項羽と劉邦 読書記録 2016 りょう99@笠原良太
下から書いています。
■2016年2月20日(土)
「項羽と劉邦 下」 司馬遼太郎著 新潮文庫 読破
項羽と劉邦が血みどろの戦いをする中で韓信は北方を制圧していった。
韓信は項羽のいないところで戦っていたので運が良かったとこもあるかもしれない。
韓信軍2万vs敵軍20万。韓信軍は川を背に陣をしいた。
敵軍は大いに笑い全軍で韓信軍に攻めてきた。
その時、韓信の別動隊2千は空になった敵軍の城を簡単に奪い韓信軍の旗をかかげた。
敵軍は混乱し韓信軍が勝った。これが有名な背水の陣である。
川を背にして必死にがんばったことよりも、敵をおごらせて敵城を奪ったことを重視したいところだ。
劉邦は食糧庫で守勢にたち、項羽の食糧をゲリラ戦で奪ったり焼いたりした。
劉邦軍は肥え、項羽軍は飢えてきた。
劉邦と項羽は和議を結んだが、項羽が退くと劉邦は和議を破って項羽に迫った。
項羽軍は飢えているといってもやはり圧倒的に項羽軍は強かった。
そこへ項羽軍が飢えている今がチャンスと韓信軍30万がやってきて項羽軍を取り囲んだ。
項羽は囲みをやぶり逃げたが最後となった。
■2016年2月19日(金)
「項羽と劉邦 中」 司馬遼太郎著 新潮文庫 読破
秦の始皇帝が死んだ。
秦を滅ぼそうとして立ち上がったのが項羽であり劉邦であった。
はじめは劉邦は項羽の部下のような感じだった。
懐王(かいおう)は言った。先に関中に入った者を関中王にするであろうと。
項羽は秦の本軍と戦いながら関中をめざし、劉邦は別動隊として関中をめざした。
先に関中に入ったのは劉邦だった。
そして後から項羽がやってこれないように函谷関(かんこくかん)を閉ざしてしまった。
項羽は怒り函谷関を突破して劉邦を殺そうとした。項羽の方が圧倒的な軍勢だった。
劉邦は鴻門(こうもん)の会で項羽にわびて命はなんとか助かった。
しかし劉邦は蜀の地へおくられることになった。
蜀は道が険しく罪人などがおくられるところで劉邦は二度と蜀から出てこれないだろうと思われた。
項羽は関中にとどまることなく故郷である楚の地の方へ帰っていった。
劉邦は先に関中に入ったが略奪もしなかった。
項羽は勝つごとに略奪をして秦兵を何十万人も皆殺しにした。
勝って略奪をするのは兵の楽しみであり士気をあげるためでもあった
また敵兵を皆殺しにするのは食い扶持を減らすためであった。
皆項羽を恨み、劉邦がまた出てくることを望んだ。
そして劉邦は蜀から関中へ出てきた。
そして劉邦は関中から出て項羽と戦おうとするが戦えば必ず負けた。
やはり項羽は強すぎた。
■2016年2月10日(水)
「項羽と劉邦 上」 司馬遼太郎著 新潮文庫 読破
項羽と劉邦も三国志の次に何度も読んでいるのですが
ひさしぶりに読んだら文章とか細かい内容などは忘れていました。
やはり何回も読まないとダメですね。
全文章を暗記するくらい読まないと。
劉邦は漢帝国を築いた人で劉備のご先祖様ですね。
項羽と劉邦の話で「赤龍王」という良い漫画があります。本宮ひろ志作