
最初に酒池肉林とかでてきますね。あと楊貴妃みたいな傾国の美女が何人も出てくる。
一回読んだくらいじゃ身につかないので三国志くらい何度も読んでみたいと思った今日この頃です。
■2009年4月4日
「吉田松陰」 全2巻 山岡荘八著 講談社
吉田松陰は幕末の思想家?、軍学者?、よくわからないのだけど長州藩きっての俊才。
幕末は東アジア諸国が外国に犯され清国などもアヘン戦争などで外国に屈した。
次は日本の番だと有識者の間で不安がまきおこっていた。
そんなおりに吉田松陰は江戸に遊学に出て佐久間象山に師事する。
そこへあの黒船のペリーがきた。
吉田松陰はこの国難にまず敵の内に飛び込んで外国を見なきゃ駄目だと思いペリーの黒船に密航する。
松陰は外国につれていってくれと訴えたが聞き入れてもらえなかった。追い返される。
当時、日本は鎖国していて外国にいくなどとは国禁である。
松陰は獄につながれた。
国元の長州におくられた松陰は松下村塾でで勉学を教え始めた。
彼の門下生には木戸孝允、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋などそうそうたる人たちがいた。
しかし松下村塾でおしえはじめてわずか2年、吉田松陰は安政の大獄で首をきられる。
また私もかなり啓発されました。
7年くらい前に読書記録をつけはじめる前に吉田松陰をネットの知り合いにすすめられて読んでみました。
それまで日記に何々の本を読んだとだけ書いていたのだけどそれが嘘だと思われていたようでした。
吉田松陰は一日2冊本を読んでちゃんと感想も書いたことも書いてあったのです。
それから私も読書記録を書くようになりました。
メモ、四書五経、四書とは大学、中庸、論語、孟子、
五経とは易教、詩経、書教、礼記、春秋
■2009年4月2日
「キャプテン翼GOLDENー23」 漫画全12巻 高橋陽一作 集英社
翼くんももう成人してヨーロッパリーグで活躍してます。
キャプテン翼がジャンプでやってたのは私が小学生の頃でした。もう30年くらいも前でしょうか。
アニメ化されたのもその頃だったと思います。
私が中学生の時に翼くんも中学生だったと思いました。
私が小学生の時に少年団はソフトをやっていましたが、
私の1学年下からサッカーにかわったように覚えています。
キャプテン翼の影響のようです。
私は眼が悪かったので少年団には入ってませんでしたが。。
■2009年3月31日
「模倣犯」 上下 宮部みゆき著 小学館
一巻700ページくらいあり、はじめまいりますが読み始めるとぐいぐいひきつけられ読み応えがあります。
ある日、公園で女性の手が発見された。バラバラ殺人事件である。
次々とおこる連続女性誘拐殺人事件。
つかまった女性たちは手錠や鎖でつながれ下着しかつけてなかった。
犯人は女を四つんばいにして前から写真を撮ることをこのんだ。
女性はひきつった顔でほほえんでいる。笑顔をつくらないと殴られるのだ。
女性たちは話せば助けてもらえると一生懸命自分の身の上話をした。しかしそんなことをしても無駄だった。
命乞いをする女性たちをもてあそんで遊んでいたのである。
皆、殺されて埋められた。
失踪した女性たちの家族のもとに所持品や骨がおくられた。家族の苦しみはおおきかった。
こんなことがおこっていいのか。失踪した女性たちは皆殺されているのか。
夜中まで遊びまくっているような中高生がターゲットにされてるようだ。
遊びまくって乱れまくっている女性たちに警鐘(けいしょう)をならしているようだ。
○バイオハザード5をエンディングまでやる
○龍が如く3をエンディングまでやる
○野球WBCを見る
○親戚が来る
○姉貴の墓参りにいく
■2009年3月19日
「白夜行」 東野圭吾著 集英社文庫
この本のヒロインを影から助けている人に幼なじみの「リョウ」がいた。
2000年を過ぎる頃から「リョウ」という悪人が出てくる小説がみられるようになった。
また犯罪を犯して右手の甲に怪我をしたっと書いてある本なども出た。
当時、悪い噂をたてられていた私をモチーフにして書かれているような気がする。
これは妄想だろうか???
