りょうの読書記録 2005年1月から りょう99@笠原良太

下から書いてます

 

2005年6月30日
「新書太閤記」 5巻 吉川英治著 講談社

長篠の戦いで武田勝頼に勝利した信長。鉄砲隊が活躍した。
信長は北陸から出てくる上杉を防ぐために安土城を築いたが上杉謙信は卒中で死んでしまった。
秀吉は毛利攻めをまかされる。
秀吉の軍師竹中半兵衛、黒田官兵衛。
竹中半兵衛は病が重くなり、密使に出た黒田官兵衛は敵につかまり牢屋にいれられてしまった。

 

2005年6月28日
「新書太閤記」 4巻 吉川英治著 講談社

武田信玄は上洛戦をおこしたが途中で死んでしまった。
信長が一番おそれていたのが信玄だった。
比叡山を焼き討ちし、浅井、朝倉も滅ぼし、室町幕府将軍足利義昭を追放した信長。
浅井攻めで手柄をたてた秀吉は浅井領18万石をもらうことができ、
母と妻ねねを岐阜からよびよせる。
戦闘にあけくれていた秀吉はいままで母とねねを手元におけなかったのである。

秀吉のおかげか浅井長政に嫁いだ市姫をたすけだすことができました。

 

2005年6月24日
「新書太閤記」 3巻 吉川英治著 講談社

誰も築けなかった川向こうの美濃側に城を築いたのは秀吉であった。
美濃を征服した信長。岐阜と名付ける。
秀吉は5万石をもらうことができた。
秀吉は三顧の礼をもって竹中半兵衛を軍師にむかえる。
このころ明智光秀が室町幕府将軍足利義昭を信長のもとへつれてくる。
あっというまに京を占領した信長は、足利義昭や朝廷の館を建てる。
秀吉は京都奉行?をまかせられる。
朝倉を討とうと北にむかった信長だが浅井長政に背かれる。
死地に入った信長だったがなんとか逃げ延びる。しんがりをした秀吉もなんとか無事だった。

内容は山岡荘八さんの「豊臣秀吉」とあまりかわらない。
古くから太閤記があるようなので吉川英治さんも山岡荘八さんもそれをモチーフにしたと思うんだけど、まったく同じようなところもあります。
そこが同じ、そこは違うっと読んでいくのがおもしろいです。

 

2005年6月22日
「新書太閤記」 2巻 吉川英治著 講談社

炭薪奉行、城普請奉行などをこなした秀吉は足軽30人の長になることができた。
その頃、静岡の今川義元は京へむかって上洛戦をはじめた。
むろん織田信長の尾張をふみつぶしていく気だ。
私が思うに、今川義元がすすんで来るのに大きな平野はなく山あいの狭い平野を通って来るので
はじめから今川義元がどこを通っているか綿密な情報を収集してどこそこを通るときに山あいからそこ今川義元を直撃できるようにしたんだと思う。兵列ものびきっていたんじゃないかと思う。
もう誰も織田信長をうつけと呼ぶ者はなかった。
秀吉がねねと結婚したのもこのころであった。

 

2005年6月21日
「新書太閤記」 1巻(全11巻) 吉川英治著 講談社

尾張の日吉(豊臣秀吉の幼名)は、いろいろな職の奉公にあがるがすぐどこでも暇をだされていまった。
侍奉公などもするがやはりすぐ暇をだされてしまった。
このへんの秀吉をみてると自分と重なるところがあるような気がする。
最後の奉公先と選んだのは当時うつけっとよばれた織田信長であった。
秀吉は信長の草履取りをまかせられた。大変な出世である。

 

2005年6月19日
「早わかり世界史」 宮崎正勝著 日本実業出版社

 

2005年6月16日
「手に取るように世界史がわかる本」 小松田 直著 かんき出版

特別感想はないです。。
今、常任理事国入りがとりざたされていますが、国際連盟では日本は常任理事国だったんですね。

 

2005年6月12日
「もう一度学びたい世界の歴史」 西東社

図が多く字数が少ないので読みやすいです。
特別感想はないです。。

 

2005年6月9日
「竹中平蔵の特別授業 きょうからあなたは経済担当補佐官」
竹中平蔵著 集英社

今、日本の借金は700兆円くらいだそうですが、
日本の現在のGDP(国内総生産)は500兆円くらいで、
経済成長率毎年2%だとすると35年後にGDPが1000兆円くらいになるんだそうです。
すると借金700兆円のままプライマリーバランスをちゃんとしてもう借金しないようにすれば、
借金の割合がだんだん少なくなってくるとのことでした。
今はGDP500兆円で700兆円の借金で、35年後はGDP1000兆円で700兆円の借金。
そうやっていくしかないみたいです。
少しづつインフレになれば借金700兆円も少なくみえてくるかもしれません。

