豊臣秀吉読書記録2025 りょう99@笠原良太(かさはらよしたか)
豊臣秀吉全8巻 講談社 読破
下から書いてます
■2025年12月17日(水)
「豊臣秀吉 8」 山岡荘八著 講談社 読破
秀吉は44才の妹の朝日姫を離婚させると、
朝日姫を家康の元に嫁がせた。
ゲロゲーロな話だがこれで秀吉と家康は義兄弟だ。
しかしそれでも家康は上洛はしてくれなくて、
秀吉は自分の母を朝日姫に会ってきてくれと家康の元に送り
やっと家康に上洛してもらった。
これで東は安全になったので九州まで攻め入り島津を降伏させた。
そして東に転じて北条を降伏させると家康を東海甲信から関東に移した。
1590年のことで家康は1592年に前に武田信玄に焼かれた秩父神社を再建した。
左甚五郎作の龍や虎の彫刻は素晴らしいものがある。
日光東照宮は家康を祭ったもので左甚五郎作の眠り猫や三猿などがある。
奥州には伊達政宗が盛んだったが奥州まで平定して秀吉は日本を統一した。
伊達政宗は秀吉が北条の小田原征伐をしているときに降伏してきた。
ここまでが太陽の子秀吉の絶頂で晩年に入ってくる。
この先はなんか悲しくて書く気力もなくなるのだが、
明を征服しようと思って朝鮮出兵を2度行うが、
食料は現地調達できないし、李舜臣の海軍が日本の船を沈めていった。
そんな折、淀殿が秀頼を生んだ。
しかし月日を考えてみると秀吉の子ではないようにこの本にも書いてある。
でも半分は自分の子だと信じているらしく、秀頼を家督を継がせるために、
後継者とされていた姉の子の秀次を切腹させてしまう。
秀次の子女妻妾を何十人もすべて京都三条河原で斬首させてしまった。
それから秀吉も病気がちになり祟りかなとも思った。
秀吉は秀頼と家康の孫の千姫を結婚させると約束して、
秀頼のことをくれぐれ頼むと五大老、五奉行に言い渡し何度も誓書を取った。
秀吉の辞世の句は、
露とおき露と消えぬるわが身かな
浪花のことも夢のまた夢
秀吉が亡くなり朝鮮から撤収した。
■2025年12月16日(火)
「豊臣秀吉 7」 山岡荘八著 講談社 読破
織田信雄は織田信孝を自害に追い込んだ。
大阪城を築き織田家相続争いをだいたい制した秀吉だったが、
伊勢だか尾張の織田信雄は家康に助けを求めた。
家康はそれに応じて家康と秀吉が戦うことになった。
秀吉は美濃に出て行き、家康は小牧山を本拠とした。
秀吉軍は6万人で家康軍は2万5千人だったが家康にすきはない。
秀吉軍は中入りといって間道を通って家康の本拠の岡崎を突こうとした。
しかし中入りした部隊は長久手で家康によって全滅させられてしまった。
秀吉がそれに気づいて長久手にいった時には家康はどこかの城に入ってしまっていた。
その時、長久手で家康が秀吉を攻めていれば家康が勝ったとされている。
しかし家康は勝ちすぎてもよくないとしていた。
秀吉で天下が治まっているものを秀吉を倒してしまったらまた世の中は乱れる。
家康にはまだ天下を治めるほどの力がない。
秀吉を滅ぼしてしまったら今度は家康が袋叩きとなる。
というわけで小牧長久手の戦いは家康の勝ちに終わった。
秀吉はしかたがないので伊勢の織田信雄の城を攻めた。
織田信雄は秀吉と和睦してしまった。
家康は秀吉と戦う義理がなくなり岡崎から浜松へと撤退した。
■2025年12月14日(日)
「豊臣秀吉 6」 山岡荘八著 講談社 読破
市姫は柴田勝家の元へ妻に行くことになった。
信長の時代に決められていたようである。
