若き日の中臣鎌足VS中大兄皇子in海水浴(じぞうさま画)


いやーん、かわいすぎ! 葛城皇子ちゃん。鎌ちゃんが、鎌ちゃんの笑みがー、
どーゆー下心なんだか。いや、単に、このかわいい皇子ちゃんに、
今夜なにをしよーかと、真夏の○情してるだけのよーな気も、します。
駄文と引き替えには過分のお品、ありがとうございましたあ。(郎女)

牟婁温湯秘話 紙魚さま作
 中大兄皇子は腹の虫がおさまらない。数えで33歳になるというのに、余人から見ればそれがどうしたというような理由で激怒している。
 何でそんなに立腹しているかといえば、斉明天皇(皇子のおかあちゃん)の紀伊行幸にお供して、牟婁温湯(むろのゆ)に来ているからだ。
 お母ちゃんは、お肌はつるつる、むくみもとれて、腰の痛みもひいちゃったわー、と牟婁温湯がすっかり気に入ってしまった。そんでもって作事好きなもんだから、もっと豪勢な行宮に作り替えるのだとはりきっている。湯をこっちにひいてー、わたくし専用の湯屋をこさえて、その周囲は池にしてー、そしたらわたくしはまるで蓬莱山に遊ぶ仙女のようじゃありませんことー?なんて浮かれまくっている。
 「冗談じゃない、やめてくれ!!!!!」と皇子は心の中で絶叫していた。このままにしておいてくれと、できるものなら母帝の足元に跪いて懇願したいくらいだ。
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 なぜならば。誰にも明かせぬ理由ではあるが。ここは。皇子にとっては思い出深い青春の記念の地なのだ。
 思い起こせば14年前のこと。法興寺で蹴鞠をしていたとき、鞠を蹴った勢いで靴が脱げた。ふっとんでいった靴を拾って持ってきたのが中臣鎌子だった。鎌子は皇子の足元に額ずき、右の掌で皇子の足裏をそっと包み、そのままやさしくなでながら左手に持った靴を履かせた。皇子は、自分を見上げる鎌子の眼差しに、臓腑を食らわれたかと錯覚するほどの衝撃を受けた。
 それ以来、皇子は鎌子にのめり込んでいったとも言える。皇子がまつりごとをあいまいに語れば、鎌子は皇子の抱く漠然とした不満に明瞭な輪郭を与えてくれた。二人で南淵請安のもとに通い、この国のあるべき姿を描き出していくことは、ぞくぞくするほど楽しかった。
 ただ皇子はそれだけでは満足できなかった。まつりごとについてどんなに深く話し込んでも、法興寺で見つめられたときの酩酊はない。皇子は自分が欲っするものを懼れることなく自覚した。そして仮病を使ってみたりなんだりして牟婁温湯へ赴いたのだ。密談の場所としては遠いことをのぞけば悪くない。鎌子も近江に行くだのなんだのと行き先をごまかして飛鳥を離れ皇子を追った。 牟婁温湯では二人で知謀を尽くした計略をめぐらす一方で、波打ち際に遊び湯浴みする数日を送った。皇子はこのとき鎌子を手に入れたのだった。あるいは皇子が鎌子の手に墜ちたのかもしれない。
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 ようするに、牟婁温湯は、皇子にとってみればバックバージンをあげちゃった思い出の場所。それを母ちゃんが、やれ池だ築山だ噴水だ木だ花だ鹿を飼うだの鳥を放すだの、悪趣味な土木工事でぶちこわそうとしてくれている。
 そして怒りの持って行き場のない皇子の逆恨みを買った人物がいた。前年、牟婁温湯に湯治に行った有間皇子が「もう、さいこーでしたー!」とか母ちゃんに言って薦めたもんだから、「わたしも行く!」なんてことに。有馬温湯か伊予温湯にしたらと皇子が言っても聞く耳持たず。有間め、アホのふりしとけば見逃すつもりだったけれど、いらんことして、もう許せん、と。皇子は留守官として飛鳥に残る蘇我赤兄に密書を送った。
 後日、謀反の疑いをかけられた有間皇子は詮議の席で「天と赤兄と知らむ。吾全ら解らず。」とのたもうた。そりゃそーでしょー。(終)


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