コーエーのプレステ2の三国志のシミュレーションゲームの日記。三国志\(9)
●2003年12月25日更新
●2003年12月24日更新
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●2003年12月22日更新
●2003年12月21日更新
●2003年12月20日
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2003年12月21日(ゲームをやったのは20日の深夜)
190年。私は劉備玄徳になった。(ストーリー、曹操の挙兵と反董卓連合)
劉備と関羽と張飛しか武将がいない。
場所は平原。
群雄割拠していて中央には董卓がいて反董卓連合が結成された。期間は1年。
1年間はまわりの国から攻め込まれることはないだろう。
友好関係に一応、曹操や孫堅があがっているが1年きりかもしれない。
武将が劉備と関羽と張飛だけではどうしようもない。
人材登用をこころがけよう。
登用しようとすると在野武将がごろごろいるではないか。ゲーム序盤だけだろう。
すかさず在野武将を登用しようとするがなかなか雇えずやっと二人雇えた。
やっと武将が5人になる。
在野武将はもうほとんどいなくなってしまった。
探索などもするがぜんぜん人がいない。
史実モードである。史実で仲間っぽい人しか仲間にはならないというのも少し苦しい。
しかしそうでなければゲームもつまらないかもしれない。
劉備が史実通った道は徐州(陶謙などがいる)からケイ州(劉表などがいる)へ通った道である。
そのあたりの武将が主に仲間になる。
良い武将はケイ州にいってから集まった。
このまま平原にいてもまわりは群雄割拠。
強大な袁紹や曹操にあっというまに飲み込まれてしまうだろう。
劉備は考えた。国替えをしようと。
なんとか劉表の方へいけないものかと地図をながめ考える。
すると南の方へ空き城、空白地がつながっている。うまくいきそうだ。
まず平原の武将全員5人と全兵士をつれて平原をすてて南の空き城、空白地の小ハイを攻める。
小ハイは東に仁君のほまれのたかい陶謙はいるしなかなかよさそうなトコロだが、
まだ西に曹操がいるし心配だ。
また小ハイをすてて南の空き城、空白地、寿春に入る。
ここはよさそうなトコロだ。まわり中、空白地で南東の方も空白地だらけで
ここで人材登用がうまくいき武将がたくさん集められれば一大勢力をきずくことができるだろう。
すると南東のマツ陵の空白地で厳白虎が旗揚げしてしまった。
出鼻をくじかれた。人材登用もなかなかうまくいかず人が集まらない。
しかし少ない武将をまわりの空白地の城にいれることにした。
北の小ハイに張飛をいれ、西の汝南に雇った周倉をいれ、南のろ江に一人武将をいれる。
これらの城は攻められるとすぐ攻め落とされそうだが中央の寿春から劉備、関羽で援軍にいこうとする作戦である。
反董卓連合軍も1年がすぎて解散された。
同盟解除である。
すかさず東の陶謙が張飛のいる小ハイに攻め込んできた。
陶謙が仁君なんて誰がいったのだろう。。
張飛は小ハイ一人で兵士も少ない。8千人あまり。陶謙は大軍勢である。2万人あまり。
寿春から劉備と関羽が張飛の援軍にいく、18000人あまり。
陶謙軍を攻めようとしたら操作をまちがえて小ハイの城に入ってしまった。
しかしそれがよかったかもしれない。籠城戦である。
陶謙軍が十分すくなくなったトコロで関羽と張飛で城を出て攻撃に移る。
すると陶謙軍の管輅?か管亥?がおかしな計をつかった。
関羽と張飛は城に後戻りされてしまった。
陶謙軍の管輅?か管亥?は兵士も少なくなり退却していった。
おかしな技だったから管輅だと思う。。よくわからない。。
徐州の陶謙は張飛の小ハイに攻め込んだので少なくなった本城を北の孔融に攻め込まれた。
孔融は敗れしりぞいていった。
その孔融はそのせいですぐまた北の公孫サンに滅ぼされてしまった。
