下から書いてます。。
■2006年11月16日
「国境の南、太陽の西」 村上春樹著 講談社文庫
この本は主人公が子供時代から37歳くらい?までの人生が語られていて興味深いです。
子供時代から赤裸々な恋愛関係とか書いてありそういうのはおもしろいです。
有名人の自伝とかには恋愛関係などは書いてないしね。
僕と鼠の初期三部作など僕の人生を読みとるのもおもしろかったですね。
村上春樹さんの本では主人公が女性を傷つけてしまっているっと書いてあることが多いのですが
私も女性を傷つけたり、またそれ以上に自分も傷つけられたりっということが多かったような気がします。
私は生まれつき眼が悪くて普通とはちょっとちがった人生を歩んできたような気がするので、
村上春樹さんの小説は、ホントはこういうものかぁっと思うことが多いです。
■2006年11月11日
「ダンス・ダンス・ダンス」 上下2巻 村上春樹著 講談社文庫
よくいるかホテルの夢を見るようになる。
彼女がまた僕を求めているからだっと思うようになる。
彼女とは「羊をめぐる冒険」に出てきた耳の綺麗な女の人で途中でいなくなってしまった。名前をキキという。
よって「ダンス・ダンス・ダンス」の僕は「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」の僕と同一人物である。
キキとのつながりはいるかホテルしかない。
いるかホテルには羊男がいて僕のために僕と世界をつなげている。
羊男はいった。「踊るんだよ」っと。
何故、キキは僕をまた求めたのか?
それは自分のことを知ってもらいたかったからか、自分が死んでしまったことを。
「自分のことを忘れないでいて、いつまでも覚えていて」っとノルウェイの森のようにうったえたかったからだろうか。
しばらくいるかホテルに泊まっていると受付のユミヨシさんと知り合いになる。
でもいるかホテルばかりにいてもいけない、踊らなければ。
たくさんの人が死んだ。
なかなかハッピーエンドにならない村上春樹さんの本ですが、
最後にユミヨシさんと結ばれてよかったですね。
いちおうハッピーエンドでしょうか。
この本はバブル景気の絶頂期に書かれたもので、それを背景に読んでみてもおもしろいかもしれない。
■2006年10月31日
「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」 上下2巻 村上春樹著 新潮文庫
この本は「世界の終わり」という物語と「ハードボイルド・ワンダーランド」という物語が
同時進行していく。
「世界の終わり」では、「僕」は影と切り離され心を失い、
壁に囲まれた世界で一角獣の頭骨から夢を読んで生活している。夢読みといわれる。
一角獣は人から心を吸い取っていき冬が来ると死んでいく。
僕はその獣の頭骨の夢を読む。それはその街に住む人たちから吸い取った心である。
僕と切り離された影はだんだん弱っていき死んでしまうことになる。
影は僕の心と記憶の大部分を持っている。
「ハードボイルド・ワンダーランド」では「私」は「計算士」という仕事をしている。
頭、あるいは脳をつかって洗い出しやシャフリングをおこなう。
簡単に説明すると、脳をつかってデータ変換をおこなう仕事である。
計算士は記号士と対立してデータの奪い合いをしている。
計算士の「私」も記号士との対立にまきこまれ危ない目にあう。
オープニングで博士にたのまれシャフリングをおこなう。
そのとき博士は私の脳に細工をする。
もういちどシャフリングをしなければならなかったのだが記号士が博士の研究所をおそい、
その私の脳にほどこした細工を解除できなくなる。
私の中で世界は終わろうとしていた。
頭に手術を受けて計算士になった26人のうち25人は何故だか死んでしまっている。
私も死んでしまうのか。
「ハードボイルド・ワンダーランド」の私の意識の核、深層心理のようなものが「世界の終わり」である。
これは博士が、意識の核、「世界の終わり」の世界を「私」に組み込んだのである。
何を隠そうシャフリングシステムを作ったのが博士であった。
「世界の終わり」を作ったのは博士だったのである。
あるいは博士が作った世界をもとに自分で作った世界かもしれない。
壁に囲まれた世界、「世界の終わり」から脱出しようとする影と僕。
脱出口は川の出口しかないと判断した僕の影は2人で川に飛び込もうと提案する。
しかし僕は川の出口まできて街に残ることを決める。この街は自分の作った世界だからだ。
影は川の終わりに飛び込み、僕は残った。
影と一緒に僕も川に飛び込んでいればハードボイルドワンダーランドの私は死ななくてすんだのだろうか?
