事件簿 <ファイルNo.SS001−C>
空が白み始める頃、窓を通して朝日がライの頬をノックする。昨夜遅くまでロードショウを観ていたライは、そのままソファーで寝てしまったのだった。
ライは、だるい体を起こすと、寝ぼけ眼で頭を掻く。
「ふああぁぁぁ。・・・朝飯でも食べよう」
ライはトーストとバターを冷蔵庫から取り出し、トーストをベイクバーンの中に入れるとスイッチをONにした。
『ジジジジジジジ・・・』
ベイクバーンの熱線が熱くなる音と共に、トーストの焼ける香ばしい香りがしてくる。
「・・・・・・・・・」
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「GoodMorning、ライ!」
ライは重い瞼を開いた。そこには優しい微笑みでライを見おろすカンナがいた。
「うい?」
「ライ、こんな所で寝てたら風邪ひくわよ」
ライは辺りを見回した。いつの間にか、また眠ってしまったのだ。ふと見ると、ベイクバーンから飛び出したトーストが冷えきっている。ライは欠伸をすると、もう一度、そのトーストを焼き直すことにした。
奥のキッチンの方から、カンナの声が聞こえてくる。
「ライ、コーヒーが切れてるわね。もう買い置き無かったかしら? ・・・あ、あったわ」
ライが答える前に解決したようだ。
「コーヒー、濃いやつにしてくれ」
そう言うとライは、焼けた、というより焦げたトーストにバターを塗る。カンナは戸棚の奥からコーヒー豆を出してくると、コーヒーミルで挽き始めた。
火にかけてしばらくすると、コポコポと音を立てて、コーヒー独特のにがい香りが漂ってくる。
「はい。できたわよ、ライ」
カンナがにっこりと出来立てのコーヒーを差し出した。ライはそれを一口飲む。
「・・・おいしい」
「ほんとう?」
ライはカンナにコクリと頷いた。
「よかった〜。このコーヒー豆、古かったみたいだけど大丈夫みたいね!」
「・・・むう・・・・・・」
朝食を済ませた頃、外からミニバイクのエンジン音が聞こえてきた。そして、一階のガレージの方でエンジン音が止むと、事務所のドアを開けてブラウンが入って来る。ブラウンは昨日のことを学習してか、コートを着込んできていた。
「おはようございます! あ、カンナさん早いんですね」
「おはよう、ブラウン君。寝泊まりしてるライよりは遅いけれどね」
カンナは、にこやかに答えると、今度はブラウンの為にコーヒーカップを棚から出し始める。ブラウンはふと昨日のことを思い出すと、コーヒーを入れ始めているカンナに話し掛けた。
「カンナさん、最近物騒だから気を付けた方がいいですよ。護身術とかがあっても危険なことには変わりませんから・・・。ね、ライさん」
ブラウンは、奥の方で眠そうに二杯目のコーヒーをすすっているライに話を振った。ライは急に話を振られて、理解しているのか分からないような眠そうな顔で相づちを打つ。
カンナは心配してもらったことが嬉しかったのか、にこにこと微笑んでブラウンにコーヒーを差し出した。
「心配してくれて、ありがとう! はい、サービスよ!」
ブラウンに出されたそのコーヒーは、飲むのが困難なほどにカップになみなみと注がれていた。
「あ、ありがとうございます。・・・えと、少し考えてきたんですが、事務所に花とかを置いてみてはいかがでしょうか? お客さんが来た時の印象が違うと思いますし・・・」
ブラウンなりのアピールだろうか、その事務所の改善案にカンナは賛同する。
「そうね! でも季節柄、生花は難しいから、造花か観葉植物とかになるかもね。どう思う、所長さん?」
「んあ? あー、食べれるアロエとか良いんじゃないか? カンナに任せるよ」
ライの素っ気ない言葉に、カンナは少しふくれたが、反面不安もよぎった。カンナは、まだライが花に興味を持てるほど気持ちが戻ってないのだと感じたからだ。
ライは背伸びすると、ブラウンに話し掛ける。
「さて、今日はまず、リディのお見舞いに行こうか」
そのライの言葉に、カンナが反応する。
