サザエさんの悲劇(1993)

世田谷サザエさん研究会・著/データハウス刊


90年代初頭、「研究本」という出版物のジャンルがブームを起こした。「謎本」とか「秘密本」「解析本」とも呼ばれる。
誰もが知っている有名で人気のあるマンガを対象に(当初はマンガが多かったが後にドラマや映画なども対象になってゆく)、キャラクターの相関図、性格分析、嗜好、居住環境などなど、作品を読み込んで分り得る事実をデータ化したファンブックのようなものだが、多くは作者公認のそれではないので、作品のカットもイラストも使用できない。それでは誰も買わんだろうというわけで、連載中のささいな変異や矛盾点に独自の考察を為し、作品への従来の印象に違う側面を与えようとしたのが、巷に溢れかえった主たる「研究本」の真髄ではなかったろうか。だから長期連載の作品が俎上にあがることが多かったように思う。
老若男女、全国民、だれも知らない人はいないが、前編に渡って目を通している人は少ない「サザエさん」は、恰好の材料であった。


●研究本ブームの立役者「磯野家の謎」

マンガ「サザエさん」の研究本といえば、研究本ブームの火付け役とも言われる東京サザエさん学会の「磯野家の謎―サザエさんに隠された69の謎」がある。
だが、ここでアタイがお気に入りとして取り上げるのは断じてコレではない。
「磯野家の謎」、そしてヒットに気をよくして続刊された「磯野家の謎おかわり」の研究発表は、揚げ足を曲解してあげつらった内容が大ウケしてしまった。その結果、何百万部も売れた上、研究本の方向性を決定づけた。そこには作品に対する愛はない。後続の類書は明るく人気者の作品であればあるほど、できるだけダークでダーティーな新解釈を打ち出そうと躍起になってしまうのだ。
アタイも含めとかく人間は、物事を裏返して見たくなる生き物である。

で、「サザエさんの悲劇」である。
そのタイトルといい、紛失してしまったが帯のコピーは確か『サザエさんはヒロポンなんかやってない!』。「磯野家の謎」ブームへの便乗姿勢は見えるものの、内容は、マンガ「サザエさん」、そして各キャラクターに対する愛に満ち溢れていた。作者に対しての敬意があった。
ヒロポンうんぬんというのは、「磯野家の謎おかわり」の中に『磯野家の人はヒロポンを打ちまくっているふしがある』という項があり、まあそれはここに書く価値もないほどバカバカしい、根拠ゼロの暴論なんだが、ほかにも「磯野家の謎」には多々、強引に「サザエさん」のキャラクターをおとしめるような下らない拡大解釈がいくつもある。



磯野家を始め日本中が大フィーバーした東京オリンピックは昭和39年。ノリスケ夫妻は結婚以来挨拶にも行ってなかった親戚方にテレビ中継を見たいがために押しかけた。
●サザエさんと戦後

ここで面倒でも漫画「サザエさん」の歴史を知っていただきたい。

長谷川町子氏の4コマ漫画【サザエさん】は、昭和21年(1946年)、福岡の地方紙「夕刊フクニチ」でスタートした。長谷川氏上京前、畑仕事の合間の、アルバイト気分の新聞連載だった。
数ヶ月も続けた頃、東京の大手出版社から声がかかり、母と三姉妹の一家は慌ただしく上京を決意、「サザエさん」も急遽連載を終了した。上京後、多忙な執筆活動の中、続「サザエさん」が夕刊フクニチで連載再開。バイタリティ溢れる母の助言により、挿絵画家の姉・毬子とともに姉妹社を興し、自費で「サザエさん」の単行本を出版。第一巻はさっぱり売れず大赤字だったが、再び母の発破で強引に出版した第二巻から人気に火がつき、返品の山だった第一巻もB5判横とじの変形版にもかかわらず飛ぶように売れて行った。海賊版まで登場し、その売れ行きは本家を凌ぐほどだったという。その後、中断や掲載場所を変えながらも連載が続き、昭和36年(1961年)に事実上、連載終了。単行本にして68巻。
昭和44年(1969年)にフジテレビでアニメ化し、36年後の現在も放映中という怪物番組となる。
長谷川町子氏は平成3年5月、心不全のため没したが、漫画を通じ戦後庶民の生活に潤いと勇気を与えた功績として、漫画家として初めて国民栄誉賞を授与された。
(参考:ウィキペディア、 サザエさんうちあけ話/朝日新聞社刊)





