読書記録2017年7月から  りょう99@笠原良太(かさはらよしたか)

「翔ぶが如く」 全10巻 司馬遼太郎著 文春文庫 3巻を読み終わりました。

「西郷隆盛」 全11巻 林房雄著 徳間文庫 を読破しました。
「西郷どん!」 全3巻 林真理子著 角川書店 を読破しました。
「関ヶ原」 全3巻 司馬遼太郎著 新潮文庫 を読破しました。
「劉邦」 全3巻 宮城谷昌光著 毎日新聞出版 を読破しました。
「三国志」 全10巻 吉川英治著 新潮文庫 を読破しました。
「西郷隆盛」 全14巻 海音寺潮五郎著 朝日新聞社 を読破しました。
「櫻子さんの足下には死体が埋まっている」 太田紫織著 角川文庫 を13冊読破しました。

「日本の歴史」 全26巻 中央公論社を4巻と5巻をとばして7巻の250ページまで読んで挫折しました。

前回「世界の歴史 全16巻」中央公論社を6巻と9巻をとばして16巻まで読みました。
6巻と9巻は中国の所で挫折しました。。


■2017年12月29日(金)

「翔ぶが如く 三」 司馬遼太郎著 文春文庫 読破

征韓論はこの時期の現実からいっても端的にいって愚論でしかない。
しかし、その論において西郷はこの時期の全国50万人の士族の
不満と動揺というものを集約し、その解決を兼ねて
すでに樺太まできているロシアの東漸運動を
最終ぎりぎりの時期において未然にふせごうとした。
ロシアの極東侵略を満鮮で食い止めようというその政策案は
西郷が去るとともに消えた。
外遊組に反対されて征韓論に敗れた西郷は薩摩に帰ったのである。
桐野をはじめ薩摩のものの多くは西郷を追って薩摩に帰った。

  

■2017年12月27日(水)

「探偵さえいなければ」 東川篤哉著 光文社 読破

ひさしぶりに東川篤哉さんの本をチェックしてみたら
この本を読んでなかったのでブックオフオンラインで注文して読みました。
烏賊川市(いかがわし)シリーズがひさしぶりに読めてよかったです。
関東のどこかにあるいかがわしい地域のようです。。

  

■2017年12月27日(水)

「大日本史」 山内昌之・佐藤優著 文春新書 読破

山内昌之さんと佐藤優さんの対談集です。
幕末から第二次世界大戦くらいまで扱っています。
最近対談集が好きで結構読んでます。
人の考え方がわかるのはおもしろいです。

  

■2017年12月25日(月)

「探偵少女アリサの事件簿 今回は泣かずにやってます」 2作目
東川篤哉著 幻冬舎 読破

両親を探偵にもつ小学4年生の有紗。
父親が日本全国を母親は海外を飛び回っていて
便利屋をやっている橘(たちばな)良太は有紗の子守をよく頼まれる。
良太と有紗のまわりでは事件がよくおこる。
名前が私と同じ良太だけど悪意がないからいい。

   

■2017年12月25日(月)

「池上彰の世界の見方 ドイツとEU」 池上彰著 小学館 読破

イギリスがEUから抜けてEUで一番力をもっているのがドイツになりました。
ヨーロッパでは戦争ばかりしていましたがその反省からEUができました。
しかしイギリスはEUから離脱することになりました。
難民を受け入れたくないからでしょうか。
ドイツはナチスのユダヤ人虐殺でひどいことをしたので難民の受け入れには寛容です。
現代史から最近のEU情勢までわかって良い本だと思います。
アマゾンで買いました。

  

■2017年12月23日(土) 晴れ

「翔ぶが如く 二」 司馬遼太郎著 文春文庫 読破

西郷隆盛の弟従道の外遊は早かった。山県有朋も一緒だった。
欧州の文明というものがいかに巨大で、その陸海軍がいかに盛大であるかに驚いただけではなかった。
世界のすう勢は合衆政(共和政治)にむかいつつある。
日本はようやく王政復古したというのに、パリではもはや帝政を倒し、さらにブルジュアジーを倒し、
労働者による共和政権をつくろうという気分が横溢(おういつ)していた。
攘夷どころではない、王政そのものがあぶない。
「日本国皇帝」というものを意気揚々と成立せしめた志士のひとりである西郷従道としては
この世界のすう勢には狼狽せざるを得なかった。
いったい天子を擁し奉ってあれでよかったのであろうか。
しかし天子を擁立しなければ倒幕も維新も成立しえなかった。
また山県有朋を襲いつづけていた衝撃は、ヨーロッパ人民は王を愛さなくなっている。
むしろ国家や議会を愛そうとしている。この思想はやがて日本にも来る。
せっかく成立したばかりの日本の天皇制は累卵のあやうきにあるという恐怖だった。
日本のような忠君の道徳や感情は必ずしも普遍的でないことも知った。
山県ほど天皇の権威的装飾に熱中した男はなく、日本史上における天皇のたたずまいが
明治20年代から異様な重厚さを加えてくるのは山県ひとりの創作に負うところが多い。
天皇の権威的装飾が一変するのは、明治29年(1896年)、侯爵山県有朋が、
ロシア皇帝ニコライ二世の戴冠式に日本代表として参列してからである。
(なるほど、皇帝の座とはこれほど荘厳なものか)
とかつて欧州で見たのとは逆の衝撃を受けた。
日本の天皇がミカドである位置から明治憲法による天皇になられたのは
この憲法が発布された明治22年からである。
起草者の筆頭は伊藤博文であった。
山県よりも開明的傾向のつよい伊藤は「日本国皇帝」のあり方のモデルをロシア皇帝に求めず
ドイツ皇帝にもとめ、しかも皇帝から専制性を抜いたものとして考えた。
この新しい「日本国皇帝」に対し山県が明治29年にロシアから帰って皇帝の粉飾を取り入れた。
かつて江戸期の終了まで御所様として日本的陰翳(いんえい)の世界で
神聖視されていた天皇はこのあたりで栄光の伝統を変える。
ドイツ風の威権の象徴になり、ロシア風の重厚さを加えることになった。
山県は軍を握った後、内務官僚組織をにぎり、ついには明治国家の国権を確立してしまった。
「フランスの民権主義は、せっかく国家を誕生せしめた日本に害がある」
という意味のことを山県は滞欧中たえず言ったに相違なく、民権よりも国権である。
そのためには国権主義のプロシャを範とすべきであるとした。

「翔ぶが如く」は話が前後します。
外遊組が帰ってきてどうやって韓国に使者にいこうとする西郷を止めようかっとずっと書いてあります。

   

■2017年12月22日(金) 晴れ

「偏差値好きな教育後進国ニッポン」 増田ユリヤ・池上彰著 ポプラ新書 読破

今日買ってきてすぐ読みました。
イジメのこととか原発のこととかが書いてありました。
偏差値のことが書いてあったかわからなかったけど
偏差値は必要じゃないかな。
競争がないと誰も勉強しなくなると思います。

  

■2017年12月20日(水)

「翔ぶが如く 一」 司馬遼太郎著 文春文庫 読破

はじめ川路利良が出て来て主人公かなと思うのだがそうでもないらしい。
主人公がはっきりしてないのが翔ぶが如くの難点である。
司馬遼太郎さんの本は脱糞するシーンや放尿するシーンが出て来てよくない。。
西郷隆盛は薩摩出身の川路利良と桐野利明(中村半次郎)をかわいがって
川路を警察のトップにして桐野を陸軍のトップにした。
西郷の用心棒の桐野は人斬り半次郎と言われ恐れられた。
また西郷と大久保利通は幼なじみである。
一巻から征韓論ではじまる。メモをとったので文章にしてみよう。
朝鮮に日本は開国の使者を何度も送るがほうほうのていで追い返された。
勝海舟は旧幕時代から日本と朝鮮と中国の三国同盟の提唱者であり、
とくに朝鮮に対しては強い連帯意識と親近感をもっていたから
明治政府が朝鮮に修交を求めたのは勝海舟流の善意の行動であったに違いない。
が、朝鮮はそれを蹴った。
そのあと海舟流の三国同盟論が薄くなりかわって征韓論が登場した。
西郷は「あくまで修交である。その国使として自分がゆく、
     彼の地で殺されるかもしれないが、その結果として武をもちいればよい」
としていた。
明治4年に日本を出発して欧米諸国の国家見学に出かけた公卿の岩倉具視、
薩摩の大久保利通、長州の木戸孝允らやその随行者たちは、
帰国後ことごとく征韓論の非であることを唱え、征韓論がもし政策にされるならば
日本国は滅びるという悲痛な危機感をもった。
朝鮮に兵を送ればどうなるか。
世界の列強は朝鮮に義侠的加担をする名目を見い出してえたりや応と
日本を軍事的につぶしにかかるだろう。
たしかに日本そのものが滅びる。
列強とはそういうものです。
征韓策は純戦略的にも成功不可能であった。
朝鮮はその宗主国の清国に泣きつく。
清国は怨恨の部分で関係の濃厚な英国に救援を頼むだろう。
英国は上海港に東洋艦隊を常駐させているのである。
たとえば桐野らが二個大隊で釜山か仁川に上陸したとき、
ただちに艦隊をもって朝鮮海峡を封鎖してしまう。
日本は増援軍も弾薬も送れず、桐野らは餓死してしまうだけのことであり、
これをみて分け前を欲するフランスその他の国がだまっているはずがなく
立ち後れながらも陸兵を朝鮮に送って桐野らを殲滅するにちがいない。

外遊組は公卿の岩倉具視、薩摩の大久保利通、長州の木戸孝允や伊藤博文、
留守内閣は、西郷隆盛、板垣退助、江藤新平、大隈重信、後藤象二郎らでみな征韓論派であった。
(大隈重信は征韓論派ではなかったかな)
外国を見て来た外遊組はみな征韓論に反対だった。
しかし明治維新で士族がなくなって士族の不満がたまっていた、また
徴兵制になり農民の不満もたかまり、その不満を外国に向けようと征韓論はおこったのだと思う。
今も昔も国内の不満を外征に向けるのはよく使われる手である。
しかし征韓論を実施すればただちに朝鮮の宗主国である清国とロシアが攻めてくるであろう。
ロシアの脅威は大きかった。

ちなみに西郷隆盛は、参議、陸軍大将、近衛都督。
西郷と幼なじみの大久保利通は外遊してきて征韓論に反対で仲の好かった西郷と袂を分かつことになる。

   

■2017年12月17日(日)

「文藝春秋オピニオン2018年の論点100」 文藝春秋 読破

いろんな人がいろいろな題材を限られた字数で
主に2ページでまとめて書いているので読みやすくて内容も深いです。
2018年の何々という本で一番メインの本です。
あと朝日キーワードというのがあるんだが。1月頃かな。

  

■2017年12月15日(金)

「キャロリング」 有川浩著 幻冬舎文庫 読破

有川浩さんはなんでも書けるんだね。
伊坂幸太郎さんが書いたような小説でした。
DVからはじまって倒産、借金、ヤミ金融、地上げ、身代金誘拐、
怖かったよぅ。

  

■2017年12月14日(木) 晴れ

「2018年日本はこうなる」 
三菱UFJリサーチ&コンサルティング編 東洋経済新報社 読破

なんかわかりにくい文章でよくわかりませんでした。
読み飛ばしたところもあります。
私の頭が悪いんだな。。

  

■2017年12月12日(火)

「日本の論点2018〜19」 大前研一著 プレジデント社 読破

大前研一さんは頭のいい割りに、
あまり難しい言葉を使わないので読みやすいです。
最後の対談のところは読み飛ばしました。。

  

■2017年12月11日(月)