 

2005年6月9日
「いまさら聞けない 三国志の大疑問」 おもしろ中国史学会{編} 青春出版社

私は吉川英治さんの三国志しか読んでないのでいろいろな三国志の本を読もうと思いました。
三国志演義ではどうで、他ではどう書いてあるっとかそういうのが良かったです。
500円とお手頃な値段でした。
特別感想はないんですけど。。

 

2005年6月8日
「関ヶ原」 下巻 司馬遼太郎著 新潮文庫

上杉征伐で東にむかった家康。
そこで西から石田三成が兵をあげた。その数10万。
上杉は伊達政宗などとやりあっていて江戸に進入してくることはできない。
家康は石田三成と決戦するために西にむかった。その数7万。
西軍10万、東軍7万。関ヶ原で一大決戦がはじまった。
専門家が布陣をみると西軍の勝ちであるというという。
しかし西軍の半分以上の武将は山の上で日和見(ひよりみ)をきめこんで戦いには参加しなかった。
また謀反して東軍につく武将もいた。
西軍で実際に戦いをしているのは3万くらいしかいない。
西軍の半数がはじめから家康に調略されていたといわれているけど、
実際、西軍が戦いに有利におしていれば皆西軍についていたんじゃないかと思う。
東軍徳川家康の勝ちであった。

 

2005年6月5日
「関ヶ原」 中巻 司馬遼太郎著 新潮文庫

会津の上杉が城を築いたり浪人を募兵したり戦いの準備をしはじめた。
家康は上杉を討とうと大阪から豊臣武断派武将をひきつれて江戸にもどってきた。
そして石田三成は大阪で家康をうつと兵をあげた。
東から上杉、西から石田三成が兵をあげ家康をはさみうちにする作戦である。
家康も乱をのぞんでいた。野戦で絶対の自信をもっている家康である。
この戦いをきに家康は天下を自分のものにするハラである。
どっちがはめたのか、どっちがはめられたのか。
家康は一緒に上杉へ東征へむかった豊臣武断派武将を自分の味方にひきいれることができた。
石田三成は豊臣武断派武将にきらわれていたのだ。
豊臣武断派武将は豊臣秀頼に弓をひいたのではなく石田三成をやっつけたかったのである。
家康にいいようにつかわれてしまった。

 

2005年6月3日
「野ブタをプロデュース」 白岩 玄著 河出書房新社

転校してきたいじめられっこ、信太こと野ブタ。
主人公は野ブタをプロデュースして人気者にしようと思う。
野ブタは人気者になったんだけど。。。

私も眼が悪かったので結構いじめられたんだけど自分とダブってみえちゃうところもありました。
私はなぐられたり金をとられたりすることもなく悪口をいわれただけですが、かなりつらかったです。
野ブタが人気者になって終わりじゃなくて、なんか最後の落ちがよかったです。そうきたかっという感じで。ちょっと悲しいエンディングでした。
エンディング。私も主人公と同じようなめにあったことがあるような気がします。

 

2005年6月2日
「関ヶ原」 上巻(全3巻) 司馬遼太郎著 新潮文庫

まだ幼い秀頼を残して秀吉は死んだ。
天下を取りたい家康と、豊臣家(秀頼)を守りたい石田三成が争った天下分け目の戦い関ヶ原の小説です。
東軍徳川家康と西軍筆頭石田三成の天下分け目の戦い。
秀吉が死んでその子、秀頼の守り役前田利家もまもなく死んでしまった。
ために徳川家康が天下人に近づいた。
石田三成は5奉行筆頭として豊臣家を守ろうとしたがたかだか20万石の身の上で関東250万石の徳川家康にかなうわけはなかった。
この小説は石田三成を主人公にしたものなんだけど、
石田三成は性格に問題があったとか嫌われ者だったとかいわれているけど
関ヶ原で負けたからそういわれるのであって実際はどうだったのだろうか。
たかだか5奉行筆頭なだけで西軍の指揮をとった石田三成は結構すごいなぁっと思うのだけど。。

 

2005年5月24日
「新歴史の真実 祖国ニッポンに誇りと愛情を」
前野徹著 経済界

日本は先の戦争で侵略戦争、植民地支配をしてしまったわけですが、
その前に欧米各国はもっとひどい侵略、植民地支配を何世紀にもわたりやってきたと
これでもかっと書いてあります。
私も思うに有色人種の日本があの戦争をしなければ、有色人種に対する欧米各国の植民地支配人種差別がいまなお続いていたかもしれないと思います。
アメリカの排日運動とかもひどかったし国際連盟で人種差別撤廃要求は退けられるし、石油は止められるし日本が戦争にいってしまったのは理解できるような気がします。
中国や朝鮮は日本が戦争しなくても外国の植民地にされていたと思うしすでに植民地にされていたんだっけ。
日本からしてみれば植民地にされていた東アジアを情けなく思い大東亜共栄圏をかかげて欧米の植民地から解放して強いアジアを作りたかったんだと思う。
でも結果として外国にやられている中国に対しておいうちをかけるように戦争してしまったことが中国としてはゆるせなく思っているのだと思う。
朝鮮は日本がいなければソ連の植民地にされていたと思うし。
日本は朝鮮をとりソ連の南下政策の防波堤にしたかったんですよね。