秀吉に市姫をやるとねねが正室ではなくなってしまうから。
そういう配慮もできる信長だった。
市姫を好きだった秀吉はくやしかったことだと思う。
賤ケ岳の戦いで秀吉に敗れた柴田勝家だった。
柴田勝家とともに市姫は亡くなったが、
市姫の3人の娘は助け出された。
その3人の娘の長女茶々は秀吉の妻となる。
江姫は家康の嫡男の徳川秀忠の妻となる。
秀吉と中の良かった前田利家は柴田勝家の与力だったが
賤ケ岳の戦いで危なくなると速攻で退陣してしまった。
これで前田家は加賀百万石が約束された。
■2025年12月12日(金)
「豊臣秀吉 5」 山岡荘八著 講談社 読破
明智光秀の謀反によって信長は倒れた。
秀吉は毛利と和睦すると中国大返しをおこなって山崎の合戦で光秀に勝った。
毛利は秀吉が近畿を統一して帰ってくる男とみて追い打ちをかけなかった。
光秀は農民に竹槍でさされてシんだと伝わっているが
届いた首が光秀の首かはちゃんと伝わっていない。
秀吉は光秀の首としてさらしたようだが。
この本では光秀が生きている設定になっている。
家康に仕えた天海が光秀だという噂は有名だが。
織田家相続の清須会議が開かれ、柴田勝家が信孝を推し秀吉は三法師を推した。
光秀を破った秀吉に賛成するものが多く三法師に決まった。
秀吉は三法師を抱いて柴田勝家や皆に頭を下げさせた。
柴田勝家は怒った。秀吉vs柴田勝家の戦いがはじまる。
■2025年12月10日(水)
「豊臣秀吉 4」 山岡荘八著 講談社 読破
岐阜を手に入れた信長は天下布武をかかげた。
市姫を近江の浅井長政に嫁がせると、
信長はあっというまに上洛して京を占領してしまった。
室町幕府将軍足利義昭の館を建て、御所の建物も建て替えたようだ。
信長は足利義昭から副将軍になってくれといわれたが
信長にはあまりそういうものには興味がなかったようだ。
三好は淡路や四国に逃げ、松永久秀は降伏してきた。
松永久秀は将軍足利義輝をコロし、大仏殿を焼き払った極悪人だった。
何故か信長は松永久秀を許した。
朝倉攻めに使うには良いと思ったようだ。
信長は越前の朝倉を攻めるが浅井に背かれる。
市姫をやってるのに浅井にそむかれるとは思わなかった。
なんでも浅井は朝倉に恩義があるようだ。
信長は秀吉をシンガリに残して京へ退却した。
支援に来ていた家康もたまったものではありませんな。
信長は市姫を嫁がした浅井と戦うことになった。
秀吉に近江の長浜に城を築かせると浅井攻めを任せた。
浅井朝倉と姉川の合戦になるが勝ちを収めるが、
浅井朝倉は比叡山に逃げ込んでしまう。
信長は比叡山を焼いた。
最後は織田家家臣たちが浅井の城を力攻めして、
秀吉は浅井の山城の途中から攻め込んで成果をあげ、
市姫と茶々など三人の娘を助け出した。
浅井は滅んだ。
秀吉は北近江14万石を褒美もらった。家老の一人となった。
そして北近江には国友村があった。鉄砲を作れる人がいる。
しかし作れるのは一人で月に一丁、年に十丁しか作れないという。
秀吉は大量生産させ200人のものが鉄砲を作ることになった。
一日十丁、一か月で三百丁、一年三千六百丁を目標にした。
こうして鉄砲の数がそろうと武田勝頼に長篠の戦いで勝利した。
信長は近江に安土城を建てた。
秀吉はどこかへ移らなければならない。
秀吉は北陸の上杉と戦っている柴田勝家の援護にいったがケンカして帰ってきた。
人の下で働くのは良しとしなかったのだ。
信長は怒ったが毛利攻めをまかされた。
秀吉は竹中半兵衛は亡くなったが黒田官兵衛を軍師に迎える。