「西郷隆盛 11 雷雲の巻 城山の巻」 林房雄著 徳間文庫 読破

西郷は鹿児島に帰ると有用な人材を育てるためか私学校を作った。
私学校は反乱の拠点ではなく、
他日必ずおこる外寇(特にロシアの南下)にそなえて国を守り
国に殉ずる愛国の正気と人材を養う学校であった。
西郷の帰国と知って後を追った者は6百人に及んだ。
薩摩出身者は四・五千人に達していたから2割くらいに過ぎない。
西南戦争は私学校党の反乱と見ることができる。
西郷吉之助が最初から中央政府打倒を目的として
私学校をつくったと考えることはできない。
しかし明治十年、私学校生徒の火薬庫襲撃によって
反乱の口火が切られ新政厚徳の旗をひるがえした健児一万の
鹿児島進発によって西南の役と呼ばれる悲劇の幕が切って落とされた。
兵力は1万2千。しかし熊本城がぬけない。
そのうち政府軍がやってきた。
徴兵制になって農民兵だとさんざんばかにしていたが
皆、新式のスナイドル銃をもっている。
追い詰められ西郷も最後となった。
西南戦争のさなか木戸孝允は亡くなったが最後の言葉は
「西郷、もういい加減にせんか」だったという。

書かなかったけど西郷の用心棒桐野利明がよく出てくる。
幕末、人斬り半次郎として恐れられた。

西郷は島流しにあったときに八百冊の本を持って行ったそうだ。

西郷隆盛の座右の銘は、敬天愛人。

司馬遼太郎さんの本には福沢諭吉がほとんど出てこないけど
この小説では結構出てくる。

1巻を書いたのが昭和15年(1940年かな)で
書き終わるのに32年かかったようです。
35歳で書き始めて書き終わったのが67歳とのことです。

   

■2017年12月8日(金)

「西郷隆盛 10 火輪の巻 虎豹の巻」 林房雄著 徳間文庫 読破

朝鮮は気の毒な国だ。
今は清国の属国だが、ロシアに狙われ
フランスとアメリカにも狙われている。
日本が出兵したら喜ぶのは西洋諸国だ。
ロシアは清国の弱体を見抜いているから、
保護を名として大軍を出し満州と朝鮮を占領してしまうだろう。
日本は韓国にも国を開くように何度も使者をおくるが
ほうほうのていで追い返された。
西郷は出兵には反対だった。
西郷は自分を大使として丸腰で韓国に行かせてくれと言った。
もし自分が殺されるようなことがあれば兵を挙げろと。
朝鮮の背後にはロシアがある。
この大国と一戦する覚悟がなければ朝鮮に出兵できない。
韓国と戦ってはならない。
固く手を結ぶことが日韓両国を生かす道だ。
日韓が結べば清国とも結ばれる時が来る。
敵は韓国でも清国でもない。
東亜を狙うロシアであり、欧米諸国であるということがわかれば
日本国内の不平の徒も目を開いて真剣に大陸経営を考えるようになる。
もともと征韓論は木戸孝允が主張したのであるが
二年間の外遊が彼を熱心な内治派に変えた。
大久保利通と岩倉具視の胸中にも同じ変化が起こっている。
世界情勢は日本がアジアの一角で武力反撃に出ることを許さない。
今、出て行ったら欧米諸国の袋だたきになる。
現在の日本の民は貧しく、政府は弱く、陸海軍も旧式そのものだ。
とても世界の相手の舞台には立てない。
内治を整えて時期を待たねばならない。
そういうわけで岩倉視察団が外遊から還ってくると
征韓論にやぶれた西郷隆盛、板垣退助、副島種臣、後藤象二郎、江藤新平は国許へ還った。
江藤新平が佐賀の乱を起こしたが鹿児島に帰った西郷は一緒に立たなかった。
土佐の板垣退助は民選議員論をかかげた。
何故か征台論がおこり台湾を攻め清国から賠償金をもらった。
琉球処分についてはふれられていない。
話が少しさかのぼるが、副島種臣は、
台湾は生蕃(せいばん)の化外の民であり、韓国は清国の領土ではないから
日本が出兵しても清国は干渉しない、っという言質をとってきた。
あんなに征韓論は反対されたのに征台論はあっさりおこなわれた。
征韓論で敗れ皆が国許に帰った意味はあるのか。。

  

■2017年12月5日(火) 24:15

「西郷隆盛 9 猛虎の巻 雪花の巻」 林房雄著 徳間文庫 読破

慶喜が江戸で謹慎して恭順してしまったので
薩長土軍は江戸まで進撃してきた。
西郷と勝海舟の会談によって江戸城は無血開城で官軍に引き渡された。
しかし江戸の治安が乱れ統治は難しい。
彰義隊などが抵抗した。
戦いは東北の方へおよびやっと制圧した。
ここに徳川幕府は滅び、朝廷が日本を統治することになった。
これからが難しいところで版籍奉還をして廃藩置県をしなければならない。
反乱が起こってもおかしくない。

日本でもし内乱におよんだら西洋諸国はその虚に乗じ
皇国の運命も印度と支那の二の舞になる。
何にしてもそうならなくて良かった。

  

■2017年12月3日(日) 晴れ 秩父夜祭

「西郷隆盛 8 丹楓の巻 錦旗の巻」 林房雄著 徳間文庫 読破

土佐の後藤象二郎と坂本龍馬が出した大政奉還案。
これで日本は無用の内乱を回避し、
国内を統一を完成して文明への道を直進することができると思った。
しかしそれは徳川が筆頭となって残るというものだった。
後藤の意見は将軍は新政府の首脳となり、その地位は保証され
同時に必要な改革は全部行われることになっているがそううまくいくのか。
ついに慶喜は大政奉還を宣言した。
しかし薩摩と長州は徳川を滅ぼしてしまうことにこだわった。

坂本龍馬と中岡慎太郎は幕府の手によって殺された。

倒幕にもっていくのに薩摩は3千、長州は5百の兵士しか出せない。
土佐は尊皇佐幕主義だが乾(板垣)退助が3百の兵をやっと出したのかな。。
土佐は徳川家に恩義こそあれ恨みはないのだ。

鳥羽・伏見の戦いが始まった。
なんと幕府の兵は薩長土の兵力の10倍。
薩長にはイギリスがついているが、幕府はフランスがついていてフランス式の軍隊を作っている。
薩長土は負けたと思ったが、この日のために作っておいて錦の御旗がかかげられると戦局が変わった。
苦戦していた薩摩は錦の御旗の効力が効いたのか盛り返した。
幕府軍は賊軍になってしまった。
慶喜は大阪城に入り、単身江戸へ帰って謹慎してしまった。

大阪城は誰が火をつけたのか焼けてしまった。

   

■2017年12月1日(金)

「西郷隆盛 7 飛龍の巻 渦潮の巻」 林房雄著 徳間文庫 読破

長州では高杉晋作が奮起して奇兵隊をはじめとする諸隊の総督として藩政の実権を握った。

長州と薩摩がいつまでもにらみあっていては回天の大業は達成できない。
坂本龍馬と中岡慎太郎の持論ではそれに土佐も加わり、
いずれ雄藩連合して倒幕の軍を起こす。

長州は新式のミネー銃三千挺を買いたい。
蒸気船も二、三隻買いたい。
しかし長州名義では買えない。
そこを薩摩名義で買えるようにした。
そのお返しに長州でとれた米が薩摩に送られた。
にくしみあっていた薩摩と長州だが近づき合おうとしていた。
坂本龍馬と中岡慎太郎が薩長を同盟させようと奔走していたのだ。
薩長同盟をまとめるため桂小五郎(木戸孝允)は京の薩摩屋敷に来た。
ところがごちそうばかり食べていて薩摩の方からも桂の方からも同盟のことは言い出せなかった。
10日もばかり過ぎた頃、坂本龍馬が様子を見に来て、まとめてくれた。

第二次長州征伐がはじまった。
幕府は薩摩を頼りにしていたが薩摩は薩長同盟のため参加しなかった。
長州が優勢であった。
高杉晋作と坂本龍馬は艦隊をひきいて善戦した。
戦争のさなか将軍家茂が死んだ。
第二次長州征伐は沙汰止みとなった。長州が勝ったといっていい。

新将軍には慶喜がなった。

土佐の後藤象二郎と坂本龍馬は大政奉還案を出す。

幕府にフランスがついたり薩長にイギリスがついたり、
四賢公会議があったりいろいろあったけど
もう書きたいようなことは書いたので省略する。。

  

■2017年11月30日(木)

「西郷隆盛 6 孤島の巻 大鵬の巻」
林房雄著 徳間文庫  読破

徳之島に島流しになった西郷は沖永良部島に移され牢に入れられた。
はじめは吹きさらしの牢だったが後からすごしやすい牢に建て替えてもらえた。
島民たちはサトウキビを作っていたが取り立てが厳しく苦しい生活をしていた。
西郷は島流しに行った先々で交渉にあたり島民の生活を良くしていた。
島々では皆西郷を慕い西郷から勉学をおそわった。

京都の事情は薩摩の不利にはたらいていた。
長州の力がぐんと出て来た。
長州の久坂玄瑞とか高杉晋作など松下村塾系の檄派が
土佐の武市半平太の一派と結んでさかんに斬りまくっていた。
久光公が江戸に行っているすきに、長州が京都に乗り込み
久光公の公武一和の御大策に対し、攘夷即行論をもって朝廷を動かし
岩倉具視一派の公卿を側近から遠ざけ
つまり久光公の裏をかいて京都における実権を握ってしまった。

生麦事件がおきた。
イギリス人が乗馬のまま久光公の行列を横切ろうとしたのを
薩摩志士が無礼討ちに討ち果たした。
イギリス艦隊が薩摩湾に乗り込んできて、
アームストロング砲が火を噴き、城下は焼き払われた。
士族屋敷と民家五百戸あまりと数カ所の寺が焼失した。
ただ死者は数名ですんだ。
薩摩は考え直しひるがえってイギリスと結んで軍備の増強をはかった。

薩摩が攘夷中止論に傾いたことは、久光をとりまく公武合体派の活動を容易ならしめ
ただちに京都の政局に影響した。
当時、朝廷の実権を握っていたのは、長州藩の実力を背景とした久坂玄瑞などの
急進攘夷派の有志及び、三条実美以下の少壮公卿であった。
久光と京都守護職松平容保は政局の転換をのぞまれていたので
薩摩と会津の連合はただちに成り、
薩摩と会津の兵力をもってする一大クーデターが決行された。
いわゆる八月十八日の政変である。
長州及び急進攘夷派の勢力は一掃されて
三条実美以下の「七卿」は長州に逃れ
天下は薩摩と会津の手中に帰して、久光の「大策」は実現したようにみえたが
それは表面のことで歴史の底流はもっと複雑であった。

大和では天誅組の乱がおこったり、
どこからともなく「薩賊会奸」という声があがってきた。
因州、阿波、備前、津山、広島、津など攘夷派の藩主は袂をつらてね帰国。
長州は強力な兵力と七卿を擁し、天下の与望を担って西の関門に盤踞している。
島津久光は1万5千の兵を率いて京都に入り、
松平慶永、伊達宗城、山内容堂、一橋慶喜など公武合体派の大諸侯と会して
いよいよその「大策」に着手したが、事態は険悪、政局は複雑、
この難局を乗り切るためには、彼の好むと好まざるにかかわらず、
西郷吉之助を南海から呼び返さざるを得ない立場に追い込まれた。

久光は西郷がきらいである。
できれば殺してしまいたいほどまで憎んでいる。
だが複雑化した京都の政情は久光の公武合体策ではどうにもならない土壇場にきていた。
西郷の着京と同時に久光は国許に引き上げてしまった。
西郷の顔を見るのもいやだと言わぬばかりの態度だった。
京都の薩摩藩邸の実権は新軍錻役の西郷吉之助のにぎるところとなった。

長州は勢力回復のため蛤御門の変をおこした。
しかし西郷ひきいる薩摩軍にはばまれ敗北した。
長州の久坂玄瑞が死んだ。
長州が薩摩を憎んだことはひととおりではなかった。

また攘夷派の長州は関門海峡を通る外国船を砲撃したことから
四カ国連合艦隊の襲撃を受ける。
長州の砲台は全部壊され、陸戦隊を上げられて手も足も出ず
講話の一礼を取らされてしまった。

