項羽と劉邦 読書記録 2019 りょう99@笠原良太(かさはらよしたか)
全三巻 司馬遼太郎著 新潮文庫
下から書いてます
■2019年3月9日(土)
「項羽と劉邦 下」 司馬遼太郎著 新潮文庫 読破
劉邦は戦うごとに敗れた。相手が項羽だったからだ。
韓信は戦うごとに勝った。相手が項羽じゃなかったからかな。
韓信は北方で大勢力を築き斉王となった。
韓信で有名なのは背水の陣だ。
韓信軍2万は川を背にして陣をはった。敵の兵は10倍。
敵は韓信は兵法に暗いと大笑いして城から全軍で出てきた。
そこを迂回してあった韓信の兵2千は城を占領し劉邦軍の赤旗をかかげた。
敵は大混乱を起こし韓信軍が勝った。
また韓信が斉国をおさめると項羽の武将竜且(りゅうしょ)が20万の兵で攻めて来た。
韓信は川を渡ってきたが竜且が現れると見苦しく逃げ出した。
竜且は先頭に立って韓信を追って川を渡ると
韓信はあらかじめ作っておいた川のせきを切った。
竜且の後続は川の水が増えたので川を渡ってこられない。
竜且は孤立してまわりから矢をいこまれ韓信軍の雑兵の手にかかって死んだ。
劉邦は戦うごとに項羽に負けていたが穀倉地帯に籠城していた。
兵糧を集めた穴がいっぱいあった所だ。
項羽は飢えてきた。ホウ越というのがゲリラ戦で項羽の兵糧を奪っていたのだ。
劉邦と項羽は和睦をすることになったが、
項羽が退却すると張良のすすめで劉邦が追撃した。
項羽が飢えているうちに討たないと後からだと二度と項羽に勝てる機会はないと思ったからだ。
ところが劉邦は項羽に敗れ小城に籠城する。
しかし項羽は飢えていたので囲みをといて本拠のホウ城に帰ろうとする。
そこに韓信軍30万がやってきた。
項羽は城に籠城するがまわりから楚の歌が聞こえてきた。項羽の故郷の歌だ。
項羽は楚の歌を聞いてこうも楚の兵が敵側に味方したのかと最後を悟る。(四面楚歌)
項羽は城の囲みを破り逃げ川のほとりまで来た。
船がある。川を渡れば楚の国だ。
しかし多くの楚の兵を死なせ自分一人が生き延びるわけにはいかないと思った。
天が我を滅ぼそうとしているのだ。
項羽も最後となり劉邦が勝ち残った。
あとで韓信とか黥布とか殺されちゃうんだよね。。
■2019年3月8日(金)
「項羽と劉邦 中」 司馬遼太郎著 新潮文庫 読破
劉邦は本道をそれ南の武関から関中に入った。
そして本道の函谷関を閉ざしてしまった。
項羽は怒った。
函谷関を抜いた項羽は劉邦の何倍もの兵力である。
劉邦は鴻門の会で項羽にわびて命はなんとか助かった。
劉邦は蜀の地へとばされてしまった。
蜀の地は犯罪人が送られる所で
二度と劉邦はそこから出られないだろうと思われた。
しかし劉邦が出てくるのである。
項羽は秦の兵士を何十万人も穴埋めにしてるし
秦の首都咸陽に入ると略奪、強盗、強姦しまくった。
昔から敵の国を奪えばそうすることはあたりまえだった。
戦争で士気をあげるにはそういうふうにした。
劉邦は張良の献策もありそういうことはしなかった。
項羽は咸陽、関中を首都にすることは考えておらず
徐州の彭城(ほうじょう)を首都にして帰っていった。
関中の民は皆劉邦が出てくることを望み
劉邦は蜀の国から出てくる。
蕭何(しょうか)が関中をうまく治め劉邦の後方支援をうまくやる。
韓信は劉邦が蜀の国に入る前に項羽の元を去り劉邦についた。
泥棒たちを首斬る時に13人すでに斬り、次に韓信の時に
夏侯エイが「主上よ、あなたは天下をお望みにならないのですか」
っと言った。もう少しで韓信を斬ってしまうところだった。
韓信は低い役だと逃げてしまうので一番上の将軍にした。
劉邦は関中を出て味方を糾合し50万の兵で
項羽の留守の彭城を落とすが、3万の項羽の兵に敗れた。
劉邦は逃げた。車を軽くするため何度も自分の子を投げ落とし
その度に夏侯エイは馬をとめて子を車にのせた。
劉邦は城に籠城したが飢えてきて、
影武者をたて偽って降伏してそのすきに逃げた。
黥布も項羽の元を去り劉邦についた。
しかし会った時に劉邦は女に足を洗わせていた。
黥布(げいふ)は死ぬほどの屈辱を受けた。
しかし部屋に案内されると、従者といい劉邦と同じ待遇の部屋だった。
黥布は面子を保った。
■2019年3月6日(水)
「項羽と劉邦 上」 司馬遼太郎著 新潮文庫 読破
読書記録も書くつもりもなくメモもとらなかったのですが。
中国を統一した始皇帝は各地に巡幸に出た。
始皇帝を見た劉邦は言った。
大丈夫、当にかくの如くなるべくなり。
項羽は言った。
彼取って代わるべきなり。
始皇帝は自分の陵墓を作らせたり万里の長城を作らせたり
道路を作らせたり阿房宮という宮殿を作らせたりしていた。
民に過酷な労働を課していたため始皇帝が死ぬと各地で反乱がおきた。
陳勝・呉広の乱だ。
期限までに目的地まで労働者を連れていかないと
全員死刑だったのだ。
雨などが降ると川が氾濫したりして目的地につくことはできない。
陳勝・呉広は王侯将相いずくんぞ種あらんやといって反乱を起こした。
劉邦も役目で土木工事に労働者を連れて行ったが
だいたい逃亡してしまい全員死罪が待っていたが、
劉邦も山野に隠れていたが蕭何(しょうか)に押され兵を挙げた。
項羽と叔父の項梁も兵をあげた。
陳勝・呉広は敗れたが、劉邦と項羽は仲間になり秦軍をやぶる。
秦では章邯が30万の兵を率いて出てきて、
兵を分散しないで一カ所に集め各個撃破で反乱軍を破る。
項羽の叔父の項梁も章邯に敗れ亡くなった。
項羽と劉邦は一時撤退する。
楚の懐王は言った、最初に関中に入った者を関中王にするであろうと。
項羽は本道を進み秦軍と戦いながら関中をめざした。
劉邦は別働隊として関中をめざした。
項羽は秦軍を破り章邯を降伏させた。
秦軍20万人を項羽は穴埋めにしてしまった。
敵兵を殺すのは口減らしのためでもある。