| 【年】 | 【できごと】 |
|---|---|
| 1952 (昭和27) |
サンフランシスコ条約により、沖縄がアメリカの施政権下におかれる。(〜1972) |
| 1961春 (昭和36) |
高良鉄夫氏(琉球大学農学部教授)総理府の依頼で西表島の作物に害を与える動物の調査を命じられ、西表島でヤマネコの噂を聞く。 |
| 1962/5/25 (昭和37) |
生後まもないイリオモテヤマネコ2体のアルコール標本が高良氏に届く 西表島、仲良川上流の木材採掘現場にて、木を伐採した時に樹洞に出産された直後の仔が残されていたものを標本にしたもの。(親ネコは逃げた) (※この標本は現在は琉球大学の資料館に展示されている) |
| 1963/4 (昭和38) |
イノシシワナにかかったイリオモテヤマネコの仔猫のミイラが高良氏に届く。(送り主は親富祖善繁氏:網取中学校教諭) |
| 1965/2/25 (昭和40) |
親富祖善繁氏から高良氏にイリオモテヤマネコの毛皮が届く。(1965/1/10採取、イノシシワナにかかったもの) 琉球日報に「西表の怪猫」仮称”イリオモテヤマネコ”として掲載される。 |
| 1965/2 (昭和40) |
戸川幸夫氏(動物文学者)シリーズ「野生への旅」の取材のため西表島へ。 親富祖氏より頭骨を入手。(高良氏に送られた毛皮と同一個体のもの) 戸川幸夫氏は帰途高良氏のもとに立ち寄り、高良氏より毛皮を借り受け東京に戻る。 |
| 1965/3/14 (昭和40) |
日本哺乳動物学会にて、戸川幸夫氏の持ち帰った頭骨と毛皮が発表、検討され、新種のヤマネコである可能性が高いとされた。翌日の毎日新聞の記事で「新種?」と報じられる。 |
| 1965/4/15 (昭和40) |
毎日新聞にて西表島のヤマネコは新属、新種と報じられる。(今泉吉典氏発表) |
| 1965/5/5 (昭和40) |
西表島の大原中学の遠足先の南風見田で、弱っているイリオモテヤマネコ(オス)が捕獲される。捕獲後まもなく死亡したが、毛皮と骨は保存されていた。 5月末にイリオモテヤマネコの捕獲・調査を目的としてイリオモテに訪れていた戸川氏が毛皮と骨を譲り受け、この個体がタイプ標本となった。 ※タイプ標本(=完模式標本:かんもしきひょうほん):未知の種類の生物の命名の基とするための一点の標本のこと。全ての生物のそれぞれの種について世界で1個体しか存在しない。 |
| 1965/6 (昭和40) |
戸川氏が、西表島民向けに、イリオモテヤマネコ捕獲依頼(懸賞金付き)の記事広告を八重山毎日新聞に掲載する。 |
| 1966/12/6 (昭和41) |
イリオモテヤマネコが黒島宏氏(西表島民)に生け捕りされるが、10日ほど後に逃げられてしまう。 |
| 1967/1/5 (昭和42) |
黒島宏氏があらたにオスの成獣を捕獲する。(捕獲場所:仲間川中流のニーバレー) 同じ頃、中里恵誠氏(西表島民)が若いメスネコを捕獲する。(捕獲場所:大富部落の北、仲間山の奥) |
| 1967/3 (昭和42) |
小原巌氏(国立科学博物館職員)が、生け捕りにした2匹のヤマネコを引き取るため西表島に向かう。捕獲者から懸賞金の額を増やして欲しいと要望されたり、竹富町から天皇に献上されるという話が出たりなどして、引き取りに難航する。 しかし地元有力者などの説得により、国立科学博物館へ移送されることとなる。 |
| 1967/3/20 (昭和42) |
捕獲された二頭のイリオモテヤマネコが東京・羽田空港に到着する。
約一週間は今泉吉典氏の自宅で飼育され、その後国立科学博物館の受け入れ準備が整うまで、戸川幸夫氏の自宅で飼育される。(〜1969/6/20まで) その後国立科学博物館で飼育され、雄はリオ、雌はモコと命名される。飼育中一般公開はされなかった。 |
| 1967/5 (昭和42) |
哺乳動物学会雑誌にて、学名Mayailurus iriomotensis、和名イリオモテヤマネコと発表される。(今泉吉典氏発表) |
| 1968/11/15 (昭和43) |
ドイツから、ネコ科動物の世界的権威であるライハウゼン教授が来日する。 国立科学博物館にて標本を鑑定後、戸川氏宅にてイリオモテヤマネコを観察する。 「イリオモテヤマネコは新種だが新属ではない」という見解を示す。 |