長州征伐もはじまった。
長州は三人の家老と四人の参謀を処刑して恭順の意を示した。
西郷が長州に乗り込んで山県有朋と交渉をまとめた。

勝海舟は言った。
私はアメリカに行って見て来たよ。
あちらは共和政治で諸州から選出された人材が公議会を作り
衆知を集めて国是を定める仕掛けになっている。
これは学ぶべき制度だね。
西郷さん、あんたはまず雄藩連合をつくる、
その力で長州を謝罪させ、返す刀で幕政を改革する。
家柄身分などにかかわりなく天下の人材を挙げて
公議会をつくり、公論によって国是を定める。
このほかに難局打開の道はないね。

そうそう西郷はまた薩摩の人と結婚したようだ。

  

■2017年11月28日(火) 晴れ

「西郷隆盛 5 風の巻 雲の巻」 林房雄著 徳間文庫 読破

一時に多数の精兵を繰り出せるのは薩摩だけ。
斉彬公は3千の精兵を率いて上京する大計画を有し、
久光公がその志を継いで実行の準備に着手しているという噂は
すでに京都と江戸に流布している。
薩摩の実力をもって中央に乗り出し皇国未曾有の難局を
打開することは絶対の必要事だ。
久光は自ら精兵を率いて上京し、公武の間を周旋しようとかたく決意していた。
薩摩の旧勢力の日置組が根こそぎやめさせられ、
若い大久保など誠忠組が採用された。

斉彬公の御決策は一言で言えば開国進取だ。
まさに開国進取以上の御大策であって、国内の改革が成った暁は、
清国及び南洋諸島へ進撃して、英、仏、米の東漸を食い止め
日本が中心となって東洋を保全するという大雄図を有しておられた。
将来の大攘夷を目標とした進取開国策であった。
国内統一が先か攘夷が先か、
国内統一が先決問題だ。
幕閣にも諸藩の有志にも朝廷の公卿にも
斉彬公の御大策の真意を理解している者は絶無といっていい。
大勢は攘夷論者にかたむいている。
薩摩藩が斉彬公の開国進取政策をとると天下に声明したら
理解されるどころか、たちまち大混乱し、朝敵扱いにされてしまう。
ここ当分は表向きだけでも諸藩有志の攘夷論と歩調を合わせておくより方法はない。
攘夷か開港かの問題には当分ふれず、もっぱら公武の調和をはかるという建前で
進んだ方がいいのではないか。
攘夷を標榜したら幕府と正面衝突だし、
開国を標榜したら朝廷の御不興をこうむる。
公然と開国を唱えたら、われわれは井伊大老の二の舞で
藩外の浪士に狙われるのみか藩内でも命があぶない。
わが藩の大方針は、まず大義名分を明らかにし、
皇室を尊び、幕府を強化し、国内の人心を調和作興して
国家百年の基礎をかため然る後に外国の事に及ぶ。
開国か攘夷かの問題は国内がかたまった後に天下の興論に従うといっておけば
自他をあざむくことなく、この難局を乗り切れるのではないか。
他藩に対してそれでもいいかもしれないが藩内はそれでは治まらないのではないか。
頑迷な攘夷派はかえって藩内にいる。
藩内を治める方法は、西郷を一刻も早く召還することだ。
それで万事が解決する。外国問題の鍵は西郷が握っている。

西郷が5年(3年かも)ぶりに薩摩に帰ってきた。
西郷吉之助(隆盛)ははじめに薩摩で蟄居になったときに西郷三助となり、
奄美大島に島流しになった時に菊池源吾になり
この薩摩に帰ってきたときに大島三右衛門に名前が変わった。
天下のお尋ね者になっていたので西郷吉之助の名前は使えなかったのだ。
薩摩の政治は4人組がみていた。
大久保利通(31才)、小松帯刀(25才)、中山尚之介(27才) 堀次郎(?)
皆西郷より若い。

久光公の御大策は、一橋慶喜と松平春嶽の罪をといて重職に任じ、
幕府の根本改革を行うこと。
これは斉彬公の御遺策でもある。

和宮御降嫁は幕府の奸策であって、決して公武一和の聖旨にそい奉る道ではない。
これに賛同ある者は、幕吏たると公卿たるとを問わずまさに乱国の賊である。
奸賊の奸策を打破する唯一の方法は、薩摩の兵力をもって禁門を守護し奉り
実力をもって幕府に命令するほかはない。
大久保は語った。

西郷は言った。
御大策決行のためにはぜひ大藩とご相談なさる必要があります。
雄藩の連合を実現して然る後に京都に上り勅定を奉戴したならば、
事はかならず成功するでありましょうが、
わが藩が独力をたのみ功を急ぎ勅命を笠に着て諸藩に号令しようなどと考えたら
いたずらに天下の反感と嫉視を買い事は必ず破れまする。

とうとう久光が兵を率いて上京することになった。
西郷は下関で待てという内命を受けたが、
この機におおじる各藩の浪士たちの突発をおさえるために
勝手に大坂だか京まで行ってしまう。
久光は激怒した。
西郷はまた島流しになってしまった。今度は徳之島へ。

久光は勅使を警護して江戸へ向かった。
彼の京都経営は一応成功を示した。
幕府は思い切った譲歩政策に出て
越前、尾張、一橋、土佐の諸侯の謹慎を許すなど
久光の政策の大半を容れた。
久光は得意の絶頂にあるらしい。

寺田屋事件などもあったのだが。。

   

■2017年11月27日(月) 晴れ

「武器としての経済学」 大前研一著 小学館 読破

大前研一さんの文章はわかりやすいので良いです。
円安と円高ではどちらの方が良いのか?から始まって、
日本は将来インフレになるのか?っとか、
素朴な疑問にいろいろ答えています。
良い本でした。

  

■2017年11月25日(土) 25時読破

「西郷隆盛 4 不知火の巻 黒潮の巻」 
林房雄著 徳間文庫  読破

外には夷狄の皇国をうかがうあり、内においては大義は乱れ、
幕府は朝廷をないがしろにし、皇室は衰微し、
国民の困窮は尽くるところがない。
これが今の時勢です。(本文より)

島津斉彬の御遺志とは、何事も天朝の御為、この一語だという。
相手は清国、いな英仏である。米露である。
この決戦のためには急速なる国内の統一と軍備の充実が必要である。
国内の統一のためには皇権を挾し、
天皇御親政の古えに還ることのみが唯一の道であり、
軍備の充実のためには、幕府をはじめ諸藩の上層にわだかまる保守退嬰の
旧勢力を一掃しなければならぬ。
(この大見地よりすれば、攘夷だ、開国だ、と派をたてて
争っているのは、まるで子供の喧嘩にすぎない)

井伊大老の大弾圧は激しくなってきていた。
橋本左内も捕まった。
ついに僧、月照とともに西郷にも逮捕の命令がくだった。
西郷は薩摩に帰り、月照も薩摩に落ちてきた。
薩摩藩は月照を受け入れず西郷とともに薩摩外へ追い出すことにした。
西郷と月照は船から海に飛び込み自殺を図る。
月照は死に、西郷は息を吹き返した。
西郷が元気になると奄美大島へ島流しの命がくだった。
流民あつかいではなく檻にいれられることもなかった。
西郷は島で嫁をもらい、釣りをしたりイノシシ狩りをしたりしていた。
寺子屋みたいに子供たちに学問を教えたりしていたようだ。
本土では橋本左内、梅田雲浜、吉田松陰などが斬られた。
その反動か、ついに井伊大老は桜田門外で水戸浪士たちに斬られた。
それを手紙で知った西郷はたいそう喜んだようだ。
薩摩では久光が藩主忠義の後見役になった。
久光は斉彬の弟だけあって英邁だったようだ。勤王派でもある。
大久保(利通)は久光に西郷召還を願い出る。
久光は、若い大久保、西郷などの誠忠組をとりこんでいこうと考えていたようだ。

   

■2017年11月23日(木 休日) 雨のち晴れ

「西郷隆盛 3 月魄(つきしろ)の巻 彗星の巻」
林房雄著 徳間文庫  読破

西郷は島津斉彬の名代としてまた江戸に出て来た。
朝廷などとも接触するようになり京などにも足を運ぶようになった。
そんなおり井伊直弼が大老になった。
西郷などは慶喜を次期将軍となるように運動していたのだが
次期将軍は慶福に決まった。
薩摩では斉彬が病気で死んでしまった。
西郷も後を追おうとしたが斉彬の志を継ごうと思いとどまった。
斉彬は薩摩から京へ兵を出してみかたの藩と連携して主張を通そうとしたのだが。
勤王藩である水戸藩では井伊大老によって家老は隠居させられたり左遷されたりした。
水戸藩はつぶされたといっていい。
梅田雲浜なども捕らえられた。
追っ手は西郷の身辺にもおよんできた。
薩摩、西郷と朝廷の仲立ちをしていた僧、月照も捕縛されそうになり
西郷は月照をかくまおうとするが。
日本では外国から入ってきたコロリ(コレラ)がはやってきていた。
間部なんとかという幕府の偉い人が千人の兵をつれ上京してくるそうで
西郷は各藩と連携して間部を倒そうと計画していたが。

   

■2017年11月18日(土) 曇り

「久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった」 
久米宏著 世界文化社   読破

久米宏さんの自伝という感じで結構おもしろかったです。
ニュースステーションで久米宏さんのアドリブが
いつも自分のことをいわれているような気がしてとてもイヤでした。
妄想でしょうか?はい、妄想です。。

  

■2017年11月17日(金)

「西郷隆盛 2 青葉の巻 而立の巻」 林房雄著 徳間文庫 読破

島津斉彬が島津家の後継者となると西郷隆盛は農政に関する意見書を出したりした。
斉彬もそれを読んだようで西郷は参勤交代で江戸へ行くことになった。
しかも江戸の薩摩屋敷のお庭方になった。
斉彬と直接話ができる役だ。
斉彬は西郷を育てようと思ったようだ。
西郷は江戸に来ると水戸の藤田東湖に師事した。
水戸は国学が盛んでここから西郷に尊皇の思想が入ったようだ。
橋本左内などにも会っていたようだ。
藤田東湖は残念なことに地震で死んでしまうのだが。
そしてまたまたペリーの黒船がやってきたのもこのころか少し前か。
斉彬は島津でも15隻の帆船と3隻の蒸気船を買うか作るかしたようだ。
1隻は幕府に献上したようだ。
(メモをしながら読まなかったのでよくわからない)
しかし斉彬は病弱で子供も皆早死にした。世継ぎがいない。
毒をもられていたのか悪い祈祷をされていたとか思われていたらしい。
側室のお由良の子の久光派に。久光は斉彬の弟。
西郷や仲間たち(大久保利通とか)は久光派の人たちの暗殺をひそかに計画するが
斉彬はそんなことは望まなかった。
斉彬は久光の長男を後継者にしようとしていた。
また斉彬は島津家の篤姫を将軍家定と婚姻させた。
それだけ島津家は期待されていたし力があった。
また斉彬は次の将軍に慶喜を擁立しようとしていた。
ペリーの次にハリスが来たようで外交問題も緊迫していく。
西郷は結婚したが江戸に行っている間に妻は実家に帰ってしまった。

   

■2017年11月13日(月)

「西郷隆盛 1 早春の巻 落花の巻」 林房雄著 徳間文庫 読破

西郷隆盛は成人して土地の検地や年貢を扱う役についていた。
結婚もした。年下の弟妹が多く家は貧乏だった。
西郷は正室の子島津斉彬が薩摩をおさめてくれれば良いと思っていたが
薩摩で斉彬を藩主にしようと運動していた人たちは、
皆、切腹させられたり島流しにあったりした。
これも斉彬の父斉興の側室のお由良が自分の息子の久光を藩主にしたかったからだ。
西郷隆盛は斉彬が藩主になるようにひそかに運動していた。
そしてついに斉彬が藩主につくことになった。

   

■2017年11月9日(木) 晴れ

「本当はこうだった!三国志の嘘と真実」 宝島社 読破

あれも嘘、これも嘘、みんな嘘という感じです。
夢も希望もないですな。
歴史小説が大筋以外ほとんどフィクションということは
いろいろ本を読んでわかってましたが。
いいんです。面白ければ、フィクションでも。

