Electoric Season






 次の夏が来たら、尋ねようと思っていた。






「処理済みがこちら、こっちが残件だ。もっとも明日の会議でこれは倍になるだろうがな」
 さらりと言ってのける赤騎士団長の涼しい顔に、青騎士団長は素直に顰めた顔を向けた。
 机の上に積まれた書類の束、一日二日でこなせる量ではない。そんなことは持って来たカミュー本人だって十分承知の上だし、積まれたところですぐにこれを片付けられるとはマイクロトフも思っていなかった。
「戦乱の後だ。しばらくは仕方がない」
「全くだが、ロックアックスに戻った途端これとはな。カミュー、お前手は抜いてないだろうな?」
「冗談、私はこれに加えて人使いの荒い同盟軍軍師の元を往復しないとならないんだぞ。デスクワークと面倒な式典くらいはお前に頑張ってもらわないとな」
「くらいは、とは何だ」
 ふくれたマイクロトフにカミューは瞬きひとつ、その瞳を開くと同時に優雅に細めて艶やかに微笑んだ。
 薄く開いた口唇の間から歯が少しだけ覗き、マイクロトフもそれに釣られるように顔を綻ばせる。
 戦の最中、幾度か過ぎた季節は春を迎えていた。
 まるで嵐が去ったように人々は以前の笑顔を取り戻しつつあるが、その裏に深い傷跡が残っていることは当事者として戦いに参加した赤・青両騎士団長のカミューやマイクロトフとて例外ではない。
 少しでも癒せるように、癒されるように、ロックアックス城に帰城してからというもの多忙な日々が続いていた。
 新緑が珍しくなくなったこの時期、徐々に蒸し暑い空気が近付いていた。
 季節が変わろうとしていた。






 秋になる頃には、冷静に話を聞いてやろうと思っていた。






 ノースウィンドウの夏よりは大分熱が和らいでるとはいえ、故郷の久しぶりの暑さにマイクロトフも思わず襟を緩める。
 カミューに言わせれば「正すところは正し、崩すところはきちんと崩す」のだそうだ。そうすればだらしなく見えることはないのだと。
 屁理屈のような彼の持論だが、カミューがその通りに行動すれば成る程納得せざるを得ない。少なくとも彼がだらしない格好を人目に晒すようなことは今までなかったからだ。
 そう諭されても、しかしその通りにできないのがマイクロトフである。暑さに思わず渡り廊下で立ち止まり、指先で緩めた襟を少し開閉させた。温い風が首に当たる。
 カミューは夏が来た今も忙しく飛び回り、人を繋いで政策を統一する場へマチルダ騎士団の代表として、訪問を欠くことを許されない立場にあった。
 勿論その隣にマイクロトフが立つこともしばしばあったが、数字を引き合いに出しての話し合いでは圧倒的にカミューのほうが適役だった。外交、と形容するのはいささか語弊があるかもしれないが、この面ではマイクロトフもカミューに一任せざるを得なかったのである。
 疲れた素振りを見せない彼に、心配する振りも見せないようにしているマイクロトフは、青く住んだ空の向こうで今日も忙しく動いている彼の人の姿を追った。
 ……夏が来たら、何か話してくれるかもしれないと思っていた。
 まだ時間は残されているのだろうか。……秋まで待ってみよう。