「リディって誰? 何かあったの?」
「ああ、ラックがいる図書館の受付の女性だけど、昨日襲われて病院に運ばれたんだ」
出発の準備をしているライから簡単な説明を受けて、カンナは不安そうに二人を見た。
「・・・そうなの。二人とも怪我とかしなかった? 気を付けてね」
「はい! 怪我はしませんでしたが、身近な人があんなになったのを見るとやはり心配してしまいます。ですから危なくなったら多少の護身術を振るうより、逃げれる時は逃げた方が良いですよ!」
ブラウンは力を込めて、説得するようにカンナに言った。そのブラウンの力説に、カンナは少し戸惑う。
「あ、ありがとう。気を付けるわ。私もそんな危ない目には遭いたくないから」
カンナはにこっと微笑むと、コートを羽織り事務所を出ていく二人を見送った。
◆ ◆ ◆
リディが収容されているマッカス病院は、市街地から外れたところにあり、その市街地や海を臨むように建っている。建物の外観は、白い四階建てで良く見受けられるような作りだ。
その病院の駐車場に一台のジープが停まると、コートを羽織った二人の男が降りてきた。ライとブラウンである。二人は病棟に入ると、リディの病室を聞くため、近くのナースステーションを訪れることにした。
ふとナースステーションの方から、ばからない大声で、中年看護婦達の話し声が聞こえてくる。
「昨日はびっくりしたわよね〜。女の子が入院したかと思ったら、その付き人の男性がドクターにお金を握らせて『これで助けてやってつかー、足りなかったら今度カジノスロットの良い台、教えるけん』だって!」
「そうそう! それにその女の子の手術代も肩代わりするって手続きしてたわよね! ただ事じゃないわよ! 年齢差もあるし、禁断の恋よきっと!」
話に飢えた中年看護婦達は、話に花を咲かせていた。話の盛り上がりに、なかなか声が掛けづらい。
やっとの思いで会話に割って入り、リディの病室を聞き出すことができた。看護婦達の興味の視線を一斉に背中に感じながら、二人は足早に病室へと向かう。
教えられた病室に入ると、異様に大きないびきが聞こえてきた。見るとリディのベッドに、ラックが頭を突っ伏せて寝ているではないか。しかも流れ出るよだれで、シーツは見て分かるほどに湿っていた。
片やリディは、意識は無いが、生命維持装置と酸素吸入マスクを付けて、少し苦しそうにベットに横たわっている。
その少し苦しそうなのは、ラックのいびきの為かどうか分からないが・・・。
「何をしているんですか! リディさんが苦しそうですよ」
ブラウンは慌てて、ラックを揺り起こした。ラックは目を覚ますと、寝ぼけ眼でよだれを拭う。
「おぉ? すまねぇすまねぇ」
ラックが背伸びをするのを待って、ライが話し掛ける。
「リディは意識が戻らないままか? 手術は成功したみたいだが・・・」
「あ〜。まだ目ぇ覚まさねぇな」
ラックは、ぼさぼさの頭を掻いた。ブラウンがナースステーションでの事を思い出して、まだ寝ぼけ眼のラックを注意する。
「リディさんの事ですが、あんまり医者にお願いしすぎるとプレッシャーになって、かえってやりづらくなったりするんじゃないでしょうか? 今は犯人を警察より早く見付けだして、ボコボコにする事を考えましょう!」
「お、おお!」
昨夜と違い、勢いのあるブラウンの言葉に驚きつつも、犯人を捕まえるという意見に拳を握りしめて同意するラックであった。
「それでお願いがあるんだが、図書館で昨日の調べ物の続きをさせてもらってかまわないか?」
ライのお願いに、ラックは自分の胸を叩いて応えた。
「微力ながら手伝うけん。ところでライ、リディの為にベッドを作ってやろうと思うけん、どんなデザインが良いかいのう?」
「介護用ベッドか? まだ必要ないだろう?」
ラックの外見に反する人の良さに、ライは苦笑いした。その二人の会話の中、ブラウンは少し考えていたが、考えがまとまったのか、ラックに話し掛ける。