3世紀後半に陳寿が書いた正史「三国志」と
14世紀に羅貫中が書いた小説「三国志演義」を比較してみるとっという話なのですが。。
三国志演義は、「七分の事実、三分の虚構」と言われています。
吉川英治さんの三国志は三国志演義をモチーフにしていて
宮城谷昌光さんの三国志は正史三国志をモチーフにしているようです。

  

■2017年11月8日(水) 曇り

「エリア別だから流れがつながる世界史」 祝田秀全監修 朝日新聞出版  読破

イラストが多くて簡単な本でした。
半年くらい前に世界史の本は結構読みましたがすぐ忘れてしまいます。
高校時代あまり勉強しなかったからなぁ。。理系だったし。
問題集とかやらないと覚えられないんだろうなぁ。
もっと世界史の本を読んでいこうと思います。日本史も。

  

■2017年11月5日(日) 晴れ

「西郷どん! 下」 林真理子著 角川書店 読破

上巻中巻までは政治向きの話が少なかったが
下巻になると政治向きの話がびっしり詰まっている。
坂本龍馬の仲介によって薩長連合はなった。
徳川慶喜は大政奉還をした。
しかし薩長は徳川を滅ぼそうとして鳥羽伏見の戦いとなった。
薩長側で錦の御旗がかかげられると、
慶喜は兵を残して単身江戸へ帰って謹慎してしまった。
薩長軍は江戸にせまり西郷と勝海舟の会談によって
江戸城は薩長側に受け渡された。
薩長の政府ができたが征韓論にやぶれた西郷は薩摩に帰った。
薩摩の主なものは西郷を追って皆薩摩に帰った。
徴兵制となっていて士族の不満も農民の不満も高まった。
各地で反乱がおきたが徴兵制となった農民軍に鎮圧されてしまった。
薩摩でもとうとう乱となった。西南戦争である。
しかし熊本城が抜けなかった。
鎮圧されてしまった。西郷も最後となった。
萩の乱や佐賀の乱や西南戦争も別々でやったから
政府軍に各個撃破されてしまった。
皆連携してやってたら九州から東征もできたかもしれない。
九州から東征は足利尊氏がやってますね。
関ヶ原の折、黒田官兵衛もやろうとしました。
本の最後の参考文献を見て驚いた。
林真理子さんはこれ全部読んだのかなぁ。
やっぱり作家さんは凄いね。

 

■2017年11月4日(土) 晴れのち曇り

「西郷どん! 中」 林真理子著 角川書店 読破

西郷は島流しにされてしまった。
しばらくして戻ってこれたが、
また2回目の島流しにあってしまった。
みんなの嘆願があってかまた戻ってこれた。
何故島流しにあったかくわしく書いてないが、
西郷の力が大きかったからでもあろう。
幕末である。
何年か島流しにあっていたら国の状況が全く変わっていた。
ペリーの黒船が来たのはずいぶん前だが、
京では新撰組が横行し、長州は外国艦隊の襲来を受け、
薩摩もイギリス艦隊の砲撃を受け町が焼かれた。
そんなおりに帰ってきた西郷は一躍薩摩の采配をまかされた。
幕臣の勝海舟は西郷にいった。
幕府はもうダメだと。有力藩の会議によって国をおさめるべきだと。
有力藩には長州も入っている。
長州征伐がはじまったが西郷は勝海舟の話を気にかけていた。
そんなところへ勝海舟の弟子の坂本龍馬がやってきた。

    

■2017年11月3日(金)

「西郷どん! 上」 林真理子著 角川書店 読破

西郷の家は貧乏だった。
西郷が成人すると農村、米の取れ高などを見る役についた。
しかし貧乏だった。
西郷は農村についての建白書を出すようになった。
それを島津斉彬公がいつも見てくれていたようだ。
西郷は参勤交代の人数に選ばれ江戸へ行った。
江戸ではお庭番をいいつけられた。
これは島津斉彬公と話ができる場だった。
それのみか西郷を要人と会わせてくれるように取りはからってくれた。
水戸の藤田東湖などである。この人は地震で死んでしまうのだが。
西郷も大変出世していくように見えるが家は貧乏だった。
借金を繰り返す。

  

■2017年11月2日(木) 25:00

「関ヶ原 下」 司馬遼太郎著 新潮文庫 読破

西から石田三成が兵をあげると家康は西へとって返すことになった。
会津の上杉は伊達政宗とやりあっていて江戸に侵入してくることはできないかな。
上杉は義の上に立って留守の江戸をつくことはしなかったと、
最近のドラマなどではあつかわれていたけど。
石田三成ら西軍と徳川家康ら東軍は関ヶ原であい対した。
西軍は10万におよび東軍は7万5千。
東軍はひとかたまりで押してきたのに対し、
西軍は包囲陣系をとった。
しかし西軍の毛利軍たちは山の上で日和見を決め込んで戦いには参加しなかった。
小早川秀秋1万5千にいたっては裏切って西軍を攻めた。
これで東軍の勝ちは決まった。
はじめから西軍のほとんどは家康に通じていたのだ。
西軍で実際に戦っていたのは3万くらい。
包囲陣系をとっていたので真ん中を特攻されれば軍の厚みがない。
応仁の乱では10年くらい続いたが関ヶ原の戦いはたった半日で終わってしまった。

  

■2017年11月1日(水)

「関ヶ原 中」 司馬遼太郎著 新潮文庫 読破

会津120万石の上杉は城を作ったり浪人を招き入れたり戦いの準備をはじめた。
でも上杉は越後から会津に転封になったばかりやるべきことが多かったんだと思う。
家康は豊臣家の武将を連れてこぞって上杉征伐で東へむかった。
それを見計らって石田三成は西から兵をあげた。
西軍の筆頭には毛利になってもらった。形はととのった。
しかし西軍の武将たちは家康に通じているものも多かった。
とにかく、石田三成と上杉の直江兼実がはめたのか、
それとも家康にうまくはめられたのか。

  

■2017年10月31日(火) 晴れ

「日経大予測2018これからの日本の論点」 日本経済新聞出版社 読破

今年も2018年のなんとか、という本が発売される時期になりました。
毎年買って読んでいるのですがお金がかかるんだよね。。。
ずいぶん考え方からいろいろ発展してきてるんだなぁと思いました。
ついていけなくなりそうです。。
複合戦とか怖いですね。

  

■2017年10月29日(日)

「歴史対談 徳川家康」 山岡荘八・桑田忠親著 講談社文庫 読破

山岡荘八さんと桑田忠親さんの徳川家康をあつかった対談集。
山岡荘八さんの「徳川家康 全26巻」は
3回読んでいるので結構おもしろかったです。
小牧長久手の戦いとか関ヶ原とか大坂の陣とか
対談してあっておもしろかったです。
小説とちがって対談集は作者の本音が聞けるような
気がするのでおもしろいですね。
作者の考えかたが直接わかるとおもしろいです。

   

■2017年10月28日(土)

「櫻子さんの足下には死体が埋まっている わたしのおうちはどこですか」
13話目 太田紫織著 角川文庫  読破

前作の続きでよく覚えてないのですがえらいことになってました。
どうしちゃったんでしょうか、正太郎君の女友達は。
花房の影響でしょうか。
でもその話も速攻で終わってましたね。

 

■2017年10月28日(土)

「バカ論」 ビートたけし著 新潮新書 読破

他の人が書くと問題になるようなことも、
ビートたけしさんが書くと問題にならないことが多いですね。
なんか社会勉強になるんだよね。

  

■2017年10月28日(土)

「関ヶ原 上」 司馬遼太郎著 新潮文庫 読破

秀吉が死んだ。
朝鮮から武将が撤退してきた。
国許でぬくぬくとしていた奉行(石田三成)と
朝鮮で辛酸をなめた武将たちとはそりがあわなくなっていた。
加藤清正、福島正則、黒田長政、細川忠興、池田輝政、浅野幸長、加藤嘉明ら7武将。
7武将たちは徳川家康にこびていった。
豊臣秀頼はまだ幼く、前田利家が死ぬとおさえがきかなくなり、
7武将は石田三成を殺そうとした。
家康の仲介でことなきを得たが石田三成は佐和山で隠居することになった。
石田三成が隠居すると家康はもうこわいものはなくなった。
なんでも家康の思い通りになる。
その3日後には伏見城に入り、しばらくすると大阪城の西の丸に入った。
西の丸には北の政所(ねね)が住んでいたが大阪城を出た。
石田三成がいればこんなことにならなかったと誰もが思ったがあとのまつりだった。
越前の前田家は利家の妻まつを江戸へ人質にだし完全に家康に屈した。
越後から会津120万石に転封になった上杉家では直江兼続が戦いの準備をはじめる。
家康が東にむかえば石田三成が西から兵をあげ挟み撃ちにする謀略である。

   

■2017年10月25日(水)

「わたしを離さないで」 カズオ・イシグロ著 ハヤカワ文庫 読破

30ページくらい読んでよくわからなかったので
ネットで簡単なあらすじを見てしまい衝撃を受けました。
それで興味を持って読みました。
あらすじを見てなかったら途中で読むのをやめてたかもしれません。
なんか「アンネの日記」を読んでいるような感覚でした。
ネタバレしないようにこれ以上書かないようにしようと思います。

 

■2017年10月22日(日)

「豆の上で眠る」 湊かなえ著 新潮文庫 読破

小学校時代に誘拐された姉が2年ぶりに帰ってきた。
やせこけて記憶喪失っぽくなっていた。
顔もなんかちがう。
あなたは本当に私のお姉ちゃんなの?
よくある話だったんだが。。
よくはないか。。
ひきこもりの男がどうしたって?それ必要?被害妄想。。。

  

■2017年10月20日(金)

「風に舞いあがるビニールシート」 森絵都著 文春文庫 読破

直木賞受賞作。短編が6作入っています。
前に友達に「カラフル」を紹介されて森絵都さんの本を何冊か読んだけど
すごい小説家になったんだなぁ。
とても感銘を受けました。
短編集の感想って書けないんだよね。。
メモしながら読まないと読み終わった時に6作覚えてない。
1作読むごとに書けば書けるか。。

   

■2017年10月19日(木)

「夜のピクニック」 恩田陸著 新潮文庫 読破

80qを昼夜かけて歩き通すという高校生活最後のイベント。
極限のなか同級生で普段話せなかったようなことも会話になる。
同じクラスには異母兄妹の人がいてしっくりしてなかった。
同じクラスになったことを恨んだ。
しかしこのイベントによってしこりはとれ、話ができるようになった。
前半はつまんなかったけどがんばって読んでいたら面白くなってきました。
高校生をあつかった青春小説。いいですね。

  

■2017年10月16日(月)

「劉邦 下」 宮城谷昌光著 毎日新聞出版 読破

劉邦は関中をめざすことになった。
項羽数万は秦の本軍数十万と戦いながら関中をめざした。
劉邦は項羽に遠慮して様子をみながら秦軍の少ないところからゆっくり関中をめざした。
劉邦は函谷関を破るのは厳しいので南の武関から関中をめざした。
項羽のために函谷関へ行くまでの各地の兵糧をくいつぶさないようにするためもある。
劉邦は先に関中に入った。
関中には宮殿が何十もあり女もいる。
劉邦は女におぼれそうになったが張良の進言により我に返った。
何より劉邦の良かったところは関中で略奪も乱暴もしなかったことである。
関中の人は大喜びで劉邦が関中王になることを望んだ。
それで劉邦もその気になり函谷関を閉ざしてしまった。張良は知らなかった。
後から関中に入ってきて怒った項羽は簡単に函谷関を破ってしまった。
項羽の兵は40万。劉邦の兵は10万。
劉邦はとても項羽にかなわない。
劉邦は鴻門の会で項羽にわびてやっと命は助かった。
劉邦は蜀の地へおくられることになった。
蜀の地は道が険しく当時は罪人がおくられるところだった。
項羽は関中で略奪し宮殿に皆火をかけた。
そして関中にとどまることなく楚の国へ帰っていった。
劉邦は蜀の国から関中へ出て来た。
関中を足がかりにして項羽と戦うために東へ出て来た。
項羽は強かった。劉邦は何度も負けて逃げた。
しかし項羽は非情で武将が去って行き、劉邦の元に武将が集まった。
補給のきく地の利をしめた劉邦は有利になり、項羽は飢えてきた。
和睦することになり項羽は去ったが劉邦は項羽を追撃した。
斉王になった韓信も項羽を倒すためにやってきた。
ここに最強だった項羽も最後となった。

