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マイ・フェバリット ロックアルバム20

順位 題      名 アーチスト 記                      事 発表年
1 ラバー・ソウル ザ・ビートルズ 世界初のトータル・アルバム それまでヒット曲の寄集め的だったアルバムが一連のコンセプトに基づいて製作された 一般的にはB4の「サージェント・ペパーズ・ロンリーハート・クラブバンド」がロック史上最高のアルバムと言われているが自分はこれが一番だと確信します 歌詞カードがついたのは日本で初めて 収録曲「ガール」「ミッシェル」「ドライブ・マイカー」等 アイドルらしいこれまでのジャケットからアーチスト然とした表情を捉えたジャケットも素晴らしい 1965
2 サタニック・マジェスティーズ・リクエスト ザ・ローリング・ストーンズ ストーンズが「サージェント〜」に刺激を受け、数ヶ月後に作った 2番煎じとの評もあったが曲は素晴らしい出来です 「シーズ・ア・レインボー」「2000光年の彼方」など秀作ぞろい 夢の世界へトリップさせてくれる
ブライアン・ジョーンズが元気だった頃のアルバム
1967
3 マシーン・ヘッド ディープ・パープル アルバム発売直後、初来日公演を観に行った 日本武道館でのコンサートは今でも強烈に残っている「ハイウエイ・スター」「スモーク・オン・ザ・ウオーター」収録 1972年5月だから29年前だけど きのうの事の様だ R・ストーンズのモービル(移動)・スタジオを借りてスイスのモントルーで録音した 宿が火事で楽器を全て失ったが気を取り直してとりかかったこのアルバムはハード・ロックの金字塔となった 1972
4 エレクトリック・レデイランド ジミ・ヘンドリックス ジミヘンが自分専用のスタジオ、エレクトリック・レデイランドを作り、そこで作成された いろんなアーチストが参加している プロディユースも自らこなしている 1968年死の2年前に発売され、スタジオ名を付けたこのアルバムは天才の凄さを世に知らしめた サイケなイメージとは裏腹にシャイなミュージシャンであったという 生前わずか3年間の活動でオリジナルアルバムは5枚であったが 死後の1971年だけでも未発表音源から5枚のレコードがリリースされた 彼を尊敬するギタリストは枚挙に遑が無い 発売時2枚組の力作であった
※現在は無難なジャケットに替えられているが発売当初はカセットテープに有る写真が使われていた。クレームがついたのであろうか
1968
5 ラフ・アンド・レディ ジェフ・ベック・グループ 天才ジェフベックがリリースした一皮向けたアルバム この後はバニラ・ファッジのメンバーとトリオを組んだりしたがソロとなってからは「ブロウ・バイ・ブロウ」「ワイアード」等の名盤を次々リリース 名声を確立するギタリストと成っていく ピアノのマックス・ミドルトン ドラムスのコージー・パウエル(故人)など彼がオーディションで発掘した 珍しく作詞作曲も殆どが彼のクレジット。 フュージョンとかクロス・オーバー・ミュージックの先駆けのアルバム 1971
6 ジョンの魂 ジョン・レノン 語り尽くせない程のアルバム 日本の俳句に影響を受け、シンプルな詩を意識的に使ったという 私的なアルバム 〜お母さん 僕はあなたが傍に居て欲しかったけどあなたは僕を欲しがらなかった〜 「マザー」などはその典型であろう  しかしシンプルな中に永遠の真実が込められている  ビートルズ解散後のデビューは究極のソロ・アルバムと言えるのでは 1970
7 レッド・ローズ・スピードウエイ P・マッカートニー&ウイングス B4解散後、ジョンとジョージに水を空けられたポールが放った改心の一作 この後は「バンド・オン・ザ・ラン」「ビーナス・アンド・マース」と秀作3部作が続き、ポール時代が始まった。曲の構成もまとまっている 1973
8 ルイジアンナ キャロル 衝撃のデビューだった と言ってもアマチュアで「リブ・ヤング」という番組に出たときだ 皮ジャンにリーゼント・ヘアー「グッド・オールド・ロックンロール」を矢沢と大倉は絶妙のコンビネーションで唄った 解散しないで世界に飛び出していって欲しかったな 楽曲、テクニック、ルックス(フィーリング)申し分なかったのに・・
名盤と言われるものはジャケットが素晴らしいがこれは篠山紀信が撮影 とてもイイ雰囲気を出している 自分の中では永遠の名盤である
