劉邦 読書記録  りょう99@笠原良太(かさはらよしたか)

全3巻 宮城谷昌光著 毎日新聞出版

下から書いてます。


■2017年10月16日(月)

「劉邦 下」 宮城谷昌光著 毎日新聞出版 読破

劉邦は関中をめざすことになった。
項羽数万は秦の本軍数十万と戦いながら関中をめざした。
劉邦は項羽に遠慮して様子をみながら秦軍の少ないところからゆっくり関中をめざした。
劉邦は函谷関を破るのは厳しいので南の武関から関中をめざした。
項羽のために函谷関へ行くまでの各地の兵糧をくいつぶさないようにするためもある。
劉邦は先に関中に入った。
関中には宮殿が何十もあり女もいる。
劉邦は女におぼれそうになったが張良の進言により我に返った。
何より劉邦の良かったところは関中で略奪も乱暴もしなかったことである。
関中の人は大喜びで劉邦が関中王になることを望んだ。
それで劉邦もその気になり函谷関を閉ざしてしまった。張良は知らなかった。
後から関中に入ってきて怒った項羽は簡単に函谷関を破ってしまった。
項羽の兵は40万。劉邦の兵は10万。
劉邦はとても項羽にかなわない。
劉邦は鴻門の会で項羽にわびてやっと命は助かった。
劉邦は蜀の地へおくられることになった。
蜀の地は道が険しく当時は罪人がおくられるところだった。
項羽は関中で略奪し宮殿に皆火をかけた。
そして関中にとどまることなく楚の国へ帰っていった。
劉邦は蜀の国から関中へ出て来た。
関中を足がかりにして項羽と戦うために東へ出て来た。
項羽は強かった。劉邦は何度も負けて逃げた。
しかし項羽は非情で武将が去って行き、劉邦の元に武将が集まった。
補給のきく地の利をしめた劉邦は有利になり、項羽は飢えてきた。
和睦することになり項羽は去ったが劉邦は項羽を追撃した。
斉王になった韓信も項羽を倒すためにやってきた。
ここに最強だった項羽も最後となった。

  

■2017年10月15日(日)

「劉邦 中」 宮城谷昌光著 毎日新聞出版 読破

秦の始皇帝が死に各地で反乱が起きて秦は滅びようとしていた。
しかし秦はまだ数十万の兵をもっていた。
劉邦は項羽の叔父の下について秦と戦うことになった。
しかし項羽の叔父は秦に殺されてしまった。
楚の懐王は言った。
「まっさきに関中を定めた者を王にしよう」っと。
それに名乗りを上げたのは劉邦と項羽だけだった。

劉邦のことはとても感じがよく書かれています。
三国志の劉備もこんなふうに書いてもらいたかったです。。

   

■2017年10月14日(土)

「劉邦 上」 宮城谷昌光著 毎日新聞出版 読破

劉邦は沛の街の亭長をしていた。
歳はもう40代後半だろうか。
そんな劉邦に五彩の気、天子の気が出ているという。
なにしろ運気がただよっているらしい。
顔つきから違うらしい。貴人の相をしているらしい。
有力者から娘をもらって欲しいとこわれ結婚する。

秦の始皇帝は各地の土木事業などで民を酷使していた。
劉邦は土木事業のために100人の民を連れて行かなければならなかった。
1度目は全員勤めを果たして帰ってきたが、
2度目は30人の民が逃げてしまった。
秦の法は厳しく全員斬首はめに見えていた。
劉邦は逃げて山に隠れた。何十人か劉邦についてきた。
始皇帝が死んだ。
陳勝・呉広の乱が起きた。
またたく間に大きな反乱となった。
劉邦は沛の街をおさめて欲しいとこわれ山から沛へ帰ってきた。