「ラックさん、図書館での調べ物は俺達でやりますので、ラックさんには引き続きリディさんの看護とボディガードをお願いします。仕留めそこなったリディさんに、また襲ってこないとも限らないので念のために!」
「お、おお! よっしゃ、そういうことなら、まかさんかい!」
ラックは目を輝かせて応えた。そしてポケットから携帯電話を取り出すと、ライに向き直る。
「んじゃ、図書館の方には、おいらから連絡しとくけん。で、ライよぉ、ボディガードするのにどんな奴が怪しいか教えてくれい」
「それは・・・なかなか難しいな。怪しい奴を見付けるよりも、リディの側を離れないことが一番だ。そうすれば犯人も簡単には襲ってこないだろう。あぁ、それから病院内では携帯電話の使用は止めといた方がいい。院内の機械に影響をおよぼしかねないから」
ライの言葉に、ラックは携帯電話を慌ててポケットに仕舞った。
そしてリディの見舞いを済ませると、ライとブラウンは病室を出た。駐車場へ向かうライは、ブラウンを一瞥する。
「ところで、ブラウン君は朝からずっとグローブをはめてるようだけど、それは何か意味あることなのかい?」
「これは・・・、殴ったりした時に拳を壊さないようにです。一応、武道の心得のある者として当たり前の事ですよ」
そう言って、ブラウンは両手にはめた革のグローブを見せた。
「俺、学生の頃から通ってるんです。【Hell&Heaven】というスポーツジムのビルがあるんですが・・・」
ブラウンが口にしたそのジムの名前を聞いて、ライはあるCMを思い出した。
「H&Hビルにあると言えば、『もりもり鍛えよう大胸筋!』で有名な【G−Cup】か?」
「いえ、それはボディビルクラブです。俺は空手の【剛力会館】の方です」
「・・・そうか。空手を習っているのか」
ライは改めてブラウンを見た。温厚そうなブラウンだが、確かに体格は良い。ブラウンにも意外な一面があるのだと、ライは感心した。
今朝からのブラウンの言動を見ると、初日とはだいぶ違うことに気付く。昨夜の事件がきっかけだろうか、ブラウンの意気込みを感じ、ライは頼もしささえ感じ始めていた。
だが、ブラウンは探偵見習いとして始めたばかり。ライは、ブラウンに負けぬよう気を引き締め直すと、ジープに乗り込むのであった。
◆ ◆ ◆
さやか達がコンバットロード銃工屋を出た頃、空は曇り始めていた。日差しが雲に遮られ、吹く風が寒さを増している。
護身用銃を購入したさやかは、今朝仕上げた原稿のことを思い出していた。アルバイト先への提出締め切り日が今日なのである。
「トニーさん。私、小説の原稿を提出しないといけないので、出版社に連れていってもらえますか?」
「ええ、それは構いませんが、その原稿提出はFAXとかではダメなんでしょうか? できるだけ外出を避けたいと思うのですが・・・」
トニーの言葉に、少し間をおいて、さやかは申し訳なさそうに答える。
「それが・・・、原稿だけならFAXやメールでもいいんですけど、イラスト等の資料もあるので、直接持っていかないといけませんので・・・」
さやかの申し訳なさそうな顔に、トニーは快く了承した。そして、車のエンジンを掛ける。三人は一度、原稿を取りにさやかの家に戻ることにした。
家に戻ると、さやかは小走りで家の中に入っていく。そしてすぐに大きい封筒を手に出てきた。その封筒の中に原稿やイラスト等が入っているのであろう。
「お待たせしました。あら、トニーさんは?」
さやかの問いに、ボブが指を差して答える。
「さっきの車を車庫に入れてるぜ。同じ車だと狙われやすいからって今度は彼自身の車で行くみたいだ。俺より用心深いな。彼の方がボディガードに向いてるかもな」
そう言うと、ボブはガハハと笑った。トニーは車庫に車を入れると、今度は車庫脇に停めてあった別の車に向かう。車幅が独特に広い四輪駆動車【HUMMER】だ。
「ん? あれが彼の車か? ハマーとは随分良い趣味じゃないか!」
ボブが感嘆する。【HUMMER】とは軍用車を民生用にした車だが、内容はほとんど軍用車と変わらない。悪路も難なく走破してしまう世界最強と言われる車である。
