日本の歴史26巻読書記録 2025年2月27日(木)  りょう99@笠原良太(かさはらよしたか)

日本の歴史26巻 中央公論社

下から書いています


■2025年2月27日(木)

「日本の歴史 26 よみがえる日本」 蝋山政道著 中央公論社 読破

1945年(昭和20年かな)に戦争は終わりました。
アメリカのマッカーサーが来てGHQにより日本の占領政策がはじまりました。
日本の戦後復興と民主化、非軍事化、戦争犯罪人の処罰などをしました。
よく天皇制を残してくれました。
GHQはまず日本国憲法を作りました。
平和憲法で第9条で軍隊をもたないことが明記されました。
私が小学生の頃に、このようなすばらしい憲法は世界にないと教わりました。
21世紀を迎えた現代ではこの憲法が少し足枷になっているようです。
1950年に朝鮮戦争が起きた時に日本に警察予備隊が作られ再軍備となりました。
保安隊、自衛隊と名称が変わっていきます。
この本には再軍備のことは書いてなかったような気がします。
1951年にサンフランシスコ条約によって日本は連合国からの占領から独立し
国際社会に復帰することができました。
日米安全保障条約も締結されアメリカ軍が日本に駐留することが決まりました。
1960年の時の新安保条約の時はすごいデモが起こりました。
私が小学校時代に、アメリカさんに守ってもらって日本は軍隊をもたなくて良くて
高度経済成長をなしとげたと習いました。
池田勇人首相の時に所得倍増計画をかかげましたがインフレ率もかなり高かったようです。
アメリカによる核の傘で守られているというのも大きなことです。
ソビエト、中国などの共産主義なども脅威でした。
朝鮮戦争に続きベトナム戦争が起こっていました。
この本は昭和42年(1967年かな)の発行ですが、その辺までですが、
特に昔の本だからといって考え方に問題があるわけでもありません。
昔から歴史はかなり研究されていたようです。
この26巻で最終巻となります。

  

■2025年2月23日(日)

「日本の歴史 25 太平洋戦争」 林 茂著 中央公論社 読破

日本は中国に攻め込むが中国を降伏させることはできなかった。
降伏するといっているのに黙殺してしまった説あり。
中国は、中国共産党と国民党(中華民国かな)がやりあっていて、
中国共産党ははるか西の方へ逃げて行き、日本は主に国民党と戦っていたのかな。
日中戦争になり中国は国民党と共産党が手を組んで戦った(国共合作)
欧州ではドイツがせっけんしてドイツの勝利で終わるかと思われた。
日本はバスに乗り遅れるなとアジアのフランスやオランダの植民地を奪った。
するとアメリカがハルノートを突きつけてきた。
アジアから手を引かないと石油もくず鉄も売らないというものだった。
アメリカは早くから日本人を排斥していた。
ABCD包囲網というものもできあがった。
アメリが、イギリス、中国、オランダである。
日本はアメリカとの開戦を決めハワイの真珠湾を奇襲した。
アメリカではリメンバーパールハーバーといって一致団結した。
日本の無線はすべて傍受されていて実は真珠湾攻撃もばれていたらしい。
日本は東アジア、東南アジアのほとんどを一時支配した。
大東亜共栄圏をかかげていた。
しかし、徐々にアメリカの戦力が増してきて日本の占領地を奪い返していった。
ミッドウェー海戦で負けたのが痛かった。日本は空母四隻を失った。
それから日本の輸送船などは皆沈められる始末だった。
とうとう沖縄まで奪われ日本は長崎と広島に原爆を落とされ無条件降伏をした。
ソ連は日本との条約を破棄して満州に殺到した。
太平洋戦争は終わった。
当時、ヨーロッパはドイツの勝利で終わると思われていたんだよな。
見誤った。。。

  

■2025年2月21日(金)

「日本の歴史 24 ファシズムへの道」 大内 力緒 中央公論社 読破

第一地世界大戦も終わったが1923年に関東大震災がきた。
日本は震災から復興につとめたが1929年にアメリカ発の世界大恐慌がきた。
深刻な打撃をこうむった日本は軍部が台頭してきたようだ。
1931年には満州事変が起こり満州国を建てる。
清国の愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)を皇帝に迎える。
五族協和、王道楽土をかかげていました。
しかし、リットン調査団によって日本の占領は正当化されないとされ、
日本は国際連盟を脱退することになったのです。
日本はファシズムに走っていきます。

