日航機墜落事故(1)

あの日はお盆で、東京で暮らしている兄が帰省していた。父が食事中のテレビをうるさがって消していたため、7時半からの三宅裕司のバラエティ番組を見たかったアタイは、食事を終えるとそそくさと席を立ち、隣の部屋の小さなテレビで目当ての番組が始まるまで見るとはなしにチャンネルをいじくっていた。
ひとつ前のアニメ番組が間もなく終わる頃、ニュース速報が流れた。この頃はささいなことでは余りニュース速報なぞ見なかったせいか、<ニュース速報>の字幕が出ただけで胸がざわついた覚えがある。
この速報こそが、世界の航空史上でも未曾有の大惨事となった「日航機墜落事故」のテレビでの第一報であった。

<羽田発大阪行JAL123便がレーダーから消えた。現在行方を捜索中>
レーダーから消えた=墜落とは考えつかず、『エアポート75』かなにかで観た山間での不時着シーンを想像した。自分には無関係と思われても、とっさに最悪の事態を避けて考えるものらしい。
東京から新幹線で帰ってきている兄にも教えてやらねばと思い、居間にいる皆にニュースを伝えたのだが、なにやら深刻な話の最中だったのか、ふうん、といった薄い反応。たいしたことではないのかなと、また隣に戻り寝転んでテレビを見始めた。しかしその後も何度もニュース速報が現れては、何人乗っていたとか、どこで機影を見失ったかとか、少しずつ情報が補足されていく。各局とも同様だった。やっぱただごとじゃないんじゃないかと思った頃、居間ではとうにテレビをつけ、みな無言で画面を見つめていた。

アンコントロール
1985年8月12日。羽田発大阪行きの日本航空機123便(ボーイング747SR・JA8119機)が、羽田を離陸したのが午後6時12分。
乗務員15名と、移動中の会社員、帰省客、筑波万博や東京ディズニーランドの観光帰り客など、乗客509名を載せ、座席はほぼ満員であった。

高度は7200メートルまで上昇し、間もなく安定飛行に入ろうとするころだった24分。伊豆半島西方の沖、相模湾上空で突然機体に爆発に似た衝撃音。同時に警報音が鳴り響き計器類が点滅、客室は白い霧に包まれ酸素マスクが振り降りた。
異常音から46秒後、最高レベルの非常事態宣言「スコーク77」を発信し、123便は右に旋回。ただちに羽田への帰還を要求、承認を受けた。しかし、クルーが機体を自在にコントロールできたのはこれが最後であった。
救難信号を受け、123便と交信していた所沢の東京ACC(運輸省東京航空交通管制部)は28分、123便の現状を知る。「Now uncontrol(操縦不能)」誰もが耳を疑う、誰もが経験したことがない超非常事態だった。

ジャンボ機の安全神話
米ボーイング社で製造されたB747は、一度に500人以上もの乗客を輸送できる大型旅客機とあって最新鋭の技術を導入し、高い安全性を誇っていた。SR機(Short-range)は日本の国内線向けに開発された機種で、短い距離を何度も離着陸する日本国内線はアメリカのそれと違い機体に負担がかかるため、脚まわりが特に強化されている。
747型機は1つの系統に異常が起きても予備の機能が取って代わり、本来の機能を補う多重安全設計<フェイル・セイフ・システム>を採用し、ジャンボ機の絶対の安全性を唱えた。万一の事態にも数段構えで備えているジャンボ機は、世界一安全で絶対に落ちない飛行機とされてきた。
フラップや昇降舵・方向舵・ギアの昇降など各部の動作を制御する油圧系統も、配管1本が破損しても、あと3本ものバックアップがあり、それぞれが離れて別々に張り巡らされていた。

ところが、123便は異常音のほんの数分後、油圧4本すべてを失っていることに気づく。
ジャンボが操縦不能などという事態は、航空関係者にはまったく信じがたいことだった。
しかし、コクピットクルーの機長・副操縦士・航空機関士の3名は、このときから墜落までの32分間ものあいだ、巨大な鉄の塊と化したジャンボジェット機を数千メートルの上空でなんとか制御しようと、原因もわからないまま懸命な努力を続けるのである。

垂直尾翼がない
後の調査で123便は相模湾上空での異常発生時に垂直尾翼のほとんどを失っていたことがわかった。墜落の翌日、相模湾から垂直尾翼の破片や後部補助エンジンの部品が回収されている。
垂直尾翼は垂直方向のバランスを安定させ、あの巨体の直進性を保つ重要な部分で、さらに後ろ側には方向舵がある。だが墜落現場からは垂直尾翼前部の垂直安定板の下側一枚しか見つかっていない。
また、油圧4系統が唯一集中しているのが胴体尾部だった。直接の事故原因とされる圧力隔壁の破壊の際に胴体尾部が破断、そのため油圧が総ダウンしたと見られているほか、様々な説がある。
垂直の均衡を失くした123便は上下左右に激しく揺らぎながら、糸の切れた凧のように迷走飛行を始める。左右の傾きは最大で60度にまで達していたが、尾翼を失くしたまま空を飛んでいるなどと、クルー、乗客を始め地上の誰もが最期まで知り得なかったことだった。

