RHAPSODY IN BLUE







「……また雨か」
 窓越しに呟く息でガラスが曇る。
 拘束されてすでに三日。マイクロトフの顔に苛立ちが見えるようになっていた。
 軍師の頼まれごとをこなすため、行きで二日半帰りで二日。一週間以内には帰れるはずだったのだ。
(それがもう六日目だ)
 最初の日はまだ小降りだった。
 山越えを含むのでぬかるんだ道は危なかろうと、ここら一帯の地理に詳しいと言う老人にとめられたのだ。雨は夜の内にやみ、明日の昼には乾くだろうと。
 それが雨は日に日に激しくなっていき、今日なんて土砂降りだ。マイクロトフはため息をつく。
 やはりあの時村を出るべきだったのだ。自分の直感では行ける気がした、それを信じるべきだった――
「……などど今嘆いても仕方がないか」
 こんな状態で馬を走らせるのは危険だ、それはよく分かる。
 だからこそ歯がゆいのだ。
 一週間以内には戻ると約束したのに。



 ***



『カケをしようか、マイク』
 唐突な言葉だった。
『お前が何日で帰ってくるか』
 馬鹿らしいと鼻で笑ったものだ。
『お前は好きだな。一体何をかけると言うんだ』
『私は一週間以上かかると思う』
『だから何をかけるんだ』
 笑う恋人の悪戯っぽさは他人に見せられるものではない。
 口には出さないが、そう思っているのは本当だ。
『お前が一週間で帰ってこなかったら、私は今度のパーティーでレディたちと踊るよ。』
 少し意外な言葉だった。
『なんだそれは』
『嫌?』
『別に』
『またまた、嫌だろう本当は。嫌なら一週間以内に帰っておいで』
『一週間で帰ってきてほしいだけだろう』
『あははは』
 自信を見せる恋人の態度に少なからず面白くない気持ちになった。
 のせられてやるのも悪くないとそう思った。
『まあ、お前のカケなどどうでもいいが、一週間以内なら楽勝だ。それまでには帰ってくる』
『本当に? もし間に合わなかったら他の婦人の手を取るよ?』
『好きなだけ踊ればいいだろう。俺がお前と踊れるわけでもなしに』
 何も言わず恋人は笑った。
 何か含みのある笑顔。それもまた眩しい。
 盲目とはこのことだ。



 ***



 ……なんて。
 くだらないカケに忠実になるつもりはないが、一週間は楽勝だと言った手前がある。
 たとえ晴れていたとしても、今から飛ばして二日を切ることができるかどうか。
 確かに行きは多少寄り道をしてゆっくり来たせいで二日以上かかったとはいえ、山越えがそれほどスムーズではないのも本当だ。
 何ごともなかったとして、寝ずに馬を飛ばして。
(それで間に合うかどうか)
 間に合わなければならない理由はない。
(別にカケのためじゃないぞ)
 意地のようなものだ。
 あいつの戯言になどつきあっていられるか。
『他の婦人の手を取るよ』
「……」
 嫌な言い方をする男だ……。
 そう言えば気にするとでも思って。
『嫌なら一週間以内に帰っておいで』
「嫌なものか」
 口にすると自分でも空々しく聞こえた。
 見上げた窓ガラスの向こうの天、雲は厚い。
 今出なければ一週間以内には間に合わない。






「騎士様、無茶ですよ! 何もこんな一番ひどい時に……」
「心配しないでくれ、戻らなければならないんだ。」
「明日になればもう少し良くなりますよ」
「明日では間に合わない」
 村人を振りきり愛馬の鼻面を撫でた。外に引っ張ってきたのはついさっきなのに、もうすっかり濡れてしまっている。
 もちろん自分もたった数分でびしょ濡れだ。
(なんてザマだ)
 馬に無理をさせて、自分も無理をして。
(嫌な男だ)
 危険な山を越え、たとえ雨がやんでも楽ではない道のりを駆けて。
 それでも行こうとするんだな。……あいつ、分かっていたな。
「では世話になった。礼を言う」
「騎士様!」
 全く面白くない。

 雨は容赦なく全身を叩いた。
 服の隙間から忍び込む水滴に身体の奥まで染みていくような錯覚。
 妙な気分になる。
 ――責任を取ってもらわなければ。
 ぬかるんだ道に足を取られる馬の背で、芯まで冷えながらも無性に熱いこの心。
 きっと間に合うだろう。そしてあたためてもらうのだ。
 他の婦人の手を取るよ。
「させない」
 囁きは雨音に消えた。
 一週間以内には戻ると約束した。
 分かってた、一週間。それが限界だ、お前も俺も。






 山を越えた後の馬も自分もひどい格好だった。
 あとは平地を駆け抜けるだけの地平線の向こう、同じくひどい格好をした男が迎えに来ていた。
 盲目とはこのことだ。
 ……これでも約束は守ったことになるだろう?
 城に着いたのは一週間と二時間後。






随分古いものを引っ張って来ました……。
ひょっとしたら知ってらっしゃる方もいるかもしれませんが、
カミマイ祭2サイト様にしりとりの景品として献上したSSでした。
なんて久しぶりな普通の騎士!