三国志読書記録 2016   りょう99@笠原良太

下から書いています。18回目

(2015年前半に17回目を読んでます)


■2016年1月31日(日)

「三国志 十 五丈原の巻」 吉川英治著 新潮文庫 読破

蜀の諸葛孔明と魏の司馬懿仲達の決戦の十巻。
孔明は座して滅ぶよりは出でて戦うべしと魏に侵攻する。
司馬懿は動くと孔明の謀りに落ちるので守って戦わなかった。
蜀は道が険阻で兵糧がつづかず撤退するしかなかった。
孔明は敵を呼び込んで殲滅するという策をよく用いるが
守って動かない敵にはどうしようもなかった。
孔明が病没して吉川三国志は終わる。
孔明が死んで30年後、蜀は魏に滅ぼされる。

  

■2016年1月30日(土)

「三国志 九 出師の巻」 吉川英治著 新潮文庫 読破

ひじを痛めた関羽は魏と呉に攻められ最後となった。
劉備は関羽にとどめをさした呉に戦線布告する。
しかし張飛は無理な陣触れをしたことから部下に寝首をかかれてしまった。
桃園の義はここに終わった。
劉備は75万もの兵力で呉へ攻め込んだが長江をすごい速さで下っていった。
呉はその中核を破った。
すると75万の兵もちりじりになり呉に殲滅(せんめつ)されてしまった。
劉備は75万の兵を失い恥じて二度と蜀の国に帰ることはなかった。
白帝城を永安宮と読んでそこへとどまりまもなく死んでしまった。
そこで魏の司馬懿仲達は蜀へ5カ所から攻め込む策をほどこした。
その一手である呉に対して孔明は蜀呉同盟を結ぶことに成功した。
魏は呉に攻め込むが赤壁の戦いの時ほどの惨敗を喫した。
孔明はこの時こそ南蛮を討つ機会だと進んでいった。
南蛮王孟獲は7度捕まり7度放され心から孔明にまた王化に服した。
南蛮から帰った孔明は出師の表をかかげ魏に攻め込もうとする。

  

■2016年1月28日(木)

「三国志 八 図南の巻」 吉川英治著 新潮文庫 読破

蜀の国をとった劉備は漢中もとって漢中王となる。
魏と呉が戦って得をしたのは劉備だった。
それに気づいた魏と呉は一転して同盟を組み荊州の関羽を攻めることになった。
ホウ徳を破った関羽だが手に矢傷を負う。

  

■2016年1月27日(水)

「三国志 七 望蜀の巻」 吉川英治著 新潮文庫 読破

孔明が風を祈り呉が待っていた東南の風が吹いてきた。
火攻めだ。魏の船団は火に焼かれた。
曹操は大敗北を喫した。
そして魏と呉が戦っている隙をついてえ荊州の城を奪う劉備。
もちろん孔明のはかりごとである。
劉備は副軍師にホウ統を迎える。
ホウ統は鳳凰の雛(ひな)、孔明は伏せる龍に似る。
臥龍、鳳雛1人でも得れば天下はとれるといわれた2人が劉備の軍師になったのである。
劉備は荊州を足がかりにして蜀の国に侵攻する。

    

■2016年1月25日(月)

「三国志 六 赤壁の巻」 吉川英治著 新潮文庫 読破

劉備は軍師に孔明を迎えた。
孔明の打ち出した案は荊州、益州を取り
魏の曹操、呉の孫権に対抗する天下三分の計であった。
しかし荊州の劉表が死ぬと劉表の子は曹操に降伏してしまった。
劉備の兵は数千しかいない。
曹操の先方を叩いた劉備は退却にかかる。
しかしたくさんの民をつれていたことから曹操軍に捕まってしまう。
曹操の軍は100万とかいわれていた。
趙雲は曹操の大軍の中をはぐれた劉備の子、阿斗(劉禅)を
探してかけめぐる。そして助けだした。
曹操の大軍は劉備に迫るが長坂橋の張飛の形相に驚いた曹操軍は
退却してしまった。張飛ファンにはしびれるシーンです。
劉備はやっと夏口の城まで退却することができた。
曹操は今度は呉に迫った。
呉は降伏論が多かったが、呉にくだった孔明は孫権、周瑜などを説き
魏に開戦することを決めた。
長江をはさんで魏と呉の赤壁の戦いがはじまる。
孔明は風を祈り、呉に有利な南東の風が吹いてきた。

 

■2016年1月23日(土)

「三国志 五 孔明の巻」 吉川英治著 新潮文庫 読破

関羽は曹操の元を去り、劉備も袁紹の元から出て
張飛が山賊から奪った城で再会することができた。
公孫サンが袁紹に滅ぼされて放浪していた趙雲もやってきた。
劉備は汝南を献ずられてそこへ落ち着くことになった。
曹操は袁紹を滅ぼし汝南の劉備を敗走させた。
劉備は荊州の劉表の元へ身をよせることになった。
曹操は袁紹の子供たちも滅ぼし中央から北部にわたり制圧してしまった。
劉備は領地はもたないが孔明と会うことができた。
臥龍、鳳雛1人でも得れば天下はとれるといわれた臥龍こと諸葛孔明であった。

