吉川三国志 全十巻 新潮文庫 読書記録 りょう99@笠原良太

下から書いてます。

講談社で全8巻で出ていましたが、2013年に新潮文庫で全10巻で出版されました。

吉川三国志を読むのも16回目くらいだと思う。
読めば読むほどわかるものがあり味わい深いです。


 

■2014年4月21日(月)
「三国志 十 五丈原の巻」 吉川英治 新潮文庫 読破

孔明と司馬懿の決戦の十巻。
孔明は何度も魏に攻め込むがはたしてそれは正義だったのだろうか。
劉備以来、蜀軍の戦争目標としてかかげていた「漢朝復興」ははたして適当だったろうか。
中国全土の民にいわゆる大義名分として受け入れられるに足るものであったか否か疑わざるをえない。
劉備がはやく降伏していれば曹操が中国を統一してはやく平和が来たかもしれない。
孔明が何度も戦争をしかけたことは中国にとって不幸だったのでは、っと思うことがある。

吉川三国志は第二次世界大戦中に書かれた本で、それを考慮に入れてみると興味深いかもしれない。
蜀が日本で、魏がアメリカのような気がする。妄想かなぁ。。
座して滅ぶより出でて戦うという発想が。。

   

■2014年4月19日(土)
「三国志 九 出師の巻」 吉川英治 新潮文庫 読破

荊州の関羽は毒矢で腕を痛めたが名医華陀になおしてもらう。
しかし精彩を欠いた関羽は魏と呉に攻められ最後となった。
魏の曹操は頭痛に悩んでいたが名医華陀にみてもらい
脳手術をすれば十中八九なおるといわれたが
なおらなかったら天命とあきらめるしかないと言われ
怒った曹操は華陀を殺してしまう。
また梨の木の霊木を斬った曹操は梨の木の精にとりつかれてしまう。
関羽の霊が祟ったか華陀の霊か梨の木の精か曹操もとうとう死んでしまった。
劉備は関羽にとどめを刺した呉に復讐するため呉に宣戦布告する。
しかし張飛は部下に寝首をかかれ部下は呉に投降してしまった。
死ぬ日は同じ日だと誓った桃園の義はここに終わった。
劉備は孔明に反対されたが劉備の復讐心は強く呉に攻め入った。
張飛の子張苞と関羽の子関興が活躍する。
虎の子に犬の子なしである。
蜀軍は連戦連勝で長江(かな?)をものすごい速さで下っていった。
しかし呉の陸遜はあえて戦わずこれを待っていた。
蜀の軍は長細くなり力の重厚を欠いた。
ここに呉軍は火攻めによって蜀軍の中核を攻め分裂した蜀軍を殲滅した。
蜀は敗れまもなく劉備も死んでしまった。
蜀の国は孔明に託された。
魏でも司馬懿仲達が頭角を現しつつあった。
孔明は一時南蛮を攻め南蛮王孟獲を七度捕まえ七度放し心から降伏させた。
そして孔明は出師の表をかかげ魏と戦おうとする。  

    

■2014年4月14日(月)
「三国志 八 図南の巻」 吉川英治 新潮文庫 読破

荊州を足がかりに劉備は蜀の国をとった。
孔明がうちだした天下三分の計はなった。
三国志のタイトル通り魏、呉、蜀が並び立った。
魏の曹操、呉の孫権、蜀の劉備。
曹操は魏王となり、蜀の劉備は魏から漢中をとり漢中王となる。
勢いにのった蜀に対抗するため魏と呉は軍事同盟を結び荊州をとろうとする。
荊州は関羽にまかされていた。
関羽は魏のホウ徳をやぶったもののホウ徳の放った矢で腕を痛める。

  

■2014年4月11日(金)
「三国志 七 望蜀の巻」 吉川英治 新潮文庫 読破

赤壁の戦いで曹操は大敗北をする。
魏と呉が戦っているすきをついてうまいこと荊州をとった劉備。
勢いに乗った劉備は益州をとりに行く。
天下三分の計はなるか。

  