   

■2017年10月15日(日)

「劉邦 中」 宮城谷昌光著 毎日新聞出版 読破

秦の始皇帝が死に各地で反乱が起きて秦は滅びようとしていた。
しかし秦はまだ数十万の兵をもっていた。
劉邦は項羽の叔父の下について秦と戦うことになった。
しかし項羽の叔父は秦に殺されてしまった。
楚の懐王は言った。
「まっさきに関中を定めた者を王にしよう」っと。
それに名乗りを上げたのは劉邦と項羽だけだった。

劉邦のことはとても感じがよく書かれています。
三国志の劉備もこんなふうに書いてもらいたかったです。。

   

■2017年10月14日(土)

「劉邦 上」 宮城谷昌光著 毎日新聞出版 読破

劉邦は沛の街の亭長をしていた。
歳はもう40代後半だろうか。
そんな劉邦に五彩の気、天子の気が出ているという。
なにしろ運気がただよっているらしい。
顔つきから違うらしい。貴人の相をしているらしい。
有力者から娘をもらって欲しいとこわれ結婚する。

秦の始皇帝は各地の土木事業などで民を酷使していた。
劉邦は土木事業のために100人の民を連れて行かなければならなかった。
1度目は全員勤めを果たして帰ってきたが、
2度目は30人の民が逃げてしまった。
秦の法は厳しく全員斬首はめに見えていた。
劉邦は逃げて山に隠れた。何十人か劉邦についてきた。
始皇帝が死んだ。
陳勝・呉広の乱が起きた。
またたく間に大きな反乱となった。
劉邦は沛の街をおさめて欲しいとこわれ山から沛へ帰ってきた。

  

■2017年10月14日(土)

「三国志 10 五丈原の巻」 吉川英治著 新潮文庫 読破 19回目

蜀の孔明と魏の司馬懿の決戦の10巻。
蜀の人口、国力は魏に遠くおよばなかった。
孔明は座して滅ぶより出でて戦うべしと魏に何度も攻め込む。
蜀と同盟している呉も魏に何度も攻め込むが、
魏の国力は大きく用意に抜けなかった。
呉は蜀と同盟しているから魏に攻め込むが様子見程度だった。
それでも孔明はがんばった。
司馬懿は動くと孔明の謀りにあうので固く守って戦わなくなった。
蜀の弱点は道が険阻で補給が困難なことであった。
兵糧がもたない。
やがて孔明は五丈原で病没して吉川三国志は終わる。

   

■2017年10月12日(木)

「三国志 9 出師の巻」 吉川英治著 新潮文庫 読破

蜀と呉は同盟して魏にあたっていたが
劉備が蜀をとり漢中王となると状況が変わった。
劉備が漢中をとれば荊州を呉へ返すと約束していたのだが
そんなことが守られることもなく
荊州の関羽は呉から孫権の一人息子に関羽の娘を
もらいたいと話があったが
犬の子に虎の娘をやれるかとつっぱねてしまった。
呉はひるがえって魏と同盟し、魏と呉は荊州を攻めた。
関羽はひじに毒矢を受け華陀になおしてもらったが最後になった。
劉備は関羽にとどめを刺した呉に攻め込んだが敗れ間もなく亡くなった。
魏は司馬懿が五路から蜀を攻める計略をたてたが
呉と同盟しなおした蜀は守り切った。
孔明はこの期に南蛮制圧をおこなったが
南蛮王孟獲を7度つかまえ7度放した。
孟獲は心から降伏して王化に復した。
南蛮から帰った孔明は出師の表をかかげ魏に攻め込むことになった。

   

■2017年10月10日(火)

「アナログ」 ビートたけし著 新潮社 読破

いままで売ってなくてやっと今日買えました。
昔からビートたけしさんの本は好きでおもしろくて
ほとんどすべての小説なりエッセイなり読んでいると思います。
「アナログ」は結構まじめに書いたようですね。
うん、おもしろかったよ。

   

■2017年10月9日(月)

「三国志 8 図南の巻」 吉川英治著 新潮文庫 読破

益州を手に入れ漢中を曹操から奪った劉備は漢中王になる。
曹操はすでに魏王を名乗っている。
漢の帝はあってなきものの如く。
帝は曹操を亡き者にしようと何度も謀るが
そのたびに露見したり失敗したりして
帝以外の関係者は一族皆殺しにされた。
よく曹操も帝を殺さず忍耐したものである。
帝を殺したりしたら曹操のかかげてきた大義名分はなくなり、
逆賊といわれてしまうのだ。

  

■2017年10月8日(日)

「三国志 7 望蜀の巻」 吉川英治著 新潮文庫 読破

赤壁の戦いで魏が敗れたので劉備は荊州を奪う。
しかし赤壁の勝利は呉があってこそで荊州は呉のものとされた。
劉備は益州を手に入れたら荊州は呉に返すと約束する。
そうして劉備は益州に入っていく。

  

■2017年10月7日(土)

「三国志 6 赤壁の巻」 吉川英治著 新潮文庫 読破

魏と呉を戦わせるため単身呉へおもむいた孔明。
呉の軍師周瑜は孔明を危険視して害そうとする。
魏と呉を戦わせることに成功した孔明は
呉に有利な東南の風を祈る。
ここに赤壁の戦いがはじまる。
レッドクリフという映画になって有名になりましたね。
長瀞の赤壁も有名になったようだ。

  

■2017年10月6日(金)

「三国志 5 孔明の巻」 吉川英治著 新潮文庫 読破

単福(徐庶)が出て来て三国志が変わりました。
軍師が活躍するようになったのです。
陣形とか出て来ました。
そして後半の主人公諸葛孔明の登場です。
劉備が三顧の礼で孔明を迎えようとするところで終わり、
6巻はいよいよ孔明の活躍が見られるか!

 

■2017年10月4日(水)

「三国志 4 臣道の巻」 吉川英治著 新潮文庫 読破

コーエーの三国志のシミュレーションゲームをよくやっていたので
強い武将や頭の良い武将とか勢力図や地名を自然に覚えました。
弱い武将も自然に覚えましたが。
武将の名前や地名や勢力図がわからないと
三国志は読んでもわからないかもしれません。
コーエーの信長の野望もかなりやりました。
武将の名前や能力値を自然に覚えました。
武将の名前がわからないと
山岡荘八さんの織田信長や豊臣秀吉や徳川家康などの小説もわからなかったと思います。
信長の野望・創造がやりたいなぁ。時間がかかるからなかなかできない。
決戦Uという三国志のゲームがあるのだけど暇があったらやり返したいなぁ。
もうゲームもあまりやらなくなりました。ドラクエ11はやったけど。

 

■2017年10月3日(火)

「三国志 3 草莽の巻」 吉川英治著 新潮文庫 読破

三国志で一番強い武将、呂布。
私が三国志のゲームをよくやってた頃(20年前くらい)、
呂布の戦闘力が100で、関羽と張飛が99でした。
コーエーの三国志のシミュレーションゲームの攻略本を見てみると
武将の能力が数値化されているのでおもしろいです。
もちろんゲーム内でも見れますが。
昔は三国志のゲームがやりたくて一生懸命吉川三国志を読みました。
ゲームをやっていたおかげで三国志も理解できるようになりました。

 

■2017年10月2日(月)

「われらマスコミ渡世人 こうして戦後を生きてきた」 
五木寛之・田原総一朗著 祥伝社新書 読破

宗教とか仏教とか浄土宗とか浄土真宗とか日蓮宗とか
あの世とか天国とか地獄とかとかとか。。

田原総一朗さんの本はおもしろいので良く読んでましたが
最近はあまり本がでてないのかな。売ってないです。。

  

■2017年10月2日(月)

「三国志 2 群星の巻」 吉川英治著 新潮文庫 読破

私は前から張飛が好きだといっているのだけど、
粗暴な張飛が好きだというと悪いヤツだと思われてる気がします。
三国志のはじめを読めば張飛ファンになる人も多いと思うのだけど。
強くて純情で人間くさくて酒飲みで人一倍国をうれいている張飛が大好きです。
三国無双というゲームでは張飛はかっこ悪くてイメージダウンになってます。
呂布に負けるな張飛。

  

■2017年9月30日(土)

「三国志 1 桃園の巻」 吉川英治著 新潮文庫 読破

吉川三国志を読むのも19回目となりました。
はやく20回読みたいです。区切りがいいので。
新潮文庫で全10巻で発売されて
文字が大きくて文字数も少なくて読みやすくなりました。
どんどん読めます。
曹操が主人公でその後は孔明が主人公だといわれています。
私は劉備が主人公だと思っていて
劉備のように生きてきたつもりですがバカにされるだけでした。
曹操のようにずる賢く生きていかないと
弱肉強食の今の世の中ではわたっていけないのでしょう。

   

■2017年9月28日(木)

「三国志読本」 宮城谷昌光著 文春文庫 読破

宮城谷さんが三国志12巻を書き終えて書いたもののようです。
宮城谷さんが書いた三国志は正史三国志をモチーフにしていて
吉川英治さんとかは三国志演義をモチーフにしています。
正史三国志や三国志演義についていろいろ書いてあります。
歌手の吉川晃司さんや野球の江夏さんも対談で出ています。
みんな読んでいるのかなぁ。
私も負けずに読まないと。。

 

■2017年9月27日(水)

「黄砂の籠城 上」 松岡圭祐著 講談社文庫 読破

今年の4月の発売でその頃半分以上読んだのですが
今日残りを読みました。
ひさしぶりに読んだら忘れていてよくわかりませんでした。

1900年義和団事件がおき、日本を含む列国の公使館区域は孤立し
義和団に包囲された。
各国協力して義和団をふせぐが。
援軍はいつ来るのか。もつのか。。

 

■2017年9月27日(水)

「はつ恋」 ツルゲーネフ著 新潮文庫 読破

主人公の家の隣にヒロイン、ジナイーダが引っ越してきた。
主人公は16歳でジナイーダは21歳。
主人公は速攻で恋に落ちた。
しかしジナイーダにはとりまきが何人もいた。
ジナイーダは女王のようにふるまい、
とりまきはジナイーダにひれ伏した。もちろん主人公も。
それでもジナイーダにやさしくされると主人公の心はおどった。
しかし、主人公の父がジナイーダに。。。

137ページと短いです。
平成6年に買った本で280円です。
昔は本が安かったなぁ。。

  

■2017年9月27日(水)

「手掘り日本史」 司馬遼太郎著 文春文庫 読破

司馬遼太郎さんが自分の小説について、
また日本の歴史について語ったもの。
昭和47年に書かれたもので古いですが
ブックオフーで108円で売っていたので
買ってきて読みました。

  

■2017年9月26日(火)

「ノルウェイの森 下」 村上春樹著 講談社文庫 読破

前に読書記録で、
その後、緑とはうまくいったのだろうか?
と書いたことがあるのだけど
村上春樹さんがどこかで
そんなことまで考えて欲しくなかったと書いたものを読んだ気がします。
幻聴、妄想でしょうか。。

  

■2017年9月25日(月)

「ノルウェイの森 上」 村上春樹著 講談社文庫 読破

何度読んでも感銘を受けます。
直子は療養所に入ったけど
私も病院に入院したことがあるので
とても人ごとではないような感じです。

  

■2017年9月24日(日)

「日本の歴史 6 武士の登場」 中央公論社 読破

武士の登場から平氏滅亡まで。
小説の義経や源頼朝や平家物語などを読んでいるので
やっとわかるところまで来たかなという感じです。
でも超つまらないのでもう読むのをやめようかなぁ。。