この文章で不適切な点がありましたら申し訳ありません。m(_ _)m

 

2005年5月18日
「項羽と劉邦」 下巻 司馬遼太郎著 新潮文庫

一気読みしました。

劉邦は関中に逃げた。関中では簫何(しょうか)が後方支援をうまくやっておさめている。
劉邦はまた新たな兵とともに関中を出て項羽に戦いをいどんだ。
しかし項羽は圧倒的な強さである。
またひどく敗れた劉邦であった。
韓信は別働隊として北方で勢力を拡大している。
劉邦は韓信の方へのがれ韓信に兵をもらいまた項羽とたたかう。劉邦は戦えば必ずまけた。
韓信は項羽と劉邦が戦っているすきに北方で勢力を拡大して斉王となり第三勢力を築く。
戦いつかれた両軍は和睦して両軍撤退することになった。
項羽は撤退したが劉邦はその和議をやぶって項羽を追撃した。
項羽は怒ってとって返して劉邦をやぶった。劉邦は小城に籠城した。
そこへ韓信軍30万がやってきて項羽軍を包囲した。また劉邦の味方もかけつけてきた。
項羽に味方するものは一人もいなかった。
項羽のこもる城外から楚の歌がきこえてきた。四面ことごとく楚歌であった。
項羽は、わが兵がこうもおびただしく漢に味方したかっと最後をさとった。
項羽は囲みを破って逃げ延びようとしたがとうとう最後となった。
戦えば必ず負けた劉邦が最後の一戦に勝って天下をとったのである。

 

2005年5月18日
「項羽と劉邦」 中巻 司馬遼太郎著 新潮文庫

楚王の血をひいている懐王はいった。「最初に関中に入った者を関中王にするであろう」
劉邦は軍師張良のはたらきなどにより先に関中に入ることができた。
劉邦は関中王きどりであった。
そして後から来る項羽をふせごうとカンコクカンを閉ざしてしまった。
しかし後から来た項羽はカンコクカンをやぶり関中に殺到した。
そして劉邦は鴻門の会で項羽にわびて、命だけは助かった。
劉邦は蜀の地に送られることになった。当時蜀の地は罪人が送られるトコロで山も険しくもう二度と劉邦は蜀の地から出てくることはできないと思われた。
項羽は関中で略奪をほしいままにして故郷の方へ帰っていった。ホウジョウを根拠地とした。
項羽は略奪もしたし、投降した20万人の秦の兵を生きながら穴埋めにしたりした。
劉邦は関中を領有しても略奪もなにもしなかった。
秦の本拠地だった関中は項羽を恨み、劉邦がまた出てくることを期待した。
このころ韓信は項羽の護衛兵程度にしか用いられなかったので劉邦の配下となり全軍の指揮をまかされる。

そして劉邦はまた蜀から関中に出てきた。
各地の兵を吸収しながら項羽のホウジョウをめざした。ホウジョウについたときには劉邦の兵はなんと56万人にもなっていた。
悪逆非道の項羽につくものは少なかったのである。
劉邦の徳により兵が集まってくるのだった。
しかし56万の劉邦の兵は、項羽の兵3万にやぶれた。
項羽は並の強さではなかった。三国志だったら呂布なみの強さである。
劉邦は逃げに逃げた。ケイヨウ城で1年くらい籠城したが項羽にやぶられまた逃げた。
項羽の配下だったゲイフはこのころ劉邦についている。

 

2005年5月15日
「項羽と劉邦」 上巻(全3巻) 司馬遼太郎著 新潮文庫

2千年ほど前の中国の物語である。
劉邦の子孫が三国志の劉備玄徳ということかもしれない。

戦国時代が続いたが秦の始皇帝が中国を統一した。
始皇帝は過酷な労働を民にしいた。万里の長城などの土木事業。
ために始皇帝が生きているうちか死んでからか各地で反乱がおきた。
そのなかに項羽や劉邦がいた。
始皇帝は各地を巡幸したが、始皇帝を見た劉邦はこう思った。
大丈夫、当にかくの如くなるべきなり。(男はこうなきゃだめだ)
項羽はこう思った。彼取って代るべきなり。
楚王の血をひいている懐王はいった。「最初に関中に入った者を関中王にするであろう」 関中が秦の本拠地である。
項羽と劉邦は同じ軍に属していた。項羽の陣に劉邦が加わっているような感じであった。
項羽は秦の本軍と戦い、劉邦は別働隊として関中をめざした。
劉邦は囮(おとり)専門であった。誰も劉邦が先に関中に入れるとは思っていない。