戦後、社会問題にもなったヒロポンの流行。
ヒロポンはギリシャ語で「仕事好き」。
戦時中は軍需使用のほか工場労働者などにも支給された。ちゃんとした製薬会社の商品だった。
つまりサザエさんは、終戦の翌年、泥沼経済のさ中に連載開始、終了はヤンヤヤンヤの高度成長期だった。さらには21世紀の読者にも読み継がれているので、作品自体が昭和の風俗史絵巻みたいになってしまっている。
アナクロニズムもまたサザエさんの面白さに違いない。

アタイは最後の20年ほどしか生きていないが、昭和という時代は知れば知るほど「長かった」。
戦後しばらくの日本では赤線と呼ばれる売春合法地域があったし、ヒロポンなどの覚醒剤が強壮剤として薬局で手に入った時期もある(売春防止法は昭和31年、覚醒剤取締法は26年施行)。半世紀の間にこうもいろんなことが変わってしまった時代もない。
実際、連載当初のネタには戦争の跡が色濃くてかなり興味深い。

◇波平がどういう縁かアメリカ兵を家に招いた。サザエが庭の石灯籠などを背景に二人並んだところを写真に撮るが、身長差がありすぎて、できあがった写真にはアメリカ兵の横に波平の禿頭だけが写っていた。
アメリカ兵に「いらっしゃいませ」と深々と頭を下げるサザエの表情に、当時の日本人がどのように占領軍を受け入れていたかが垣間見えるような気がする。丁重だが、どこかミーハーな笑顔だ。

◇酒を酌み交わし賑やかに論じあう波平とマスオ。「わしらに大臣やらせたらって大気焔よ」と笑うサザエに「もう一本もっていけばもっとえらくなるよ」とフネがビールを持たせる。これでさらに酔った波平は「わしに講和首席全権をやらせればだネ…」
サンフランシスコ条約は昭和26年に調印され、アメリカによる日本占領は事実上終結した。波平が代れと言っている首席全権は吉田茂。


ほかにも戦災孤児や傷痍軍人、進駐軍、満州からの引き揚げ難民など戦後ならではのキャラクターが次々登場する(サザエがワカメを「MPに連れてってもらうよ!」と脅す場面もある。これはコワイ)。物品は配給制だし、逓信省が管理していた電話は、民間にはまだ全戸になく共同で、受話器には送話機能がなく電話機本体に向けてしゃべるタイプ。旧漢字がバンバン出て来るし、カツオの表記は“カツヲ”だったりする。

初期のサザエさんが特に面白いのは、おっそろしく昔になった感のある昭和中期の人々の文化や大衆生活が、生き生きと描かれているからでもあって、環境は変化しても暮らしの中でフッと生まれるような種類の笑いは、本質的に変わっていないことを知る。もっと深読みすれば、激しく変動する時勢の中、戦争を乗り越え、独自の発達を遂げてゆく民衆の強さを、まざまざと感じ取ることもできる。
さらには、この何十年間、なん〜にも変わっていないこと(夏休みが終わる頃になると、親がガミガミ言いながら宿題手伝うとか、外で上司に会ったら隠れるとか)も、たくさんあることを知る。




