病院坂の首縊りの家 (1979)



監督/市川崑
原作/横溝正史
主演/佐久間良子・石坂浩二

邦画の中でもかなりお気に入りの一作です。

兄に聞いたところによると、この映画は公開当時「これで最後だ」というのがキャッチコピーだったそうで、CMではなんだか癇に障る声でやたらと叫ばれていたそうです。
幸い、DVDに特典として実際の予告編が何パターンか収められていたので確認できました。
「これで最後」というのは、この事件が金田一耕助が関わった最後の事件ということも示していますが、ほとんどは横溝正史×市川崑×石坂浩二トリオの最終作ということを指し、石坂浩二はこれ以降、金田一耕助を演じていません。
市川崑監督は、96年に野村芳太郎監督の大ヒット作「八つ墓村」を、金田一役に豊川悦史を起用してリメイクしました。豊川の金田一はちょっと楽しみだったんですが、映画自体がダメダメだったので、彼の金田一を二度と見ることはできないと思われます。

それにしてもDVDのジャケット写真はヒドいなあ。(このページ上)
映画の中の猟奇的なシーンをスキャンダラスに貼りつけた、ビデオ屋で腐りかけてる古いトロマ映画のジャケットのようです。
当時の売り出し方もこんなもんだったらしいですが、「たたりじゃ〜」で売り出した「八つ墓村」は息を飲むほど素晴らしいあのシーンに変わっているのに、記念すべき金田一・最後の事件がこれではあんまりです。
どちらも30年近く経って、評価がさらに高くなっている作品ですから、一考願いたいものです。

ではあらすじです。

人や町にまだ戦禍の跡が残る昭和28年。渡米を決めた金田一がパスポート用の写真を撮りに訪れたのは、明治創業を誇る本庄写真館。お客が探偵と聞いた三代目館主の本庄徳兵衛は、何者かに命を狙われていると金田一に訴え調査を依頼する。同じ日、若く美しい女が写真館を訪れ、姉の結婚写真の撮影に出張の予約を申し入れる。徳兵衛の息子、直吉がその夜迎えに来た新郎に連れて行かれたのは、一部を戦災で焼かれたまま廃屋となっていた大病院の経営者・法眼家の屋敷跡だった。新婦として並んで写ったのは昼間写真館を訪ねてきた女である。2人の間に吊ってあったのは古びた鉄風鈴。数日後、再び廃屋で撮影を頼まれ、金田一も同行すると、そこには先日の新郎の生首がちょうど写真の風鈴のようにぶら下がっていた。

このページを書くにあたり、その長さゆえこれまで手をこまねいていた原作を読みました。なるほど、これだけの長編を2時間ちょいの尺に縮めるなら、こうするしかありません。しかも縮めたぶん全体が締まって、オリジナルより要所要所のインパクトが強く、かつオリジナルの本流を極力損なわないよう、うまく改変されています。
が、本当は「映画の方が」などと、同じ俎上で論じられるものではありませんな。
そもそも一番表層的な違いが、殺人犯なんですから。

●小説『病院坂の首縊りの家』

原作本原作は、発端となる怪事件「生首風鈴事件」は金田一の手に負えず、彼の最初で最後の迷宮入り事件となるが、20年の時を経て再び当時の関係者を巻き込んだ殺人事件が起こり、金田一自ら決着をつけるという設定です。
短期間で一連の殺人が行われる映画版との大きな違いのひとつでもあります。

ちなみにこの作品は、作中の設定と同じ昭和28年に、当時探偵小説の専門誌だった「宝石」で『病院横町の首縊りの家』のタイトルで前編のみ発表されたものの、飽きて投げ出してしまい、25年後に改めてプロットを練り直し、大長編として上梓したものだそうです。

角川書店の横溝正史や半村良といった作家の表紙は、幻想的で怖くてそりゃもう表紙だけで楽しめたものです。 当時の横溝正史本のスバラシイ表紙の数々を展示してくださっているサイトです。
横溝正史エンサイクロペディア