戦国時代は無情である。
北は袁紹が勢力を拡大し公孫サンも勢力を拡大している。
曹操はまだ一国ながら5万の大群をようし良い武将が綺羅星のごとくいる。
すぐ北西に曹操がいて曹操が攻め込んできたらひとたまりもない。
袁紹は私のいた平原も獲得している。
南の方では大空白地を孫堅がたくさん獲得しているようだ。
勢力を拡大するごとに人をようす。人である。
しかし人材登用でがんばるもなかなか人がいない。。
忠誠度が80くらいの人をかたっぱしからひきぬきにかかる。。
中国大陸の4隅に強烈な地方勢力がいて安全地帯はなくなったんだなぁ。。
それがホントだろうけど。。
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2003年12月21日
空白地作戦で劉備は4城を手に入れた。
3城は武将が一人だけで真ん中の中央に劉備と関羽入れて数人の武将がいる。
ぜんぜん登用しても仲間にならないがなんとか仲間をふやしていく。
3城一人だった武将が二人づつくらいになる。
これでなんとかなるだろう。
ホントは1城5人くらいほしい。
曹操はぜんぜん攻めてこないなっと思ったらコロウ関を攻め立てずっと洛陽に攻め込もうとしていた。
洛陽にいるのはあの董卓である。
もう少しで曹操が洛陽の董卓を破るとおもいきやそこに大軍勢であらわれた袁紹が洛陽を横取りしてしまった。
董卓は長安へ。
東北で東隣の陶謙と北の公孫サンでやりあっている。
曹操が洛陽で戦っているスキに陶謙の留守をついて徐州のカヒを手に入れた。
192年3月のこと。5城になった。
南の大空白地は孫堅があっというまに勢力をひろげ厳白虎まで滅ぼしてしまった。
北は袁紹が制圧している。
西に曹操がいてその南に劉表がいる。
洛陽を袁紹が占領して袁紹は献帝をたてた。
袁紹討伐を宣言しますか?っと聞いてきたのでしないっと答えたら、
反袁紹連合軍が結成されたんだけど私はみんなに敵対勢力にされてしまったのだろうか。。
四面楚歌だ。。
人材登用あるのみ。。
帝から官職をもらってちょっとうれしい。
192年4月のこと。
192年6月。長安の董卓が袁術に滅ぼされる。呂布はどうなったかな。。
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2003年12月22日(ゲームをやったのは21日の夕方から)
192年8月。董卓が西の空白地で蜂起した。
袁紹が長安を攻め落とす。
長安にいたのは確か袁術である。兄弟げんかがはじまった。
すかさず袁術がおかえしとばかりに洛陽を攻め落とす。袁術、献帝擁立(ようりつ)
洛陽はどうも荒れ果てているらしい。
劉備はまだ空白地だった東の呉をカヒからいって陥落させる。
呉のすぐ西には孫堅軍のいるマツ陵がありその西に河をはさんで寿春城がある。
呉城と寿春城から孫堅のマツ陵をはさみうちにして奪おうとする作戦だが人が少なく無理そう。
劉備は徐州のカヒにいる。
曹操は洛陽はとれないものの西へ勢力を拡大していた。
洛陽をあきらめたっぽい曹操は許昌から苑へとあっという間に3城を手に入れてしまった。
張飛に小ハイをまかせていたら小ハイは崩壊寸前のような状態になっていた。。
すぐ他の人と後退し張飛は自分の手元におく。
また袁紹打倒の機運が高まり反袁紹連合が結成された。
私(劉備)は参加しなかった。
同盟国になってしまうと攻め込みたいときに攻め込めないからっとか。
同盟国に攻め込むと名声とかがおちそうで。。そんな設定になってないかな。。
袁紹はすぐ隣に国があるわけでもなかったから。
しかしやはり敵対勢力とみなされてしまったのか、
いままでこちらには動かなかった曹操の大軍団が我が汝南に攻めてきた。
5万くらいの大軍だ。
ほとんどがチンリュウから出てきたのでつけいるすきはそこにありそうだ。
劉備全軍をあげてチンリュウに総攻撃をかける。