犯罪を犯しても右手の甲には傷はできないと思うのですが。。。
■2009年3月16日
「アフターダーク」 村上春樹著 講談社
最初読んだときによくわからない小説だなぁとおもったのだけど、
なんか結構理解できるようになったような気がします。
なにが理解できるかはよくわからないのだけど。。
「うまくやったと思っているかもしれないね」
「でもね、逃げられない。どこまで逃げても逃げられない」
っとラストの方に書いてあるのだけど、
村上春樹さんが私にむかっていっているような気がして脅迫されているような気がします。
被害妄想入ってます。
■2009年3月16日
「空から降る一億の星」 北川悦吏子著 角川書店
主人公はリョウという名前で、リョウを悪人として書いてあります。
自分が悪く書かれたような気がして気分が悪いです。
かなり被害妄想入ってます。
私は1999年にチャットにはまり「りょう」というネームを使いだしてホームページもやっているのですが
この本は2002年6月発行です。
ドラマで木村拓哉さんがリョウを演じていました。
その頃、街を歩いていると「ドラマと同じなんだろ!」っとかいわれてつらい思いをしました。幻聴かもしれないけど。
○人物編 世界の歴史がわかる本 3巻途中で挫折。。。
■2009年3月11日
「人物篇 世界の歴史がわかる本 ルネッサンス・大航海時代〜明・清帝国篇」
綿引 弘著 知的生きかた文庫 三笠書房
■2009年3月8日
「2009年版 今がわかる!世界経済ダイジェスト」
日本総合研究所 副理事長 高橋 進監修 高橋書店
■2009年3月7日
「2009年版 今がわかる!日本経済ダイジェスト」
日本総合研究所 副理事長 高橋 進監修 高橋書店
■2009年3月6日
「人物編 世界の歴史がわかる本 古代帝国の誕生〜中世ヨーロッパ篇」
綿引 弘著 知的生きかた文庫 三笠書房 (全3巻)
■2009年2月25日
「ここが一番おもしろい!世界史の舞台裏」 青春出版社 500円
■2009年2月23日
「5日でわかる世界歴史」 羽仁 進著 小学館文庫
■2009年2月17日
「世界の歴史がわかる本 帝国主義時代〜現代篇」
綿引 弘著 知的生きかた文庫 三笠書房
■2009年2月16日
「世界の歴史がわかる本 ルネッサンス・大航海時代〜明・清帝国篇」
綿引 弘著 知的生きかた文庫 三笠書房
■2009年2月15日
「世界の歴史がわかる本 古代四大文明〜中世ヨーロッパ篇」
綿引 弘著 知的生きかた文庫 三笠書房
■2009年2月12日
「詳説世界史」 山川出版社
高校時代の世界史の教科書です。1986年発行です。
教科書はイマイチおもしろくないですね。ただの単語と年代の羅列のような気がして。
著者の感情とか考え方とか書いてないとつまらないです。
■2009年2月10日
「この一冊で世界の歴史がわかる!」 水村光男著 三笠書房
460ページで図があまりなく字数が多かったので時間がかかりました。
でもこのくらいの文章は必要かもしれない。。
■2009年2月4日
「時代の流れが図解でわかる!早わかり日本史」 河合 敦著 日本実業出版社
■2009年2月2日
「ジャングルの王者ターちゃん」 漫画全20巻 徳弘正也作 集英社
■2009年2月2日
「手にとるように世界史がわかる本」 小松田 直著 かんき出版
■2009年1月30日
「時代の流れが図解でわかる!早わかり世界史」 宮崎正勝著 日本実業出版社
この本、最近改訂されたようですね。お金がなくて買えない。。。
