銀の約束








 胸の奥の疼くような痛みを抱えているよりも、どす黒い血を吸い切れ味の鈍った剣の切っ先で肉を抉られる方がどれほどマシかと気付いたのは、いつ頃からだっただろう。








 ***








 流れの早い灰色の雲が、時折丸い月を隠しながら空を駆けて行く。
 野営地には複数のテントがひっそりと並び、絶えず焚かれ続ける炎の灯りが見張りの顔を赤黒く照らしていた。
 眠る前の景気づけと騒いでいた騎士たちの声も今は静まり、明日のために体力を温存する時間になっている。
 炎に照らされてゆらゆらと不気味に色づくテントの影から現れた赤騎士団長カミューは一人、供も連れずにいくつかのテントの脇をすり抜けていった。
 平騎士たちが眠るテントの一群を抜けて、少し離れたところにひときわ作りの大きなテントが立っている。
 天にはマチルダ騎士団の旗。そして青騎士団のタペストリー。
 カミューは迷うこと無くそのテントに近寄り、声すらかけずに中に入った。


 人の気配に振り向いた青騎士団長マイクロトフは、現れたのがカミューと分かると、鬱陶しいとでも言いた気に目を細めた。
 カミューもまた、僅かに眉間に皺を寄せ、裸の上半身に仰々しく包帯を巻いているマイクロトフに怪訝な視線を送る。
「掠り傷だと聞いていたが?」
 ため息混じりにカミューが尋ねると、マイクロトフはぷいとカミューから目を逸らした。
「聞いての通りだ。ほんの掠り傷だ」
「私にはそうは見えないけどね」
「お前の目が悪いんだろう」
 カミューは肩を竦め、やれやれとテントの奥に足を踏み入れる。
 腰に下げていた剣を下ろし、粗末なベッドに腰をかけて剣を磨いていたマイクロトフの隣に腰を下ろした。
「怪我をしたなら早めに連絡をくれないか。寿命が縮むだろう」
「怪我というほどでもない。この程度の傷で寿命が縮むと言うならお前は早死にするな」
「言ってくれるねえ。お前と言う奴は本当に心臓に悪いよ」
 呆れたようなカミューの口調にも、マイクロトフは動じない。
 カミューに口答えする間も剣は丁寧に磨かれ続け、昼に散々血飛沫を上げた名残など欠片も見られないように、銀のように輝く切っ先は美しかった。
 マイクロトフは磨き上げた剣をすっと地面に垂直に掲げ、上から下まで視線を走らせる。それから満足げに目を伏せて、剣を鞘に収めた。
 一連の動作を横で見ていたカミューは、その真直ぐな横顔からじっと目を逸らさずにいた。
「……俺を射殺す気か」
 ふと、剣を見つめたままだったマイクロトフが、カミューを振り返りもせずに呟いた。
 カミューはすぐには答えず、何の話だとでも言うように軽く首を傾げてみせる。マイクロトフは相変わらず顔を向けようとしないが、気配でカミューの仕種は感じているだろう。
「お前の目はタチが悪い。恐らくは、お前が思っている以上に多弁だと思うぞ」
「……私はどういう意味でその言葉を受け取ればいいんだろう?」
「口は口でしらばっくれる。お前という人間は本当にタチが悪い」
 吐き捨てるようにそう告げたマイクロトフは、ようやく剣から手を離し、ゆっくりとカミューを振り向いた。
 その黒く澄んだ瞳を真直ぐにぶつけられて、カミューは気取られないように息を呑む。
「……お前をよこせ」
 マイクロトフはきっぱりと開いた目のままで口唇を開いた。
「まだ戦の熱が冷めん。このままでは眠れない」
「……、傷に障るんじゃないのか」
「血の気が多すぎて困っているくらいだ。少し抜くくらいで丁度良いだろう」
 しれっとそんなことを答えるマイクロトフに、カミューも降参したフリをした。
 本当は、お互いに分かっているのだろう。
 カミューが訪れてくることも、マイクロトフがこんなことを言い出すことも。
 そして、カミューがそれに答えないはずがないことも、長いつきあいの二人には分かり切っていることのはずだった。