 冬が訪れたら、強引にでも「ついて行く」と告げるつもりだった。





 通り過ぎる風の温度がぐっと下がり、髪を抜けていったその先を振り返ってマイクロトフは襟を正した。
 建物の復旧も進み、町並みは以前の古き良き景色に近付きつつある。
 だが一歩城の外に出れば、様々な境遇に突き落とされ恨み言を投げかける連中は幾らでもいた。
 購入したばかりのワインを抱いて、マイクロトフは強くなった風に逆らうように歩き始める。カラカラと乾いた音を立てて枯れ葉が転がって行くのを横目で追い、近頃デスクワークの多くなった赤い騎士服の友人の元へと急ぐ。
 肌で秋を実感する頃から、彼の目は遠くを見据え始めていた。直感でその時が来ることを理解していたマイクロトフは、目に見えるその微かな動きに安心と動揺を胸に留めておかなければならなかった。
 彼は西を見ているのだ、その視線の先に空しかなくとも、マイクロトフはそのことを事実として受け止めていた。
 だからこそ半年も前から来るべき“時”に備えて心を準備させていたのだ。
 告げられたら、無理矢理にでも同行を申し出るのだ。――今までやきもきさせられたお礼だと言わんばかりに、マイクロトフは強い意志をぶつけるつもりだったのだ。
 ようやく穏やかに暮らせる時期が近付いている。あと5年もすればそんな年になる。後進に力を注ぎ、自分達の時間を作ることが今よりも容易になるはずなのだ。
 その頃になれば、今よりずっと素のままでいられる。
 ……そう思っていたのに。
「おかえり、寒くなかったか?」
 仄かに暖めた部屋の中で、主が走らせていたペンを止めて立ち上がった。
「一息入れたらどうだ。主人の勧めを同席させるから」
「いい色だ、お言葉に甘えるかな。待ってろ、厨房からチーズをくすねてくるよ」
「怒られるぞ」
「たまにはいいだろ」
 悪戯っぽい彼の笑顔、見送ってマイクロトフは上着を1枚脱ぐ。
 窓がかたかたと揺れ、今夜は少々荒れ模様になりそうである――彼の残した書類に視線を取られながら、ささやかなパーティーの準備を始めたマイクロトフは、その場所に異国の薫りを感じることがなく内心ほっとしたのだった。
 けれど振り向くまでのほんの一瞬、確かにカミューは西の空の下を歩いていた。





 春になってしまったら、黙って見送ろうと思い始めた。





 初雪の早い年だった。
 冬を知らせる雪虫が姿を消したと同時に、ロックアックスの城に白い雪が降っては溶け、溶けては積もり、また降っては積もり……繰り返す息も真白な冬の夜、窓の外を眺めていたカミューがぽつりと漏らした。
「乾いた雪だ。美しいな」
 部屋の主であるマイクロトフは、その言葉に報告書から少し目を話して顔を上げた。
「積もりそうか?」
「そうだな、このままいけば。風もないし、軽い雪が膝までってところかな」
「解説めいた口調だな、カミュー。雪は嫌だとあれほど言っていたのにな」
 皮肉っぽい笑いを含ませたマイクロトフの声に、カミューは額に垂れた前髪をはね除けるように振り向いた。
「嫌なのは湿った重い雪さ。明日はきっと除雪が楽でいい」
「ならば赤騎士に担当してもらおうか」
「早朝訓練のついでだ、青騎士がどうぞ」
 マイクロトフは軽やかに返答するカミューの様子に思わず声を出して笑った。
 雪が嫌いなカミュー。彼は寒いからとその理由を答えていたが、本当は違うのだろう。
 この土地の雪は全てを覆い隠す。彼の見たいもの全てを隠して、そうしてしばらくの間断絶した白銀の世界で何もかもを凍りつかせるのだ……。
 けれど彼は冬が好きだ。閉ざされた雪の壁が落ちれば、そこにやってくるのは春の緑。
 行くのだな、と分かっていた。けれど口にはできないままだった。
 随分前から察していたのに、彼はその素振りを見せようとしなかった。……きっと、その時が来る直前にひっそりと伝えるつもりなのだろう。もしくは何も残さずに。
(それは嫌だ)
 嫌だと言う気持ちはある。だからこそ今までその瞬間に怯えていた。マイクロトフは笑顔を見せながら冷めたように瞳を細めている自分に気がついた。
 けれど時間が経ち過ぎた。あったはずの心の余裕がなくなって、今自分がすべきことは黙って彼を見送ることだと思い始めた。
 何て性に合わない役割。何て臆病な引き際。
 それだけ待ち過ぎた。――季節が変わるごとに、次の夏は、次の冬はと想いを堪えて彼の言葉を待っていたのだ。
(待ち過ぎた)
 ならば最初から問いつめるべきだったのだ。迷ってしまえばそれまで、後は反応を恐れるのみ。
 怖くてたまらない。
 けれど引き留めてはいけない。
 留めるには待ち過ぎたのだ、この冷たい冬の訪れる草木の枯れた故郷に彼を留めるには……




 待ち過ぎてしまった。
 期を逃した。
 後は黙って見送らねばならない、
 いいや、言わなければならない、別れの臭わぬ別れの言葉を。






 そうして時は過ぎて再び春を迎え、混乱はほぼ終局に近付きつつあり懐かしい景色が帰って来た。
 溶けた雪の下から現れた草の芽たちにカミューは優しく微笑み、周りに知らせないまま身辺の整理を続けていた。
 このまま季節は彼がこの土地にやってきた夏を呼び、その次の夏は彼と過ごすことはできないかもしれない。――マイクロトフは今日こそは明日こそは、もしかするとカミューから打ち明けられるのかも知れないと身構え続けて更に時が過ぎる。
 空気は熱を含み始めた。
 風が強さを増した。
 また夏が来る。