■2014年4月4日(金)
「三国志 六 赤壁の巻」 吉川英治 新潮文庫 読破

三顧の礼で孔明を迎えた劉備。
魏の夏侯惇の部隊をボコボコにした孔明の軍才。
張飛も関羽も孔明の才を認めた。
しかし次は曹操自ら100万の兵で荊州によせてきた。
荊州の劉表は病が重く劉備に荊州をゆずろうとしたが
劉備は人の不幸を自分の幸福にはできないと受けなかった。
孔明も劉表の後をひきつぐように言っていたのだけど
「なるほどあなたは仁君である」といった。
そのうち劉表は死んでしまった。
後を継いだ劉jは曹操に降伏してしまった。
曹操の先鋒をボコボコにした劉備は退却にかかった。
劉備をすがってたくさんの民がついてきたので退却もすすまなかった。
とうとう曹操に追いつけられてしまった。
趙雲は劉備の夫人と子供をまかされていたので曹操軍の中をかけまわった。
高台から趙雲を見ていた曹操は生け捕れと命令した。
自分の部下に欲しいのである。
趙雲は劉備の子供を捜し当てやっとのこと長坂橋までやってきた。
張飛が長坂橋で1人立っている。1人で大勢を防ぐ形である。
橋の向こう側の林の中では少ない疑兵たちが行ったり来たりして大勢いるように見せかけた。
魏の軍団が長坂橋に近づくと張飛がすごい顏で立っている。
夏侯覇というものが張飛に近づいていったが張飛が鉾をまわすと馬からころげ落ちた。
皆張飛をおそれた。曹操はいった「退け」と。
曹操軍は我先に逃げようとして大混乱をおこしてしまった。
張飛ファンにはたまらないシーンです。
劉備軍はとうとう曹操軍から逃げ切ることができた。

曹操は劉備にとどめをさせば良い物を
次の進行を呉に決めた。
荊州を手に入れた勢いをもって呉に圧力を加えた。
曹操は呉に対して、降伏をせまった。
呉の魯粛も劉備と連携して魏をうつべきだと劉備の元を訪れた。
そして魯粛の船にのって孔明は呉に下っていった。
呉では降伏だという武将が多かったが孔明は孫権をして主戦論に持って行った。
孫権の義兄の周瑜も孔明のおかげか主戦論になったので
孫権も魏と戦うことを決めた。
周瑜は火計をつかおうと思ったがこの時期北西の風は吹いても南東の風はふかない。
孔明はそろそろ南東の風が吹くことを知っていたので、祭壇で風を祈る。
はたして南東の風が吹いてきた。
準備は整った。赤壁の戦いのはじまりである。

       

■2014年4月1日(火)
「三国志 五 孔明の巻」 吉川英治 新潮文庫 読破

曹操のもとを脱出した関羽。
張飛が山賊から奪った城で再会することができた。まあいさかいもあったが。
劉備も袁紹のもとから脱出し、張飛の城で再会する。
張飛が仲間を集めていると噂を聞きつけ、趙雲、糜芳、糜竺、孫乾などもやってきた。
しかし曹操にまたボコボコにされて荊州の劉表のもとへ身を寄せる。
曹操は袁紹を滅ぼし子供たちも皆滅ぼしてしまった。
ここに曹操は中国中央から北部にいたるまで制圧してしまった。
劉備の落ちた先の荊州には賢人たちが多く集まっていた。
中国大陸の中央に位置するからだ。
司馬徽(水鏡先生)は言った。
「臥龍(がりょう)、鳳雛(ほうすう)、1人でも味方につければ天下は掌(たなごごろ)にあろう。」
劉備は徐庶から臥龍、諸葛孔明の話を聞き三顧の礼で孔明に会うことが出来た。
呉では孫策が死に孫権が後をついでいる。

  