 

 

2005年5月11日
「日本の常識 世界の非常識」 竹村健一著 幻冬舎

何年か前から、日本の常識世界の非常識ということがいわれるようになりましたね。
字数的に読みやすい本でした。
特別感想はないです。


2005年5月10日
「功名が辻」 4巻 司馬遼太郎著 文春文庫

関ヶ原の戦いは家康の勝ちであった。
関ヶ原の戦いの様子がかかれていて興味深い。
家康についたイエモンは土佐(高知)一国24万石をもらうことができた。国持ち大名である。
土佐一国をもらってハッピーエンドで終わるんだろうなと始めからおもっていたのですが、
その土佐は西軍の味方についたチョウソカベの土地である。家康が東軍。
チョウソカベはお家断絶となりそこへイエモンが来たわけであるが、
元チョウソカベの侍の謀反があいつぎ土佐をおさめるのは大変なことであった。
そのチョウソカベの謀反をおさえなければならなかったのですが、
なんかとても悲しいようなエンディングでした。。。

 

2005年5月9日
「功名が辻」 3巻 司馬遼太郎著 文春文庫

秀吉が死んだ。秀頼を残して。
秀頼につくか、家康につくか。天下は二分された。
織田家を奪った秀吉。家康が豊臣家を奪っても文句はいわれないであろう。
力が正義だった時代である。タイガーマスクじゃないけど。
「力が正義ではない。正義が力だ。」タイガーマスクもいいこといったもんだ。
それはさておき、
イエモンは家康につくことをきめた。
関ヶ原の戦い間近である。

    

2005年5月7日
「功名が辻」 2巻  司馬遼太郎著 文春文庫

信長は明智光秀の謀反で倒れた。
すぐさま明智光秀を倒した秀吉だった。
秀吉が日本を統一していくなかでイエモンは2万石から6万石をもらうことができた。大名である。
しかし秀吉は日本を統一したのでこれ以上の加増はのぞみようがない。
そして秀吉は朝鮮出兵をおこなう。
秀吉に子供ができたのもこのころであった。秀頼である。
しかし秀吉は姉の子秀次に家督をゆずることをきめていた。関白も秀次にゆずっていた。
そこでおきた相続争いである。秀頼に家督をゆずりたい秀吉である。関白秀次は切腹されられてしまった。
秀次の側室30人くらいもみな三条河原で殺されてしまった。虐殺であった。
秀吉の世の中も長くないなっとささやかれるようになる。
イエモンと妻千代の視点から見た物語が結構興味深いというかおもしろい。

秀吉は大阪城につづき伏見城をたてたがこの屋根瓦は全部金メッキされてたそうだ。

  

2005年5月2日
「功名が辻」 1巻(全4巻) 司馬遼太郎著 文春文庫

2006年NHK大河ドラマ原作

織田信長の足軽?にうだつのあがらない山内伊右衛門(いえもん)一豊という武士がいた。
50石もらっていて2人の子分をもっている。
そのイエモンに千代という賢くて美人の嫁がきた。
千代はイエモンをほめたりおだてたりして自信をもたせて手柄をたてさせていく。
当時めきめき成り上がってきた秀吉の配下に加わったのもよかった。
50石から少しづつでも手柄をあげ200石、千石、2千石とだんだん出世していく。
子分もどんどんふえていった。子分がふえれば敵の大将首をとることも多くなる。
このへんだんだん力をつけていくイエモンをみてると、
ゲームのRPGやシミュレーションゲームのようにだんだん強くなっていくような様子がおもしろいです。
足軽の身分からみていく戦闘の様子、生活の様子もおもしろいです。

 

2005年4月29日
「豊臣秀吉」 8巻 山岡荘八著 講談社

なかなか上洛してくれない家康に、秀吉は妹と母を家康の元におくりやっと家康に上洛してもらった。
そして秀吉は日本を統一した。
それから朝鮮出兵となっていく。
そんなおり淀殿(茶々)は秀吉の子供を産んだ。
淀殿の子供はホントに秀吉の子供だったのかっというのはこれまた永遠のテーマです。
秀吉は千利休を切腹させたり、秀頼が生まれて用済みになった秀次(関白をゆずった姉の子)を切腹させたりしている。
後年の秀吉はどうやら魔物にとりつかれていたような感じですね。
大陸制覇を夢見て亡くなりました。

