徳川慶喜読書記録 2021/08/11  りょう99@笠原良太(かさはらよしたか)

 

徳川慶喜 全6巻 山岡荘八著 講談社

下から書いてます


■2021年8月11日(水)

「徳川慶喜 6」 山岡荘八著 講談社 読破

慶喜が満を持して将軍となったがもう遅かったようだ。
家茂の前の早い時期に将軍になるべきだった。
もう公武合体派の公家たちははがされていった。
薩長と岩倉具視が暗躍していた。
とうとう慶喜は大政奉還して王政復古となった。
ここで坂本龍馬と中岡慎太郎は暗殺されてしまったが
薩長が糸を引いていたかもしれない。
坂本龍馬は徳川慶喜を政府の一員として残すつもりだったようだから。
薩長は徳川を残すつもりはなかったようだ。
薩長が政権を握り関ケ原の戦いの恨みをやっと晴らした。
鳥羽伏見の戦いがはじまると、慶喜は船で江戸へ戻り、
謹慎してしまった。
薩長が錦の御旗をかかげ慶喜は逆賊になってしまったから。
薩長が江戸に迫ったが慶喜は恭順して水戸で謹慎して
西郷と勝海舟の会談で江戸城を明け渡した。
薩長軍は会津や五稜郭で幕府軍を破り
日本は薩長が支配することになった。
徳川は駿河70万国で残ることになったのかな。
廃藩置県でなくなったかもしれないけど。
慶喜は大正2年(1913)年まで生きた。76歳まで。

  

■2021年8月9日(月)

「徳川慶喜 5」 山岡荘八著 講談社 読破

討幕派の長州藩らの志士たちを池田屋の変で新選組は斬ってしまった。
長州は蛤御門の変で巻き返しを謀るが敗れた。
吉田松陰の妹婿の久坂玄瑞が死んだ。
長州は下関で外国の船を攻撃したので米英仏蘭の連合艦隊が仕返しにきた。
ボコボコにやられて長州は外国の力を思い知ったようだ。
そして第一次長州征伐が行われた。
長州は降伏して家老が三人切腹となった。
長州も踏んだり蹴ったりだったね。
そこで坂本龍馬と中岡慎太郎のあっせんで薩長同盟がなる。
薩摩は公武合体論から倒幕に動き出した。
第二次長州征伐が始まった。
しかし薩摩は兵を出さないし将軍家茂が死んでしまった。
毒殺されたように書いてある。
長州は負けなかった。勝った。
やっと慶喜が征夷大将軍となった。
そして孝明帝が亡くなてしまった。毒殺説もある。
イギリスは薩長と結んで倒幕を実現させ、新政権に対しても朝廷に対しても
有利な地歩を占めようと計算して画策しだしている。
一方幕府側ではフランスがついて軍備訓練をしていた。
新しい帝が明治天皇になるんだと思うけどまだ幼い。
いままではいろんな人の視点で書いてあったが慶喜の視点から書かれてきている。
私は明治維新は司馬遼太郎さんの本をかなり読んでいるけど、
だいたいが薩長土肥側の人物の本だ。
新選組の燃えよ剣だけは幕府側の本かな。
だから薩長土肥が正義のような本ばかり読んでいたので
この慶喜を視点に書かれた本で衝撃を受けた。
薩長はホントに汚いマネをして権力を握ったんだなぁと思う。
慶喜はそうとうに苦労したようだ。

  

■2021年8月6日(金)

「徳川慶喜 4」 山岡荘八著 講談社 読破

慶喜が江戸幕府将軍徳川家茂の後見職になり、
越前の松平春嶽は政治総裁になった。
鎖国、開国、勤王、尊王、攘夷、公武合体、倒幕、
様々な思想が出た。
朝廷は攘夷派で
幕府は開国派で慶喜も開国派だ。
慶喜は水戸出身で尊王派でもあった。
公武合体策などがとなえられた。
京では尊王攘夷の志士たちが倒幕に動いていた。
京都守護職を任じられた会津の松平容保が新選組を作り
尊王攘夷の志士たちを取り締まる。
朝廷は長州に占領されていて久坂玄瑞などが活躍していたが
八月十八日の政変で薩摩などによって長州は中央から追い落とされる。
三条実美などを含む七人の公家たちが長州に落ちていった。
七卿落ちとよばれている。
朝廷は薩摩が牛耳るようになる。
長州は薩摩を憎んだ。
長州は朝廷から攘夷を決行するように勅命が出て
下関を通る外国船を砲撃したりした。
薩摩では行列の供先を突っ切ったイギリス人を斬ってしまった。
生麦事件と呼ばれている。
薩摩と長州は尊王攘夷、倒幕と方向性は同じなのだが仲が悪い。