影は川に飛び込まなくても弱って死んでしまう運命で影の行動は理解できるような気がする。
だから影が残っていれば?っという仮定はなりたたないような気がする。
■2006年10月24日
「ノルウェイの森」 上下2巻 村上春樹著 講談社
昔読んだときにキズキは「鼠」なのかなっと思ったのですが妄想だったかな。。
直子と「僕」の親友キズキはつきあっていたがキズキは自殺してしまう。
それは直子と僕が浮気をしたからだっとひらめくがそんなことはなかったし書いてない。
時が流れ、直子と僕は偶然でくわし関係をもった。
そのせいか直子は精神科の施設に入ってしまう。直子は僕のせいではないという。
僕は大学で緑と知り合いつきあい始める。
そのせいか直子は自殺してしまう。
直子は僕と緑のことは知らないが何か感じとったものがあったのかもしれない。
直子と同じ2人部屋に住んでいるレイコさんは僕と緑の関係を知っているが直子に話したのかもしれない。
でもそんなことは書いてないし話さなかったとおもう。
オープニングの終わりに「何故なら直子は僕のことを愛してさえいなかったからだ。」っという文章がありとても悲しい気持ちになる。。。
好きな人が他の人と関係を持つことはつらいですね。。
これは私の意見。本とは関係ないけど。。。
あと好きな人が死んだとして、すぐ他の人と関係がもてるかっというのも永遠?のテーマですね。。
■2006年10月22日
「羊をめぐる冒険」 上下2巻 村上春樹著 講談社文庫
「僕」は翻訳事務所で働いている。
最近では広告などにも手をのばしていた。
そんな僕のもとへ友人「鼠」から手紙がくる。
鼠は僕に地元の港町で別れた彼女とジェイズバーのジェイに「さよなら」をいってほしいとたのんだ。
鼠はこの時点で自殺するつもりだったのだろう。
もうひとつ鼠は羊の写真を人の眼につくところで公開してほしいと頼む。
その写真には不思議な羊がうつっていた。
大物右翼からクレームがきてその羊を探さなければならないことになる。
そうして羊をめぐる冒険がはじまった。
僕は離婚したばかりで耳の綺麗な女の人とつきあっていた。
その彼女と羊をさがすことになる。
途中で彼女はいなくなってしまう。
その耳の綺麗な彼女を捜す物語が「ダンス・ダンス・ダンス」である。
はじめてこの本を読んだとき羊男が羊博士だろうと思ったんだけどちがいました。
村上春樹さんの本では現実的ではないものがよく出てきます。
また春樹さんの本ではいきなり過去にいったり現在にもどったり
前はそのタイムテーブルがわかりませんでした。理解できなかったのです。
今回読んでみてタイムテーブルが理解できるようになっていました。
やっと人並みな読解力がついたかなっという感じです。
■2006年10月17日
「1973年のピンボール」 村上春樹著 講談社文庫
1973年9月、この小説ははじまる。
同じ大学でつきあっていた直子、彼女は死んでしまった。
その彼女の実家のある街を感慨をもって訪れてみたあたりから物語は始まる。
「風の歌を聴け」で、大学で首をつって自殺してしまった彼女、が直子であろう。
「ノルウェイの森」のヒロイン直子のことでもあろうと思われる。
主人公、「僕」は、渋谷の近くで友人と翻訳の仕事を始める。
双子の女の子とも出会い3人で同棲する。
一方、「僕」の地元の港町で生活している「鼠」。
大学をドロップアウトしてしまった鼠だが家は金持ちだ。
あいかわらずジェイズバーでバーテンのジェイを相手にビールを飲む。
つきあってる女もいた。
物事には必ず入り口と出口がなくてはならない。
でもそんなふうにできてないものもある。例えば、鼠取り。っと書いてある。
これは「鼠」の将来を暗示しているようだ。
「羊をめぐる冒険」で鼠は死んでしまうのだ。
鼠は街を出るとジェイにつげる。女とも別れる。
双子の女の子は僕の元を去っていく。
出口をみつけるために文章、この小説を書いてきたようだが出口はみつかったのだろうか。。。
■2006年10月16日
「風の歌を聴け」 村上春樹著 講談社文庫
村上春樹さんの本は大学にいっていた頃からよく読んでいたのですが、
最近はあまり読んでいませんでした。
この度、村上春樹さんがノーベル文学賞候補になったことでまた読んでみようと思いました。
「風の歌を聴け」は処女作ですね。
1970年夏、大学の夏休みで地元、海辺の街に帰省した僕は親友の鼠とジェイズバーに入り浸りビールを飲み語る。女性とのひと夏の思い出?もできた。
「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」の初期青春三部作はよく読んでみるとおもしろいです。