ほとんどの城から総動員をかける。
それでもチンリュウには2万の兵力(曹操軍)がいる。
我が汝南に攻め込んでいる曹操軍も5万あまり。
まさに関ヶ原のような一大決戦が始まった。
チンリュウを軽くおとせるだろうとタカを踏んでいた。
ところがチンリュウは莫大な発展をとげ兵力がどんどん無限のようにふえていく。
城、街の価値の数値がMAX(最大)なのだ。
こんな城をほっておいたら曹操が一度東へ勢力をむけようと思えば
無限の兵力がでてくるチンリュウからひとたまりもなく劉備は敗れ去ってしまうだろう。
どうしてもチンリュウはここで味方の城にとりこんでおかなければならない。
今しかないのだ。
私(劉備)もターンがまわってくるたびに徴兵をくり返し兵を出した。
コロウ関や港町官都にいた何万の曹操軍も援軍にやってきた。
どうも勝ち目はなくなってきた。
こちらももう援軍させる武将も残ってなかった。。
セーブはしてある。電源オフしようと思った。
はじめから汝南の曹操軍だけやっつければよかったのだ。
そんなおり劉備vs曹操の一騎打ちイベントがはじまった。( vs = Versus バーサス)
やばい。終わったっと思った。
劉備がどうあっても曹操に勝てるわけがないのだ。
劉備は戦えば必ず負けるっといわれてくらいのものなのだ。。
しかし奇跡がおきた。劉備が曹操に勝ったのである。
これもまた近頃の珍事であった。。
劉備はチンリュウはとれそうもないがこれだけで満足した。
曹操を処断した。
曹操の後は曹昂が次いだ。
戦いはつづいている。
劉備はこれで満足してチンリュウはあきらめたものの汝南の救出にむかった。
曹操軍はやぶれさった。
曹操軍の強さは曹操あってのもので後は曹操が死に後は衰退していくだろう。
曹昂もつかまえたが逃がしてやった劉備であった。
曹昂まで処断して後に強い武将が君主にでもなったらたまらない。
ここでまだ終わらなかった。
このスキをついて北方の大勢力袁紹はチンリュウをねらって兵を動かしてきた。
劉備はすぐさま国元(小ハイに入った)に帰ると徴兵をくり返し次ぎの一大決戦にかまえた。
袁紹と曹昂のどちらが勝ってもチンリュウの勢力は衰退するだろう。
そこをツク作戦である。
一撃必殺。こんな良い機会はもう二度とめぐってこないだろう。
袁紹がかろうじて勝った。しかも兵力は3000しかいない。
この時をまっていた。
劉備は全軍に指令を出してチンリュウにむかわせた。
しかしMAXチンリュウである。
劉備軍がチンリュウについたときもうすでに兵力が2万に回復していた。
負傷兵が回復しただけだったかもしれないが。。
北方から袁紹の援軍がどんどんやってくる。
曹操と関ヶ原をやり今度また袁紹と関ヶ原をやるハメになってしまった。
また徴兵をくり返し全城から援軍をくり出す。
袁紹の大軍が残っていたが城の防御力がさがりやっとチンリュウをおとすことができた。
MAX(マックス、最大)チンリュウを獲得して喜んだのもつかの間だった。
MINIMUM(ミニマム、最小)チンリュウになっていたのである。
城、街は戦闘で荒れ果て壊滅してしまったのだった。
街の価値はほとんど0だった。0の数値が並んでいる始末。。
しかしあのMAXチンリュウが敵の手になくなっただけよかったかもしれない。
あんな城があったらオチオチ寝てもいられない。
これでしばらく枕を高くして眠れる。
しかしすぐ北方ではまだ袁紹軍10万近い軍勢が動かずにじっとしていた。
公孫サンとやりあっているのでまだ大丈夫だか、
一度公孫サンが敗れれば北方の袁紹軍全軍上げて劉備にいどみかかってくるだろう。
平和な時代はいつになったら来るのか。。
備えを万全にしておかなければならない。。
あいにく袁紹の武将を何人も捕虜にして味方に加えることができた。
あの趙雲も仲間にできた。文醜なども仲間になった。
1城4、5人くらいづつ人を配置できるようになった。
6城である。