トニーは、何やら小型の計器を取り出すと、ハマーを入念に調べ始めた。
「どうしたんだ?」
ボブがいぶかしげにトニーに話しかけると、ごついハマーとは対照的な細身を屈ませながら、発信機等の不審物が無いか調べているのだと答えた。ボブは思わず吹き出してしまった。
「ガハハ! こいつは凄い! 絶対俺よりボディガードの素質あるぜ!」
ボブは大きく笑うが、すぐに真顔に戻る。
「しかし、彼はいったい何者なんだ? 本当にただの運転手なのか?」
「・・・トニーはきっと、慎重を期しているんでしょう」
ボブの問いにどう答えて良いのか分からず、さやかはそう答えるのであった。
◆ ◆ ◆
一台の四輪駆動車が、市内中心部へと走っていた。車は繁華街を逸れると、ビルが建ち並ぶオフィス街へと入っていく。
「さやかお嬢さん、以前にもお聞きしましたけど、やっぱり狙われてる心当たりとかは無いですか?」
トニーは、出版社に向けハマーを運転しながら、後部座席にボブと座っているさやかに話し掛けた。そのトニーの問いに、さやかは少し考えながら答える。
「父が、ああいう仕事をしているので、そういう可能性も否定はできないですね・・・。それに、私のしている、あの仕事も・・・」
そう言うと、さやかは車の窓から外を眺めた。曇っていた空は、だんだん厚い雨雲に変わり始めている。
「雨が降ってきそうだな。夜は冷え込みそうだぜ」
車窓を覗き込んだボブは身震いすると、ハマーの乗り心地を楽しむように、座席に座り直した。そして手にしていた残りのハンバーガーを口に押し込むと、ボブは少し遅めの昼食を取り終える。
その横では、さやかはあまり食欲がないのか、サンドイッチがほとんどそのまま残っていた。
間もなくしてトニーの運転するハマーは、オフィス街の一角に到着した。週刊ポスジムを発刊する出版社のビルだ。
ビル内の駐車場に止めると、さやかは受付でいつもの様に身分証の確認を行った。確認が取れた後、ふとトニーが二人に耳打ちをする。
「自分は一緒に中に入っていくふりをして、車の中で隠れておきます。不審者が車に何か仕掛けたり、駐車場でさやかお嬢さんを待ち伏せしたりするかもしれませんので。戻ってきましたら、携帯電話に合図してください」
そう言うと、トニーは自分の携帯電話の着信音を鳴らないように切り替えた。さやかとボブは、突然のトニーの行動に戸惑いの色が隠せない。
二人は戸惑いながらも、トニーを残して駐車場を後にした。週刊ポスジムの入ったフロアに向かう途中、ボブはまた、さやかに同じ質問をしてしまう。
「彼は、いったい何者なんだ?」
さやかは足を止めると、暫く考えだした。そしてゆっくりと顔を上げると、ボブに予想外の言葉が返って来た。
「編集部内にいる間は安全なので、トニーの事を見張っていてください」
ボブは驚きの表情をするが、さやかは構わず小声で話を続ける。
「用件が終わると携帯電話で呼びますので、それまでトニーの安全と警戒の意味から、彼の見張りをお願いします」
ボブは混乱し始めた角刈りの頭を抑え、さやかに確認する。
「怪しいって、彼は君のボディガードじゃないのか? それにボディガードがボディガードをボディガードするのかい?」
謎掛けのような言葉に、ボブ自身も訳が分からなくなりそうだ。
「あたしが、身内の人に狙われたりって事もあるでしょ? トニーの事だって100%絶対に安心って、信用しきっている訳じゃないから・・・」
さやかは少し寂しそうな表情をした。そして一息付くと、話を続ける。
「あたし、普段している仕事以外のもう一つの仕事をやっているせいか、どうしても人を信用するのが怖いの・・・。却って、全くの他人である貴方の方が安心できる場合もあるわ。ボブさん、その内あたしの言っている言葉の意味が、分かる時が来るわ・・・」
そう言うと、さやかは深いため息をついた。その彼女の青い瞳は、暗く沈んでいるようで、小柄な体がより小さく見える。
ボブは、さやかの言ったことが理解し難かった。ボブは理解しようと考えるが、余計混乱する。
