峠 読書記録 2019 りょう99@笠原良太(かさはらよしたか)
全3巻 司馬遼太郎著 新潮文庫
下から書いてます。
■2019年2月15日(金) 24:00
「峠 下」 司馬遼太郎著 新潮文庫 読破
河井継之助は越後長岡藩の家老上席となり
執政と呼ばれるようになった。
薩長の官軍は江戸城をとり、
幕府軍は各地で抵抗していた。
幕府軍の奥羽同盟ができて長岡藩も参加して欲しいといわれる。
官軍も北陸道の要衝長岡藩に恭順しろといってきていた。
継之助はどちらにもつかず
我が藩領に他藩のものを入れないとしていた。
できれば徳川家をすくい出して江戸をもとどおりにしたいと思っていた。
継之助はできるだけ戦争を回避しようとしていた。
しかし長岡藩のまわりで会津藩と官軍が衝突するにあたり
日和見(ひよりみ)は許されなくなってきていた。
ついに長岡藩は官軍を追い払った。会津はたいそう喜んだ。
機関砲ガットリング砲をついに継之助自ら使った。
日本に3門しかなく2門を長岡藩が買いもう一つを薩摩が買った。
薩摩は船につけたようだ。
その船の主任士官は東郷平八郎という青年だった。
せっかく買ったガットリング砲だがあまり活躍が書いてない。
そんなに使わなかったのかな。大いにあったんだろうと思うが。
一進一退を繰り返し
継之助は足を討たれ化膿してまもなく亡くなった。
■2019年2月15日(金)
「峠 中」 司馬遼太郎著 新潮文庫 読破
越後長岡藩主牧野忠恭(ただゆき)は老中にはならなかったようだ。
河井継之助は出世した。
外様吟味、郡奉行兼町奉行などをやり
博打(ばくち)禁止、妾禁止、
継之助がさんざん行っていた遊郭も禁止した。
不満もあったようだが長岡藩にお金がたまっていった。
継之助は年寄役になった。
第二次長州征伐がはじまったが将軍徳川家茂が死に
徳川よりだった孝明帝も崩御した。
参勤交代が廃止された。
長岡藩も江戸からひきあげることになったため
藩邸にあった貴重なものも継之助は売って武器を買った。
ここで極東に三つあるというガットリング砲を全部買おうとした。
一つはトルコだかプロシャの船にあったのですぐ長岡藩に届けられた。
あと二つは上海にあるという。
アメリカの南北戦争で使われたものだった。
ガットリング砲は一分間に三百六十発撃てる。
元込式の洋銃千五百挺も買った。
これはゲペール銃を一発撃つ間に10発撃てる。
大砲も買ったようだ。
京都では徳川慶喜が一人でがんばっていた。
家老になった継之助は60名の兵を連れて京へのぼった。
京の様子を見てこなければだめだと思ったのだ。
大阪城に入った。
慶喜は大政奉還をして、王政復古の大号令が出された。
慶喜中心の政権を予想していたが
慶喜はすべての重要会議からはずされた。
薩長は徳川の領土をとりあげようとした。
薩摩は戦争のきっかけを作るため江戸を荒らした。
商人屋敷を襲ったり火をつけたりした。
幕府軍が江戸の薩摩屋敷を砲撃したことにより戦争のきっかけができた。
鳥羽・伏見の戦いがはじまった。
徳川は敗北し慶喜はひそかに大阪城をすてて江戸へ退散した。
慶喜は足利尊氏のように賊軍になることを恐れて恭順して謹慎してしまった。
継之助も江戸へ帰り会議などにも出たが国元に帰ることになった。
もう江戸の大名屋敷はほとんど空になっていた。
薩長は勝ったから良いようにいわれているが
幕府側から見ると薩長はひどいなぁと思う。
■2019年2月13日(水)
「峠 上」 司馬遼太郎著 新潮文庫 読破
気になる所があって読んでいます。
ガトリング砲のことなんですが(機関銃みたいなもの)
昔読んだ時に日本にあるガトリング砲を
越後長岡藩が3個全部買ったと最初書いてあった気がするけど
それがすすむに連れてそれが2個だったとか1個だったとか
あいまいになってきてよくわからなくて
ガトリング砲のことは読書記録に書けなかったんだけど
とりあえずそれを見極めたい。
上巻ではまだ出てきません。
主人公は越後長岡藩の河井継之助。
幕末の物語で継之助は江戸へ出て来た。
古賀謹一郎の古賀塾に入る。
そこに陽明学の本がそろっていたためだ。
その時代は朱子学が主流だったようだが。
継之助は佐久間象山の客分になったり
諸国をまわって名士にあったり志士のようなことをしている。
外国船がたびたび日本にやってきている。
尊王攘夷論がわきあがってくるのだが、
継之助は尊皇でも攘夷でもなく
日本も船をたくさん造り大砲や武器を買い
外国に対抗しなければならないと思っている。
幕府はもうすぐ滅ぶだろうと予測して
長岡藩主が京都所司代になるのを反対しやめさせ
そのあと老中の話が来たが反対している。
京都では尊皇攘夷の志士がはばをきかせ、
京都守護職の会津藩は新撰組を作り対抗した。
池田屋事件が起き長州が兵を挙げた。
京都は戦場になっていた。
京都所司代なんかやめて良かった。
継之助のいうことは正しかった。
しかし藩主が老中になることに反対した継之助は
国元へ帰らされてしまった。