1972
9 バッド・カンパニー バッド・カンパニー デビュー・アルバムが全米NO,1 シングル「キャント・ゲット・インナッフ」も同時NO,1となった 収録曲は全て素晴らしいがピアノで始まる「バッド・カンパニー」ギブソン・メロディ・メーカーの乾いた音を活かした「ロック・ステディ」が絶品 1974
10 ハート・ブレイカー フリー 再結成したフリー しかしライブ版を含め7枚目のこのアルバムが最後のアルバムとなった ベース・ギターは日本人 元フェイゼスのベーシスト、テツ・ヤマウチこと山内テツオ リード・ギターのポール・コゾフは飛行機の中で静かに息を引きとった、ギターはボーカルのポール・ロジャースが弾いている ヒット曲「ウイッシング・ウエル」が素晴らしい 1972
12 ハートに火をつけて ザ・ドアーズ この名盤はドアーズの記念すべきデビュー・アルバム 原題も「ザ・ドアーズ」 1971年にジム・モリソンが他界 突如ロスのロック・シーンに現れ、多くの名曲と詩の世界を残し、カリスマのまま短い生涯を閉じた 1967
13 ハーベスト ニール・ヤング シングル「孤独の旅路」ともども全米チャートでナンバー1に輝いた名曲「ハート・オブ・ゴールド」収録 フォーク・ロックの秀作 これだけ息の永いアーティストも珍しい バッファロー・スプリング・フィールド(スティーブン・スティルスも在籍)でデビューし「アゲイン」という名盤を残している その後、ソロとなり、その後、CSN&Y結成解散後ソロアルバムの傑作「アフター・ザ・ゴールドラッシュ」をリリースその後待ちに待ったアルバムが「ハーベスト」である 今はクレイジー・ホースというバンドもやっている 作詞・作曲・ボーカル・バンド・ソロ・マルチアーティストであるがヘタウマと言われるギターも味が有る いつの時代もいろんな思考錯誤を重ねながら走り続けている 1972
14 ワイルド・ライフ ウイングス ビートルズ解散後ソロからバンドを結成 ウイングスのデビュー・アルバムである リンダがキー・ボードと作詞を担当 (東京ドーム・コンサートでは控えめながらしっかりとサポートしてた) このアルバムは、シンプルながら天才のフレーズが沢山詰まっている ポールにとっても思い入れの強い一枚に違いない
(リンダ・マッカートニーは1998年4月、乳がんで他界しました)
1971
15 キャプテン・アンド・ミー ドウー・ビー・ブラザーズ ロケンローの大傑作「ロング・トレイン・ランニン」や「チャイナ・グローブ」が入っている アメリカ南部のバンドらしく明るくカラッとしたところが特徴  1973
16 ストレイ・キャッツ 涙のランナウエイ・ボーイ 皮ジャンにリーゼント・ヘアーでロカビリー・スタイル3人組 このデビューアルバム発売時点で平均年齢18歳 脅威のバンドであった リーダーのブライアンセッツアーは現在も第一線で活躍している 「ワイルド・サキソフォン」のセンスは神憑り的 1981
17 エンジェル・クレア アーサー・ガーファンクル(アート・ガーファンクル) S&G解散後、初のソロ・アルバム Gの為に名だたるシンガー・ソングライターが曲を提供した 曲・詩・勿論ボーカルも期待以上の出来 ロック・アルバムとするには無理が有る?ここは是非とも無理強いした(produced by ARTHUR GARFUNKELと有ったので、あえてアーサー・ガーファンクルとした) 1973
18 ダブル・ビジョン フォリナー フォリナー(外国人)というバンド名のとおり アメリカ・イギリス半分づつのメンバー構成であるが完全なブリティッシュ・サウンド 全盛期の6人編成の時、武道館で観たが素晴らしいライブに感激した(P・Aの状態が最悪にも関わらず) 1978
19 壊れ物(フライジャイル) イエス キーボードにリック・ウエイクマン(元ストローブス)が加入し、黄金時代を築いたトータル・アルバムである リーダーでボーカルのジョン・アンダーソンのベルベット・ヴォイスが素晴らしい アルバムとしてのコンビネーションも素晴らしく全曲素晴らしい出来あがりである「ラウンドアバウト」がシングル・ヒット、アルバムも全英7位、全米4位 1972
20 不正療法 ドクター・フィールグッド まさにロケンロールのエネルギーを叩きつけたという感じのアルバム ギターのウイルコ・ジョンソンがイイ 全曲ドライブ感抜群 「ルート66」はカバーとしてはNO,1と思う 1975