| 1972/5/15 (昭和47) |
沖縄が日本に返還される。 |
| 1972/5 (昭和47) |
イリオモテヤマネコが国の天然記念物に指定される。 |
| 1972/11 (昭和47) |
国際自然保護連合会(IUCN)によるイリオモテヤマネコの調査が行われることになり、今泉吉典氏、今泉忠明氏(今泉吉典氏の次男で当時動物園職員、現在は動物学者)、青木淳一氏(ダニ学者)、齋藤靖二氏(地質学者)らが科学博物館の調査隊として西表に向い、第一回予備調査を行う。 |
| 1973/4/25 (昭和48) |
国立科学博物館で飼育されていたリオ(雄)が老衰により死亡する。 染色体の調査のために採血、研究用の仮剥製となる。 |
| 1973/11上旬 (昭和48) |
国際自然保護連合会(IUCN)によるイリオモテヤマネコの調査の第二回予備調査が行われる。今泉忠明氏ら西表島へ。 イリオモテヤマネコの研究をしていた安間繁樹氏(当時、東京大学森林動物学教室在籍)も第二回予備調査に参加する。 |
| 1973/12/10 (昭和48) |
ライハウゼン教授、ウルリケ・ティーデ女史(動物学者)、今泉吉典氏とともに西表島へ。 12/11に生き餌ワナを使った自動撮影装置で初めて野生のイリオモテヤマネコの撮影に成功する。 |
| 1974/6 (昭和49) |
国際自然保護連合会(IUCN)によるイリオモテヤマネコの調査の予備調査として、夏の生態を知るために再調査が行われる |
| 1974/12 (昭和49) |
国際自然保護連合会(IUCN)によるイリオモテヤマネコの調査の本調査に入る。場所は西表島南東部。(今泉忠明氏、茶畑哲夫夫妻ら。茶畑哲夫氏は今泉忠明氏の義弟にあたる) 餌の肉片に文字を刻印したダイモテープを混ぜ、ダイモテープの入った糞を回収することでヤマネコの行動圏を特定する調査手法。 |
| 1975/7 (昭和50) |
安間繁樹氏がイリオモテヤマネコの初めての映画撮影に成功。 |
| 1975/12/13 (昭和50) |
国立科学博物館のモコ(雌)老衰により死亡。推定年令は9才7か月。 展示用の剥製となる。 |
| 1977/3 (昭和52) |
イリオモテヤマネコが国の特別天然記念物に指定される。 |
| 1978/1 (昭和53) |
イギリスのエジンバラ公、日本の皇太子(当時。現在の天皇陛下)にイリオモテヤマネコ保護に関する文書を送る。 エジンバラ公の文書の元となったのは、ライハウゼン教授が世界自然保護基金(WWF)に提出した「西表島の実情」というレポート(後に「ライハウゼン文書」と言われる)だが、その内容はイリオモテヤマネコ保護のために西表島島民を他の島に移住させよというものだった。 ※エジンバラ公は1981年にはWWFの総裁となっている。 |
| 1978/1/31 (昭和53) |
ライハウゼン文書の内容が新聞に掲載され、西表島住民の猛反発を買う。「人かヤマネコか」の議論が起きる。 |
| 1978/11 (昭和53) |
イリオモテヤマネコが新種と認められて以降、初めて交通事故で死亡が確認される。 |
| 1979/6/15 (昭和54) |
西表島・美原にて、親とはぐれて衰弱していたイリオモテヤマネコの幼獣が保護される。保護したのは牧場主の宮良長敬氏。 翌日沖縄本島・胡屋にある「沖縄こどもの国」に移送され、以降こどもの国で飼育されることになる。飼育担当は比嘉源和氏。 この仔猫は保護した宮良長敬氏の「敬」を取ってケイ太と命名される。 |
| 1979/10 (昭和54) |
環境庁、西表島において生きたニワトリを使った給餌事業を開始する。 |
| 1980/12/2 (昭和55) |
沖縄こどもの国にてケイ太の一般公開が始まる。 |
| 1981/5/26 (昭和56) |
沖縄こどもの国、文化庁よりイリオモテヤマネコの飼育許可を得る。 |
| 1982/2 (昭和57) |
西表島にてイリオモテヤマネコが家畜のニワトリを殺す事件があり、人との共存の新たな問題となる。 |
| 1983/1 (昭和58) |