 

2005年4月26日
「豊臣秀吉」 7巻 山岡荘八著 講談社

天下をにぎった秀吉は大阪城を築いた。
大阪城は金ぱくがはられていたようだ。黄金の国ジパングか。。
秀吉と家康は最初で最後の戦い、小牧・長久手の戦いをおこす。
これは家康の勝ちであった。
この戦いは関ヶ原よりも興味深いともいわれている。
秀吉は家康に上洛してもらって和議をむすびたくて自分の妹を家康にめあわせようとした。
秀吉の妹は40過ぎで結婚していたが無理矢理離婚させられてしまった。夫は自害してしまった。
子供がいなかった秀吉はこんなことまでしたんですね。

  

2005年4月22日
「豊臣秀吉」 6巻 山岡荘八著 講談社

賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いで柴田勝家をやぶった秀吉。
籠城した柴田勝家は市姫とともに自害した。
市姫の娘、茶々(淀殿)をはじめ3人は助けられた。
市姫を自害させてしまった秀吉はどんな感じだったでしょうか。
市姫を柴田勝家の妻とさせたのを怒った秀吉は明智光秀をあおって本能寺をおこさせたっなんてこともジョーダンぽくちょっと書いてありました。

  

2005年4月17日
「豊臣秀吉」 5巻 山岡荘八著 講談社

明智光秀の謀反によって信長は本能寺に倒れた。
信長の嫡男、信忠も殺されてしまった。
秀吉は毛利と和睦し速攻京にとってかえし明智光秀を滅ぼした。
しかし明智光秀の首はみつかっていない。
織田家相続争い。柴田勝家と秀吉の戦いになっていく。
信忠の子、三法師をかついだ秀吉は権力をにぎっていく。
市姫を柴田勝家にとられてしまった秀吉だった。

何故明智光秀は信長に謀反したのかっというのも永遠のテーマですね。
明智光秀はホントに死んでいたのかっというのも。。

  

2005年4月13日
「豊臣秀吉」 4巻 山岡荘八著 講談社

秀吉は信長の妹、市姫に懸想してしまった。
しかし市姫は近江の浅井長政に妻としておくられてしまった。
そうして信長は京への道をつけて速攻京を占領してしまった。
しかし浅井長政は朝倉と組み、信長に謀反した。
浅井は滅ぼされたが市姫は秀吉の活躍もあって助けだすことができた。
市姫と浅井長政の子、茶々はのち淀殿とよばれ秀吉の妻となる。
市姫はというと柴田勝家の妻となる。
市姫はたいそうな美人だったらしい。
市姫とはむすばれなかったが、市姫の子を自分のものとした秀吉はどんな感じだったでしょうか。

秀吉は毛利と戦っていて高松城を水攻めしている。
毛利軍の援軍5万が来て秀吉も信長に援軍をもとめる。
そんなおりであった。本能寺は。。。

 

2005年4月10日
「豊臣秀吉」 3巻 山岡荘八著 講談社

美濃攻略。柴田勝家も誰も川向こうの墨俣へ出城を築くことはできなかった。
そこへ誰もできなかった墨俣に城を築いたのは秀吉であった。
美濃の麒麟児(きりんじ)っといわれた竹中半兵衛を軍師にした秀吉は着々と手柄をたてていく。
美濃を攻略して岐阜とあらためて岐阜を本城にした信長。
秀吉がいたから美濃がとれたのか?秀吉がいなかったら信長は天下統一できなかったのか?
結構考えさせられます。
明智光秀が仕官してきて秀吉のライバルとなる。

  

2005年4月4日
「日本の力」 石原慎太郎さん 田原総一郎さん 共著 文芸春秋

サンデープロジェクトでこの本の宣伝をしていたので買ってきました。
石原慎太郎さんと田原総一郎さんの書いた本はおもしろいので結構読んでいます。

年金

「親切・重税党」
福祉は充実させるが、その代わり税金は高い。大きな政府。 スウェーデンなど

「冷酷・軽税党」
福祉はそこそこだけど、税金は軽い。小さな政府。 アメリカなど

「親切・軽税党」っというのは無理な話で。
サンデープロジェクトで田原さんが、どっちだ?っと聞いていましたがみな「親切・軽税党」だっと答えていたような気がします。

 

2005年4月2日
「豊臣秀吉」 2巻  山岡荘八著 講談社

信長にとりたれられた秀吉は、草履とりから馬屋番、台所奉行、薪炭奉行、お城修理の普請奉行っと着々とこなして出世していく。
信長は今川義元を敗って力をみせてきた。
ホントか嘘か、秀吉の進言を信長が採用していき勝ちにむすびついていく。
とんとん拍子に出世してきた秀吉は、ねねと結婚することができた。