 

■2017年9月23日(土)

「新もういちど読む山川日本史」 山川出版社 読破

2017年7月31日発行と新しいです。
このあいだ本屋でみつけて世界史の本と一緒に買ってきました。
8年ぶりの改訂とのことです。

 

■2017年9月20日(水)

「マスカレード・ナイト」 東野圭吾著 集英社 読破

「マスカレード・ホテル」「マスカレード・イブ」に次ぐ三作目。
マスカレード・ナイトとは
ホテル・コルテシア東京年越しカウントダウン・マスカレード・パーティ・ナイトの略
ホテルの年越しの仮装パーティで仮装しない人も皆仮面をつけ人の顔はわからない。
それを利用して事件が。
警察はホテルマンになりすまし犯人をつかまえようとする。
うん、おもしろかったよ。

   

■2017年9月18日(月)

「満願」 米澤穂信著 新潮文庫 読破

短編集、6作入っています。
なんかすごい感銘を受けました。
米澤穂信さんの本をもっと読んでみたくなりました。
「ボトルネック」は読んだことあったかな。

 

■2017年9月16日(土)

「おい、マジか。池上彰の『ニュースを疑え!』」
池上彰著 文藝春秋  読破

なんかこわいくらいにいろいろ書いてありました。
アメリカ、トランプさんのこととか、
イギリスのEU離脱、EU難民、トルコ、
朝鮮半島のこと、
第二パナマ運河開通でタンカーが通れるようになったとか、などなど。

 

■2017年9月15日(金)

「ライオンは仔猫に夢中 平塚おんな探偵の事件簿3」 
東川篤哉著 祥伝社  読破

女性2人がやっている平塚の探偵事務所。
ヒロインはライオンの異名をとる男まさりの生野エルザ。
相棒は川島美伽、純情そうな感じだが。
短編4編ということで4件の事件を解決する。
密室の謎をといたり、逃げたオウムを探したり、浮気調査をしたり。
うん、おもしろかったよ。

 

■2017年9月14日(木)

「アイネクライネナハトムジーク」 伊坂幸太郎著 幻冬舎文庫 読破

短編集ですがどこかでつながりがある。
理解しきれてないけど結構おもしろいです。
作者は泥棒とか殺し屋とかがでてくるストーリーが得意なようですが
できればこの本のような恋愛、友愛物を書いてもらいたいです。

  

■2017年9月12日(火)

「首折り男のための協奏曲」 伊坂幸太郎著 新潮文庫 読破

短編集でおもしろかったけど最後の方がよくわからなかった。
結構前に買ったけど読んでなかった。

 

■2017年9月11日(月) 

「西郷隆盛」 池波正太郎著 角川文庫 読破

こないだ海音寺さんの「西郷隆盛14巻」を苦労して読んだけど
この本は一冊完結で良かったです。
今日買って来て読み終わりました。

  

■2017年9月10日(日) AM1:15

「オールカラーでわかりやすい!日本史」 西東社 読破

私の持ってる本でいちばんやさしい日本史の本です。
値段も830円とお得。
何故安いかというと文章が同じで何度かタイトルが変わって出版されている。
オールカラーになったし良い本だと思います。
つくる会の歴史教科書の方が中学レベルなので簡単ですが。。

  

■2017年9月8日(金)

「新もういちど読む山川世界史」 山川出版社 読破

世界史の本は最近のことまで書いてないことが多いのですが
結構最近のことまで書いてあったように思います。

世界史の本は半年前あたりに結構読んだのですがだいぶ忘れていました。
もっと世界史の本を読みたいけど日本史の本も読まないと。
そろそろ三国志も読み返したいなぁ。。

  

■2017年9月2日(土)

「櫻子さんの足下には死体が埋まっている ジュリエットの告白」12話目
太田紫織著 角川文庫  読破

少年(正太郎)は法医学の道を志すことを決める。大学進学希望。
もちろん櫻子さんの影響だろう。
理系だし頭が良くないと無理だと思うのだが。
正太郎が勉強してるところは出てこないし。
出かけてばっかりで。

そんなことはさておき児童が行方不明に。
正太郎の友達鴻上(女)も行方不明に。
どちらも行方不明場所で蝶か蛾の羽が見つかる。
殺し屋花房のトレードマークの蝶の羽。
二人は無事なのか?次巻につづく。
間を置いちゃうと内容を忘れちゃうんだよね。。

  

■2017年9月1日(金)

「櫻子さんの足下には死体が埋まっている 蝶の足音」 11話目
太田紫織著 角川文庫  読破

人の名前がいっぱい出て来てイマイチよくわかりませんでしたが
とりあえず読み終わりました。
少年(正太郎)のまわりに殺し屋花房の影あり。
少年は見逃してもらえました。
櫻子さんのメイドのおばあさんが手術することになり
櫻子さんは別に失踪したわけではなかった。

   

■2017年8月31日(木)

「櫻子さんの足下には死体が埋まっている 八月のまぼろし」 10話目
太田紫織著 角川文庫  読破

終盤、道徳的におかしい櫻子さんをなじる少年(正太郎)。
櫻子さんは行方をくらませてしまった。。

んん、配達員Aがどうしたって?
イマイチ良く読んでない。。

 

■2017年8月30日(水)

「櫻子さんの足下には死体が埋まっている 狼の時間」 9話目
太田紫織著 角川文庫  読破

少年にコンタクトをとってきた殺し屋花房(はなぶさ)。
あぶないです。

  

■2017年8月29日(火)

「櫻子さんの足下には死体が埋まっている はじまりの音」 8話目
太田紫織著 角川文庫  読破

いつも少年が櫻子さんに助けてもらうことが多いのだが
少年がはじめて?遭難した櫻子さんを助ける。
少年も大人になっていくのだ。
そして少年と櫻子さんに忍び寄る影。花房。

  

■2017年8月28日(月)

「櫻子さんの足下には死体が埋まっている 謡う指先」 7話目
太田紫織著 角川文庫  読破

恋愛ミステリー、良いです。
うん、おもしろかったよ。
でもまだ骨がちょっと怖い。。

  

■2017年8月27日(日)

「西郷隆盛 14 江戸城受け渡し」 海音寺潮五郎著 朝日新聞社 全巻読破

勝海舟と西郷隆盛の会談で江戸城は総攻撃は回避された。
江戸城は新政府にひきわたされることになった。無血開城。
各所で幕府軍の抵抗もみられた。彰義隊など。
東北などで抵抗もあるのだがこのへんで終わっている。

この本は歴史小説ではなく史伝であると何度も書いてある。
ノンフィクションなのかな。

海音寺さんが西郷隆盛を書いたから司馬遼太郎さんは書かなかったのかな。
それで「翔ぶが如く」を書いたのかな。

   

■2017年8月22日(火)

「西郷隆盛 13 鳥羽・伏見の戦い」 海音寺潮五郎著 朝日新聞社 読破

大政奉還。
慶喜は大政奉還してもやっていけないと思った。
公卿には現実の政治能力はない。
再び幕府に頼んでくるだろう。
徳川家が筆頭となってやっていくだろうと思っていた。
(議会で上院、下院をもうければやっていけると思ったとどこかに書いてあった)
坂本龍馬もこの考えだったと思う。
坂本龍馬と中岡慎太郎は暗殺されてしまった。
後で見廻り組の仕業だとわかったが当時は新撰組の仕業だと思われていた。
土佐藩主の山内容堂は言った。
「ほどんど3百年平和が続いたのは徳川氏のおかげである。
一朝にして故なくその大功ある徳川氏を排斥するとは何たる思情の薄さであろう。」
岩倉具視は言った。
「黒船来航以来、勅命を軽視し欧米諸国と通信条約の約を結び
内は暴威をふるって、憂国の親王、公卿、諸侯を隠居蟄居にし勤王の志士を殺戮しました。
次に無名の師をおこして長州を再征して恨みを民に結び禍を朝廷に及ぼしました。
その罪もまた大きい。
内府(慶喜)が果たして反省自責の心を抱くならばまさに官位を辞退し、土地人民を還納すべきだ。」
慶喜は辞官、納地を認めるわけにはいかなかった。
申請するには時間がかかる。
幕府で暴動が起きかねない。
しかし薩摩、長州は徳川氏を残す気はなかった。
鳥羽伏見の戦いが始まった。
最新式の武装をした薩摩長州が優勢だった。
薩摩長州側で錦の御旗がかかげられた。
薩摩長州側が官軍となり徳川側が賊軍になってしまった。
慶喜は大阪城に退き兵を残し単身で船で江戸へ帰って謹慎してしまった。
薩摩長州軍は江戸に近づいてきた。
ここで幕府から交渉を依頼されたのが勝海舟だった。

   

■2017年8月20日(日)

「池上彰の世界の見方 中東」 池上彰著 小学館 読破

第1章 「混乱の始まり」から見る中東 
 なぜアルカイダが生まれ、9.11テロが起きたのか?
第2章 「戦争とテロ」から見る中東」
 なぜ自称イスラム国が生まれ、世界の緊張がたかまったのか?
第3章 「地理・民族・歴史」から見る中東
 なぜエルサレムが火種になるのか?
第4章 「イスラム教」から見る中東
 なぜスンナ派とシーア派は対立するのか?
第5章 「石油利権」から見る中東
 なぜアメリカとサウジアラビアの関係が変化しているのか?
第6章 「難民大発生」から見る中東
 なぜアラブ民族の大移動が起きたのか?

高校生に講義した内容をまとめたもののようでわかりやすかったです。
今日アマゾンで注文したこの本が届いたので読みました。
最近は池上彰さんの本は秩父で売ってません。
新書のものは売っているのだけど。

  

■2017年8月16日(水)

「西郷隆盛 12 岩倉の策謀」 海音寺潮五郎著 朝日新聞社 読破

長州藩人でも目の見えた人々、
たとえば高杉晋作、桂小五郎(木戸孝允)、井上聞多(馨)、伊藤俊輔(博文)
などは攘夷説を脱して開国説になっていたが
一般藩士や奇兵隊等の諸隊では
皆攘夷論を奉じ、それで藩論をかためていた。
うっかり開国論に転向していることなど口外しては
高杉や井上のような人物でも生命の危険があった。

第二次長州征伐がおこなわれていた。
長州側には海軍に高杉晋作、
陸軍には大村益次郎というすぐれた戦術家がいた。
高杉は蒸気船で幕府の艦隊に夜討ちをかけた。
幕府の艦隊の蒸気船はすぐには動かない。
カマに火がともるころには
高杉は荒らしまくってさっそうとひきあげていった。
九州の戦いでも長州が勝ち各地で幕府軍を押し返した。
長州は薩長同盟により薩摩名義でたくさんの新式銃などを買って配備していたのだ。
そのうち将軍徳川家茂は死んでしまった。
薩摩も参加しないし長州征伐も沙汰止みとなった。
新たな将軍には徳川慶喜がなった。
ここで残念なことに高杉晋作は病気で死んだ。
孝明天皇の死もあった。
ここらで薩摩と土佐の薩土同盟がなった。
乾(板垣)退助がまとめたようだ。
また土佐の後藤象二郎と坂本龍馬の企画によって
薩摩、土佐両藩が運動して
大政を奉還させて王政復古することをすすめた。
西郷としては出来るだけ多数の見方の藩をこしらえて倒幕したかった。
このころ公家の岩倉具視が薩摩に近づき連絡をとるようになったのかな。

島津久光は自分は倒幕などということを考えたことはない。
あれは西郷と大久保が勝手にやったことだなどと折りにふれては言っていたという。

   

■2017年8月7日(月)

「司馬遼太郎で学ぶ日本史」 磯田道史著 NHK出版新書 読破

司馬遼太郎さんの本はだいたい読んでいるので
批評する本はおもしろかったです。
文章も読みやすかったです。

  