「もう一つの仕事? よく分からないが、そこまで言うなら引き受けよう。君を一人にするのは気が引けるが・・・。何かあったらすぐに知らせるんだぜ」
ボブは考えるのを止めて、駐車場へ向けて踵を返す。
「頭から煙りが出そうだぜ・・・」
そう呟くと、ボブは大きい体を揺らしながら駐車場へ戻って行った。
◆ ◆ ◆
さやかは、原稿の入った封筒を握り締めると、週刊ポスジムの編集部へ入って行った。
入ると、事務机が整然と並べられ、各机にはパソコンを囲むように資料が山の様に積み重ねられている。資料に占拠されたその机の僅かなスペースで、記者や編集者達が忙しそうに仕事をこなしていた。
その人々の中から担当者を捜そうと、さやかは見回す。
「あら、さやかちゃんじゃない! 今日はどうしたの?」
不意にさやかに声が掛けられた。その方向を見ると、黒いライダースーツに身を包み、大きな一眼レフカメラを持つ女性が立っていた。さやかの父、アーネストと共に仕事をしたこともある女性記者のロザリー・ベンツである。
「ロザリーさん、こんにちは。今日は、お仕事の原稿を届けに来たんです」
「あら、そうなの! さやかちゃんの小説、また楽しみに読ませて貰うわ! しかし、いつ見ても若いって良いわね。お肌なんかつやつやで・・・」
ロザリーの羨ましそうな視線に、さやかは後退りする。
「ロ、ロザリーさんも綺麗じゃないですか。羨ましいです」
「あら、私は化粧でごまかしてるのよぉ。30歳を超えると大変よぉ」
ロザリーは距離を縮めるように一歩前へ出た。そのロザリーの絡まるような視線に、さやかは更に後退りしながら、話題を変えようとする。
「えっと、父はやっぱ取材でいないですか?」
「そうねぇ。確かブルー・ダイヤの取材が終わって・・・、今はチャーリー事件を追ってメリーランド州へ行ってるはずよ。彼も大変ねぇ」
そう言うと、ロザリーはハッとする。
「いけない! 約束の取材に遅れるわ、それじゃまたね!」
ロザリーは机の上に置いてあった自分のバッグを掴むと、バタバタと慌ただしく出て行った。それを見て、さやかはくすっと笑う。
そのさやかを見付けてか、奥の方に机を構えている男性が、さやかに手を振った。タバコをくわえ、少しハンサム風な三十過ぎのこの男性は、さやかの担当編集者であるエリック・リーチだ。さやかは会釈すると、エリックの元に向かった。
「よお! 待ってたよ〜。この前、健康増進法の施行やらで喫煙者はこの隅っこに追いやられたんだ。喫煙者は益々肩身が狭いよ。おっと、原稿はそれかい?」
エリックはタバコの火を消しながら、さやかから原稿の入った封筒を受け取ると、原稿を確認する。そして確認後、机の引き出しから、もう一つの封筒を取り出した。
「原稿料はいつも通り口座振り込みにしとくよ。それから、これは君に頼まれてた次回の小説用の資料さ」
エリックから封筒を受け取ると、さやかは礼を言った。
「いいって、いいって! それより今度、一緒に食事でもどうだい?」
そう言ってさやかにニコッと笑いかけ、デートを誘うエリックは、実は妻子持ち。
「そうね〜、それもいいかも知れないわね・・・。今度、編集部のみんなで一緒にパーティしましょう! たまには息抜きも必要ですよね!」
さやかはエリックが妻子持ちなのを知ってか、それとも趣味に合わなかったのか、そう言って遠巻きにデートの誘いを断った。
自分の仕事が一区切りついたさやかは、軽く挨拶をして編集部を出ていく。編集部を出て、さやかは周囲を確認すると、人目のつかない廊下の隅で携帯電話を取り出した。
ボブに電話を掛け、今から戻ることを伝えると共に、見張っていたトニーの様子を確認する。トニーについて、電話の向こうでボブが言うには、特に怪しいところも無かったようだ。
間もなくしてボブと合流したさやかは、車で待っているトニーにも戻ることを伝えた。
片や車内で自分の装備を見直してたトニーは、連絡を受けるとハマーから降り、不審人物がいないか周囲を確認し始める。ボディガードをする上で、それは当たり前のことかもしれないが、その装備や随分な念の入りように、とてもただのお抱え運転手とは思えない。