押し寄せる近代化の波。
これは昭和38年頃のガス湯沸かし器。R2-D2みたいなのもある。一周廻ってオシャレだ。
●東京サザエさん学会の罪と功績

ところが東京サザエさん学会はこれを逆手にとり、近代日本史が持つ暗黒面(ってほどでもないと思うがな〜)を磯野家の人々に背負わせて愉しもうとする。無邪気に描かれた(今日では非常識になった)常識を見つけては、大はしゃぎして針小棒大に書きたてる。
対して世田谷サザエさん研究会はその著書で、いつの時代もスッ頓狂に明るく生きたあの家族を、事実を歪めてまで無理矢理ダークサイドにおとしめようとする学会の姿勢を批判する。
そして学会が挙げた捏造を指摘し、時代考証と合わせてていねいに論刹しながら、学会の研究の薄っぺらさを暴露していくのである。

東京サザエさん学会にしてみれば、シャレで書いたことに大まじめにつっかかってこられたわけで、苦笑するしかないであろう。「謎」を読んだ読者の中にも「悲劇」の反論を無粋と考える向きもあるかもしれない。しかし間違えてはいけない。上で述べたように、最初に無粋の極みをやらかしたのは東京サザエさん学会であり、長期連載に骨を折った作者が、おそらくもっとも嫌悪する形で作品を蹂躙したあげく、あまつさえ莫大な利益を得おった。当時を生きた人々すべてを侮辱する本でだ。シャレではすまんのだ。

と、批判ばかりしているが、「磯野家の謎」はそういう品のない解析ばかりを発表しているわけではなくて、磯野家の間取り、近所の地図(エピソード添)、磯野家の人々が口ずさんだ歌の一覧表、昔流行ったサザエさんの替え歌など、非常に価値の高い研究も為されている。アタイが長年わからなかった「とかとくとうかい(※1)」の謎を明かしてくれたのもこの本である。漫画から台詞や状況の引用をバンバン使い、読者がサザエさんを読みたくなるような書かれ方もしている。実際、この本はサザエさんブームの再来を引き起こした。本来なら丹念に作品を読み込んだ優れたファンブックだ。
だのに作者のミスをムリヤリこじつけてタラちゃん養子説とか打ち出すから、レベルが低くなってしまうのだ。

■ここを書くにあたって「謎」の方を調べていたら、「謎」の内容をまるで自分の文章のように改筆して載せているハズカチーサイトがあった。この坊主、<衝撃の事実>だの<一見明るい磯野家も…>だの鬼の首をとったかのようにはしゃいでいるが、まさに当時の東京サザエさん学会の姿を彷彿とさせる。




サザエも独身時代に経験した女性の交通巡査。 初登場は昭和21年。
●みんな大好きサザエさん

さて「謎」の方のことばかり書いてきた気がするが、繰り返して言うとここに取り上げたいのは「サザエさんの悲劇」である。本書は前年に出版された「サザエさんの秘密」の続編で、こちらでも「謎」に対してふっかけているらしいが読んでないので内容はわからない。
著者の「世田谷サザエさん学会」こと、ゆうむはじめ氏は『ドラえもんの秘密』、ほかにも『Mr.マリック超魔術の嘘』などというトンチキな本も書いている。
自身のキャリアと照らし合わせてマスオの会社や部署を特定したりして、大変説得力があり面白い。本当に長谷川町子氏がここまで考えてキャラクター作りをしたのではないかとさえ思えてしまう。

サザエさんは新聞連載ということもあって時事ネタがたくさん出て来る。したがって現代の読者には理解が難しい回も多い。
アタイもサザエさんは幼少期、少女期、成年期と何回にも分けて読んできたが、年代ごとに少しずつ理解できるページが増えていったものだ。
たとえば、ワカメが一人で留守番をしているところに、波平を訪ねてお客が来る。お茶の準備をするワカメが、電熱器にかけたやかんにウチワで風を送っているところがオチだった。家庭の台所に、カマドに変わって電熱器が登場した頃の作品らしく、大人の見よう見まねでおもてなしをしようとしたワカメがかわいらしい話である。
だが、電熱器もカマドも知らない子供のアタイにはオチの意味がわからない。
さらに事件とか流行のような細かいことが絡まってくる回になるとますますわからない。