  

■2025年2月19日(水)

「日本の歴史 23 大正デモクラシー」 今井清一緒 中央公論社 読破

1902年、あの大英帝国のイギリスがアジアの日本と同盟してくれた。
そのせいもあったのか日露戦争で日本はロシアに勝つことができた。
日本がロシアのバルチック艦隊を破るとアメリカのルーズヴェルトの仲介でポーツマス条約が結ばれました。
ただ日本はロシアから賠償金をもらえなかったので日比谷焼き討ち事件などがおきました。
しかしアジアの小国だった日本が大国のロシアに勝ったことは多くのアジアの人に感銘を与えました。
中国などから多くの留学生が日本に来て学びました。孫文もその一人です。
孫文は1911年辛亥革命を起こし、1912年中華民国を立てました。のちの台湾ですが。
このような時に日本は大正時代に突入しました。
大正デモクラシーは1910年代から1920年代にかけての日本で展開された、
政治、社会、文化の各分野における民主主義的な運動や風潮を指します。
この時期に、普通選挙制度の導入や言論、集会の自由、男女平等、労働運動などが活発に行われました。
1914年に第一次世界大戦が起こりイギリスの要求で日本は中国のドイツの権益を手に入れました。
また南洋諸島のドイツの権益も手に入れたようです。
2015年には日本は中国に対し21か条の要求をだしました。日本はちょっと調子に乗っていました。
第一次世界大戦でドイツなどが敗れると1919年にベルサイユ条約が結ばれました。
国際連盟ができて日本は常任理事国になりました。
ワシントン体制ができてイギリス、アメリカ、日本の戦艦を持つ比率が5−5−3に決ましました。
しばらく戦艦はつくらないよう取り決められました。日本も許諾しました。大変なお金がかかっていたのです。
ここで日英同盟は破棄されました。
レーニンがマルクス主義のソビエトを作り、スターリンが引継ぎました。
中国では毛沢東などが中心となり中国共産党ができました。
大正の終わり頃、1923年に関東大震災が起きました。

 

□二日くらいゲームをしてました。モンスターハンターワイルズのオープンベータテストです。

 

■2025年2月10日(月)

「日本の歴史 22 大日本帝国の試練」 隅谷三喜男著 中央公論社 読破

日本は日清戦争で勝つと朝鮮を独立させて台湾も手に入れた。
満州と朝鮮を占領しようとしたロシアと日露戦争で勝利して朝鮮と満州は日本のものとなった。
朝鮮では日本の占領に対し激しい抵抗があったようだが、
日本は朝鮮のインフラを整え学校や病院を作り工業化に力を入れ経済の発展に力を入れました。
しかし、日本語を教え日本の文化を強制したり人権侵害があったり経済的搾取もあったとされています。
朝鮮で伊藤博文が暗殺され次の年に朝鮮を併合しました。
台湾は日本の植民地にされたことをあまり恨んでいませんが朝鮮は日本の植民地支配を恨んでいるようです。
この本で印象的だったのは日露戦争の時に与謝野晶子の君死にたまうことなかれっという詩です。
日露戦争では日本兵の3割が亡くなったそうです。
与謝野晶子の弟は生きて帰ってきたようなので良かったです。
また社会主義の考え方も広まってきました。でも弾圧されたようです。
1900年頃は財閥がでてきて成功した人は成金と呼ばれたようです。
成金もバブルがはじけたりして大変だったようですが。
三井や三菱などは大きな財閥として成長していきます。
ところどころに渋沢栄一の名前が出てきますが何をしたかはあまり書いてありません。
明治天皇が亡くなり、乃木希典が殉死してこの本は終わります。

    

■2025年1月28日(火)

