日本における西洋音楽について クラシック編
日本における いわゆる西洋音楽とは織田信長の時代に鉄砲、キリスト教などと共に入ってきた。
この音楽は西洋の「ルネッサンス」と呼ばれる時代のものである。
その後、キリスト教と共に弾圧され、西洋音楽は悪いものとして取り扱われた。
このとき賛美歌として島原の隠れキリシタンが習った曲を念仏として後世に伝えた。
「ホザンナ」「キリエ」などど聞き取れる語句があり、老人の口伝えによるメロディをもとに原曲を探すというTV番組を見たことがある。
監修は皆川達夫という有名なバロック音楽の研究家である。
探し当てたのは この時代にはやっていたそんなに有名ではない作曲家のマリア賛歌だったと記憶している。(確かではないです 間違ってたらすいません)この話は本になっているらしいので 見つけた人は一読してみたらいかがでしょうか。この話は16世紀までは西洋の音楽が日本に伝わっていたことを証明している。
このまま西洋文化の輸入が続いていたら 今日のような混乱はなかったように思う。
信長の時代、金管楽器の世界では特に有名なガブリエリはまだ駆け出しのペーペーだった。ようやくポリフォニーが生まれ、これから面白くなってくる矢先の鎖国である。鎖国によってその先 約270年、西洋から隔離されるのである。鎖国によって日本独特の文化が花さいた。それはそれでいいことなのだが音楽に限っては大きなハンデを背負うことになる。
時は流れて明治時代、今度は逆に西洋のものを取り入れなければならなくなった。
伊藤博文、福沢諭吉らが海外に視察に出かけ、どの国からなにを取り入れるか検討した。
この時代は混乱の時代でありさまざまなものが無秩序に採用された。発電器をフランスとイギリスの両方から輸入し、東日本と西日本が違う周波数になってしまったことなど もうメチャクチャだったのである。
近代国家を建てるということで議会制はイギリスから、憲法はドイツから、そして近代軍隊はドイツを見習ったのである。
近代軍隊と古代軍隊の違いは、すごく簡単にいえば 団体行動をとるか個人行動を採るかと言うことである。
古代では日本も西洋も個人行動であった。したがって個人の成績がもっとも評価され、とにかく自分自身で手柄をたてなければいけなかった。あるときは仲間をだしぬいて手柄をたてることもめずらしくなかった。
(サッカーと野球のようなものか?違うかな?)
団体行動をとると言うことは整列して同じ動きをしなければならない。このため行進というのが大変重要になり、一糸乱れぬ行進をするために行進曲が生まれたのである。
昔から音楽というものは権力者が利用することがおおかった。中世はキリスト教が教えを広めるため、字の読めない人たちにもわかるように聖書の内容を歌にして覚えさせた。これが賛美歌である。
話をもどして 日本では明治になっても軍隊は昔のままちっとも変わっていなかった。
明治政府は近代の軍隊をつくりたいと考え、その手本をドイツに決定したのである。
日本人は行進するのがとっても下手だった。「大名行列」というようにぞろぞろと集団で歩いた。
行進ではなく行列なのである。これがいわゆる日本文化なのである。
また話はそれるが日本の音楽はビートがない。雅楽は親方の太鼓の合図でおそるおそる しづしづと始まり、長唄なんかはおっしょさんの「いよ〜」という声でペンと鳴り、だんだん ペン、 ペン、 ペンペン、 ペペン、 ペンペン 「はっ!」ペンペンペンペン ペペンペンペンペン・・・と調子が出てきて こんなもんかな〜 っと思ったらおもむろに「はあ〜〜」っとボーカルが出てくるのである。
イントロが何小節とか歌のサイズが何コーラスとか全然決まってないのである。
これを気持ちいいと感じるのが日本人である。スポーツでも日本の国技 相撲は審判がいるにも関わらず、敵どうしなのに二人でタイミングを合わせ勝負する。こんなルールは相撲だけである。「まった」というルールがあったり、審判よりもOBの意見が強く「やり直し」があるのも相撲だけでしょう。この辺が外国人力士には理解しにくいでしょうね。
また話を戻してそういう理由で 「行列」する人種になんとしても「行進」をさせなければならなかったのである。 で はじめはトルコ軍の音楽をまねていた。あの「ぴ〜ひゃ〜ら ぴっ ぴっ ぴっ」というやつね。
でもこれがあまりうまくいかなかった。 そこで根本から教育し直さないとダメだということになり、軍人をつくる目的で初等教育に音楽を取り入れることになった。
先生はドイツ軍人の紹介だから 当然ドイツ人。しかもこの当時のえらいさんだから生まれは19世紀初め、頭の中はガチガチの中期ロマン派、いわゆるドイツ、ウィーンスタイルである。(この人の名前は忘れました。すいません)
