信長の野望 革新 日記3 りょう99@笠原良太
■2013年10月22日作成
1561年9月、私は織田信長になった。
シナリオ2の「龍虎相撃つ」からはじめる。
城はひとつ、愛知の名古屋あたりかな。
私は小さな頃からうつけと呼ばれてきた。
しかし今川義元を討ち取ると一躍一目おかれるようになった。
今川の植民地のようになっていた尾張の東隣の三河の松平元康は、
今川義元を私が討ち取ってくれたおかげで独立することができた。
それで松平元康(元信の時もあり)も私に同盟をお願いしにきた。
西は私、東は松平がおさめろと杯をかわした。のちの徳川家康と。
尾張では六カ所くらいに町をつくることができる。
私は兵粮確保のため農村を4つ作り、武家町と商人町を一つずつ作った。
兵粮がないと戦えないのだ。兵粮は買えると思ってたら大間違いだ。
町作りに2年かけて1563年4月に完了した。
もちろん技術開発で鉄砲鍛冶のスキルも覚えた。
鉄砲鍛冶を覚えると農村に鍛冶場がつくれて鉄砲の調達ができるようになる。
そして鉄砲技術を中心にのばしていく予定である。
足軽や築城、内政の技術も覚えていきたい。
同盟国などに覚えた技術を教えると多額のお金がもらえて良い。
しかし鉄砲技術だけは教えたくない。
今回、鉄砲櫓の技術が序盤で敵方にもれ全国に広まった。
冗談じゃない。私がボタンを連打してて教えちゃってた可能性もあり。
町作りが終わると徴兵と鉄砲調達をはじめた。
いちいちやるのがめんどくさいので軍事の委任で自動で徴兵と調達ができるようにした。
お金がなくならないうちに尾張と美濃(岐阜)の間に出城の築城をする。
一夜城にすると1万両かかりさらに完璧に作り上げるまでにまた1万両くらいかかるので
普通に築城をはじめ美濃兵にじゃまされないように美濃の途中まで兵をだした。
城作りに4千人、兵を出すのに6千人、尾張の城に3千人くらい残した。
城作りに3千人、兵を出すのに8千人、尾張の城に2千人だったかも。。
うまくいき出城の築城ができた。
伊勢からも尾張に何度か攻め込んできたみたいだが
城の前の武家町に作った鉄砲櫓ですんなり撃退することができた。
出城を拠点に美濃をとろうとするがそう簡単にはいかない。
しかし竹中半兵衛重治のイベント発生。
たぶん城をよこせではなく、竹中半兵衛を味方につけろが正解。史実から。
そうすると6ヶ月美濃と停戦が決まるがそんなのあっという間、
なるべく徴兵して美濃に攻め込む。
また少ない兵をおとりに出して出てきた敵を鉄砲隊で仕留めていく。
美濃の城の兵が少なくなってくるとまた滋賀の浅井かと思ったら南滋賀の六角だった。
ねらい通りと思ったがなんと武田信玄軍までが来てしまった。
セーブ、ロードを繰り返しやっと美濃を私の城にした。
そして美濃を岐阜とあらためた。
美濃の町作りにも2年くらいかかった。
水田にできるところは水田にし畑もつくった。
城の前面にはやはり武家町を作り鉄砲櫓をたくさん組んだ。
1566年の6月にすべて作り終えた。
そしてまた徴兵と鉄砲調達を委任した。
次にねらうのは結構安全地帯の伊勢である。
尾張に兵力をほとんど残さず全員伊勢にあたることができる。
6千の部隊を三つつくり1万8千の部隊で伊勢に乗り込んだ。
城に近づくと2部隊ほど出てきたのでまず2部隊をたたいてから
チュートリアルの通り城を囲んで包囲してみた。
結構簡単に城は落ちた。
美濃の城がおちなかったのは門が3つじゃなくて4つかもしれない?