 

■2016年1月21日(木)

「三国志 四 臣道の巻」 吉川英治著 新潮文庫 読破

呂布を倒した曹操は劉備を連れて凱旋(がいせん)した。
劉備は帝にまみえて劉皇淑と呼ばれるようになった。
そして曹賊を倒してくれという密勅を受けて連盟に名を連ねた劉備だったが
それが曹操の知る所となってしまった。
徐州の劉備は曹操の攻撃を受けて速攻壊滅した。
劉備は袁紹の元へ逃げ、張飛はゆくえをくらまし、
劉備の婦人たちをまかされていた関羽は曹操に降伏した。
そして袁紹と曹操の天下分け目の戦いが始まった。
関羽が袁紹の武将、顔良、文醜を斬ってしまったことで
劉備は袁紹に2度斬られそうになる。
劉備が袁紹の元にいることを知った関羽は劉備の元へ行こうとするが。。

  

■2016年1月19日(火)

「三国志 三 草莽の巻」 吉川英治著 新潮文庫 読破

劉備のいる徐州に落ちてきた呂布だが
やはり劉備に牙をむいた。
呂布は徐州をのっとり劉備は逃げて曹操に助けを求める。
曹操は劉備の助けに応じ不義者の呂布にとどめをさそうと
呂布のいる城を取り囲んだ。

    

■2016年1月16日(土)

「三国志 二 群星の巻」 吉川英治著 新潮文庫 読破

1巻で桃の花が咲き誇る桃園で義兄弟の契りを結んだ劉備と関羽と張飛。
「生まれた日は違えども、死ぬ日は一緒だ」と誓い会う。
3人は義勇軍を組織して黄巾賊を討伐しようと乗り出した。
黄巾賊は討伐されたが、中央では宦官たちが悪政をおこなっていた。
今度は宦官たちを討伐するために各地の英雄に檄がとんだ。
その中に20万の大勢力をもつ董卓がいた。
董卓は呂布に赤兎馬を贈り味方につけると中央の混乱を機に政権を奪ってしまった。
曹操は董卓を暗殺しようとするが仕損じて逃げた。
曹操は故郷に帰ると、我こそ密勅を受けてこの地に降ったと
董卓を討つべく各地に檄をおくった。
曹操の檄に応じて各地の英雄たちが集まってきた。
その公孫サンの部隊の中に劉備たちはいた。
董卓の武将華雄を関羽が討ち株を上げる。
三国志で一番強い武将呂布が出てきて張飛との一騎打ちがはじまる。
張飛ファンにはたまらないシーンです。
関羽と劉備が助太刀にいき呂布は退いた。
呂布が敗れると董卓は焦土戦術で洛陽を焼いて長安に遷都した。
曹操たちの軍は焦土と化した洛陽をとると仲間割れをおこして解散してしまった。
袁紹と公孫サンが戦いになった。公孫サンが負け気味であったが旅人の趙雲が助けてくれた。
そして公孫サンの応援に劉備、関羽、張飛がかけつけてきた。
袁紹は「例の玄徳(劉備)か」と言って恐れおののいた。
ここで趙雲は劉備を見て、劉備みたいな人を主と仰ぎたいと思った。
しかし劉備は趙雲に今は公孫サンを助けてあげて下さいといって帰っていった。
董卓と呂布が組んでいるうちは2人を倒すことはできない。
司徒王允は娘の貂蝉を呂布におくるとみせかけて董卓におくった。
董卓と呂布が貂蝉をめぐり不仲になりとうとう呂布は董卓を殺した。
しかし董卓の部下の李カクと郭氾が次の政権を奪ってしまった。
呂布は落ちていって放浪した。
両雄並び立たず、李カクと郭氾は血みどろの戦いに明け暮れた。
一方曹操は落ち着いた地に父親を呼ぼうとした。
徐州の陶謙は通りかかった曹操の父をもてなしたのだが
部下が金目のものをもっている曹操の父を殺してしまった。
曹操は徐州の陶謙に宣戦布告した。
その時、劉備たちは仁君の誉れ高い陶謙を救おうと徐州城に入った。
陶謙は喜んで劉備を徐州の太守をゆずろうとしたが劉備はどうしても受けなかった。
そんな折り、曹操の本拠の留守を呂布が襲った。
曹操は呂布と戦うため徐州から撤退した。
陶謙はまもなく寿命で死に劉備が新たな徐州の太守として立つことになった。
しかし曹操に敗れた呂布が徐州に落ちてきた。
みんなに反対されたが劉備は曹操が徐州を攻めたときに呂布が曹操の背後をついたことによって
徐州が救われたことを忘れてはいなかった。
劉備は呂布に近くの小沛をあたえて住まわせた。
張飛は猛反対して呂布とけんかばかりしている。
呂布に負けるな張飛、私は張飛ファンだからね。

 

■2016年1月16日(土)

「三国志 一 桃園の巻」 吉川英治著 新潮文庫 読破

吉川三国志を読むのも18回目くらいだと思う。
読めば読むほどおもしろいなぁ。
ゲームで「三國志13」がでるみたいだけどおもしろそうだなぁ。
「三國志12」はつまらなそうだったけど。