曹操、袁紹とやり合っている内に呉は孫堅軍にとられてしまった。
おしいことをした。
呉と寿春からマツ陵を攻略する作戦はダメになってしまった。
もう呉の国に足を踏み入れることもできないだろう。
MAXチンリュウを敵国の内からなくしただけでよしとしよう。
城、街の価値を下げず、うまく城を手に入れる方法はあるのだろうか。
よくわからない。
兵士を0にすれば良いのだろうけど、
城攻めはよくわかってない。。
兵器とかつかえばいいのかな。策略とか。。
他の国々ではよくヤグラみたいなのを使っているけど。。
兵法とか陣形とかまったくわかてない。。
でもわかればおもしろそう。
昔のゲームは陣形が形でしめされて意味がわからなかったけど、
陣形が武将配置になってるのでなんかわかってきた。
説明もついてるし。。
袁紹とやりあっている内に曹昂軍が洛陽をおとしているらしい。
たびたび他の国々から贈り物と称しお金を贈ってくるようになった。
また官職をもらって少しうれしい。
シミュレーションゲームの基本。セーブは絶対マメにしておくこと。。
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2003年12月23日(ゲームをやったのは22日)
主に汝南の兵をさいて曹昂軍の許昌にのりこむことにした。元曹操軍である。
汝南は他から攻め込まれる心配がないので汝南全兵力でのりこむことにした。
許昌がおとせればまた汝南は安全地帯である。
他からも兵を出し許昌を攻め攻略する。
北上すれば洛陽である。コロウ関を抜く手間がはぶける。
まわりは劉表とは友好関係だし張魯軍や馬騰軍も3国でやりあって疲弊しきっている。
曹昂もその中でやりあって疲弊しきっていたのだ。
その前に曹昂の苑城が攻略しやすかったので攻略しておく。曹昂は洛陽だけになった。
一気に洛陽をたたく。
難所コロウ関にもたくさん兵がいたがチンリュウから兵をコロウ関にむけて足止めさせる。
洛陽を攻略した。曹昂は滅んだ。
港町とかにも曹昂軍がかなり残っていたが消滅してしまった。
コウウ関の曹操軍も消滅し労せずしてコロウ関に兵を入れてとることができた。
もう少し袁紹と曹昂軍をやりあわせれば良かったかなっと少し思う。
しばらく全部内政委任して洛陽に本拠を移し洛陽の焼け野原だった洛陽の復旧につとめる。
劉備が献帝を擁立した。
しばらく内政に力を入れようと思ったヤサキ、チンリュウの北のボクヨウから袁紹がせめてきた。
北方を制圧している袁紹が北からどんどん援軍を送ってくる。
なんとか袁紹をつかまえ処断するも再び袁紹の後をついだ袁譚が大軍でおそってきた。
なんとかまた袁譚をつかまえて処断した。袁熙が後をついだ。
なんとボクヨウがMAXボクヨウになっていたのだ。MAXチンリュウの再来である。
もう劉備軍も徴兵できる兵士もなく呆然としてしまった。
おまけに反劉備連合まで結成される始末だった。
ここまでやれば十分だなっと思った。反劉備連合が結成されるくらいならたいしたものだと。。
とんかくMAXボクヨウをどうにかしなければならない
勝てなくても攻め込んで城と街を破壊することにした。
結構城、街破壊に成功して退却する。
しかしそのとき集まった元袁紹軍4万がチンリュウにせめこんできた。
なんとかふせいだが劉備軍も疲弊しきって兵もなく徴兵できる兵もいなかった。
もうなげやりになった。
攻撃型委任にきりかえ後は部下にまかせることにした。
攻撃型委任にきりかえると勝てもしないのに攻め込み滅んでしまうというケースがおおい。
実にあぶないが部下にまかせた。
大将は夏侯惇になっているので結構うまくやってくれるだろう。
攻撃目標はボクヨウである。
夏侯惇はなんとかするものである。
いない兵士をすみずみからチンリュウに兵を集め4万の兵力でボクヨウを攻め込んだ。
みているとあのヤグラでせめこんでいるじゃないですか。
劉備軍にもできるのか。