「日本の歴史 21 近代国家の出発」 色川大吉著 中央公論社 読破

薩摩や長州では士族の乱が起こったが、
土佐では板垣退助を中心に自由民権運動が起こった。
板垣退助は自由党を作って活動していたが、
自由党を弱めるために板垣退助は洋行を勧められ海外に行ってしまった。
政府は集会を取り締まり、それぞれの党首を処罰したり追放したりして
自由民権運動も弱くなっていった。
板垣退助が海外から帰ってきた時にはどうも自由党も弱くなったいたようだ。
秩父事件が起こった時に自由党に協力を求めたが自由党は弱くなっていた。
秩父事件の映画「草の乱」にもそのことがちょっとふれられている。
日本の最初の首相になる伊藤博文はドイツに行ってドイツの憲法を学んできた。
日本の憲法はドイツの憲法を参考にしたようだ。
伊藤博文はビスマルクに心酔していた。
そして1889年に大日本帝国憲法が発布された。
伊藤博文が首相になり貴族院と衆議院からなる二院制の帝国議会ができた。
欧米諸国はアジアの日本が西洋の政治制度を取り入れ、
大日本帝国憲法を制定し、立憲君主制を導入して二院制の議会を設置したことに驚いたそうです。

    

■2025年1月22日(水)

「日本の歴史 20 明治維新」 井上清著 中央公論社 読破

最後の将軍徳川慶喜は大政奉還して徳川家が筆頭となり実権を握ろうと思っていたようだが、
岩倉具視らは倒幕の密勅を出して徳川家を滅ぼそうとした。
薩摩、長州、土佐が中心となって徳川家を滅ぼそうとした。
薩長土の新政府と幕府側と鳥羽伏見の戦いとなったが幕府側は敗れた。
新政府は錦の御旗をかかげたという。
徳川慶喜はそれを見てか聞いてか大阪から江戸に帰って謹慎してしまった。
自分が逆賊になってしまったから。
薩長土の新政府は江戸に迫り幕府は江戸城を無血開城した。
あちこちで紛争もあったが新政府は会津を下し、
最後までねばっていた蝦夷の五稜郭を落として戦争は終わった。
徳川家は駿府70万石が与えられた。慶喜も殺されずに済んだ。
明治維新が始まった。身分制度は市民平等となった。
士族がなくなり徴兵令ができて平民の軍隊となった。
士族の反発は大きく各地で叛乱が起きた。
しかしバカにしていた平民の軍隊に敗れてしまった。
征韓論に敗れて薩摩に帰っていた西郷隆盛が西南戦争を起こしたが、
熊本城が落とせず平民の軍隊に敗れてしまった。
これで士族の叛乱はなくなった。
士族の不満を外征にむけようと征韓論は起こったのだが。
そして今度は平民が乱を起こした。
地租改正で税が米からお金になり平民の負担が大きかったのだ。
政府は少し平民の負担を下げた。
征韓論などが起こっていたが海外を見てきて政府要人たちは皆征韓論に反対した。
海外の文明の凄さを知ってしまったのだ。
アメリカ、イギリス、フランス、ドイツなどを年くらいかけて見てきたようです。
岩倉具視、木戸孝允、大久保利通、伊藤博文など。
日本は富国強兵を進めることになった。
不平等条約の改正もなんとかしなければならなかった。

  

■2025年1月14日(火)

「日本の歴史 19 開国と攘夷」 小西四郎著 中央公論社 読破

1853年、アメリカのペリー率いる黒船が来航した。
アメリカは日本を開国させようとしていた。
当時世界では蒸気船が主流になってきていて、
中国との貿易のためだったり捕鯨をしていて補給地が必要だったりしたのだ。
ペリーは太平洋を渡ってきたのではなくインドの方をまわってきた。
翌年、1854年に日本に再度やってくるが中国の方の港にいただけである。
この時、吉田松陰が黒船に密航しようとしたが失敗している。
またペリー艦隊が来たことにより幕末へ向かっていく。
開国か攘夷か。尊王か佐幕か、さまざまなイデオロギーの対立が起こった。
1858年には井伊直弼が天皇の許可をとらず、アメリカと開国の条約を結んでしまった。
各国とも同じような条約を結ばされた。不平等条約であった。
井伊直弼は尊王攘夷派を処罰していった。安政の大獄である。
その反動で井伊直弼は桜田門外で暗殺されてしまった。
開国しようとした井伊直弼は悪かったであろうか?
長州は外国船打ち払い令を間に受け外国の船を砲撃した。
4か国の連合艦隊が長州に仕返しに来た。
長州は砲撃を受け砲台を簡単に占領されてしまった。
陸戦ならばっと日本の誰もが思っていた。しかし違った。
薩摩も生麦事件の報復でイギリスの艦隊が薩摩に乗り込んできた。
薩摩の建物や砲台を砲撃されすごい被害が出たようだ。薩摩も外国の力を知った。
長州と薩摩は戦ったイギリスを頼みに思うようになり、
幕府にはフランスがフランス式の軍隊を学ばせていた。
長州は第一次長州征伐ではやぶれたが第二次長州征伐では幕府に勝った。
戦いの途中で将軍徳川家茂がしんだのだ。
次にようやく慶喜に将軍がまわってきた。
もっと早く慶喜が将軍になっていれば幕府はもう少しまともだったかもしれない。
しかし慶喜が将軍になった頃には大政奉還が言われ始めていた。
慶喜は大政奉還したが徳川家が天皇の摂政になり実権を握ろうと思っていたようだ。
ところが岩倉具視らは倒幕の密勅を用意した。
クーデターが起こる。
良かったのは日本はイギリスやフランスの植民地にならなくてすんだこと。