 

2005年3月30日
「豊臣秀吉」 1巻 (全8巻) 山岡荘八著 講談社

小説「織田信長」で子供時代から「うつけ」とよばれた信長が成長していく様子もおもしろかったのですが、
この小説「豊臣秀吉」も子供時代から秀吉が成長していく様子もおもしろくかかれています。
これがまた実におもしろいんです。
まだ信長との接触はないんですけど信長の家来になって活躍していく様子もおもしろそうなのではやく読みたいです。

 

2005年3月27日
「もう一度学びたい 日本の歴史」 西東社

特別感想はないんですけど。。
坂本竜馬暗殺。西郷隆盛説が書いてありました。

 

2005年3月
高校の時の世界史の教科書を読みました。

 

2005年3月19日
「もう一度学びたい 世界の歴史」 西東社

まだイマイチ世界史わかってません。
大まかな流れがわかってきたかなっ程度。
図が多くてこれくらいの文字数だと読みやすくて良いです。

 

2005年3月17日
「織田信長」 5巻  山岡荘八著 講談社

長篠の戦いで鉄砲隊で武田勝頼をやぶると一躍安全圏ができたと思われた。
ところが毛利、上杉(謙信)、松永、本願寺とたびたび信長にそむいた。
上杉謙信は信長相手に上洛戦をおこすところだったが卒中で死んでしまった。
今川義元が死に、武田信玄が死に、上杉謙信が死に、暗殺がつかわれたようにも思われる。ただの偶然だったのだろうか?
武田勝頼も滅ぼした信長は、毛利と戦っていた秀吉の救援にいく途中、本能寺に泊まった所を明智光秀の謀反に会い最後となった。
明智光秀は何故信長に謀反したのか? 考えるときりがないです。永遠のテーマですね。
私的には室町幕府将軍足利義昭がなぁーと思うところです。

 

 

2003年3月14日
「織田信長」 4巻  山岡荘八著 講談社

一躍天下に躍り出た信長だったが味方は家康のみ、四面楚歌におちいった。
武田、朝倉、浅井、三好、松永などの大名や本願寺や比叡山などことごとく信長にそむいた。
信長が室町幕府将軍にしてやった足利義昭が信長を討てっと各々に密書を送っていたのだった。
ついに武田信玄が上洛してくることになり窮地にたたされたが武田信玄は途中で死んでしまった。
そして信長は浅井、朝倉を滅ぼし、将軍足利義昭を追放し、比叡山を焼き討ちし、長島本願寺も焼き討ちした。
叡山を滅ぼすものは叡山なり! となんかインパクトに残っています。
武田信玄の嫡男、武田勝頼が出てきて長篠の合戦が始まる。

 

2003年3月12日
「織田信長」 3巻  山岡荘八著 講談社

今川義元を敗った信長は美濃を攻略し岐阜と名付ける。
信長の本城は岐阜城となる。
そこへ信長の妻、濃姫のいとこ(たぶん)の明智光秀が、
流浪していた室町幕府将軍、足利義昭をひきつれて仕官してきた。
それから京へ向かう志も大きくなった。
信長の妹、市姫を近江の浅井長政に嫁がせて京へ上る道筋をつけた。
信長は圧倒的な強さで京を占領して室町幕府征夷大将軍足利義昭の館をたて
また天子の御所の館もたてたようだ。

織田信長を読むのもこれで6回目くらいです。

 

2005年3月9日
「織田信長」 2巻  山岡荘八著 講談社

ただのうつけで終わるか天下を取るか。
織田信長は愛知(尾張)で今川義元は静岡にいる。
今川義元は4万の兵をあげて上洛戦をおこした。京へむかう。
むろん織田信長の尾張を通っていく。
信長の兵は今川の10分の1くらいしかない。3千くらい。
万にひとつも勝ち目はない。
しかし信長は今川義元が休んでいた桶狭間(田楽狭間)を奇襲した。
奇襲は成功して今川義元の首をとった。
小説にどのように奇襲が成功したか詳しく表現されているのでおもしろいです。
今川義元は敗れてみな静岡に逃げ帰ってしまったので
いままで今川義元に人質にとられていた徳川家康(松平元康、竹千代)はやっと自分の城、岡崎城に入場することができた。のちに信長と家康は同盟することになる。
豊臣秀吉(木下籐吉郎)も信長に見いだされて登用されていく様子もおもしろいです。

小説「徳川家康」はちょっと長すぎだけど「織田信長」はちょうどよいくらいにまとまってておもしろいです。

 

2005年3月6日
「織田信長」 1巻 (全5巻) 山岡荘八著 講談社

幼少の頃から「うつけ」っと呼ばれた信長。
しかし「うつけ」どころではなかった。
着々と地元尾張を支配していく。
「うつけ」だと思われていた信長が
「うつけ」ではなかったとだんだんわかっていく様子とかがおもしろいです。