油圧を失った以上、機体のコントロール手段にはフラップ操作、エンジン出力調整しか手はなかった。左右の主翼についているエンジンのパワーを調節し、フラップと上手く組み合わせれば姿勢や高度を変化させることができる。フラップの操作には、オルタネート(代替機構・この場合電力)での制御もかろうじて可能だった。しかし、そもそも油圧すべてが抜けてしまうこと、ましてや垂直尾翼なしで飛行することなど想定されていない。電動操作は油圧動作よりも緩慢な上、微調整が困難で、その動作性はとても操縦を補完するものではなかった。ブレよりも早く反応し、エンジン出力のタイミングと噛み合わせなければ失速する恐れがある。ましてや123便は、やじろべえの頭とも言うべき尾翼を欠き、重量のバランスだけでも大きく崩れている。
しかも、酸素マスクが降りているということは、機内の気圧が下がっている可能性も考慮しなければならない。酸素がなくなりしだい、機内の酸欠状態が起きる。
緊急降下(エマージェンシーディセンド)が必要であった。

迷走飛行
羽田を目指した123便は、午後6時31分頃(異常発生から7分後)、焼津上空から急な角度で北に進路を向け、その後東に向かい、ひどくフラフラな航路ながらも羽田方面に向かっている。この頃、航空機関士が客室乗務員との電話で「R5(右最後部)のドアがブロークン」していることを確認。緊急降下を機長に提案するも、とっくに試みているのは承知だった。必死のオルタネート操作にも関わらず、高度はほとんど下がらない。機首が安定しない。
機首が下がりすぎると速度が増し、まっさかさまに落ちてゆく。それを避けるために早い段階でフラップ操作により浮力や揚力を調整する。が、機首が上がりすぎると翼が揚力を失い失速する。

鳴り響く高度警報音、管制とのやり取り、遥か下の地上、傾きやまない機体。一体どれほどの極限状態だったであろうか。

北の山間部へ
富士山を右に見てしばらくの午後6時40分頃、エアブレーキと重心下げを期待してギア(胴体車輪)をダウン。これも本来は油圧で稼動するが、オルタネート(ロック解除による自重)でゆっくりと出す。
直後の山梨県大月市上空、機体は大きく右に傾いたまま横滑りし、ぐるりと一周旋回する。機首が上がりすぎてあわや失速直前だったがパワーコントロールで回避。高度は5100メートルにまで下がった。

非常事態を受けベテランの救護チームが受け入れスタンバイしていた横田基地がもう間もなくだった八王子上空、午後6時45分頃、機はなぜか左に旋回し山梨方面にUターンを始める。その直前に機長が「これはだめかもわからんね」と発言していることから、住宅が密集する横田ではなく、山間の平野部に不時着するつもりだったのではという見方もあるが、一方で機体の姿勢維持に必死だった123便が、故意に、しかも峻険な山岳部に進路を変更させたとは考えにくく、紙飛行機のようにほとんどなすがまま浮遊していったのではないかとの意見もある。現にこのころ急激に機は高度を落としており、CVR(ボイスレコーダー)の記録によると、47分頃は眼前に迫る山を避けるために機長は「山にぶつかるぞ!」「レフトターン!」「マックパワー(出力最大)!」と叫び続け、副操縦士と機関士は2人がかりでエンジンコントロールに挑んでいる。

48分台になると「パワーちょっと絞って」「あたま下げろ」と今度は機首が上がりすぎている様子がうかがえる。下がりすぎた高度を上げようとエンジン推力で上昇したものの、フラップがついていかなかったのか、49分、機長が「あーだめだ、終わりだ」と嘆きながらも「マックパワー」を連呼、直後「ストール(失速)」の声とともに失速警報が鳴り始める。このときは辛くも体勢が戻ったが、あたま上げろ、下げろはこの後ずっと続き、ひどい縦揺れへの対応にクルーは翻弄され続ける。すでにどこを飛んでいるかなど、二の次の状態だったに違いない。

墜落
54分、ようやく東京APC(羽田空港進入管制部)に自機の位置を確認。熊谷から25マイル西と報告を受けた。長野県に入っていた。ここで再び機体は機首を上げながら大きく右に傾ぎ、そのままの体勢で県境を越え群馬上空まで横滑りに飛行する。フラップ調整でせめてピッチ(上下角度)を安定させようとするも、55分、今度は右に傾いたまま、ほとんど機首が真下を向いた状態にまでバランスを崩す。失速警報が鳴る。
「フラップー!」「あたま上げろ!」「パワー!」手動での機体コントロールも遂に限界であった。このとき速度は346ノット(時速約640Km)まで加速している。もっとも怖れた、急降下だった。聞きなれた飛行機の轟音が、なにかに反響して大きくなる。ますます大きくなる。地上のすぐそばを飛んでいるのがわかる。音が近づいてくる。火災警報ブザーが鳴り、GPWS(自動音声)の地上接近警告音が激しく怒鳴る。『SINK LATE(降下率注意)』『WOOPWOOP!PULL UP!WOOPWOOP!PULL UP!』目の前には残酷なほどに高い山々と切り立った尾根が薄闇のなか広がっていた。
56分21秒「ああーだめだ!」機長の絶叫は山がはね返すジェットの音にかき消された。

56分23秒、123便は右に30度以上傾いた姿勢で機体後部を木に接触、バウンドして前のめりになりながらさらに右に傾き、26秒、右主翼が林をえぐった衝撃で上方へ投げ出され、機首を沢に激突、ほぼ仰向けに倒壊、閃光を上げ、炎上した。
(つづく)


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