あのヤグラは新兵器かなにかで購入するか作らなければならないのかと思っていたが
調べてみるとあれは陣形だった。
さっそくコウロ関にいれておいた兵でヤグラ陣形を組みボクヨウ攻めに援軍にむかわす。
洛陽からも援軍をむける。
ボクヨウはあっさり攻略することができた。袁熙をつかまえ処断した。
あのヤグラ陣形のおかげだった。
いままで苦労してたのはなんだったのか。。
いままで初期設定の陣形のままずっとやっていたのだ。
たぶん最初から陣形を考えて城攻めにヤグラ陣形をやっていればあっさり城攻略ができていただろう。
曹操との関ヶ原も袁紹との関ヶ原もあっさり勝てていたはずだった。
今では兵もなく徴兵できる兵力もなく劉備軍は疲弊しきっていた。
一カ所城を攻略されてほころびをみせれば全城やられてしまうようなものだった。
バブルがはじけそうなのだ。
あとのまつり。
はじめからやりなおそうかっと頭の中をよぎる。。
元袁紹軍は袁??っという名前も知らないような人が跡継ぎになった。
ほうっておけば衰退していってくれればいいなっと思う。
元袁紹軍の捕虜も20人くらいいる状態だ。
孫堅軍は南から圧迫してきて港町などを攻略されたりしている。
北は元袁紹軍をふせぎ南は孫堅軍をふせぐなんてそんな器用なことはできない。
袁紹敗れたとはいえ元袁紹軍は強大であるしそれ以上に孫堅軍も強大である。
まだ西の方は群雄割拠のような状態なのでみんながおたがいにやりあっているからいいようなものだが。。
陣形をつかってはじめからやりなおそうかっとやはり思った。
でもそんな〜っと。。
あとは委任させてどうなろうが部下にまかせてみようか。。。
197年4月現在。劉備10城である。。
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2003年12月24日(ゲームをやったのは23日)
洛陽のすぐ西の港をたびたび元袁紹軍に侵略されたびたび戦闘をくりかえす。
めんどくさくなったので洛陽を関羽にまかせ本城をチンリュウに移す。
洛陽、ボクヨウ、少ハイを攻撃委任させて袁紹攻略にあたらせる。
しかしそれもなかなかうまくいかないようにみえたので
本城を今度は汝南に移す。
洛陽、ボクヨウ、チンリュウ、少ハイを元袁紹攻略に委任させる。
なかなかうまく動きだした。港町などを次々と攻略していってる。
しかし元袁紹軍も強大で港町などに兵力が分散されたトコロをついてボクヨウに攻め込んでくる。
ボクヨウをとられたりとりかえしたりする。
南は寿春、ろ江、カヒを委任して孫堅攻略にあたらせる。
孫堅軍は強力でたびたび侵略してくる。どうもあぶない。
カヒは北に公孫サン軍がいて何故か公孫サンの方まで侵略しにいっている。
どうもスキをつかれカヒの城は侵略されてしまいそうだ。
っというか南は全部孫堅に侵略されそう。。
中央の許昌、苑を委任して張魯攻略にあたらせる。
許昌に我が汝南から大量の兵を送っておいたので簡単に張魯の新野城をおとした。
張魯を処断して次ぎにたった張衛?とかいう人も処断した。
君主を処断すれば部下の忠誠度が下がり武将が登用しやすくなるだろうというものだった。
しかし安易すぎた。
張衛?を処断したらなんと董卓が君主になってしまったのである。
だれもいままで董卓の処断をしなかったのだ。
私は君主になりそうな人は処断したり追放したりしていた。
追放するのは身内におけば謀反されるかもしれないから。
董卓が君主になりまた西方に一大強国が出現したといえる。
やはりカリスマ・力みたいなものがある人が君主になるとすさまじい強国になるのだ。
新野はまさに西方勢力の中央だった。
その辺りをめぐって3国くらいが攻め合いをしていた。
劉備が新野をとってしまったので西方の敵国が全部劉備軍にいどみかかってくる形になってしまった。
新野をとったのが正解だったかどうか。吉とでるか凶とでるか。
新野までいけば孔明がいるかもしれない。そんな期待もあった。