環境庁による「第二次生息、環境等保護対策調査」開始(3年間) 初のテレメーター(電波発信機)による行動圏調査が行われる。 琉球大学、九州大学の研究者達が主体で行われた。 |
| 1985/5 (昭和60) |
イリオモテヤマネコが白昼、西表島・浦内川で観光客の乗る船の前を横切り泳ぎ渡りニュースとなる。 |
| 1985/11 (昭和60) |
テレメーターによる調査より、生息数は80-100頭と推測される。 |
| 1986/3 (昭和61) |
写真家の横塚眞己人氏、西表島に定住しイリオモテヤマネコの撮影を行う。(〜1994/8) |
| 1988/4 (昭和63) |
竹富町と環境庁が、イリオモテヤマネコの交通事故防止のための道路標識を22本設置する。 |
| 1991/2 (平成3) |
アイガモ農法(農薬を使わずアイガモに雑草を食べさせて除去する方法)として水田に放したアイガモをイリオモテヤマネコが相次いで襲い、行政を巻き込んだ騒動となる。 |
| 1991/4 (平成3) |
環境庁のレッドデータブック(日本の絶滅のおそれのある野生生物)脊椎動物編にイリオモテヤマネコが絶滅危惧種として掲載される。 |
| 1992/4 (平成4) |
環境庁による第3次イリオモテヤマネコ生息特別調査開始(2年間) |
| 1992/10/9 (平成4) |
沖縄こどもの国で飼育されていたケイ太が死亡する。推定年令13才。死因は老衰による腎臓機能の低下。 |
| 1992 (平成4) |
仲間川の仲間橋欄干にイリオモテヤマネコの像が完成する。 |
| 1993/4 (平成5) |
林野庁によるイリオモテヤマネコ保護管理事業が開始される。 |
| 1993/9 (平成5) |
第64回日本動物学会で、DNA解析によりイリオモテヤマネコはベンガルヤマネコと近縁の種であると発表される。 |
| 1994/1 (平成6) |
「絶滅のおそれのある野生生物の種の保存に関する法律」に、イリオモテヤマネコが指定される。 |
| 1995/7/12 (平成7) |
西表島・古見に西表島野生生物保護センター開所。管轄は環境庁(現在は環境省)。 |
| 1995/12〜 1996/2 (平成7〜8) |
西表島野生生物保護センターによる、第一回交通事故防止キャンペーンが行われる。以降毎年冬期にキャンペーンを行っている。 |
| 1996/8/6 (平成8) |
交通事故に遭ったと思われるイリオモテヤマネコの雄の幼獣(識別番号W-48)が保護される。 石垣動物病院にて治療後、1996/8/31に退院して西表野生生物保護センターに戻される。 野生復帰を目的にリハビリが続けられているが、2002/4現在もまだ野生復帰はできていない模様。 |
| 1997/7/9 (平成9) |
子育て中(授乳中)と見られるメスの成獣(E-19)が交通事故で死亡。 |
| 1997/7/17 (平成9) |
E-19の子供と思われるE-25を捕獲する。 推定月齢2か月で、単独で生活するのは難しいと判断されたため、保護して野生復帰のための訓練を行うこととなる。 |
| 1998/2/1 (平成10) |
E-25の訓練を終了し、野生復帰させる。 |
| 1998/4/28 (平成10) |
E-25に取り付けた発信機の位置が動かないので調査したところ、後良川の干潟にて死亡しているのが確認された。 |
| 1999/2/1 (平成11) |
交通事故に遭い保護されていたW-48を屋外ケージへ移す。 |
| 2000/6/14 | 西表島干立の県道白浜南風見線で、衰弱していたイリオモテヤマネコのオスの幼獣(W-70)が保護され、西表野生生物保護センターにて野生復帰に向け飼育される。 |
| 2000/10/9 | 西表野生生物保護センターで飼育中のW-70が死亡する。保護当時は衰弱していたがセンターで飼育後は順調に回復しており、9月初めからは野外ゲージに移されていた。 死因は消化菅に羽毛が詰まった状態(腸閉塞)だった。 |
| 2001/3/23 | 「竹富町飼いネコ飼養条例」が成立。 条例は飼いネコにFIV(ネコエイズ)の抗体検査などを受けさせることにより、イリオモテヤマネコへのFIVの感染を防ぐもの。 |