織田信長読書記録 2019 りょう99@笠原良太(かさはらよしたか)
全5巻 山岡荘八著 講談社
下から書いてます。
■2019年6月23日(日)
「織田信長 5」 完 山岡荘八著 講談社 読破
信長はなかなか家康の救援には行かなかったが
やっと信長自らおもむいて長篠の戦いで武田勝頼を破る。
武田の騎馬隊を鉄砲隊で破った戦いとして知られている。
次に信長の驚異となったのは上杉謙信であった。
上杉謙信が上洛戦をしかけてくるという。
信長は安土城を築いて準備する。
越前の一向一揆を皆殺しにして備える。
松永久秀は3度目の謀反をした。
中国では毛利、大坂では本願寺、大和では松永久秀、
紀州では雑賀、根来衆が、上杉が北陸と木曽路から、
戦場は6カ所に及んだ。
しかし上杉謙信は卒中で死んでしまった。
信長の最大の危機は去った。信長も運がいい。
今川義元や武田信玄や上杉謙信の死は偶然とは思えないのだが
忍者でもつかったのだろうか。
そんなことはないか。信長の実力なんだろうか。誰でも寿命で死ぬし。
そして家康の正室築山殿と長男信康が武田勝頼と
通じていると信康に嫁いでいる信長の娘徳姫が知らせてきた。
信康は切腹させられてしまった。
信長の長男信忠より年上で器量もあるので先のことを
考えたのかもしれないとも書いてあった。
明智光秀はにせの母を人質としておくり波多野兄弟をめしとった。
信長はもはや天下人、にせの母を人質におくるようなことを許さなかった。
信長は森蘭丸に光秀の頭を鉄扇で叩かせた。
光秀は信長に恐怖した。
本願寺を大坂から退去させるとやっと危機は去ったと思われた。
秀吉が西の毛利領を削っていき、
信長は東の武田勝頼をついに滅ぼした。
この時、明智光秀の言葉が信長の不興を買う。
身近な敵はもはや秀吉が戦っている毛利だけとなった。
信長は家康を上洛させてもてなそうとした。
接待役を明智光秀にしたが信長の不興を買い途中で変えられてしまう。
近頃の信長の不興が光秀にはわからない。
信長の仕打ちの酷さに光秀は気が動転している。
もしかしたら用済みになった家康を討とうとして光秀を接待役にしたが
それができなかったから光秀を接待役にはずしたのかどうか。
そんなことはなかったかもしれないが歴史の真実はわからないものだ。
明智光秀は連歌の会でこんな歌をよんだ。
時はいま、あめが下しる五月(さつき)かな
時は明智の土岐氏をかけている。
光秀が謀反を決めたときに読んだ句とされる。
また光秀は「本能寺の堀は深かったかのう」みたいなことも言ったという。
光秀は秀吉への救援に行く1万の兵を西から京へ向けて言った。
「敵は本能寺にあり」っと。
光秀に攻められ信長は本能寺で火をつけ自害した。
■2019年6月22日(土)
「織田信長 4」 山岡荘八著 講談社 読破
信長は朝倉を討とうと家康と越前に向かったが
後ろから浅井が背いて命からがら京ににもどる。
信長は浅井長政には妹のお市を嫁がせてあるので安心しきっていた。
これで信長の天下統一は10年遅れた。
信長の敵は、浅井、朝倉、三好、六角、本願寺、比叡山、武田、足利将軍、
とどうしようもない四面楚歌におちいった。
姉川の戦いで信長と家康は浅井、朝倉を破ったが、
敵は危なくなると比叡山に逃げ込む。
信長は叡山を滅ぼすものは叡山なりといって比叡山を焼き討ちする。
このとき明智光秀はこれだけはやめた方がいいと信長をいさめたが
聞き入れられなかった。
王城鎮護の地、国仏教の故郷、この叡山を焼けば極悪無道の烙印を押される。
しかし信長はやった。魔王信長の誕生か。