    

■2025年1月3日(金)

「日本の歴史 18 幕藩制の苦悶」 北島正元著 中央公論社 読破

天明の大飢饉、寛政の改革から天保の改革あたりまで書いてあります。
1787年に浅間山が噴火して灰が積もって大飢饉がきたようです。
天明の大飢饉です。
軽井沢や草津に行った時に何回か鬼押し出しを見ました。
1787年に浅間山が噴火した時に流れ出た溶岩です。
1707年に富士山が噴火した時にも灰が積もって大飢饉がきたようです。
宝永の大飢饉と呼ばれているようです。
改革は、享保の改革、寛政の改革、天保の改革とありましたが
あまり成功したとはいえなかったようです。
日本は鎖国をしていて外国船打ち払い令などがでていたようです。
蘭学者の高野長英や渡辺崋山などが開国を主張して処罰されました。
蛮社の獄と言われています。1839年頃です。
その後、井伊直弼は開国に反対した尊王攘夷論者などを処罰しました。
安政の大獄です。1858年頃です。これは次巻で扱います。
ようやく次巻から幕末期に入りおもしろくなって来そうです。

  

■2024年12月24日(火)

「日本の歴史 17 町人の実力」 奈良本辰也著 中央公論社 読破

江戸時代中期には町人が力を持ち始めました。
飢饉なども多かったようですが、
お伊勢参りが流行ってきたり
マニファクチャーも出てきたようです。
また浮世絵などが生まれ、
海外の画家モネ、ゴッホなどにも影響を与えたようです。
政治では徳川吉宗や田沼意次のことなどが書いてありました。

    

■2024年12月10日(火)

「日本の歴史 16 元禄時代」 児玉幸多著 中央公論社 読破

元禄時代は1600年代後半から1700年代初期頃をさすようです。
町人文化が栄え井原西鶴や近松門左衛門などが活躍しました。
また松尾芭蕉なども書いてありました。
元禄文化が花開いたのは徳川綱吉の治世にあたるようです。
綱吉は生類憐みの令で有名ですが実は名君ではなかったかと
書いた本を読んだことがあります。
この本は由井正雪の乱から書いてあり
忠臣蔵なども書いてあり興味深かったです。
ただ何石とか何両とか何匁とか書いてあってもイマイチよくわかりません。
1石は人一人が一年に食べるお米の量だと聞いたことがあります。
一両で米一石が買えたようです。
一石は米150kgくらいのようです。

    

■2024年11月29日(金)

「日本の歴史 15 大名と百姓」 佐々木潤之助著 中央公論社 読破

江戸時代初期の農民の様子が書いてあったわけですが
農民にも階級があり酷い生活をしていたものも多かったようです。
一揆を起こすよりも逃散する農民が多かったようです。
いろいろ詳しく書いてあったのですがよくわかりませんでした。。

 

11月14日発売のドラクエ3リメイクHD-2D版は11月21日にエンディングとなりました。

 

■2024年11月9日(土)

「日本の歴史 14 鎖国」 岩生成一著 中央公論社 読破

江戸時代に日本が鎖国をしたわけは、
キリスト教が広まり何十万人もの人が入信して、
日本の神社仏閣を壊し日本人を外国に奴隷として売っていた
という事情がある。
特にポルトガルとスペインはキリスト教を広めて
自国の植民地にして国を奪ってしまうという事情があった。
プロテスタントのオランダは布教にはそれほど熱心ではなく、
貿易だけをしていたので唯一日本と長崎の出島で取引きをしていた。
ポルトガルとスペインはカトリックだった。
プロテスタントとカトリックは同じキリスト教なのに戦争ばかりしていた。
日本はキリスト教を禁止してキリシタンはころされた。
こうして八百万の神々を尊ぶ日本神教ができあがった。

