豊臣秀吉読書記録2  りょう99@笠原良太

 

下から書いてます。


■2014年1月21日(火)
「豊臣秀吉」 8巻(完) 山岡荘八 講談社 読破

秀吉は母親を家康の元へおくりやっと家康に上洛してもらった。
家康も秀吉の天下統一に力をかすことになった。
そして秀吉は日本を統一した。
秀吉はこのままでは満足しなかった。
矛先は高麗(朝鮮)、明(中国)に向けられることになった。
明は人口は多いが広いので動員できるのは50万人くらい。
朝鮮は明まで道案内をしてくれて
簡単に明に勝ちをおさめることができると思っていた秀吉。
まさかそんなわけはない。
はやくも朝鮮で補給がとどこおり現地調達もできず
日本の補給船も朝鮮・明海軍にほぼ全滅させられた。
その頃、日本では淀殿(茶々)に子供が生まれた。
一人目は2才で死に、また次に秀頼が生まれた。
しかし秀頼はどうも秀吉の子供ではないようだった。
(茶々の仕返しも恐ろしい)
だからのちに家康の天下になったものと思われる。
2度目の朝鮮出兵の途中秀吉は死に朝鮮から撤退した。

   

■2014年1月20日(月)
「豊臣秀吉」 7巻 山岡荘八 講談社 読破

柴田勝家を滅ぼした秀吉だが家康は秀吉の下風にはつかなかった。
織田信雄を擁護して秀吉にたてついた。
こうして小牧・長久手の戦いがおこり家康が勝った。
しかし信雄が秀吉と和睦したため家康はひいた。
秀吉は家康と戦うことが不利だとわかると
秀吉の姉、42才の朝日姫を家康に嫁がせることにした。
無理矢理離縁させられた朝日姫の夫は切腹してしまった。
朝日姫は人質のようなものだが秀吉と家康は義兄弟ということになる。
この頃、茶々に秀吉の手がついた。
秀吉に浅井長政、柴田勝家、市姫と2人の父と母を殺された茶々である。
いろいろ考えてみると興味深い。

   

■2014年1月18日(土)
「豊臣秀吉」 6巻 山岡荘八 講談社 読破

雪が溶けると北陸の覇者柴田勝家と秀吉の戦いがはじまった。
賤ヶ岳の戦いであり秀吉が勝った。
柴田勝家の下についていた前田利家は秀吉になびいて撤退した。
利家と秀吉は仲が良い。
前田家は加賀100万石をもらうことになる。
勝家は北の庄の城に籠城した。
城から落とせる者は落とし市姫の3人の子供(茶々や江など)はまた落ちてきた。
ところが市姫は勝家とともに自害した。
秀吉が好きだった市姫。
しかし市姫の娘、茶々は淀殿となり秀吉の室に入る。
秀吉も満足したことであろう。
江は江戸幕府2代将軍徳川秀忠の正室となる。

  

■2014年1月16日(木)
「豊臣秀吉」 5巻 山岡荘八 講談社 読破

毛利と戦っている秀吉の救援を受けて信長は先に明智光秀をさしむけた。
ところが明智勢は秀吉のもとへは行かず信長のいる本能寺を攻めた。
「敵は本能寺にあり!」
信長は本能寺で死に、長男信忠は二条城で死んだ。
毛利と戦っていた秀吉はその報を聞き
信長が死んだことがばれる前に毛利と和睦をむすび近畿にとって返した。
天王山の麓で秀吉と光秀の戦いはきって落とされ秀吉が勝った。
明智光秀は逃走中に竹槍でさされ死んだとされるが
その首は本当に光秀の首だったのだろうか。
この小説では光秀は生きていることになっている。
光秀を破ったからといって秀吉が簡単に次の支配者になるわけではなかった。
織田家相続をめぐって清洲会議(尾張、愛知)が開かれた。
最近、清洲会議という映画なり小説があるみたいだけど面白いのかな?
秀吉はまだ幼い織田信忠の長男三法師をあげ柴田勝家は織田信孝をあげた。
他に、織田信雄や秀吉が信長から養子にもらった羽柴秀勝というのがいる。
明智光秀を討ち取った秀吉の発言が大きく三法師が後継者と決まった。
このあと秀吉vs織田家筆頭家老柴田勝家という展開になっていく。
市姫が柴田勝家に嫁ぐことになったことも興味深い。