しかし孔明がいると噂に聞く街はまだ捜索範囲にはなっていなかった。。
孔明が他の国にひきぬかれないよう祈るのみである。。
もう劉備と友好関係の国もなくほとんどの国が劉備を目の敵にしていどみかかってくるのである。
中央で11カ国を持った劉備の宿命だった。。
反劉備連合軍もたびたび結成されている。。
どうも外交をうまくつかったほうがよさそうだった。
元袁紹、孫堅どちらかと友好関係を持った方がよさそうだった。
また他の国々ともどこか友好関係を作った方がよさそうだった。
しかしそんなうまくいくとも思えなかった。。。
199年2月。劉備11カ国。
忠誠度の低い部下に褒美(ほうび)をマメにやること。。
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2003年12月25日(ゲームをやったのは24日)
攻撃委任しておいたら公孫サンの北海を攻め取った。
江夏城も攻め取ることができた。
ここに黄河と長江をはさんだ内陸部は攻略したといっていい。
しかしここからが難関だった。
黄河の北方は元袁紹軍の大勢力地帯であり、
長江の南方は孫堅軍の大勢力地帯であった。
足をふみいれることはできなかった。
足をふみいれるどころか侵略されそうなトコロをかろうじてまぬがれているのである。
足をふみいれることができても足をふみいれたトコロをふくろだたきにあうだろう。
ここからがまさに正念場だった。
これ以上領土を拡大することができないのだ。
どうしようもなくなり西方中央の新野城を全退却すること2回だった。
城、街の価値は新野城をめぐるたびかさなる戦いで0に近かった。
攻撃されそうになると新野をすてて逃げるのである。
いわば焦土作戦であった。
新野をめぐり董卓、劉璋がやりあってくれればいいと思う。
劉表は劉焉に殺され劉焉はつかまえて処罰して劉璋が後を次いだ。
董卓もやはり強烈になってきて董卓、劉璋にたびたびおかされ
我が本城許昌に5万もの大軍が攻め込んできた。
許昌には2万の兵力しかいない。
そのときである新野をすてて退却したのは
新野の兵力全部を援軍によこしたのだ。3万5千くらいの兵力はいた。
相手はヤグラ陣形である。それでもヤバイかなっと一瞬思った。
すると不思議なことがおこった。
委任していた各方面から兵はおくってくるし援軍がかけつけたのである。
このときほど味方のありがたさを感じたことはなかった。
まさか部下が自分があぶないときに助けてくれるなんて。。
ひさしぶりに人間の温かさを感じて感極まった。
しかしみんな北方の元袁紹軍と戦っているトコロを本城の危機にかけつけてきたのである。
北方はもう少しで黄河より北に進出し強大な袁紹勢力を滅ぼそうかっというトコロまできていたのだった。
トコロがこれでイッペンに状況が急変し元袁紹軍が勢力をもりかえしてきたのだった。
元袁紹軍は中央内陸上のボクヨウに攻め込みコロウ関まで落とされてしまった。
チンリュウにまで攻め込まれる始末である。
コロウ関を奪還しボクヨウを奪還したときにはもう手遅れのような状態だった。
内陸東方では北海城からカヒ城から8万の大軍で次々と元袁紹軍におとされてしまったのだ。
少ハイ城もおとされ蹂躙(じゅうりん)されて寿春城まで5万の大軍がやってくる始末だった。
南の方はなんとか兵力をたもっていたので元袁紹軍も寿春城でくいとめることができた。
南は長江を渡り孫堅軍を圧迫するところまでいっていたのだ。
マツ陵、呉、会ケイを落とし、サイソウ城まで落とすいきおいだった。
そしてたびたび強大な地方勢力の山越軍にふみあらされるのだった。
山越軍の本城は50万の兵力である。まじです。
まわりの城をたびたびふみつぶして空白地にまでして帰っていくのだった。
いままで洛陽、チンリュウ、ボクヨウ、少ハイ、カヒ、北海を元袁紹攻略にして、
汝南、寿春、ろ江、江夏を孫堅攻略にしていた。
苑、許昌、新野などは内政委任で。