たぶん北大のクラーク博士だったと思うが(自信はない すいません)「日本人は実を取るということばかりを考える。種を蒔き、木を育てて花を咲かせ、実を収穫する事を覚えないと本当の文化というものは育たない。」と嘆いた通り、音楽においても このドイツ人音楽家の教えたことを鵜呑みにした。
これが今日の日本における西洋音楽の誤解の発端となったわけである。
中期ロマン派のスタイルを これこそが西洋音楽! これが全て!と思ってしまったのである。
西洋音楽にも歴史があり、中世、ルネッサンス、古典、と時代を経て ロマン派があるということを知らなかった。
19世紀のヨーロッパは文化、経済、科学、など急速に進歩し、まさに頂点を迎えていた。
人々は奢り高ぶり 音楽においても 「ルネッサンス、バロック、古典などの時代はまだ未完成で幼稚なものであり われわれの時代にようやく完成した。」という意見が圧倒的であり、「過去の未完成な曲を修正してあげなければならない」というすごい親切心から Bachの無伴奏バイオリンソナタにピアノ伴奏を付けたり、Beethovenの交響曲をアレンジし直したり、(当時Trumpetは半音階が出来なかったため つまり未完成の楽器だったから仕方がなかった という理由で安易に音を変更していく)というようなことが頻繁に行われた。
まあそういう時期だから仕方がなかったのかもしれない。そのドイツ人音楽家はなにも悪くない。
そういうことでその先生が紹介したのはその当時のヨーロッパのスタンダードナンバーであった
J. シュトラウスのワルツやポルカ、当時流行っていた レハールのメリーウィドウ、金と銀、スッペの軽騎兵、ワイトトゥイフェルのドナウ川のさざ波などが一番先に日本に入ってきた。のちにベートーベンなんかも入ってきたが 日本人はシュトラウスとベートーベンは親子ほど年が違うなんてことは 考えなかったのである。
明治時代、ヨーロッパではシュトラウスがスタンダードでプッチーニが時代の最先端であり、ドビュッシーはまだかけだしで ストラビンスキーはやっと生まれたところである。
世界でもそうだが 特に日本ではロマン主義(ロマンチック)が何となく、理由を考えずに広まってしまった。ロマンチックをこれまたすごく簡単に一言で説明すると、曲の最後は rit.してフェルマータ。
これである。ワルツの最後は必ずこういう終止である。ブラームスの交響曲はこの形がとてもよく似合う。
しかし、ベートーベンやモーツァルトの交響曲ではどうでしょう?この辺をなにも意識せず、習慣でrit.してフェルマータしてしまうことが非常に多い。「それが西洋音楽だ」と思っているわけである。「19世紀のスタイルだ」とは思っていないのである。
バロック時代、音楽はアドリブをするのが常識であった。作曲家はメロディとコードネームを作り、実際の演奏では奏者が様々な装飾(アドリブ)をつけるのが普通であった。楽器の指定がない曲も珍しくない。丁度現在のジャズ演奏によく似ている。
古典派になって作曲家はある程度の指定を指示しだした。ロマン派の時代、演奏者の地位が向上し、スターが生まれ、演奏はそのスターの魅力を最大限に引き出すため、作曲家が意図しない いろいろな所でカデンツァが入り、名人芸を披露した。モーツァルトの時代にさえそういうことは常識であり、人気歌手は自分のテーマソングを持っていた。自分が登場するときは曲の流れに関係なくそのテーマソングを演奏させ、拍手喝采をあびて登場した。
このようなことに不満を持つ作曲家、たとえばワーグナーなんかがすごく細かく楽譜を書き、アドリブを一切禁じ、作曲家の意図する事を忠実に再現させようとした。これが後期ロマン派のスタイルである。R,シュトラウス、マーラーなどはスコアの中に文章で事細かく指示をだした。20世紀に入りドビュッシー、ラベルなどの作品では、指示のないことはしてはいけないのである。rit.と書いてなければ in Tempo なのである。強弱記号もその相対的な音量を守るべきなのである。近代、現代、古典、バロックの音楽をロマンチックに解釈してはいけない と僕は思う。
今までは古い物は幼稚で完成度の低いものという認識が常識であったが、ここ何十年かで19世紀以前の音楽を見直す動きが高まってきた。今現在、古楽器の復元やバロック、古典の音楽をオリジナルのスタイルで演奏すると言うことが盛んになってきている。時代考証をし、そのときのスタイルの演奏解釈で再現する というのがこれからの流れではないだろうか?
オリジナルの楽器を使うというのは特殊な団体に限られてくるが、モダンの楽器で演奏しても解釈はオリジナルというのが来る21世紀にはスタンダードになるような気がする。
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