■2009年1月26日
「項羽と劉邦」 下巻 司馬遼太郎著 新潮文庫
関中に退き、また新たな兵士をもらった劉邦はまた項羽に戦いを挑んだ。
劉邦は項羽と戦えば必ず負けた。
韓信は項羽と劉邦が戦っているすきに北方で勢力を拡大した。
劉邦は韓信からたびたび兵士をもらう。
ついに劉邦は北方の韓信のもとへ身一つで逃げ韓信の兵士の大部分をもらった。
また項羽に戦いを挑むがとてもかなわないので穀倉に籠城した。
そして別働隊が項羽の補給路をゲリラ戦で襲いまくった。
韓信は北方で勢力をほこり斉王となり心理的に項羽を圧迫した。
劉邦の城は落ちない。食料もたっぷりある。
項羽の軍は食料がなくなり飢餓をおぼえた。
ついに双方和睦することになった。
しかし項羽が引き上げると劉邦は和睦を破棄し項羽軍を追撃した。
それでも劉邦は負けて小城に籠城した。
そこへ韓信軍30万がやってきて項羽軍を包囲した。
項羽の耳に楚の歌が聞こえてきた。四面ことごとく楚歌だった。
項羽の地元は楚であり、こうも我が兵が劉邦に味方したと最後をさとった。
項羽は囲みを破った。河がある。この河を渡れば楚である。船もある。
しかし項羽は自分だけ身一つで楚の国には帰れぬと河を渡らず討たれた。
劉邦が和睦を破って項羽を追撃したのはちょっと気分が悪い。
■2009年1月25日
「項羽と劉邦」 中巻 司馬遼太郎著 新潮文庫
懐王はいった。「最初に関中に入った者を関中王にするであろう」っと。
関中に入るには、函谷関を破らねばならなかった。
項羽は秦の正規軍と戦い破りながら函谷関をめざした。
劉邦は張良の進言により函谷関を通らず南側の武関から項羽より先に関中に入った。
劉邦は関中から目と鼻の先の秦の都、咸陽をおとした。
またも張良の進言により略奪などはしなかった。
劉邦は関中、咸陽の長老などからも関中王になってほしいといわれ、
うかれあがって密かに項羽がやってくる函谷関を閉ざしてしまった。
それに怒った項羽は函谷関を破り、明朝、劉邦軍に総攻撃をかけようとした。
項羽軍は10万くらいで劉邦軍は3万くらいだろうか。
劉邦は、鴻門(こうもん)の会で項羽にわびて命はなんとか助かった。
しかし劉邦は巴蜀と漢中(関中ではない)の地を与えられそこの王に封じられた。
巴蜀は道が険阻で罪人が送られる所で二度と劉邦はそこから出てこれないと思われた。
項羽は秦の首都咸陽で略奪をほしいままにした。それが戦国時代の唯一の楽しみであったのだ。
項羽は秦の兵士20万人を穴埋めにし、その家族からも恨まれていた。
また項羽は関中に未練もなく楚の近くの彭城に帰っていった。
関中ではまた劉邦で出てくるのを望んでいた。そして劉邦は出てきた。
この少し前から韓信が総指揮をとる将軍として劉邦についている。
韓信は項羽についていたのだが項羽の護身兵としかつかわれなかったので劉邦のもとへきた。
劉邦は関中を出て項羽の留守だった彭城を56万の兵でおとした。
ところが項羽軍は3万で彭城を奪還した。56万の兵が3万の項羽軍に敗れたのである。項羽の強さはハンパじゃない。
劉邦は滎陽(けいよう)城に籠城した。
この頃、項羽軍だったゲイフが劉邦についた。
1年くらい籠城して劉邦はまた関中へ逃げた。関中では簫何(しょうか)がうまく治めている。
前に書いたのとほとんど同じ。。。
■2009年1月23日
「項羽と劉邦」 上巻(全3巻) 司馬遼太郎著 新潮文庫
紀元前3世紀、中国では戦国時代が続いていたが秦の始皇帝が中国を統一する。
始めて皇帝となったので始皇帝である。
始皇帝は過酷な税と労役を民にかした。