  

■2024年11月2日(土)

「日本の歴史13 江戸開府」 辻達也著 中央公論社 読破

徳川家康のことから詳しく書かれています。
関ケ原の戦いで勝利した家康は江戸幕府を開きます。
大阪の役で豊臣氏を滅ぼし家康にはむかうものはなくなりました。
はむかうものがあれば領土を没収されました。
浪人が増えました。由井正雪の乱などがおきました。
キリシタンも増えてキリスト教は禁止されました。
島原の乱などがおきました。
しかし、家康、秀忠、家光でだいたい徳川体制が整ったようです。
長い江戸時代に入ります。

    

■2024年10月24日(木)

「日本の歴史 12 天下一統」 林家辰三郎著 中央公論社 読破

また信長の所から詳しく書いてあります。
乱世の世から天下をつかんだ信長と
信長の意思を継いで日本を統一した秀吉。
その後を継いだ家康になるわけですが、
秀吉の所まで詳しく書いてありました。
13巻からは家康のところから詳しく書いてあるようです。

  

■2024年10月14日(月)

「日本の歴史 11 戦国大名」 杉山博著 中央公論社 読破

やっと戦国時代に入り小説などで読んだことがある武将がたくさん出てきました。
北条早雲、武田信玄、上杉謙信などが出てきました。
でもやっぱり歴史書で読むより歴史小説を読んだ方が
はるかにおもしろいですね。
終盤でやっと織田信長や徳川家康が出てきました。
織田信長が今川義元を桶狭間で討ち取って家康が岡崎で独立。
信長と家康は同盟を結びました。
信長は美濃を取り室町幕府将軍足利義昭を奉じて上洛します。
しかし信長は義昭に管領になって欲しいといわれても受けませんでした。
信長はもう将軍義昭の下につく気はなかったのです。

  

■2024年9月30日(月)

「日本の歴史 10 下剋上の時代」 永原慶二著 中央公論社 読破

この10巻で扱っているのは将軍でいうと足利義持・義則・義政で
事件でいうと1416年に関東でおきた上杉禅秀の叛乱から
1485年の山城の国一揆までをあつかっている。
歴史でいうと一番つまらない時代かもしれない。
日野富子のことなどもあまり書かれていませんでした。
この時代では日野富子の自伝くらいしか読んだことがなかった。
土一揆とかもよく起きていましたね。
1467年の応仁の乱も有名です。
応仁の乱は10年続きましたが、
関ケ原の戦いは半日で勝敗が決まってしまった。
しかし室町時代からいろいろな文化が広まったようです。
茶の湯とか能とか踊り念仏とか水墨画とか。
商業とかも室町時代から盛んになったようです。

  

■2024年9月20日(金)

「日本の歴史 9 南北朝の動乱」 佐藤進一著 中央公論社 読破

1272年頃に天皇家は持明院統と大覚寺統に分かれて
交互に天皇を出すことが決められたようです。
1333年に足利尊氏らが鎌倉幕府を滅ぼしました。 
後醍醐天皇が建武の新政をはじめましたがうまくいかず、
室町幕府を開いた足利尊氏は持明院統の天皇を立てます。
後醍醐天皇は吉野にのがれ南朝を立てます。
持明院統は北朝、大覚寺統が南朝になりました。
血みどろの戦いが繰り広げられました。
南北朝はよくわかりません。。。

  

■2024年9月8日(日)

「日本の歴史 8 蒙古襲来」 黒田俊雄著 中央公論社 読破

南無妙法蓮華経と唱える日蓮の法華経。鎌倉六仏教の一つ。
日蓮は法華経を国教にしないと外国に侵略されるといったら
ホントに元寇が来た。
現在の創価学会が法華経で公明党とつながりがあるようだ。
元寇でモンゴル帝国と高麗は日本に二度攻めてきた。
モンゴル帝国と高麗軍は夜は船に引き上げたので
二度とも嵐に会い自滅してしまった。
それから日本はピンチになると神風が吹くといって心の支えになった。
高麗からコーリアになったといわれている。
あとは楠木正成のことが詳しく書いてありました。
籠城する楠木正成の活躍劇。
足利尊氏が六波羅を攻め、新田義貞が鎌倉を落としました。