 

2005年3月2日
「早わかり科学史」 橋本浩著 日本実業出版社

太古から科学に関する研究機関や大学のようなものはあったんですね。
歴史の本には個人が何かを発明したっとか書いてあることが多かったので、
昔は個人個人でしか研究してなかったのかと思っていました。
ところが図書館みたいな研究資料を集めたものとか多くて研究機関もいっぱいあったようでした。

 

2005年2月25日
「小泉の日本を読む」 田原総一郎著 朝日新聞社

年金、「親切・重税」か「冷酷・軽税」か。
最近、年金の話題もとりあげられなくなったような気がします。
私的に消費税でやってもらいたいです。
でも消費税が上がると生活が苦しくなるかなぁ。
食品とかには消費税をかけないでほしいなぁ。

 

2005年2月20日
「三国志」 6巻 吉川英治著 講談社  9回目(2004年に7巻8巻は2度読んでる)

劉備は蜀を手に入れて漢中王にまでなっています。
これで中国は魏、呉、蜀っとかたまったわけなんですね。
あの弱かった劉備が孔明を手に入れて蜀を手に入れることができました。
ホウ統は何の活躍もしないで死んでしまいました。
鳳凰(ほうおう)の雛(ひな)とまでいわれたのにあっけないです。
孔明のひきたて役だっただけなんでしょうか。
三国志には道徳がつまっているのでおもしろいですね。

三国志7巻8巻は去年2回づつ読んだので読書は6巻で終わりにしようと思います。

 

2005年2月17日
「三国志」 5巻 吉川英治著 講談社

昨日今日と一気に読みました。
三国志は、1巻で劉備、関羽、張飛が義盟をむすんで、
劉備は徳をつくし、関羽、張飛の圧倒的な強さで活躍する様子がおもしろいんだけど、
4巻からは、諸葛亮、孔明がでてきてそれから兵法とか知謀戦とかがおもしろいですね。
5巻くらいが一番おもしろいトコかもしれませんね。
後は、蜀を手に入れて、孔明と司馬懿の戦いがおもしろいトコかな。
南蛮戦とかちょっとどうでもいいんだけど、あのへんは読み飛ばしたいくらいですね。

 

 

2005年2月16日
「三国志」 4巻 吉川英治著 講談社

袁紹が曹操に滅ぼされてしまいました。ちょっとあっけないです。
袁紹と曹操がやりあってる内に都をせめればよかったのにね。
劉備はやられちゃったけど、孫権、劉表はなにをしていたんだろうって。
劉表も亡くなってしまいました。
劉表は劉備にあれほど後をついでくれといったんだけど、
劉備は劉表には2人の子息があるのにっとどうしても受けなかった。
後をうければよかったのにね。
めしかかえられたばかりの孔明も残念がっていました。
なるほどあなたは仁君であるっと。
劉表の後をついでいればその後の難儀もなかったかもしれないのにね。

 

 

2005年2月13日
「三国志」 3巻 吉川英治著 講談社

天子を擁して大勢力を築いた曹操。
劉備は無惨にも流浪をつづける。
劉備が曹操の元からはなれてジョ州にもどったときに
義盟した人たちで曹操を討ったらおもしろかったかな。
ジョ州から劉備、西陵から馬騰、中央の董承など。
それに袁紹や劉表などもひきいれればおもしろかったかな。
でも劉備の兵はもともと曹操の兵だったからやはり無理かな。。
4巻で孔明が出てくるので楽しみに読みたいと思います。

 

2005年2月8日
「三国志」 2巻 吉川英治著 講談社

劉備がだんだん徳を積んでみんなや民衆に指示されるようになって徐州の太守にまでなることができたんだけど、
私も劉備をまねてやってきたつもりなんだけど、みんなにつけこまれて、バカにされて、けおとされて、あげくのはてに悪者にされてしまったような気がします。
今の時代、人がいいだけじゃそういうめにあうんですね。
道徳がいきとどいてないんだと思います。
自分に都合が悪い人がいると、その人をけおとして排除するような悪い世の中になっているような気がします。
曹操みたいにいきないと世の中わたっていけないようなそんないやな世の中になっているような気がします。

 

2005年2月7日
「手にとるように世界史がわかる本」 小松田 直著 かんき出版

まだまだぜんぜん世界史わかってないんですけどノートとかにとってやらないと理解できないかなぁ。
読んでるけど、理解しないでただページをめくっているような感じがあります。
何回か読めば理解できるかなっと思って読んでいるんだけどちょっとダメそうです。
でもやはり何回も何回もまた読もうと思っています。

 