ほとんど出来てる伊勢の町にちょっと手を加えるため、
尾張と美濃はもうやることがないので軍団を作って委任させた。
するとまだ兵もあまりないのに滋賀の浅井を攻め込んであっさり城を盗ってしまった。
やはり少ない兵でいかに勝つかがポイントですね。
兵を多くすると敵の城も同じように兵を多くしてくる。
兵が少ないと敵も兵を多くしない。
軍団長には織田一門の人が優先されるので一門は自分がいる国においてやれば
木下秀吉(羽柴秀吉→豊臣秀吉)か竹中半兵衛重治が自動的に軍団長になる。
委任した方が良いのか自分で攻め込んだ方が良いのかよくわからないが
委任はすごく楽である。秀吉や半兵衛がどう動くかみてるのも楽しい。
でも城が多くなってくると自分が攻め込むと委任してある城からも
便乗(びんじょう)して兵を出してくれる。
あぶなくなると守ってくれる。
コンピューターと意思疎通しているみたいで面白い。
そして伊勢から伊賀大和の城を奪った。
その頃にはコンピューターは朝倉の一条谷なんてところを何度も攻撃していた。
委任すると行ってはいけない方にも行ってしまうのでこわいところだ。
攻撃先を指定すればよかったんだね、きっと。
でもコンピューターも思い通りには動いてくれない。ずーっと何もしなかったり。
なんとか近畿を制圧するくらいになったが
城が多くなっていい気になってやたら武将を登用していたら
お金がなくて俸禄が支払えないというところまで来てしまった。
大リストラをかんこうしてなんとかおさまった。(賞罰、処罰、追放)
また武田にとって変わり長野をおさえた上杉謙信軍が
何度も攻め込んでくるようになった。これには手を焼いた。
鉄砲櫓があってもどうにもならないところまできた。
上杉は北東の美濃境と長野にそれぞれ10万の兵をもっていた。
それが一度に20万の兵となって襲いかかってくるのだ。
美濃は絶対防衛圏でありどうしても守りぬかなれればならなかった。
自分の美濃に10万くらいの兵をおき周りの城にもそれなりの兵をおいた。
俸禄が支払えなくなったのもそのせいだと思う。
上杉と同盟できれば良かったのかもしれないが受けつけてくれなかった。
武田信玄と同盟できれば良かったのかもしれない。史実、姫をくれてるし。
美濃で何度も関ヶ原みたいな大戦争が行われた。
もちろん負けたらロードした。
そんなおり毛利家包囲網が発令された。
参加すると毛利家以外とは戦争することができなかった。
これで上杉とやりあわないですむ。
これを気に毛利領のほとんどを手に入れることができた。
近畿、中国地方、四国の半分と支配することができた。
しかしそれが今度は織田包囲網に変わった。
その直前に九州半分と四国半分を支配していた島津と同盟することができた。
島津は九州の全部を支配していった。
そして島津と同盟期間が切れると一気に攻め込まれたが
なんとかこらえて九州にのりこむと九州は意外にもろかった。
島津は前線にだけ兵を多くして残りは兵をもたなかったのだ。
だから前線が崩れ突破されるとどうしようもなかった。
あっというまに九州を制圧して西日本を制圧することができた。
あとは東日本に集中できる。
東日本は上杉が強いといってもまだ徳川、武田、北条、伊達などまだ残っていた。
とりあえずどうにか上杉を突破するとまた九州と同じように兵力に厚さがなかった。
どこも1万くらいの兵しかなかった。
私が美濃で10万くらいの兵をもったから上杉も兵を多くしたのだろう。
また兵粮の関係もある。10万人もいると兵粮がもつわけない。
私はわざと上杉領に入っていったときに農村をわざと壊した。
軍団の方針のコマンドで全体と自分のいる国の物資の量をうまくコントロールできたので助かった。
これができないと厳しい。
東日本は上杉がくずれるとあっという間に制圧できた。
1601年、一城だけになった上杉を外交の勧告で降伏させて日本を統一した。
信長もよく長生きした。
勧告しないで戦いで滅ぼす方もやってみた。
これにはかなり時間がかかって1603年に信長が死んだ。
1城になった城の方まで部隊が移動していくまで時間がかかってしまったのだ。
後継者は織田信忠にしたけど混乱とかおきずに上杉を滅ぼすことができた。
また謀反が続いて戦国時代にもどるのかと思ったけどそうはならなかった。
とりあえずエンディングまで行ったので良かったです。