本城はことあるごとに動かしていた。
委任だけではつぶれてしまいそうなときあぶないところに本城を移すのである。
それで今度は全城一つの軍団にして元袁紹軍にあたらせることにした。
攻撃目標をきめてもみんな好き勝手に攻めるしあぶないトコロは助けてくれることがわかったのでる。
しかし山越軍とのたびかさなる戦闘だけはカンベンしてもらいたい。
50万ですよ。。
山越軍に滅ぼされても滅ぼされても劉備軍はそのまわりの城を攻略していくのである。
「がんがんいこうぜ」や「じゅもんせつやく」ではないが、
その城にはその勢力には攻め込むなっとか、もっといろんな命令があるといいなっと思う。
話はもどって寿春城まで攻め込んできた元袁紹軍である。
ここにバブルがはじけたといっていい。
寿春城でなんとかくいとめるもどうしようもない元袁紹軍のいきおいだった。
このスキをつかれたのか汝南城が孫堅軍に寝返る始末だった。
汝南はみずから奪還し
全城委任して元袁紹攻撃にきりかえるも
それもうまく機能しないようにみえたので全城おとされた小ハイ城の施設攻略にあたらせることにした。
するとみていると少ハイの近くのカヒに行くところに夏侯惇隊が陣地を構築しだした。
少ハイとカヒの元袁紹軍に急撃されながらも陣地を構築した。
陣地を構築できると有利になりチンリュウ、汝南からも援軍がきて少ハイを奪還した。
そのままカヒも奪還した。
なんとか一安心した。
私はもうあきらめて西方の苑城にこもり委任した部下の様子をみていたのである。
人を信じる心をとりもどしつつあった私だった。。
このたびの元袁紹のせいですべての城、街の価値がほぼなくなってしまった。
また一からやりなおしである。
すべて西方の中央の城、新野城をとろうと無理をしたことからはじまったことであった。。
黄河と長江にはさまれた北海をのぞく内陸11城と南東の呉の2城で
203年1月。13城の劉備だった。
攻撃型委任は全部一緒に打倒勢力をきめてもみんなカッテにやってるし
その方が委任命令が楽だし連携もとれるだろうからいいらしい。。
内政ももちろんしないとだけど。。
兵士を多くすれば兵糧がたりなくなる。うまいしくみになってる。
今、元袁紹のせいで城、街の価値がほぼないのでひしひしと感じる。。
他の国々も兵士を多くすれば兵糧がなくなるってことだから。
MAXの国々も結構あるけど
中国大陸の4隅に50万も兵力をもつ強力な地方勢力があって、
たびたび周辺国を滅ぼしているのでうまいしくみになっている。
委任しておくと何度も何度も地方勢力のまわりをどんどん攻略していくのはちょっと、
何度も何度も地方勢力にやられる。。
どこかに地方勢力はやっつけられると書いてあったけど絶対無理です。。。
いつのまにか司馬懿仲達が仲間になってる。。
委任きりかえをしたときに港町が直轄委任になってしまうところがあるような気がします。
自分の城の港町でもないし。。
敵側の城の港町でしょうか。。
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2003年12月25日(同日)
董卓をなんとかつかまえ処断するも
その後に立った君主はなんと呂布だった・・・。。。
西方から呂布に侵略され、北方から元袁紹軍に侵略され、南方から孫堅軍に侵略され
次々と領地を失う劉備だった。。。
劉備以外の国々はみな友好関係を結んでいるのである。
劉備は全部の国と険悪状態だった。。。
中国大陸を統一なんてできるのか。。。
難波のことも夢のまた夢。。。(秀吉)
終わり。。。
このゲームは中国統一ができるんですか???
2009年5月、当時を振り返って
確か委任していた大将の夏侯惇が直轄委任になってしまった港町にいて全軍機能しなくなって袁紹軍にやられてしまったということでした。
あと序盤で張飛に城をまかせていたら崩壊しそうになっていたっというのは城で戦争があったからですね。