  

■2021年8月2日(月)

「徳川慶喜 3」 山岡荘八著 講談社 読破

開国した幕府を倒すため
尊王攘夷の学者、志士たちは激しくぶつかった。
大老の井伊直弼は厳しく尊王攘夷の志士たちを捕縛していった。
この安政の大獄で吉田松陰や橋本佐内など殺されていった。
西郷隆盛も月照とともに逃げ海に飛び込んで自殺を図った。
月照は死に西郷は息を吹き返したが流罪となった。
尊王攘夷の志士たちは雄藩連合の兵を繰り出し
井伊直弼を倒して幕政を改革しようというクーデターを計画していた。
慶喜が将軍となればまだよくなるだろうと思っている。
将軍は16才の家茂が継いでいる。
そして家茂の嫁に和宮降嫁の話が持ち上がった。公武合体。
和宮を降嫁という名の人質で江戸城に移し
有無をいわせず開国を招致させる腹に違いない。
そこで井伊直弼は水戸と薩摩の志士によって暗殺されてしまった。
慶喜の謹慎は解け、慶喜を家茂の後見職にという話になった。
大老に松平春嶽にということで。
そして公家の岩倉具視が倒幕に動き出した。
和宮を降嫁させることによって幕府を倒し
政権を公家側に取り返す糸口をつかもうという凄まじい智謀の持ち主であった。
また和宮の降嫁を許すかわりに幕府に攘夷決行の
約束をさせようというねらいもあった。

 

■2021年7月31日(土)

「徳川慶喜 2」 山岡荘八著 講談社 読破

大老になった井伊直弼は朝廷の許しもないまま
日米修好通商条約を結んでしまった。
アメリカにつぎ、オランダ、イギリス、ロシア、フランスなどとも
同様の条約を結んだ。
不平等条約であった。国中大騒ぎになった。
朝廷は開国を許すわけはないのでしょうがないのだが、
尊王攘夷の動きが活発になった。
中心は水戸だった。慶喜は尊王攘夷を唱えた水戸斉昭の子だ。
水戸光圀の時に大日本史を編纂してから
水戸学と呼ばれる尊王思想が日本中の学者や志士の間で広まった。
長州の吉田松陰などは松下村塾を開き尊王攘夷思想を広めていた。
門下の桂小五郎、久坂玄瑞などが動き出していた。
西郷隆盛も動いていて島津斉彬が兵をようして上洛するという話で
学者、志士たちは沸き返ったが斉彬は突然亡くなってしまった。
島津ではお由良騒動というものがあって斉彬は毒殺されたようだった。
学者の梅田雲浜が捕まり井伊直弼による安政の大獄が始まる。

 

■2021年7月28日(水)

「徳川慶喜 1」 山岡荘八著 講談社 読破

隣国の大国、清はアヘン戦争でイギリスに敗れる。
幕末、鎖国をしていた日本に衝撃が走る。
ついに外国の船が日本にも現われはじめる。
アメリカのペリーの黒船が開国を求めて日本にやってきた。
日本は大騒ぎになった。
攘夷すべきか開国すべきか。
何が正しいかわからない。
そんな折、徳川幕府の将軍は知恵遅れの家定だった。
この激動の時代に家定ではどうしようもない。
名君に立ってもらわねばならない。
慶喜を将軍になってもらうべく薩摩の西郷隆盛などは動いていた。
しかし慶喜にも敵が多かった。
大奥などの動きも大きかった。
薩摩では篤姫を家定の嫁におくりこみ大奥を
慶喜びいきにしようとしたがうまくいかなかったようだ。
ここで慶福(家茂)びいきの井伊直弼が大老になろうとしていた。
大奥でも慶福びいきが多かったようだ。