本書ではそういった現代ではわかりづらくなってしまったネタの解説をいくつかしてくれているのが非常に有り難い。「クジラと尺(※2)」を始め、いくつもの謎が氷解した。
磯野家の台所事情、乗り物の変移…こういうのはいくらでもまとめてほしいものだ。
また、「謎」と同様、引用を多用しているが、読ませ方が上手い。
「磯野家に登場するおやつの変移」の項では、

【ビスケット】サザエがこれを餌に日頃悪さばかりしている犬をつかまえようとするがワカメがつかまってしまう――。

ブタ鼻のボンネットバスからリアエンジンバスが登場し、女性車掌の姿が消えワンマンカーになったという、バスの移り変わりを解説した項では、

マスオが自作のボートを「バスの屋根に積んでくれ」と無理難題をふっかけたのも、ワンマンカーの時代である。


漫画のサザエさんはアナクロを楽しむだけにあらず、ユーモアとしてまったく面白いのだということが未見の読者にもよくわかるようにできている。


ここまでアタイも意識して、それを真似てみた。
最後に以下を紹介し、アタイの「サザエさん」への愛を示して終ることにしよう。

サザエさんには作者の動物好きが反映して、動物のエピソードがたくさん出てくる。
ネズミ取りにかかったネズミに「ヤーイとうとうつかまった」と悪態をついているサザエ。かねてから悩まされていたらしいが、捕まえてみれば、なかなか可愛い顔をしている。料理中、鳴くネズミに「これほしいの、ア、そう」と何気なくハムのかけらをやってみたりする。最後は檻の扉を開き、走り去るネズミの背を見送りながら「だめだわ なじんじゃうと人情が出て」。
(サザエは元々、芯からネズミ嫌いだ。遊んでいるカツオとワカメに「坊やを起さないでよ!」と厳しく言い渡しつつ、タラちゃんが眠るベビーベッドの下にもぐりこんで掃除していると、突然悲鳴をあげてベッドごと立ち上がり、放り出されて泣きわめくタラちゃんはそっちのけで、現れたネズミに震え上がっている)。

ワカメが物置でこっそり猫を飼っているのを波平に見つかり、こっぴどく叱られる。おそらく捨ててこいと言われたのだろう。が、ワカメが熱を出して寝込んだ夜、波平は餌を持って口笛を鳴らしながら物置を訪れる。

波平とフネがちゃぶ台で食事をしながら、二人しておかずを手でちょっとつまんでは台の下に差し出してソワソワしている。横の部屋にいるカツオがニヤニヤしながら「ペスはここですよ」。ペスは旅行中のご近所さんから預かっている犬だ。ワカメ「ごはんのときたべものやっちゃいけないっていったわね」。
そのペスが家に帰るときは、食べ物に目のないカツオとワカメが、ご近所さんが買ってきたお土産に眼もくれず、大泣きだった。



※1/お父さんがPTAの役員をしていると友達に自慢されたカツオが波平に訴えると「お父さんだって『TTK』の理事をしとる」「それなに?」「とかとくとうかいさ」 1人縁側にたたずむカツオ「…そんなのみんなに言えないや」
とかとくとうかい、は都下禿頭会。波平らの年代は、志を同じくする者たちでこうして やたらと会を設けるのが好きなようだ。「のんびりいこう会」では、会員募集やスケジュール調整に全員セカセカと奔走してしまい、本末転倒であった。

※2/ [クジラと尺]「サザエさん」の初期の頃は、日本の公式な計測単位は尺貫法だった。現在でも建築等に尺が基準の「間」「丈」といった単位が使われている。サザエが得意な洋裁に使われるのは鯨尺で、尺の基本である曲尺(かねじゃく)とは長さが異なるため、物差を借りに来たマスオに「これクジラよ」とサザエが注意していた。背中を掻くマスオにはどっちでもよかったが。
ちなみに「仕立て承ります」の看板を出すほどの腕前だったサザエだが、布団の中に物差を縫い込んだり、襟を出して着るよう家の前で張り込んでまで客に強制したりと、あんまり繁盛しなさそうな仕立て屋だったようだ。