播磨灘物語読書記録 2013年6月16日(日) りょう99@笠原良太
来年のNHK大河ドラマが黒田官兵衛なのでこの本を読み始めました。
下から書いてます。
■2013年6月16日(日)
「播磨灘物語」 4巻 司馬遼太郎 講談社文庫 を読む
竹中半兵衛が死んだ今、黒田官兵衛は秀吉の一番の軍師になっている。
秀吉は毛利と戦っていた。備中高松城を水攻めしていた。
そんなおり信長が明智光秀の謀反によって殺された。
秀吉はそれを毛利に隠し和睦を結ぶと京にとって返し山崎の合戦で光秀を破った。
山崎の合戦の様子が詳しく書いてあります。
そして秀吉は天下を統一した。軍師として黒田官兵衛も満足だったかもしれない。
黒田官兵衛は九州で12万石くらいの領地をもうらう。
秀吉はいった、自分がいなければ天下をとるのは黒田官兵衛だっと。
それを聞いて身があやういと感じたのか黒田官兵衛は隠居してK田長政に家督をゆずった。
朝鮮出兵などがあり秀吉も死んだ。石田三成と徳川家康による関ヶ原の戦いが始まった。
黒田官兵衛はチャンス到来と喜んだ。たちまち九州の半分を制圧してしまった。
ところが関ヶ原の戦いはたった1日で終わってしまった。
黒田官兵衛は九州を統一して地元だった身内の多い中国地方をかけのぼり天下をねらおうとしていたのだ。
徳川家康が天下をとるとまた黒田官兵衛は隠居してしまった。
黒田官兵衛の長男の黒田長政は関ヶ原の功により筑前52万石をもらった。
家康は長政の手をとって礼を言ったそうだが、黒田官兵衛は何故その時家康を刺さなかったかっといったとかいわないとか。
後年黒田官兵衛は黒田如水と名のった。
■2013年6月15日(土)
「播磨灘物語」 3巻 司馬遼太郎 講談社文庫 を読む
黒田官兵衛は播州の小寺家の一番家老である。
しかし摂津の荒木村重が毛利につくことに決めたことから小寺家も毛利につくことを決める。
黒田官兵衛は荒木村重に信長につくように説得にいくが捕らえられ牢屋に入れられてしまった。
牢屋は狭く立つこともできないし体を伸ばすこともできない。下は土である。
1年くらい入っていたのだろうか。髪の毛は皆抜け体も思うように動かなくなった。
信長は官兵衛が裏切ったのだと思い官兵衛の一人子を秀吉に殺すように命じる。
秀吉の軍師竹中半兵衛はその子を殺したと偽り内緒でかくまった。のちの黒田長政かな。
荒木村重の城が落ちやっと官兵衛が助けだされたときは竹中半兵衛は病気で死んでいた。
大阪から本願寺を追い出した信長は四国攻め、毛利攻めに本腰を入れる。
毛利攻めをまかされているのは秀吉である。秀吉の軍師黒田官兵衛も活躍するかな?
■2013年6月15日(土)
「播磨灘物語」 2巻 司馬遼太郎 講談社文庫 を読む
織田についた播州の黒田官兵衛は羽柴秀吉の元につくことになった。
しかし播州ではまだ毛利についた方が良いという大名が多かった。
比叡山を焼き討ちし大阪の本願寺と戦っている信長は評判が悪かったのである。
そんななか秀吉は官兵衛のいる姫路へ7千人の兵を連れてやってきた。
毛利との戦いがはじまった。毛利につく者も多かった。
秀吉と官兵衛は苦戦した。
しかし、降伏してくるより滅ぼしてしまう方が織田の領地にできるので都合がよかった。
そんなおり摂津の荒木村重が。。。
■2013年6月12日(水)
「播磨灘物語」 1巻(全4巻) 司馬遼太郎 講談社文庫 を読む
黒田官兵衛は浪人の子に生まれたが、播州小寺藩の1番家老になった。
戦国時代である。室町幕府将軍は権威も落ち黒田官兵衛は室町将軍に権威をとりもどそうとした。
その頃、日の出の勢いの織田信長が室町将軍義昭をたて京を占領した。
信長は一時四面楚歌におちいっていたが比叡山を焼き討ちにしたり
本願寺と戦ったり全国の一向一揆と戦っていた。
黒田官兵衛は織田信長びいきだったが家老たちは織田信長をきらっていた。
ところが黒田官兵衛は織田信長に加勢したのである。