万里の長城、住居阿房宮、始皇帝の陵墓などの過酷な労役だった。
男子を労役にとられると畑は荒れ、税は払えず悪循環だった。
また人数がそろってなかったり期限におくれたりすると死罪になった。
亭長(警察署長?)をしていた劉邦も労働者を引率して現場に向かったが、労働者が逃げてしまい死罪になるので野に隠れてしまった。
始皇帝は自分の権威を広げようと各地を巡幸した。
始皇帝を見た劉邦はこう思った。 大丈夫、当ニ此ノ如クナルベキナリ。男はこうなきゃだめだ。
始皇帝を見た項羽はこう思った。 彼取ッテ代ルベキナリ
始皇帝を殺せば自分が皇帝になれると思う者が多かったらしい。
そしてその巡幸のおり、始皇帝は突然死んだ。
そうして始皇帝は死ぬと各地で反乱がおきた。
楚の名族出身の項梁、項羽も兵を挙げ、劉邦もこの機に応じて兵を挙げた。項梁は項羽の叔父である。
劉邦は項梁の配下についた。
しかし項梁はまもなく秦の官軍に殺されてしまう。
楚王の血をひいている懐王はいった。「最初に関中に入ったものを関中王にするであろう」っと。
項羽は主力を率い、秦の主力にあたった。項羽は勝ち秦の降兵20万人を穴埋めにした。くちべらしのためでもある。
同族同士の虐殺は世界的にもめずらしくこれほどのものは他になかったらしい。
一方、囮専門の劉邦のことはあまり書いてないのだけれど関中にむかっている。
■2009年1月19日
「押忍!!空手部」 漫画43巻 高橋幸二作 集英社
■2009年1月16日
「この一冊で日本史と世界史が面白いほどわかる!」 青春出版社 500円
定期的に読まないと忘れていきますね。
もっと読まねば。
■2009年1月15日
「その歴史常識にはウラがある!」 青春出版社 500円
興味深い項目の所だけ読みました。
あれも嘘、これも嘘、みんな嘘っという感じでした。
■2009年1月14日
「もう一度学びたい日本の歴史」 西東社
明治維新の頃の金と銀の交換率が、
金 銀
外国では、 1 対 15
日本では、 1 対 5
だったので大量の金が海外に流出したそうです。
中国あたりで銀を買って、日本で金を買って、中国で銀を買って、日本で金を買ってと続けると莫大にもうかると思う。
やられたかな。。。
■2009年1月13日
「もう一度学びたい世界の歴史」 西東社
1日で読めました。本文以外の細かい所は読まなかったので。。
何度も読んでいるのだけど読めば読むほど忘れていますね。。。
■2009年1月12日
「赤龍王」 漫画9巻 本宮ひろ志作 集英社 を読みました。
2千年くらい前の項羽と劉邦の話です。
なかなかまとまっていて良い漫画です。
三国志の「天地を喰らう」では少し遊びすぎたようですが。
天地を喰らうが少年ジャンプでやっていたときはまだ三国志がマイナーだったので
これからもういっかい本宮ひろ志さんに三国志を書いてもらいたいです。
■2009年1月12日
「三国志」 漫画全60巻 横山光輝作 潮出版社 を読み終えました。
やっと読み終えました。
この漫画は吉川英治さんの三国志の小説を漫画にしたものなんだけど
小説から入ったのでイメージがかなり違うものがあったり結構おもしろかったです。
孔明の四輪車はあんなに小さいのかっとか木牛ってこんなのっとか。
やっぱり小説で読んだ方が味わい深いものがあるかな。
■2009年1月5日
「三国志」 漫画全60巻 横山光輝作 潮出版社 を読み始めました。
今、14巻まで読んだ所です。はじめて読んでいます。
なかなか一気読みできません。挫折するかも。。。