●心に残る名シーン・恐怖シーン

金田一モノと言えば、殺害方法や遺棄の残忍さが毎回非常に楽しみですが、病院坂〜は、そのあたり極めて地味です(一応、派手にはしてみた様子がうかがえますが)。遺体も風鈴を除いて横溝作品らしからぬ、趣を感じない晒し方です。
そのぶん下手人とその周囲の人々に対して痛切に感じる、哀しさ・切なさっぷりで強い印象を残した作品と言えます。
アタイは何度見ても、佐久間良子の最期のシーンはいつも目に涙がいっぱい浮かんでしまい、クッキリとした画面で見ることができません。
時代と因縁に踊らされ、抗おうとして許されない手段を用いざるを得なかった憐れな女。その一生が閉じるさまを、坂上で見送る金田一の胸のうちを思うと、ダブルで切ないです。

市川金田一最後の作品(当時はそのつもりだったらしい)とあって、草笛光子、三条美紀、大滝秀治、常田富士夫、加藤武&岡本信人のゴールデンコンビなどなど、おなじみのキャストが揃い踏みした豪華な顔ぶれも、ファンにはうれしいところです。
あおい輝彦は最後まで「華々しい」死に様を見せてくれました。
桜田淳子はちょうどアイドル脱皮を試んでいたころでしたが、難しい二役を見事に演じ分けています。
音楽も徹頭徹尾、良い。ジャズの使い方も実に効果的です。

ビデオ版一連の金田一シリーズは、昔はよくドラマも映画もテレビでやってました。
なので、子どもの頃に見た人には、どのシリーズにも人それぞれのトラウマシーンがあり、同時にその作品を語る上での共通のキーワードにもなります。
誰かがプールで逆立ちすれば、必ず「犬神家の一族」と突っ込みが入ったものです。
「病院坂」では本作の華である生首風鈴なのですが、アタイとしてはそれをも凌駕した、白石加代子演じるところの盲目の老婆を挙げます。いやもう、すさまじい演技でした。幼心に、このお婆さんはずうっとこのまま、このあばら家で、ズタボロの煎餅布団にくるまれて、誰とも話さず、誰にも構われず朽ちていくのに違いない、日陰の身とはそういうものなのだと、怖ろしいような悲しいような気持ちになったものです。

●高倉健も演じた金田一耕助

金田一耕助の演者は誰が好きか。映画ファンならそんな問答をした覚えがありましょう。
アタイは言わずもがな石坂浩二でして、まず顔がいい。そしてキチャナイ格好なのに知性を感じさせる謎めいた雰囲気と落ち着いた声を推したい。

誰に対しても優しく控えめで穏やかに接しながら、誰よりも人の持つ業の深さと悲しみを知っている憂いのある顔。事件を紐解いていくうちに見えてくる、運命の非情な引き合わせに、やるせない思いを抱えて苦しむさまは見るものの胸を痛めます。
なので、その彼が怒ったり、慌てたりすると「常にあらざる事態」と緊張させられてしまうのです。 原作の金田一も犯人に同情的で、犯人を追い詰めることに躊躇したりもするようですが、推理の過程ではワクワクしすぎちゃってるところがあるので、あまり翳りを感じさせません。が、読み物として読み進む上ではこちらの金田一の方が面白いんですな。

映画のちょうど、エピローグとプロローグにあたる部分に、金田一の知人の推理小説家という役どころで、横溝正史ご本人が出演しています。この設定は小説の中と同じ(金田一は横溝によく推理の意見を聞きに来て、小説の題材を提供してくれている)なので、老作家、とても嬉しそうです。
で、生みの親本人は誰の金田一がベストだったのかというと、石坂クンが一番と言っているところもあれば、古谷クンがピッタリと言っていることもあるので本当のところはよくわかりません。原作を読む限り、古谷一行のイメージのような気もしますが、もしかしたら本当に、どっちも好きだったのかもしれません。

アタイ実は横溝正史を読んだのはたぶん初めてで、読んでみてちょっとビックリしたんですが、どれもこんな江戸川乱歩の子どもむけ探偵小説みたいな展開なんでしょうか?いつも女の登場人物はあんなに貞操観念がないんでしょうか?
あ、でもラストの余韻は素晴らしかったです。
モドル