そんなトニーに、ボブとさやかは安心感よりも不安感を募らせていく。その二人の懸念を感じていないのか、トニーは変わらぬ表情で二人を迎えると、さやか邸へ戻るようにハマーのエンジンを始動するのであった。
◆ ◆ ◆
リディの見舞いを済ませたライとブラウンの乗ったジープは、図書館の駐車場に止まった。二人は寒さに身を縮めながら、図書館の受付に向かう。
館内に入ると、受付には一人の老人が座っていた。髪は白髪で、シワが深い細身の男性だ。何があったのか知らないが、不機嫌そうにそっぽを向いて、館内に備え付けられたテレビに見入っている。
ライが老人に声を掛けると、こちらを向いて目をしぼめた。ライは、ラックに資料室の使用をお願いしてあったことを伝えると、老人はいきなり管を巻き始める。
「ラックのヤツはどこで何やってんだ!? まったく、管理人に受付をさせるとは、後でこってりしぼってやらなきゃな! これが資料室の鍵だ。館内の備品は壊さないように頼むよ!」
そう言って鍵をライに手渡すと、老人はまたテレビに見入る。テレビを見ていた老人は、不意に胸ポケットから何かのチケットを取り出すと、舌打ちして破り捨てた。
「今日のレースは全滅だ!」
愚痴をこぼし始めた老人を後に、ライとブラウンはそそくさと資料室へ向かった。
資料室に着くと、先程借りた鍵で扉を開ける。中に入ると、昨日のままの状態で資料が山積みにされていた。ライは気が重そうに小さいため息をする。
「ちょっとコーヒーでも買ってくるよ。ブラウン君はミルクとシュガーはどうする?」
「ミルクもシュガーも入れて下さい!」
元気良く返事をしたブラウンは、そのうんざり感を吹き飛ばすように、気合いを入れて資料を探し始めた。
◆ ◆ ◆
空を覆い始めた厚い雨雲のお陰で、昼間だというのに辺りは薄暗い感じを受ける。その空から吹き下ろす湿り気を含んだ風は、何だか気持ちを重くさせるようだ。
雨を懸念してか、公園を後にする人もいれば、かまわず遊んでいる子供達もいる。コーヒーを買いに行くと言って図書館を出てきたライは、その中を歩いていくと、誰も座っていないベンチを選んで腰掛けた。
ライは、腕時計で時間を確認すると、考え事でもするようにぼーっと公園内を眺める。ふと新聞を手にした初老の男が、ライの横に腰掛けた。情報屋のストーカーだ。
ストーカーは新聞を広げると、ライにだけ聞こえるように話し始めた。
「旦那、実は、スミソニアン博物館からある資産家に展示物がいくつか貸し出されていたことをご存じですかぃ?」
ライは公園内に目を向けたまま、考えるように口元に手を当てた。ストーカーは、ライの返事を待たず、また話し始める。
「ある資産家が巨額の資金を提供する代わりに、貸出を要求してたらしいですな。で、輸送中に輸送車が事故に遭い、いくつか展示物が流出したようですぜ」
ストーカーの話がライの耳に入るが、周囲に悟られぬように相づちは打たなかった。
「その中には、あの世界最大のブルー・ダイヤと呼ばれる【ホープ・ブリュー・ダイヤモンド】もあったとか。で、本物を探し出すまで、博物館には偽物が飾られているって話でさぁ」
ストーカーは、新聞をめくりながら話を続ける。
「その紛失物の中に、【祭祀のローブ】と呼ばれるものがありやしてね。その飾りボタンの模様が、それにそっくりなんでさぁ。調べるのになかなか骨が折れやしたぜ旦那ぁ」
口元に当てたライの指がピクリと動く。
「今、分かる情報はそんなところですぜ。報酬はいつものように頼みますぜ、旦那ぁ」
そう言いながら、ストーカーは新聞を折り畳むと白髪交じりの頭を掻いた。そして欠伸を一つして立ち上がると、木枯らしの中をヨタヨタと去ってく。
ストーカーの去った後、ライはベンチに腰掛けたまま、考えを巡らせた。少しの間の後、ライは顔を上げる。厚い雨雲に覆われ始めた空を見上げると、ライは足早に公園を去って行った。
▼ 継続 ▼
Update:2003.08/09