秀吉は備中高松城を水攻めしていたが。。
■2025年12月8日(月)
「豊臣秀吉 3」 山岡荘八著 講談社 読破
秀吉は何か月もかかってなおせなかったお城の石垣を
早く仕上げた組には報酬を出すといって競争させて10日で石垣をなおしてしまった。
その頃美濃攻めには川向うの墨俣に城を築かねばならなかったが、
佐久間信盛も柴田勝家も失敗した。
城ができる前に美濃の斎藤軍によってやられてしまうのだ。
そこで武家奉公をしたかった秀吉が墨俣に城を築くと申し出た。
金五百貫をもらった秀吉は野武士の蜂須賀正勝(小六)のもとにいって、
協力をとりつけた。野武士も世に出るチャンスだ。
稲葉山城の裏手の山から木を切ってイカダにして河を下り墨俣に城を築いてしまった。
秀吉は墨俣城をまかされることになり、この頃弟の秀長や家族を墨俣城に呼んだようだ。
秀吉は美濃の武将の調略をはじめた。
美濃も斎藤道三から義龍、龍興と続いてきた。
龍興の代になると腰元が50人を超え、奥の人数は200人くらいいたという。
毎日酒浸りで家臣に腰元を与えたりしてたようだ。
だんだん龍興の家臣たちは出仕しなくなり仮病で休むようになった。
そんな折、竹中半兵衛が龍興をいさめるためたった18人で稲葉山城を奪ってしまった。
秀吉が稲葉山城を受け取りにいったが軽く竹中半兵衛にあしらわれてしまった。
竹中半兵衛は龍興をいさめて城を龍興に返して隠棲してしまった。
竹中半兵衛を憎んだ龍興は竹中半兵衛を殺そうとしいた。
頭が良すぎるのも困ったものだ。
秀吉はそんな竹中半兵衛の元を訪れ軍師に迎えた。
龍興の家臣の調略もすすみ後は稲葉山城を落とすのみとなった。
信長は稲葉山城に総攻撃をかけ、秀吉は稲葉山城の裏手から忍び込んで火をつけた。
信長は稲葉山城を手に入れ美濃を岐阜とあらためた。
秀吉も墨俣に城を築いた武将として有名になった。
そんな折、信長の妻濃姫のいとこという明智光秀が信長に士官してきた。
なんでも室町幕府将軍足利義昭をともなってきたようだ。
秀吉の良いライバルとなった。
伊勢で苦戦している滝川一益の援助に秀吉と光秀がおもむき成果をあげた。
秀吉は信長の妹の17才の市姫に懸想してしまった。
■2025年12月7日(日)
「豊臣秀吉 2」 山岡荘八著 講談社 読破
尾張の市場で泣きぬれている針売りがいた。
なんでも身ごもっていた妻をコロされてしまったのだそうな。
秀吉であった。
市場ではさまざまな情報が入ってきて間諜などもいた。
それゆえ情報を得るために信長も市場に来ることが多かった。
ここで秀吉は信長と前田犬千代(利家)とねねと知り合った。
秀吉と利家が会話をしている話を聞いて信長は秀吉に興味をもった。
はじめから秀吉は信長に聞こえるように利家と話をしていたのだった。
今川や武田の情報を話していたようだ。
信長は秀吉に馬屋番をさせることにした。
ちゃんと馬屋番を勤めた秀吉は草履取りをしたりしたが
台所奉行や木材奉行をまかされるようになった。
台所で燃やす木材を半分にしろという命令だったがうまくこなしたようだ。
そのうち駿河の今川義元が上洛戦をしかけてくるという。
台所奉行の秀吉は籠城にみせかけるために味噌買いをした。
奉行になった秀吉は野武士の蜂須賀小六のところへいって協力をとりつけた。
信長と秀吉は祭りがあると繰り出し野武士などに会ったり布をあげたりした。
その布は尾張に今川義元が攻めてきたらそこらじゅうで旗をあげるというものだった。