  

■2024年8月28日(水)

「日本の歴史 7 鎌倉幕府」 石井進著 中央公論社 読破

鎌倉幕府とのことでまた源頼朝から扱っています。
当時秩父氏(秩父平氏、秩父党)は関東各地(主に武蔵国)の
有力者の始祖として大きな権威を誇っていたようです。
当時は山の方が勢力があったのかもしれない。
秩父には昔、馬の牧場もあったようです。
41ページに秩父氏のことが書いてあります。
それはさておき、一昨年、鎌倉殿の13人というNHK大河ドラマが
ありましたが、頼朝、義経が死ぬともう見ませんでした。
頼朝の妻北条政子とその父時政は知っていましたが、
主人公の北条義時は恥ずかしながら知りませんでした。
この本では大きく扱っていて、5巻の紫式部といい、
ドラマ制作者たちは中央公論社の日本の歴史を読んでいるんだなと思いました。
最低限この本を読んでないとダメだったんだなと思いました。
ちょっと読むのが遅かったかもしれない。
承久の乱、北条執権政治、親鸞と道元とか書いてありました。

鎌倉幕府の成立時期ですが私はイイクニ(1192)作ろう鎌倉幕府と習いましたが、
昭和40年初版発行のこの本に1192年ではないとすでに書いてあります。

平安時代末期から鎌倉時代にかけて秩父氏の本拠は武蔵国秩父郡吉田郷の吉田城(秩父氏館)だったそうです。
秩父市吉田の奥の方にちょっと難しい石碑があるのですが関係があるのでしょうか。
前に読んでみようと思って行ってみましたが読めませんでした。。。

馬の牧場は秩父牧(ちちぶのまき)といって10世紀頃に皇室に馬を供給していたようです。
秩父郡から児玉郡にいたる広大な牧場だったようです。
秩父高原牧場とは関係がないようです。。

    

■2024年8月14日(水)

「日本の歴史 6 武士の登場」 竹内理三著 中央公論社 読破

藤原氏による摂関政治が続いていましたが、
1086年、白河上皇が院政をはじめると藤原氏は遠ざけられ、
代わりに北面の武士として上皇の守りに
源氏や平氏などの武士が使われるようになりました。
貴族から武士の支配への転換点だったかもしれません。
始めは保元の乱(1156年)や平治の乱(1159年)で
平氏が実権をにぎり源氏は敗れました。
1167年に平清盛が太政大臣となり平氏の世の中が来ます。
平氏でなければ人に非ず とまで呼ばれました。
しかし奢れるものも久しからずで源氏が各地で蜂起しました。
1185年に平氏は壇ノ浦で源義経に滅ぼされます。
しかし源氏の統領の源頼朝は義経を滅ぼします。
天皇家では義経を使って頼朝を排除しようとしたりいろいろあったようです。
源頼朝は義経をかくまったとして奥州藤原氏を滅ぼしました。

  

■2024年8月5日(月)

「日本の歴史 5 王朝の貴族」 土田直鎮著 中央公論社 読破

1000年頃の話になります。
清少納言や紫式部や藤原道長について書かれています。
枕草子を書いた清少納言や源氏物語を書いた紫式部は
ともに宮廷に仕えていたようです。
清少納言の方がちょっと早かったようです。
この本をもっと早く読んでいたらNHK大河ドラマも
見ていたかもしれません。
藤原道長の貴族の絶好調の時に歌った望月の歌です。
この世をば 我が世とぞ思ふ望月の 欠けたることも無しと思へば
貴族政治もはなやかなものだったと思われますが、
公卿などは20人くらいでそこに入るには大変な試験があったようです。
中国の科挙のような試験かな。
日本の貴族も頭が良かったようですが大変だったようです。
行事ばかりあったりその諸作法も学ばなければならなかったり。
私は歴史が好きなので文系の大学の歴史学科にでも行きたかったと思っていましたが
歴史学者は大変なことがわかりました。
当時の貴族たちの日記を原文で調べたり、何十年もかかるんだそうです。
私は高校の時に書道選択で草書を学んで昔の文字の書き方や読み方を
学びましたが残念なことに全部忘れてしまいました。
漢文で書かれた日記が多かったようですが。
現在ではAIが全部読んでくれそうでうですが。