 厚みはあるとは言えただの布切れ。
 テントの中で声を出せば、それなりに外へ響くことは承知の上。
 さほど離れていない場所には見張りの騎士が番をしている。
 青騎士団長のテントに入って行ったきり出て来ない赤騎士団長を、気にしているのかいないのかなんてことまでは気遣ってやる余裕もなく。
 狭くて硬い簡素なベッドが、ギシギシと引き攣れるような悲鳴を上げていた。
 体格の良い男二人が乗っかっているのだから無理もない。
 四つん這いになって地を睨み、シーツを掴む無骨な指を、カミューが上から包むように手を重ねた。
 引き締まった背中に巻かれた包帯。隆々とした胸に部分にはすでに血が滲んでいるに違いない。
 マイクロトフが掠り傷と言った剣による切り傷は、恐らくぱっくりと口を開けているのだろう。
 流れる汗が包帯に染みて傷に触れているかもしれない。カミューはマイクロトフを揺さぶりながら、ああ、この後包帯を締め直してやらなければならないな、なんてことを考えていた。
 身体を重ねるのは初めてではない。それどころか、いつからこんな関係になったのかもいまいちはっきりと思い出せない。
 そして、セックスの最中はなるべくお互いに集中しないようにする。暗黙の了解。どちらかがより深い部分に引き込まれてしまうと、二度と這い上がってこれないことはよく分かっているから。
 だから、たまにカミューがマイクロトフを試そうと、
「……マイクロトフ」
 喘ぐ息に紛れて、耳に密やかに口唇を寄せ、
「……あい、し……」
「――カミュー……」
 その言葉を囁こうとしても、荒い呼吸の向こう側からそれを制止する声が届く。
「よせ……。“まだ”……、ダメだ……」
 熱に浮かされたような声で、軽く首を横に振りながら、マイクロトフはカミューの言葉を留める。
 カミューは苦々しく微笑んだ。
 マイクロトフの耳たぶを乱暴に噛み、腰を強く打ち付ける。
「っ……!」
 ぐっと頭を低く下げたマイクロトフが、呻き声を堪えて肩に力を込めた。
 盛り上がる筋肉の美しいラインを見下ろして、カミューはひたすら腰を揺らし続ける。
 後はもう、精を吐き出してしまえば充分だとばかりに。


 “まだ”駄目。
 情を交わすと、人は心が弱くなるから。
 まだこの土地でやるべきことが残っている。ただ一人だけを守る訳にはいかない。
 だから、“まだ”。


 分かってはいるのに、時々やりきれなくてもどかしい。
 もう何度、自分に言い聞かせて身体を合わせているか知れないのに。
 こうして深く身体を繋げていると、世界中でたった二人になってしまえばいいと叶うはずもないことを願ったりする。
 その度に苦笑して、熱く絡み合い、翌朝には涼しい顔で騎士たちの前に立つのだ。

(でもね、マイクロトフ)
 お前は人の心が弱いと言うけれど。
 人の強さもまた、心次第であると私は思うよ。
 お前の言う“まだ”という言葉は、一体いつまで私を縛り付けておくのだろうか……






 赤く揺れる炎に照らされたテントの内側、鎖骨を滑り落ちた汗が包帯に染み込んでいく。
 開いた傷口は、カミューの胸の痛みに代わってマイクロトフの眉を顰めさせるのだろう。
 奇跡のような存在の少年がこの土地に現れ、二人を導く光となるまでに、まだあと一年の時間を要する。
 それまでは、鋭く光る切っ先を掲げて、己の信念のためだけに剣を振るわなければならない。
 今は、“まだ”。







6周年記念リクエスト内容(原文のまま):
「赤青で、戦いの後の二人の話が読みたいです。」

も、もしかしなくても激しくずれたような気が……
アワワ、こんな微妙に暑苦しい二人でよかったのだろうか……
なんかむさ苦しくてすいません……!
しかし赤青を書くとやはり気が引き締まります。
リクエストありがとうございました!