そして今川義元が今夜は大高城に泊まると聞いた信長はほら貝を吹かせると城を飛び出した。
信長の馬のくつわを取るのは秀吉だった。(この本では)
熱田神社で祈り味方が集まるのを待ち今川義元の本陣を奇襲した。
ちょうど雷雨があったようだ。
尾張の清州の城では濃姫、ねねなどが心配していたが、
今川義元を討ち取った信長が凱旋して帰ってきた。
ねねは秀吉がいないと心配していた。
秀吉は帰りは馬に乗って帰ってきたのがわからなかったのだ。
ねねと秀吉は結婚した。媒酌人は前田犬千代だった。ねね14才。
秀吉はいっそう仕事に励まなければならない。
秀吉は城の石垣が崩れていたのでお城修理の普請奉行をすることになった。
■2025年12月6日(土)
「豊臣秀吉 1」 山岡荘八著 講談社 読破
尾張中村で秀吉は生まれた。愛知かな。
幼名を日吉といった。
秀吉の父は織田家の足軽だったが怪我をして亡くなってしまった。
秀吉の母は織田家で茶坊主をしていた竹阿弥と再婚した。
竹阿弥も病気がちで茶坊主をしてられなくなったのだが、
秀吉の家の農地を買い戻してくれたみたいだった。
秀吉は小さい時からわんぱくで人の三倍は働いた。
染物屋で奉公していた時は色盲で色がわからず
人の三倍は働くので不良品も三倍は出した。
秀吉が色盲というのはフィクションのようだ。
染物屋から追い出されると竹阿弥やお寺のお坊さんが
秀吉に仕事を次々と見つけてきてくれた。
でも秀吉は二か月くらいたちだいたい仕事を憶えてしまうと
また他の仕事をやり始めた。
いろんな仕事をしたみたいだが皆二か月でやめてしまうので
地元ではとうとう働き口が亡くなってしまった。
秀吉には野望があった。
自分が天下を統一して戦乱の世の中をなくして平和な世の中にすることだ。
織田軍が美濃に攻め入っている時に秀吉の村を夜盗が襲った。
その時、自分が天下を取って戦いのない世の中にしようと誓ったのだった。
奉公先もなくなったので秀吉は諸国をまわって奉公口を探してみようと思った。
秀吉は竹ノ内浪太郎が通るのをまちかまえて1か月も橋の上にいたりした。
折よく野武士の蜂須賀小六と知り合って兄弟の盃をかわした。
野武士は南朝に味方したものたちで竹ノ内浪太郎というのは南朝の血筋のものらしかった。
秀吉は蜂須賀小六のもとで剣、槍、弓、馬術などの武芸を学んだようだ。
野武士の戦術なども学んだのかもしれない。
秀吉は一通りなことを学ぶと諸国をめぐることにした。
蜂須賀小六に餞別にお金をもらうとそれを針に変えて諸国をめぐることにした。
まず美濃に行ってみた。美濃の斎藤道三の街は繁盛していて秀吉の針も売れ行きが良かったようだ。
そこで若き明智光秀から女の人を駿河まで届けてほしいと頼まれる。
お金をもらってしまった。お春という女の人が現れて婿にされてしまった。
秀吉は尾張の細作と思われて、細作のお春を駿河に送ってくれるように頼まれたのだ。
お春は朝倉の細作だった。なんでも京に上洛できる人物を探しているらしい。
お春は今川義元、武田信玄などの情報が欲しかったようだ。
秀吉とお春は本当の夫婦のようになって今川家の松下嘉兵衛の屋敷でつかまった。
松下嘉兵衛の屋敷で奉公することになった。
そこへ武者修行をしている一行が屋敷にたちよった。
その中にお春の婚約者がいた。男がかってに思い込んでいるようだった。
そんな折に秀吉は武田家への使いを頼まれる。
お春は婚約者に見つかってしまった。おなかの中には秀吉の子がいた。
フィクションですか?はい、フィクションです。。。