「風神の門」読書記録 りょう99@笠原良太

下から書いてます


 

■2007年1月21日
「風神の門」 下巻  司馬遼太郎著 新潮文庫

主人公、霧隠才蔵は猿飛佐助とともに家康の首をとりに駿府城にのりこむ。
家康は忍びに風魔をやとっていた。
才蔵は風魔の棟梁?獅子王院をやぶったが家康の首はとれなかった。
ちょうどその頃、豊臣家で作ったお寺の鐘(かね)の文字で一悶着あった。
「国家安康 君臣豊楽」という銘文で、これは家康をのろったものだともちあげられたのである。
家康は上洛して豊臣家を滅ぼすため大阪城にむかう。
佐助ははやくに大阪へ帰ってしまったが才蔵は上洛の途中の家康の首をねらうがスキはなかった。
ついにはじまった大阪冬の陣、大阪城に打ち込まれた大砲におどろいた淀殿(秀頼の母)はすぐ和解してしまう。
大阪城の堀も全部埋められてしまった。
難攻不落の大阪城も堀がうめられてしまっては終わりである。
大阪夏の陣、大阪方はあっけなくやぶれる。真田幸村も死亡した。
佐助はいきのこったであろうか。
才蔵は女を連れて逃げ落ちた。

 

■2007年1月20日
「風神の門」 上巻(全2巻) 司馬遼太郎著 新潮文庫

1610年頃か、もう少し後かとにかく大阪の陣の直前である。
関ヶ原の戦いに勝った家康は江戸に幕府を開き、そして大阪城には豊臣秀吉の子、秀頼がいる。
家康はもう歳をとり、反対に秀頼は成長して二十歳くらいになっている。
家康は秀頼を滅ぼそうとおもっているし、豊臣秀頼は家康の死を待っている。
家康が死ねば天下はまた豊臣家にもどってくると思われている。
天下には関ヶ原の戦いで負けて浪人しているものが20万くらいいる。
これがほとんど大阪方につくといわれている。
しかしこれだけではただの烏合の衆みたいなものだ。
それをまとめる大阪方の軍師に真田幸村がいた。
甲賀の棟梁の猿飛佐助が真田幸村についている。
そして主人公、伊賀の棟梁の霧隠才蔵は猿飛佐助にこわれ真田幸村の度量にひかれ大阪方に荷担することを決める。
霧隠才蔵と猿飛佐助は家康の首を捕ろうと駿府城にのりこもうとする。

忍者物、おもしろいです。