福音と世界 Wednesday, May 14, 2008更新)

6月号目次




特集から (英 隆一朗「現代のスピリチュアル

・ブームから思うこと」)

◆特集 いやし・スピリチュアル・教会

なぜいやしが教会の中でおきにくいのか 

                     星野正道

方便を生きる             菅原伸郎

現代のスピリチュアル・ブームから思うこと 

                     英 隆一朗

プロテスタンティズムにおける霊性を考える     

                    石井智恵美

*   *   *   *   *   *

◆Editor’s Voice

自由の在処              倉田夏樹

◆短期集中連載

グローバル化の光と影   アマルティア・セン

死までは生き生きと 2         久米 博

連載

◆六月の説教             深澤 奨

◆資料散策――戦後教会篇(最終回) 

                     戒能信生

◆聖なる空間を訪ねて 11     田淵 諭

◆カール・バルト対話集 6  宇野 元・翻訳

◆詩篇の思想と信仰 66      月本昭男

◆新しい聖書の学び 3       山口里子

◆新約釈義 使徒行伝 35     荒井 献

◆表紙の言葉             渡辺総一


現代のスピリチュアル・ブーム

  いつの時代も、人は自分を超える何かを求めていこうとするのではないだろうか。超越への希求と言えるかもしれない。人間存在そのものが超越的だからだろう。学問にせよ、実践活動にせよ、何か道を究めるという形で、人間は超越の欲求を満たしていた。もちろん、宗教とはその希求の欲求を満たす第一の道だったのだろう。ところが、現代では、宗教よりも、スピリチュアルと称される一群の霊性運動のようなものが台頭してきた印象がある。

 スピリチュアルというと、スピリチュアル・カウンセラーを名乗る江原啓之氏や占い師の細木数子氏が有名であろう。実際のところ、スピリチュアル・ブームとは欧米のニューエイジ運動に基づいていて、かなり広汎な現代の霊性運動である。それをひとまとめにするのはとても難しい。例えば、ケン・ウィルバーのように哲学的理論体系を展開する思想もある。あるいは、禅をはじめ、さまざまな瞑想法の実践も含んでいる。チャネリングと呼ばれる一種の降霊術のようなもの、自分の前世が分かるなど、ちょっとオカルト的側面もまざっている。それと対照的に、エコロジー運動や健康増進運動(気功など)に結びついていて、市民社会にそのまま受け入れられる側面もある。日本各地でスピリチュアル・コンベンション(通称、スピコン)が催され、資本主義的なマーケット市場と化している側面も見逃せない。江原氏のバックグランドには、イギリスのスピリチュアリズム(十九世紀の神智学より)と神道があるし、細木氏のバックグランドは、中国の四柱推命(六星占術と命名されているが)と日本の儒教的な考え(陽明学の影響とも)がある。これらを総括的に語るのは不可能だが、私の全体的な印象としては、東洋の古来の思想を基礎にして、グノーシス的なキリスト教を混ぜ合わせ、さらに現代性を加味した生き方ネットワークのようなものに見える。

 このスピリチュアル・ブームの裏には次の二つの衰退が指摘されている。一つは、伝統的な宗教の衰退である。人びとにとって、もう宗教は古くさく、近寄る価値のない異物だという認識である。実際、キリスト教でも仏教でも若者がどっと集まるところになっていない。おじいちゃん・おばあちゃんなど古い世代が行く場所だという固定観念ができあがっている。もう一つは、今までの学校教育を支えてきた科学と人文的教養に対する信頼の後退である。自然科学の発達は今でもさらにめざましいが、現代のテクノロジーに対してさまざまな不安をいだいていて、それを安易に信じることは難しい。また人文的教養に基づく近代的ヒューマニズムの規範意識に対しても懐疑的になってきた。さらに新自由主義経済のもとで、ただ物質的富を第一優先する生き方にも、多くの人はついて行けないと感じている。経済も宗教も科学も信頼できないとしたら、人間の精神的な欲求に応えるべく、別の代替物が求められるのは当然だろう。現代のスピリチュアルの運動が登場したのはそのような背景が考えられる。

第56巻1号〜
A5判 80頁 本体571円
07729-9
(月刊;1952年4月創刊)
年間予約(送料共)8,016円