■2014年3月29日(土)
「三国志 四 臣道の巻」 吉川英治 新潮文庫 読破

天子をようした曹操は呂布、袁術を滅ぼし張繍を降伏させた。
曹操の大軍は劉備に迫ったが劉備はなんとか袁紹のもとへ逃げ失せた。
関羽は劉備の家族をまかされていたので曹操に降伏した。
なんといっても袁紹は昔からの名門で曹操などまだ眼中になかった。
しかし袁紹きっての武将、顔良と文醜を関羽が斬ってしまう。
劉備は二度も袁紹に斬られそうになったがなんとかまぬがれる。
劉備はいった。「関羽に自分が袁紹の元へいることを知らせれば日を追ってここにくるだろう」と。
かくして関羽は劉備の夫人を守護して劉備の元へ行こうとするが。。

    

■2014年3月26日(水)
「三国志 三 草莽の巻」 吉川英治 新潮文庫 読破

貂蝉をめぐり董卓を殺した呂布だが
董卓の部下の李カク、郭氾に政権をとられ
曹操にも敗れた呂布は徐州の劉備の元へ落ちてきた。
両雄並び立たず、李カク、郭氾は戦争にくれた。
帝は長安から洛陽に落ちてきた。
曹操の元へ守ってほしいと勅使がきてすぐさま応じる。
曹操は帝をようし実権をにぎった。
劉備が主人公だと思っていたけど実は曹操が主人公だったようである。
南方では孫堅の後をついだ孫策が一大勢力を築き上げた。
劉備は呂布に敗れ曹操の元へ身を寄せる。
やはり劉備が呂布を助けたのは間違いだったね。

  

■2014年3月25日(火)
「三国志 二 群星の巻」 吉川英治 新潮文庫 読破

黄巾の乱があり、十常侍という宦官たちの政治腐敗があり
都が乱れているおりに大軍をもって政権をとってしまった董卓。
董卓を滅ぼすために、袁紹を盟主にいだき曹操が旗揚げした。
檄に応じて集まった義軍たち。
その公孫サンの軍の中に劉備、関羽、張飛の義兄弟がいた。
董卓の武将に華雄というのがいて誰もたちうちできなかったが
関羽が華雄の首をとる。
ついに呂布が出来てきた。三国志で一番強い武将である。
また誰もたちうちできなかったが、そこに立ちはだかったのは張飛だった。
呂布と張飛の一騎打ち、しびれますね。
張飛の加勢に関羽、劉備がいき呂布は撤退する。
呂布が敗れたことにより董卓は都を洛陽から長安に遷都(せんと)する。
洛陽は焼かれた。焦土戦術である。
義軍たちは仲間割れをおこし消滅する。
袁紹が手頃な土地を奪ったことにより公孫サンと戦争になった。
公孫サンは追い詰められるがそこへ劉備、関羽、張飛が援軍にきた。
袁紹が「すわや、例の玄徳(劉備)か」っと言ったあたり心にこみ上げて来るものがありますね。
関羽、張飛の活躍により劉備もそこまで知られるようになった。
陶謙と曹操の間でも戦争が起こった。
陶謙の部下が曹操の父親を殺してしまったのだ。
劉備は陶謙を助けにいく。
曹操が戦っている間に呂布が曹操の本拠をついたことにより曹操は撤退する。
ここに陶謙の後をついで劉備が徐州の太守としてたった。
劉備も世間に認められるくらいになった。うれしい。
しかしその徐州の劉備のもとへ曹操に敗れた呂布が頼って落ちてきた。
誰もが反対したが劉備は呂布をもてなし徐州近くの小沛をあたえた。
陶謙と曹操が戦争になった時に呂布が曹操の背後をついてくれなければ
徐州の陶謙が敗れたことは必至(ひっし)だったからだ。
張飛はおもしろくない。反抗期張飛。。

  

■2014年3月18日(火)
「三国志 一 桃園の巻」 吉川英治 新潮文庫 読破

講談社から全8巻で出ていましたが、
去年から新潮文庫で全10巻で出ています。
文字が大きくて大変読みやすくてサクサク読めます。
何度読んでも凄い本だと思うのですが、
どこまでが吉川英治さんのオリジナルか
どこから他の本からとってきたものかよくわかりません。
検証できるといいのですが。
とにかく素晴らしい本に仕上がっています。
何度読んでも感動します。
読めば読むほど面白いです。