□7月29日発売のプレステ4のドラゴンクエスト]Tをやっています。
 8月6日にエンディングとなりました。
 でもまだ裏ストーリーがあって裏ボスがいるようです。
 8月7日に裏ボスと戦うとこまできました。超強いです。。
 8月9日に裏ボスを倒して2度目のエンディングとなりました。

 

■2017年7月27日(木)

「西郷隆盛 11 薩長連合成る」 海音寺潮五郎著 朝日新聞社 読破

高杉晋作がクーデターをおこして長州の体制は変わった。
それをみて第二次長州征伐がおこなわれることになった。

長州と薩摩が一緒になれば幕府は倒れるんじゃないか。
坂本龍馬と中岡慎太郎は話し合ってやってみようかっということになった。
長州名義では何も買えないので薩摩名義で蒸気船や銃器を買ってやろうということになった。
海援隊の坂本龍馬がとりもったのかな。
ミネー銃とゲペール銃の4千3百挺と蒸気船ユニオン号はすぐ買えた。
後からもっと買えたようで蒸気船は3隻買ったようだ。
長州はお返しに薩摩で不足していた米を送ったようだ。
いろいろあったが坂本龍馬の調停で薩長同盟は成った。
木戸孝允(桂小五郎)が京の薩摩藩邸に行ってやっと話がまとまった。
木戸孝允から同盟のことは言い出せず、西郷隆盛からも同盟のことは言い出せず、
10日ばかり過ぎたが、そこへ現れた坂本龍馬がまとめてくれた。
この頃、坂本龍馬は寺田屋で捕縛されそうになり怪我をして薩摩藩邸にかくまってもらった。
京では新撰組などが長州人や浪人を斬りまくっていた。

第二次長州征伐がおこなわれることになったが薩摩はもう幕府に協力しないことになった。
長州征伐をおこなうのに大義名分がないといって。

話が前後するがその頃外国艦隊が兵庫を開港しろと大阪湾に乗り込んできた。
神奈川、箱館、長崎は開港するから兵庫はかんべんしてくれということになったんだったかな?
兵庫を開港すると京まで近く一大事であった。
幕府側にはフランスがつき、薩摩長州側にイギリスがついている。
フランスではロッシュ、イギリスではパークスの名がよく出てくる。
アメリカはまだ南北戦争があったせいかあまり出てこない。

  

■2017年7月25日(火)

「西郷隆盛 10 高杉挙兵」 海音寺潮五郎著 朝日新聞社 読破

八月十八日の政変
長州藩を中心とする尊王攘夷派が朝廷を動かし、挙兵倒幕をすすめていた。
そこへ公武合体派の薩摩藩と京都守護職の松平容保らとはかって
八月十八日未明、機先を制して御所を警護して朝議を一変し急進派の公家の参内を禁じた。
長州藩は御所警護の任を解かれ三条実美ら尊王攘夷派の公家は長州藩へのがれた。(七卿落ち)
尊皇攘夷勢力は一時衰退した。

禁門の変 蛤御門の変
八月十八日の政変で京都を追われた長州藩は勢力回復のため藩主父子の無実を訴え
尊王攘夷派七卿の赦免を願ったが許されず、さらに池田屋事件がおこったため出兵。
薩摩、会津と蛤御門付近で交戦したが敗北。長州征討の発端となった。

八月十八日の政変で京から追い落とされた長州は再び京へ向かった。
会津松平容保を討ち取って君側を清めるのがよいっと。
会津容保一人に憎悪を集中した。
松平容保が八月十八日の政変で主役をつとめたことである。
長州は蛤御門のあたりで会津と衝突した。
長州は会津を敗ったが薩摩が出て来た。
長州の大将来島又兵衛は鉄砲で撃たれ重傷を負った。
薩摩の西郷隆盛も足に鉄砲の弾があたったが軽傷だった。
西郷はすぐ立ち上がって足踏みしてみせた。
「わしは大丈夫でござるぞ!皆々手をゆるめなさるな!」っと呼ばわった。
西郷は軽傷、来島は重傷であったことがこの戦闘の分かれ目となった。
長州勢は総崩れになった。公家門は助かった。
薩摩武士の勁烈勇敢は世界の常識になっていた。
しかし、それを人々はこれまで現実には見なかった。
この戦争ではじめてそれを見たのだ。
諸藩人も京の市民等も驚嘆し新しい目で薩摩人を見直すようになったのである。
やがて西郷が倒幕を唱道するようになった時、
諸藩がこれに応じたのは、西郷の人間的魅力とともに諸藩のこの心理も計上すべきであろう。
長州軍が国許から運んで所蔵していた兵糧米が五百俵あった。
当時、京都には焼け出されて困窮している者が多かったので、
西郷はこれを町役人に通じて全部施米した。
民の艱苦を黙視出来ないのは彼の天性である。
これまでも随所に我々は見て来た。
この熱い愛情とともに彼には最も強烈な正義感である。
この二つが結びついて世の不正を正し民を救わんとの志が生まれる。
されに彼は最もたくましい勇気の人である。
断じて志しを貫き遂げんとして決して恐れず決して屈しないのである。
彼こそは天が日本に降した革命の人だったのである。
彼は今壇上に上がって最初の仕事をしたのである。

この時、長州が大不幸に転落したのだが災厄はまだ続く。
この直後、四国艦隊と交戦、大惨敗するのである。
長州はこの2度の業火をくぐり
さらに第一次長州征伐という業火をくぐり
高杉晋作によって生まれ変わるのである。
四国艦隊への賠償金は300万ドルであった。
長州は幕府の命令で攘夷をおこなったと幕府が賠償することになった。

長州藩のような乱暴な議論を主張し無責任な浪士らをあおり立て
過激なことばかりしていては日本を亡国の淵にたたき込む恐れがある。
しかも、彼らは兵を動かして朝廷をおびやかしたばかりでなく、
禁裡にたいして発砲攻撃までした。
かんかしては大義名分が立たず恐るべき事態となる。
っというわけで第一次長州征伐がおこなわれることになる。

坂本龍馬は勝海舟に紹介状を書いてもらって西郷に会った。
龍馬はいった。
「西郷という男は大太鼓のような男でありますな。
小さく叩けば小さく鳴り、大きく叩けば大きく響きます。
もし馬鹿なら大馬鹿、利口なら大利口ですな。」

中岡慎太郎は第一次長州征伐の交渉の折、西郷に会った。
中岡が西郷に最も深い尊敬をもち、故郷の板垣退助に西郷のことを、
「当時洛西(京都以西)の人物を論じ候へば、薩摩には西郷吉之助、
人となり肥大にして御免(土佐の地名)の要石(相撲取りの名)に劣らず、
古の安倍貞任もかくの如き者かと思いやられ候。
この人学識あり、胆略あり、常に寡言にして最も思慮勇断に長じ、
たまたま一言出せば、確然人の腸を貫く。
且つ徳高くして人を服し、しばしば艱難を経てすこぶる事に老練す。
その誠実、武市半平太に似て、学識あることは実に知行合一の人物なり。
これすなわち当世洛西第一の英雄にござ候。」
っと最大級の賛辞を連ねて書き送ったのはこれより少し後のことになるが、
この時が中岡と西郷との最初の出会いである。
これが機縁となり、やがて最も親しくなりついに薩長連合に挺身尽力するのである。
坂本龍馬が海援隊隊長、中岡慎太郎が陸援隊隊長である。

第一次長州征伐の交渉がまとまりかけていた時、
行方をくらませていた高杉晋作がクーデターを起こした。

一番発言力のある西郷は、
「この度の御征討は大義名分をお正しになるためでごわす。
しからば、長州藩が前非を悔い、罪を謝し、恭順の意を表し、
出来るだけの実を見せた以上事は済んだのでごわす。
毛利父子は謝罪して寺にこもって謹慎し、三家老を切腹させ、四参謀を誅し、
命に応じて山口の白をこぼったのでごわす。
五卿移転のこともかしこまりを申して、その実行は今や確実になっていもす。
国内鎮静のことも、藩政府は大いに努力しています。
もはや大義名分は立ったのでごわす。」
ということで長州征伐軍は解兵となった。

この頃、西郷は結婚した。
家老座書役の岩山八太郎の娘絲(いと)とである。
岩山家は鹿児島城下では有名な美人系の家系であったと鹿児島では言い伝えられている。

五卿も長州を出てからいろいろ不遜な目にあったが、
九州の太宰府天満宮の別当寺廷寿王院を五卿の宿許として落ち着いた。
とりわけ廷寿王院主信全は、京の公家梅小路貞肖(さだのり)の次男で、
三条実美の母方のいとこであった。
皆大安心、大喜びであった。

西郷は太宰府で五卿に拝謁した。
この謁見で西郷は三条実美の人がらに深く好意を持ち、
その赦免と復位とに大いに骨を折ろうと決心したことも事実である。

   

■2017年7月23日(日)

「知らないと恥をかく世界の大問題8」 池上彰著 角川新書 読破

内容は
トランプに振り回される世界
分断されるアメリカ
危機を迎えたヨーロッパの理想
大国に翻弄される中東
アメリカの変化にアジアは?
分断される世界と人類共通の問題
安倍政権は戦後最長の政権を目指す
分断に立ち向かう、未来への姿勢

いろいろわかってためになりました。
おもしろかったよ。うん。

  

■2017年7月19日(水)

「星の王子さま」 サン=テグジュベリ著 新潮文庫 読破

こないだブックオフで108円で売っていたので買ってきました。
その前にも「英語で読もう星の王子さま」という本を買ったので読んでみました。
英語の勉強を少しずつしているのですが
覚えるスピードより忘れるスピードの方が早いです。。
「星の王子さま」ですがはじめはなんだこりゃと思いましたが
読んでいったら結構おもしろかったです。
いろんなところに深い意味があるみたいなのですが
よくわからなかったのでまたあとで読んでみたいと思います。
次は英語の本で読もうかなぁ。
左ページは英語で、右ページは日本語になっていてわかりやすそうです。
原作はフランス語みたいですが。。

  

■2017年7月18日(火)

「世界を動かす巨人たち 経済人編」 池上彰著 集英社新書 読破

マイクロソフトのビルゲイツとか
フェイスブックを作った人とか
グーグルを作った人とか
トランプ大統領のこととか書いてありました。
結構おもしろかったよ。うん。

  

■2017年7月17日(月)

「西郷隆盛 9 奉勅始末記」 海音寺潮五郎著 朝日新聞社 読破

長州が京から追い落とされた八月十八日の政変は、
薩摩と会津の合作であったので
長州人の薩摩を恨む事一通りではなく
「薩賊会奸」という言葉を作って両藩を罵倒し世間に宣伝していた。
長州は草履の裏に薩摩と書いて履いていたっと何かの本で読んだ。
そうとう恨んでいたらしい。
その頃薩摩で皆が西郷召還の嘆願をしてくれ西郷隆盛は復帰した。
柵の中で暮らしていたので復帰したときには足が弱っていて歩くのもままならなかったようだ。
西郷は赦免されるとすぐに島民の暮らしがよくなるように建白書を書いている。。
西郷の革命の哲学として「敬天愛人」とよくいわれている。
西郷は様子を見て次々と役目を進めて軍錻役と諸藩士との応接掛とに任命された。
軍錻役とは軍事司令官である。
西郷は主に京だか大坂に滞在していたようだ。
そんなおり長州の兵が京に向かってやってきていた。

  

■2017年7月12日(水)

「西郷隆盛 8 薩英戦争」 海音寺潮五郎著 朝日新聞社 読破

生麦事件の仕返しにイギリスは薩摩に艦隊を派遣した。
薩英戦争がはじまった。
イギリスはアームストロング砲を使ったようだ。
薩摩も砲台から英国船に砲撃してだいぶ抵抗したようだ。
どのくらいの被害がでたのか詳しく書いてないのでよくわからない。
京では蛤御門の変や八月十八日の政変などが起き、
幕府は気力を回復し、七卿落ちがあり長州は京から消え、
新撰組、見廻り組の武力警察団が威を振るうようになる。
会津と薩摩が京都政界を主導することになった。
急激攘夷派は京では勢いを失った。
多くは七卿に追随して長州へ落ちた。
土佐の山之内容堂はこのときとばかりに土佐勤王党を取り締まった。
一網打尽にされ武市半平太も切腹させられた。
天誅組とやらも壊滅した。
西郷隆盛はそろそろ政界に復帰するのかなぁ??