 次の夏が来たら、こう言葉をかけるのだ。
 「行ってこい」、と……








 夜毎練習するように繰り返したさよならの言葉。
 自分に似合わないシュミレーションを何度したか分からないが、きっといつその時が訪れても不意打ちだと感じただろう。
 珍しく蒸し暑い夜だった、カミューが訪ねてきたのは。
 ああ、とうとうだ、とマイクロトフはすぐに察した。
 カミューは寂し気に笑顔を浮かべていたが、勧められたソファに腰を降ろすと少しだけ真面目な顔になった。
「俺も行くぞ」
 カミューの表情が凍った。
 マイクロトフは何が起こったのか分からなかった。今のが自分の声だと気がつくのに多少の時間が必要だった。
 驚きを確かに顔に表しているカミューに、表情だけは平然と、心の中では爆発しそうな恐れと不安が入り乱れ、マイクロトフはしばらく口を開くことができなかった――カミューには、マイクロトフがカミューの反応を待っているように見えただろう。
「お前は不意打ちには弱かったな。だがお前の今の行動も充分不意打ちだと思うぞ」
「……、違うよ、私が弱いのはお前の不意打ちだけだ」
「気づいていないと思ったか?」
「……情けないけどその通りだ。誰にも悟らせないつもりだった」
 マイクロトフは静かに笑った。自分でもここでどうして笑顔が出てくるのか分からなかったが、酷く自然に笑ってみせた。
「俺も行くぞ、カミュー。」
 もう一度繰り返した言葉は、頭の中で鳴り続ける警鐘を跳ね返す力を持っていた。
 違う。そうじゃない。
 そうじゃないはずだ、言おうと思っていた言葉は、言わなければならない言葉は。
「勘違いするなよ。前々から報告を受けていた盗賊の存在も気になるし、グラスランドとの交易についても今後考えなければならないことが沢山ある。一度訪れなければと思っていた」
「マイクロトフ、私は」
「この城も大分落ち着いた。長期休暇のつもりでたまに骨休みしてもいい頃合かと思っている。心配するな、仕事は整理してある」
 カミューは背凭れに深く体重を預けて天を仰いだ。
「……まさかお前がここまで言うとは思わなかった」
「褒め言葉と受け取っておくぞ、一応。……で、いつ発つ」
 カミューは口唇を引き締め、マイクロトフを見た。何事か考えている顔つきだった。
 そのカミューの目をマイクロトフは正面から見据えた。まだ心では葛藤と混乱が続いている。そんな素振りを微塵も感じさせない強い意志を持つ視線だった。
「……明後日までにはここを離れる。来れるか」
「無論」
 口が勝手に動いていた。

 描いていたシナリオは全てぶち壊しになり、そのことをカミューにさえ感じさせない自分がいる。
 こんなはずじゃなかった。こんなふうにするつもりじゃなかったんだ。
 タテマエの言葉を覆す、情けない程率直で貪欲な本音。
 未だカミューは夢を見ているような顔をしている。
 ところが、その目がふいに瞬きひとつ、その瞳を開くと同時に泣き出しそうに微笑んだ。
 ――ああ、そうか
 マイクロトフも思わず眉を歪めた。
 ―― 一緒にいたかったんだ
 それだけのこと。
 たとえこの地に一人で戻ることになろうとも、未来のことなど考えても無駄なほど今が全てなのだ。




 照りつける太陽の視線の下、今日も風は季節を巡り行く。
 乾いた砂を越えればそこは生命が生きる緑の土地。彼の産まれた場所、彼の育った場所。
 今一度、その笑顔に導かれよう。
 熱い風が通り過ぎてゆく。

 夏が終わろうとしていた。







暑中お見舞い申し上げます。
相変わらず芸のないED後、暑苦しいSSで申し訳ないですが、
夏の御挨拶として目を通して下されば幸いです。
これからものんびりカミマイでやっていきますので、
思い出した頃にたまに遊びに来て下さると嬉しいです。
それでは皆様、暑い中お体にお気をつけ下さいね。

2002.08.08 蒼玻玲拝

↑またこれも当時の文のまま。
暑中=暑い=暑苦しいという図式が
私の中であったのだろうか。
しかしどんだけED後を書いたのだろう。