  

■2024年7月30日(火)

「日本の歴史 4 平安京」 北山茂夫著 中央公論社 読破

桓武天皇は平城京から長岡京に移りましたが、
祟りや怨霊を恐れて平安京に移ります。
当時は祟りや怨霊などがかなり恐れられていたようです。
平安京から鎌倉幕府の成立まで、
794年から1185年までが平安時代となるようです。
奈良の平城京から京都の平安京に移った一つとして
仏教勢力と離れたいと思ったようですが
唐から最澄、空海が帰ってきて
最澄は比叡山の延暦寺で805年に天台宗を開き、
空海は高野山の金剛峯寺で806年に真言宗を開きました。
最澄も空海も密教を広め仏教文化に大きな影響を与えたようです。
曼荼羅図とかが書かれるようになったんじゃないかな。
858年に藤原良房が摂政になり、887年に藤原基経が関白になり
藤原氏による摂関政治がはじまります。
903年に大宰府に左遷された菅原道真が亡くなり
京で不幸が重なると道真の怨霊だと恐れられました。
日本三大怨霊の一人なのだそうなのですが。
905年に紀貫之らが古今和歌集を編纂しました。
935年に平将門の乱が起こり、
939年に藤原純友の乱が起こっています。
この4巻に書かれているのはこのくらいかな。
途中でゲームをしたのでイマイチ覚えていません。。

      

□エルデンリング(DLC)というゲームをやっています。
2024年7月22日(月)、ラスボスのラダーンを倒しました。オレはやった!

■2024年7月6日(土)

「日本の歴史 3 奈良の都」 青木和夫著 中央公論社 読破

奈良時代は710年平城京から794年平安京に移るまでの時代のようです。
701年に大宝律令ができて、708年から和同開珎が使われています。
712年に古事記ができて、720年に日本書紀ができています。
万葉集も700年代にできたようで著名人の名前がでています。
743年に墾田永年私財法ができました。
奈良の大仏もこの頃に作られています。
この頃の時代を天平文化といって仏教が栄えました。
遣唐使が派遣され、鑑真もこの頃に日本に来ました。
中臣鎌足が藤原の姓をもらい、その子藤原不比等、藤原4兄弟と続いていきます。
藤原仲麻呂は恵美押勝の名をもらいました。
あとは道鏡とか出てきます。法王になりました。

  

■2024年6月27日(木)

「日本の歴史 2 古代国家の成立」 直木孝次郎著 中央公論社 読破

蘇我氏、推古天皇、聖徳太子、中大兄皇子(天智天皇)、天武天皇あたりまで。
冠位十二階、憲法十七条、大化の改新、白村江の戦い、壬申の乱あたりまで。
文化は、飛鳥文化、白鳳文化頃。
1日50ページくらいしか読めてないけど結構おもしろいです。
この時代の小説は少ないですね。誰か書いてくれないかな。
黒岩重吾さんの聖徳太子の小説がありますね。
昔読んだけど挫折しました。ちょっと知識がついたので後で読んでみよう。
いろいろな時代の歴史小説を読んで、
つなげれば日本の歴史が極められると思っているのですが。
定番は、平家物語、太平記、戦国時代、明治維新の小説が多いですね。

  

■2024年6月18日(火)

「日本の歴史 1 神話から歴史へ」 井上光貞著 中央公論社 読破

昭和40年初版発行なのでかなり考え方などが
古いのかなと思っていましたが特別そんなこともなく。
邪馬台国の位置で書かれている地域は放射線場になっていると
すでにこの本に書いてある。
誰の古墳かも古典(古事記、日本書紀)などに大きさや地域が
書いてあるのでだいたいはわかるようです。
古墳も発掘を禁止されているというけど
結構な古墳の中身がわかっている。
四世紀頃のことはよくわからないみたいだけど
五世紀頃から朝鮮の古典にもよく日本のことが書かれているようです。
騎馬民族渡来説なども書いてありました。
日本には馬はいなかったみたいだから古墳とかで馬の埴輪とかが
いつから出てくるかとかわかると立証できるかもしれませんね。
卑弥呼が天照大御神と言った人もいますが古代史は面白いですね。