  

■2017年7月7日(金)

「櫻子さんの足下には死体が埋まっている 白から始まる秘密」
6冊目 太田紫織著 角川文庫  読破

櫻子さんと少年(高校生)のビミョーな関係。
櫻子さんにはちゃんとした婚約者がいて
少年(高校生)のことは昔事故で亡くした弟のように思っている。
っというわけで少年がひそかにお嬢様の櫻子さんにあこがれているだけかもしれない。
櫻子さんは骨の標本士で山で骨を集めたり骨を組み上げたりしている。
そんなこんなで櫻子さんのまわりではビミューな事件が相次ぐ。
櫻子さんは危険を感じで少年と会わないようにしたりしたが
少年は櫻子さんに会いたくてしかたがない。
そして2人にせまる新たな危険!

   

■2017年7月5日(水)

「西郷隆盛 7 大政奉還の初声」 海音寺潮五郎著 朝日新聞社 読破

尊王攘夷論が沸騰し開国派は口を閉ざした。
幕府も攘夷を決めた。
長州は馬関海峡を通る外国船を砲撃した。
その仕返しに米仏の艦隊などが長州に反撃を加えた。
長州の砲台はあっという間に沈黙させられ壊滅した。
この巻でも西郷隆盛がでてきませんでした。。

  

■2017年7月3日(月)

「櫻子さんの足下には死体が埋まっている 冬の記憶と時の地図」
5冊目 太田紫織著 角川文庫  読破

櫻子さんと少年にはじめて生命の危機が!

  

■2017年7月2日(日)

「櫻子さんの足下には死体が埋まっている 蝶は十一月に消えた」 4冊目
太田紫織著 角川文庫  読破

はじめは抵抗があったけど死体が出てくるのも大分なれました。
骨の鑑定以外にも櫻子さんの推理がさえわたっています。

 

 


■2017年6月30日(金)

「西郷隆盛 6 公使館焼打ち」 海音寺潮五郎著 朝日新聞社 読破

日本は開国しないと清国のように外国の植民地にされてしまうであろう。
しかし尊皇攘夷論が沸騰した。
長州の志士たちはイギリス公使館を焼き討ちにし、
また京では土佐の武市半平太の土佐勤王党が
佐幕開国派に天誅をくりかえしていた。
長州は公家にとりいって尊皇攘夷論を大きくしていた。
各国との条約を破棄し港を閉鎖するという論が幕府でも
容認されることになるようなところまできた。
会津の松平容保が京都守護職についた。新撰組ができるんだっけ。
5巻で生麦事件が起こったがまだイギリスは薩摩に報復にきていない。
長州の外国船への砲撃もそろそろかな。   
大久保利通はよく出てくるけど西郷隆盛は島流しにあっていて
まったく出てこないなぁ。。    

  

■2017年6月26日(月)

「西郷隆盛 5 血風の季節」 海音寺潮五郎著 朝日新聞社 読破

西郷隆盛が全くでてこないのですが。。。
薩摩の島津久光は長州がきらいだった。
長州の方も薩摩はきらいだった。
両藩、尊皇攘夷、幕府否定と思想は同じであったが、
長州は長州、薩摩は薩摩と協調性がない。
薩摩と長州の話ばかりかと思っていたがやっと土佐が出て来た。
話が逆戻りしたりなかなか前に進んでいかない。
土佐藩主は山内容堂で山内家は関ヶ原の戦いの勝ち組で土佐をもらった恩があり佐幕主義だった。
その点長州と薩摩は関ヶ原の戦いで負け組で幕府に恨みこそあれ恩はなかった。
その土佐藩では武市半平太が土佐勤王党を作り長州、薩摩と共同歩調を取り始めた。
薩長土肥とよくいわれるが。
土佐勤王党では佐幕派に天誅を加えていった。
土佐勤王党では関ヶ原で負けた長宗我部の子孫のク士が多かったのである。
恨みこそすれ幕府に恩はない。
坂本竜馬は土佐のク士で、ク士の身分では政治にかかわれないから脱藩して土佐を飛び出した。
薩摩の大名行列が生麦村にさしかかったときに馬ですれちがったイギリス人を斬ったのだけど
攘夷の朝廷はたいそう喜んだね。島津久光は朝廷からお礼の言葉をいただく。
イギリスは薩摩に艦隊をくりだして報復するのだが。

  

■2017年6月21日(水)

「西郷隆盛 4 寺田屋の惨劇」 海音寺潮五郎著 朝日新聞社 読破

西郷は罪人として沖永良部島におくられることになった。
屋根があるだけの雨ざらしの牢に入れられたが
後から柵はあるが家を建ててもらえた。
また20人くらいの子供が慕ってきて寺子屋みたいなことをしていた。

一方、島津久光の考えは幕府はまず朝廷の命を奉じて尊崇の実を上げ
朝廷が幕府の従来の罪をおゆるしになることによって公武合体する、
っというものである。
それを実現するため千人の志士をひきいて上洛した。
長州などの志士たちも上洛してきた。
志士たちは久光を倒幕運動の大将軍にかつぎあげることが
できさえすれば良いのである。
長州はラジカルな尊皇攘夷論を藩是として
ほぼ1年間京都政界の人気を一つに集めていた。
なぜならこれは吉田松陰の門下生等が松蔭から伝えられたことであり
門下生等はこれをずっとまもり続けてきた。
そんなおり寺田屋事件が起きた。
寺田屋で急進派の薩摩の志士だちが何をたくらんだのだか久光の怒りをかい
同じ薩摩の志士たちによって斬り殺されてしまった。
誠忠組が誠忠組を斬るというような仲間割れであった。
久光が上洛したのは討幕運動のためだと勘違いして起こったものかもしれなかった。
みんな久光をかいかぶりすぎていた。
久光の幕府に対する建白書に慶喜を後見人に大老に越前の松平春嶽にというのがあった。
そのせいか関係ないか松平春嶽が大老になった。
西郷の考えも書いておく、西郷の考えは幕府を打倒して政権を朝廷に回収し
天子様を中心とした本来の日本の政治形態にかえるべきである、
天下の有志等もこれを望んでいるはずである。

       

■2017年6月18日(日) 午前3時

「西郷隆盛 3 大弾圧」 海音寺潮五郎著 朝日新聞社 読破

井伊直弼による安政の大獄がはじまった。
西郷隆盛もねらわれている。
また朝廷方面への運動をして一緒に活動してきた僧、月照もねらわれた。
西郷と月照は船から海に飛び込み心中をはかるが、
助けられた西郷は息を吹き返した。月照は亡くなった。
西郷は死んだことにして三助と名を変えた。
また菊池源吾と改名して大島本島へ蟄居ということになった。
罪人として大島に流されるのではなく
幕府の目からかくすために大島移住を命ぜられた。
西郷が流された奄美大島では住民は貧しい生活をしていた。
不作で税が重いときには西郷がかけあって減税にしてくれた。
また悪い風習をなくしたり、寺子屋の先生みたいなこともしていた。
住民は西郷の徳になついた。
結婚して子供もできた。
島津斉彬が死んだ後、しばらくして島津久光が後見人となった。
大久保利通は久光にとりいった。
そのうち桜田門外の変で大老井伊直弼は暗殺された。
欧州の制度を採用し進歩改良にとりかかっていたのに井伊大老の時代になると次々にそれをやめた。
洋学なども蘭、英、仏の書をさかんに講習したのに喜ばないのでそれも自然衰微した。
井伊は開国主義者で進歩主義者であったと考える人もいたがそうではなかった。
井伊はその政治手段が拙劣(せつれつ)であっただけでなく
その強い我意に根ざす恐怖政治によって国民の憂国心を弾圧し
国民中の優秀分子を虐殺した非難ををまぬがれることはできない。
橋本左内と吉田松陰と西郷が健在なら日本は完全体になっていたはずで返す返すも残念である。
人々は白昼に井伊大老の首が切られたことにより幕府に軽蔑感を抱き始めた。
なんとかして幕府の権威を高めたい。
降嫁誓願運動がはじまった。
同時に朝廷を懐柔し、うるさい横槍を封じ込める気があったろう。
朝廷の和宮を幕府の家茂の嫁にもらうことになった。
公武合体の条件として、実行する気のない条約破棄、鎖国攘夷を約束した。
誠忠組は公武合体に反対だった。
幕府打倒、朝権回復、そしての国論統一、挙国一致体制をかかげていた。
西郷が奄美大島から帰ってきた。
嫁はつれてくることはできず田一反と畑一反を買って与えた。子供はのちに京都市長になっている。
島津久光は公武合体派であった。
西郷は久光が斉彬を毒殺したのだと思っていて久光が嫌いだった。
西郷と久光の仲はあまり良くなかった。
久光は上洛することになった。各地の志士は蠢動(しゅんどう)した。
西郷は久光に下関で待っているようにいわれたが志士たちをおさえるため大坂だか京へ行ってしまった。
久光は激怒した。
西郷は薩摩に送り返された。罰が待っている。

   

■2017年6月16日(金)

「西郷隆盛 2 井伊大老登場」 海音寺潮五郎著 朝日新聞社 読破

島津斉彬は将軍家定に島津家の篤姫を輿入れさせた。
家定は精神薄弱だったが、これによって
薩摩と幕府の親しみをかたくし大いに斉彬の見識と薩摩の実力を利用したいと思った。
次期将軍には水戸慶喜がなるよう篤姫には密命が下っていたようだ。
有力藩は皆慶喜を押していたようだが紀州慶福(家茂)に決まってしまうことになる。
鎖国をしていた日本はアメリカのペリーが来たことより通商条約を結ぶことになった。
そんな時に大老に井伊直弼がなった。
井伊直弼は勝手に各国と次の通商条約も結んでしまった。
非難囂々(ひなんごうごう)であった。
朝廷は外国との通称は認めず外国船は打ち払えといっていた。
日本中で尊王攘夷論が吹き荒れた。。
しかし開国しようとした井伊直弼ははたして悪だったろうか。
中国ではイギリスにアヘン戦争で負けアロー戦争もはじまっていた。
中国は外国の植民地になろうとしていた。
日本は開国して外国と大いに貿易をして国力をつけて外国からなめられないようにしなければならなかった。
そうしなれば日本も中国のように外国の植民地にされてしまうだろう。
後の話になるが、長州や薩摩は外国艦隊の襲撃を受けて簡単に惨敗してしまった。
長州や薩摩は考えを改め開国しなければと思うようになる。
まあ井伊直弼の安政の大獄はむごかったね。
島津斉彬死す。
2巻は西郷隆盛があまり出て来ませんでした。。

 

■2017年6月15日(木)

「西郷隆盛 1 島津斉彬」 海音寺潮五郎著 朝日新聞社 読破

西郷隆盛は士の家格の低い家の出だった。
隆盛の下に弟妹がたくさんいて家は貧乏だった。
15歳?くらいの時だかにいざこざで片腕を斬られ
腕がうまくつかえなくなった。
剣の道はあきらめ学問にはげんだようだ。
よく西郷を囲んで古書を学んだり討論会をしたりしていたようである。
誠忠組といったかな。西郷が一番年長だったようだ。
西郷は土地の検地を扱う職につき百姓思いになっていったようである。
農政に関するものなど建白書を何度も書いたりした。
その建白書を藩主島津斉彬(なりあきら)はいつも見ていたようである。
その話を聞き西郷も感激した。
西郷は参勤交代に行く人に選ばれ江戸に行くことになった。
島津斉彬は西郷にいろんな志士とまじわるように手配してくれた。
島津に西郷ありといわれるようになっていった。
あと西郷は島津斉彬のお庭番になった。
藩主の居間の近くの庭に出入りすることができ斉彬ともすぐ話ができる機会にめぐまれた。

そんな中、ペリーの黒船の来航があった。