修学旅行で比叡山に行ったときにお坊さんが比叡山のロウソクの火は
その時の火を絶やさずにしていると言っていた。
そしてついに武田信玄が兵3万で上洛戦を起こしてきた。
家康の領地を通ってくるのだが信長は3千人しか援軍をおくれなかった。
三方ヶ原の戦いで家康は惨敗した。
家康は信玄が通り過ぎてから後ろから信玄を攻めれば良かったと思うのだが
家康は若かった。気骨があった。真っ正面から信玄に挑んだのである。
しかしまもなく武田軍は撤退した。
信玄が死んだのだ。流れ弾に当たったとか病没したとか。
これで信長にも余裕ができた。
朝倉を滅ぼし、浅井を滅ぼし、三好義継を自滅させた。
浅井長政に嫁していたお市と3人の娘たちは助け出された。
あと残っているのは本願寺だった。
各地で一向一揆を起こさせているのは大坂の本願寺だった。
信長は長島一向一揆(伊勢かな)を火攻めで皆殺しにした。
そして武田勝頼が家康領に進撃してきた。
長篠の戦いがはじまる。
■2019年6月21日(金)
「織田信長 3」 山岡荘八著 講談社 読破
信長は家康と同盟し西は信長が、東は家康が治めようと決めた。
伊勢を滝川一益にまかせて美濃を攻略することになった。
美濃では斎藤道三の息子義龍が死にその子龍興が治めはじめた。
それでも川向こうの墨俣へ誰も砦が作れなかったが、
秀吉が野武士を用いて墨俣城を築き城主となった。
それから秀吉が美濃の武将に調略をしかけていった。
美濃の城主龍興は正月から五十名近い女に酌をとらせて大宴会をしていた。
秀吉の調略もきいているのか出仕するものも少なくなってきた。
そんな時、龍興をいさめるため竹中半兵衛がたった16人で稲葉山城を落としてしまった。
信長は秀吉をつかわせて、西美濃半分をやるから城を献上しろと迫ったが
竹中半兵衛に軽くあしらわれてしまった。
ここで信長が攻めてくれば龍興に城を返して戦うつもりだったのだが、
信長は出していた兵を撤退させてしまった。
竹中半兵衛は龍興に城を返したが身を狙われ山奥に隠居してしまった。
自ら身を滅ぼしてしまったことになった。
そんな竹中半兵衛を秀吉は三顧の礼で軍師に迎えた。
半兵衛はこうするより生き抜く方法はなかったのかもしれない。
信長の稲葉山城をとうとう攻略した。
秀吉と半兵衛が城の裏手から入り込んで火をかけたことが大きかった。
信長は美濃を岐阜と改め、天下布武をかかげた。
そこへ濃姫のいとこ明智光秀が足利義昭をつれて士官してきた。
朝倉で4千5百貫をもらっていたが信長は1万貫出すという。
足利義昭には細川藤孝がついていた。
信長のいままでの家来とはちがうものをもっている。
光秀、細川にまかせておけば禁裡や公家の交渉などなんとかやっていけるであろう。
信長は近江の浅井長政に妹の市姫を妻にさせ道を開くと、
一気に京まで制圧してしまった。
三好を蹴散らし松永久秀を降伏させた。
三好が将軍に立てていた足利義栄は阿波にのがれた。
足利義昭が信長を頼ってきてから3ヶ月で義昭は室町幕府将軍になることができた。
義昭は信長に官職を与えようと思ったが信長はどんな官職も受けず岐阜へ帰った。
朝倉や武田信玄の二人の野心に対する備えだった。
話は少し飛ぶ。
信長は本願寺と組んでいる朝倉を滅ぼそうと越前に向かった。
近江の浅井は、今浅井があるのは朝倉のおかげだと後ろから信長を襲おうとする。
信長の妹お市を嫁にしている長政はそんなことをするべきでないといったが
父浅井久政はどうしても信長を討つという。
■2019年6月20日(木)
「織田信長 2」 山岡荘八著 講談社 読破