    

■2014年1月13日(月)
「豊臣秀吉」 4巻 山岡荘八 講談社 読破

市姫を近江(滋賀)の浅井長政に嫁がせると
信長はあっというまに京を占領。
足利義昭を将軍にして二条城を作り、禁裏(天皇の館)の建物も建てたようである。
しかし朝倉攻めの最中に浅井にそむかれ
信長は四面楚歌におちいった。
浅井、朝倉はあやうくなると比叡山に逃げ込んだ。
信長は「叡山を滅ぼすものは叡山なり」と比叡山を焼いた。
そして浅井、朝倉を滅ぼした。
浅井に嫁いでいた市姫と3人の子供(茶々や江など)は助けだされた。
秀吉はその功により北近江14万石をもらうことができた。
その土地に国友村があった。鉄砲鍛冶がいる。
秀吉はそこで鉄砲をたくさん作らせ
数千挺の鉄砲でもって長篠の戦いで武田軍を破った。
ついで北陸攻めとなったが総大将の柴田勝家とケンカした秀吉は毛利攻めをすることになった。
姫路に拠点をおくことになった。
293ページではじめて黒田官兵衛の名前が出てくる。
軍師竹中半兵衛を病気で失ったが軍師黒田官兵衛を持つことになった。
上杉謙信が卒中で死んだのもころころだろうか。
黒田官兵衛の進言により毛利領の備中高松城を水攻めにした。
そこで信長に花を持たせるため秀吉は信長に救援を求めた。

   

■2014年1月11日(土)
「豊臣秀吉」 3巻 山岡荘八 講談社 読破

今川義元を破り東の三河の松平元康(徳川家康)と同盟を結ぶと
信長は美濃攻略に乗り出した。
しかし誰も川向こうの要衝墨俣に砦を築くことはできなかった。
佐久間、柴田も美濃の斉藤勢に敗れた。
そこで秀吉は墨俣に一夜で城を築いてみせた。
蜂須賀小六などの野武士をつかって美濃領から木をきりたおし
筏にして下り、その筏の木で一夜で城を築いたのだ。
そして斉藤の武将の諜略をはじめた。
竹中半兵衛も味方につけることができ秀吉の軍師にむかえる。
竹中半兵衛は才能がありすぎて危険だから秀吉の下につくことになった。
そして斉藤の稲葉山城を落とし、
信長は美濃を岐阜とあらため天下布武をかかげる。
信長の活躍を見て朝倉の元に身をよせていた明智光秀が
足利義昭(室町幕府将軍)をつれて信長に仕官してきた。
信長の妻、濃姫のいとこらしい。秀吉に良いライバルが現れた。
信長は京を目指すため近江の浅井に妹の市姫を嫁がせる。
秀吉は市姫のことが好きだったらしい。

  

■2014年1月10日(金)
「豊臣秀吉」 2巻(全8巻) 山岡荘八 講談社 読破

尾張の信長の領内には関所がなかった。
それで尾張では日本で3本の指に入るくらい活気づいた市がたっていた。
その市で針売りをしていた秀吉(木ノ下藤吉郎)は信長の眼にとまり
信長に仕官をはたした。
はじめは馬屋番や草履取りだったが
どんどん出世して台所奉行を務めるまでになった。
そこへ今川義元が上洛戦をおこしてきた。
秀吉は今川を油断させるために籠城と思わせるため味噌買いにはしる。
そして毎日信長と祭りにくりだして踊っていた。
それは何をかくそう野武士に会ってわたりをつけるためだった。
また民百姓に旗をかかげさせて兵力があると思わせる作戦だった。
そして桶狭間の戦いで今川義元を討ち取り勝利した。
尾張のうつけと言われた信長の天下取りがはじまる。
そこにはいつも秀吉がいた。
秀吉は台所奉行から薪炭奉行をこなし出費を半減させた。
そして崩れた石垣の城普請をはじめたところで2巻は終わり。
そうそう寧々(ねね)と結婚することができた。

      

■2014年1月3日(金)
「豊臣秀吉」 1巻(全8巻) 山岡荘八 講談社 読破

NHK大河ドラマで黒田官兵衛をやるので
読み始めたのですが、
フィクションなんだな。これが。。
秀吉の幼少期から書いてあって
まだ信長に仕官はしてないです。。