2005年2月4日
「時代の流れが図解でわかる! 早わかり世界史」
宮崎正勝著 日本実業出版社

高校時代ぜんぜん勉強しなかったのでイマイチ世界史わかってないんですけど、
最近歴史小説を結構読んで、外国のことにもふれてあることが多かったんですけど、
それで世界史に興味を持って読んでいます。
入院中は本を読むか寝てるかしかなかったので本を結構読んだんだけど最近はまたスローペースになってます。

 

2005年2月1日
「三国志」 一巻 吉川英治著 講談社

もう三国志も10回くらい読んでいるような気がします。
普通の本は一回読めばもうよくなってあまり読み返しもしないけど、
三国志は何度読んでもおもしろくて読み返せば読み返すほどまたなにかみつけるものがあります。


2005年1月27日
「図解 たった5分の現代史」 歴史ジャーナリズムの会{編} 青春出版社

簡単に書いてあるのでもう少し詳しく書いてある現代史の本を読みたいと思いました。
特別感想はないです。。

 

2005年1月24日
「年表で読む 明解!日本近現代史」
渡部昇一著 海竜社

結構日本贔屓(ひいき)の本です。
第二次世界大戦にいってしまった流れというかが結構認識できました。
排日運動とかひどかったですもんね。

 

2005年1月21日
「義経」 宮尾登美子著 NHK出版

今年のNHKドラマ義経の原作ということで読みました。
義経と頼朝の関係というかがやはりとりざたされると思うのですが、
昔は兄弟相争い、殺し合いもしたりしたんですよね。
兄弟仲良くとか家族を大事にとか今の道徳になってると思うのですが、
昔と今ではちがうのかもしれませんね。

うつぼが出てきません(爆)

 

2005年1月19日
「翔ぶが如く」 10巻(終) 司馬遼太郎著 文春文庫

西南戦争。
はじめ苦戦していた政府軍は、士族をこぞって警察隊にして九州に調達した。
士農工商がなくなり、士族がなくなり不満をもっていた士族である。
また薩摩に恨みのあった藩の士族などがこぞって仕返しに薩摩をたたこうと九州にいった。
戊辰戦争に敗れた会津藩などが特に薩摩に恨みがあった。
このへん考えるとおもしろい。明治維新は何が正義か悪かがわからなくなる。
ついに西郷の首はおちた。
これでもう士族の反乱はおきないであろう。安堵感があったかなかったか。
そんなおり絶対主義で日本をしきっていた大久保利通は暗殺されてしまった。
西郷隆盛、大久保利通、共に薩摩藩である。
西南戦争はまさに西郷隆盛と大久保利通の対決であった。
同じ薩摩藩ということで、何か矛盾というかしこりというかがうまれていたのであろう。
ついで警察庁長官の川路利良もなくなってしまった。
毒殺とかの噂もあった。川路利良もまた薩摩藩であった。

 

2005年1月16日
「翔ぶが如く」 9巻 司馬遼太郎著 文春文庫

薩摩軍は熊本城をおとそうとしたが落ちなかった。
戦国時代の勇将、加藤清正が作った城である。
熊本城は50日間くらいもちこたえて薩摩軍を敗った政府軍がやってきた。
薩摩軍は熊本城にこだわらなければ東征は成功していたかもしれないということだった。
薩摩軍と西郷隆盛は薩摩に退いていった。

 

2005年1月11日
「翔ぶが如く」 8巻 司馬遼太郎著 文春文庫

ついに薩摩は西郷隆盛をかついで兵をあげた。
九州から東上して各地の士族を吸収して東京まで上る計画である。
簡単なことだろうと楽観視して東上しようとしたものの熊本城ではやくもつまずいた。
政府軍は熊本城で籠城してよく守った。
薩摩軍は農民軍の守る熊本城など一日でおとせると思っていた。
しかしなかなか熊本城をおとせず各地から政府軍が九州にかけつけてきていた。
薩摩士族は尋常な強さで政府軍を蹴散らしていたのだが熊本城は落ちないし、
政府軍の人数も多くなってきて不利になってきた。

日露戦争で活躍を見せる政府軍の乃木希典の初陣から書いてある。
負け越している。

九州から東征というのは足利尊氏がやってますね。

 

お正月休み。
家の天井を張り替えていて改装中でお手伝いをしています。

2005年1月2日
「翔ぶが如く」 7巻 司馬遼太郎著 文春文庫

各地で乱がおこってようやく薩摩にも火がおこってきた。
大久保利通と川路利良の警官隊が西郷隆盛を暗殺しようとしたっとか噂がたち、
薩摩の火薬庫がおそわれるっという事態がおき、
ついに薩摩士族はたちあがった。
西郷隆盛は士族をおさえていたのだがついにかつがれてしまった。