信行はついに兄信長を討とうと兵をあげた。
信行付きの家老柴田勝家はうつけの信長など簡単に討てると思っていた。
ところが信長に軽く返り討ちにされてしまった。
信長はうつけなどではなかった。
信長が近隣で遊び歩いていたのも川遊びをしていたのも
こういう時のために地形を知り川の深さを知り活用するための行動だったのだ。
柴田勝家は反省して坊主頭になってしまった。
しかし信行は反省もせず兄信長に暗殺者をおくりこんだ。
信長は暗殺者に襲われ重体だと伝わってきた。
信行はお見舞いと称して信長にとどめを刺そうとして信長の城へ来たが
信行の計画は全部ばれていて信長は信行を殺してしまうことになった。
そうやって尾張を統一していくと今度は駿府の今川義元が上洛戦をおこしてきた。
義元の兵は4万。それに対して尾張の信長の兵は4千あまりか。
信長は義元を油断させるために籠城するとふれをだした。
そうして義元が尾張に近づくと信長は城から進撃した。
義元は田楽狭間(桶狭間)で休んでいるという。
新たな支配者が来ると土地の者が食べ物や酒を献上するのだ。
これも信長の作戦の一つだ。
天候も雷雨になり信長に味方した。
信長が近づいてくることがわからなかった。
信長の奇襲は成功して今川義元も最後となった。
今川の先鋒で戦っていた松平元康(家康)は、やっと自分の岡崎城へ入ることができた。
岡崎城へは今川の大官が入っていたが義元が死ぬと逃げてしまったのだ。
家康にとって長い人質生活が終わった。
そして信長は家臣十数名をつれて京へ行った。
室町幕府将軍足利義輝に会う。
もはや将軍の権力は無く、京は死体の腐臭が満ち公家や帝は貧しい生活をしていた。
信長や家臣たちは天下を統一して京へのぼろうと決心する。
木下藤吉郎(秀吉)は信長の命令で堺で鉄砲を400挺ほど買ってきた。
■2019年6月19日(水)
「織田信長 1」 山岡荘八著 講談社 読破
信長は少年時代は吉法師といい、うつけと呼ばれていた。
少女たちに相撲をとらせたり、
村々のガキ大将を集めて農家の瓜を盗んだり遊び歩いていた。
柴田勝家はじめ家老たちは、行儀の良い弟の信行に
家督を継ぐことを望んでいた。
信長はめげなかった。
信長がその気になれば城の一つや二つは少年隊を率いて実力で捕れるのだ。
父信秀が死んだ。
葬式に信長はいつもの奇抜な格好で来て香を投げてさっさと帰ってしまった。
皆不満をいったが信長は君主が亡くなった尾張を一人で守るつもりだったのだろう。
信長は美濃の斎藤道三の娘濃姫をもらっている。
母は明智のもので濃姫は明智十兵衛光秀といとこだったようだ。
道三は光秀をかっていたが信長に会ってみると日本一の婿(むこ)だと
上には上がいるものだと思った。
ただのうつけで終わるか天下を取るか。
少年時代、松平の竹千代が人質で尾張に来ていた。
のちの徳川家康である。
信長は三河の弟と竹千代をかわいがって遊びに連れ出した。
信長の兄信広が今川側に捕まると竹千代と捕虜交換となった。
竹千代は今度は今川へ人質にやられた。
もうひとり、信長は市場で人物にあった。
木下藤吉郎、のちの豊臣秀吉である。針売りをしていた。
信長は関所をなくしていて市場は人が集まって栄えていた。
市場では情報も集まる。そこで猿(秀吉)と会ったのだ。
また信長はいち早く鉄砲を集めていた。
斎藤道三が死に、竹千代に子供が産まれたことを聞くと
信長は濃姫が子供を産まないのでいっぺんに妾を3人もった。
皆信長はうつけでどうしようもないと思った。
弟信行は皆とはかって信長を殺そうと決意する。
返り討ちにあうのだが。。