静かなる騎士






 ……剣が重い――……






 その日は朝から陰鬱な雨が降り続けていた。
「黙祷」
 壇上の声に、騎士達は一斉に頭を垂れる。沈黙の中、遠くから雨が壁を叩く音が微かに響いていた。ここ数日の日照り続きで、乾ききる寸前だった騎士団領地にとっては、恵みの雨であるはずだった。
 騎士達の表情は一様に暗かった。辛くも勝利した先の遠征では少なからず殉職者を出す結果となった。暑い日差しの中で苦戦を強いられた騎士達には、この雨は嘆きの雨でもあった。
 見習いから青の平騎士になって一年足らずのマイクロトフもまた、沈痛な面持ちで祈りを捧げていた。
 激戦と呼ばれるに相応しい戦いを経験したのはこれが始めてだった。模擬演習では鉄壁と思われた騎士達の並びが崩れかかるのを何度か見かけた。時折号令が聞き取れず、赤騎士の部隊と交じり合いそうになるのを、マイクロトフはぼんやり思い出していた。
「……を庇ったんだろ」
 後方から囁き声が聞こえてくる。
「あいつら出来上がってたのか?」
「さあな、でも……のほうは本気だったみたいだぜ。身を挺して……を守ったって話だからな」
 不謹慎な噂話だというのに耳をそばだてている自分に気がつき、マイクロトフは諫めるように軽く首を振った。
 耳障りな雨の音は、時折頭に流れるノイズの音に似ていた。




 翌朝になると雨はすっかり上がり、地面もほぼ乾いていた。
 早朝練習が中止にならずに文句を言う同僚たちと、マイクロトフは軽く笑い合いながら渡り廊下を歩いていた。アーチ状の柱の間からは階下が見下ろせ、ちょうど中庭で赤騎士の一部隊が素振り訓練をしている様子が伺える。
「赤だ。今回の死人の数は青の半分だってな」
 仲間の一人が呟くと、それまで遠征の話題を避けていたのではと思われるほど何も言わなかった他の仲間たちが、一斉に口を開き始めた。
「大体配置が悪すぎる。赤と白に比べて青はなんだってあんな位置に置かれるんだ」
「無茶な命令も多いぜ。今の団長では赤と白には逆らえまい」
「いやしかし、我が団長は……」
 熱くなる仲間たちを前に、マイクロトフは複雑に顔を歪めてただ黙っていた。いつもなら騎士団の今後を憂う者として鼻息荒く輪に加わっただろう。しかし今はそんな気分にはなれなかった。
 再び階下を見やったマイクロトフの目に、剣を持つ親しい姿が映った。思わず視線を留め、その動きを追う。素振りとはいえ、迷いのないしなやかな剣先が彼らしい。
 目を細めるマイクロトフの肩に、ふいに仲間の腕が絡まった。
「何見てるんだ? マイクロトフ」
「あ、ああ……、素振りを」
 間の抜けた答えを返し、マイクロトフは少なからず動揺した。そんなマイクロトフの様子には気づかず、仲間の彼は続ける。
「ああ、ひょっとしてあいつか? 例の」
 含みのある言葉を聞いて、残りの仲間も素振りの様子を覗き込む。
 彼らの視線の先には一人の赤騎士が剣を振り下ろしていた。心なしか乱れた姿勢がやけに目立つ。彼は一人、統率が命である集団の中から妙に浮いているように見えた。
「あれが殉職者の”恋人”?」
「実際どうだったわけ?」
「知らないけど、死んだ奴があいつにまいってたってのは本当らしいぜ。赤の奴らから聞いた」
 話の色が下世話なものに変わり始め、マイクロトフは目を伏せた。
 彼らに自覚はないだろうが、こういった噂話になると俄然表情が活き活きと変わってくる。元々人目を憚る話は苦手だったマイクロトフだが、そんな理由のせいかもしれなかった。
 おまけに、今は「こんな時」なのだから。
「見習いの時に同室だったんだろ。そんときにヤっちまったんじゃないのか」
「よせ」
 遂にマイクロトフは口を挟んだ。
「不謹慎だろう。そろそろ行かないと集合に間に合わないぞ」
 ややきつい口調で彼らを促すと、仲間たちはふてくされた様子もなく、青騎士の表情に戻った。お固いと有名なマイクロトフの性格を彼らはよく知っていたから、今更何ひとつ不思議に思わずその場を離れようとした。
 ところが、彼らを諫めたマイクロトフだけが、少しだけ階下を振り返った。一瞬見えた噂の的となった青年の姿、そしてカミューの姿は柱に隠れてすぐに見えなくなった。


 ***


 あれから三日、雨は降ったりやんだりを繰り返して、相変わらず静かに大地を濡らし続けた。
 騎士たちの訓練は当然室内が多くなり、身体の奥で燻っている陰鬱な気持ちを、マイクロトフはいまいち発散できないままでいた。
『……はフラれたって話だったけどな』
『惚れた相手のために死ねるんなら本望だろ』
 無粋な噂話は、こういったことに疎いマイクロトフの耳にさえも連日のように届いた。全ての人間が彼らを中傷している訳ではなかったが、噂話の大半は、悪意よりもタチの悪い「傍観者のからかい」であることがマイクロトフを落ち込ませるのに充分だった。
 マイクロトフが落ち込むのには理由があった。
 マイクロトフは、彼らと特別親しい訳ではなかった。それどころか話したこともほとんどない。時折行われる模擬練習でお互いの剣を見ている程度だろう。
 きっかけは彼らに対する噂話だった。
『あいつ、……にフラれたらしいぜ』
 冗談半分で男同士の仲を邪推する者は以前から多くいたが、今回亡くなった彼が本当に「そう」らしいという噂は、奇異の視線を受ける格好の的となった。
 当事者たちが見習いの時に同室であったため、話は真実味を帯び、彼らの居心地は悪かったに違いなかった。そして殉職。これも噂だが、死に様は凄惨を極めたとか。
 仲間を庇って亡くなるという、本来なら称えられなければならない死が、人々の不謹慎な言動によって歪められようとしていた。何よりも、残された彼はその最中で酷く苦しんでいる様子だ。
 剣の動きは鈍り、覇気もない。絶えず人目を気にするような落ち着かない素振り、暗い影を被る表情。そんな彼の様子は更なる噂話の風に乗って、騎士たちの好奇心を満たしていく。
 この状況を恐れる理由が、マイクロトフにはあった。
「久しぶり」
 背中にかけられた声にすぐには振り向けなかった。
 誰かはとっくに分かっていた。だからこそ初めから用意された表情を作っておかなくてはならなかった。
「カミュー」
 振り向いたマイクロトフは、いつも通りの笑顔を見せた。
「元気でやってた? しばらく演習も一緒にならなかったからな」
 カミューは少し日焼けしただろうか、マイクロトフの記憶よりも精悍な顔つきになっている。
 部屋が離れてからただ時間が過ぎただけだろうか。
「ああぼちぼちだ。最近の雨にはまいってるがな」
「晴れとあらば外にすっ飛んでくお前だからな。身体がなまってるんじゃないのか」
「まったくだ」
 ごく普通の友人らしい会話を交わす。言葉通り、カミューと話すのは久しぶりだった。
 騎士の入団試験の相手だった二人は、晴れて入団後に数ヶ月同室で過ごすこととなり、それ以来の親しい友人である。性格は正反対とも言われるが、それでいて何故かウマが合う。
 マイクロトフは、すぐに腹を立てたり喜んだり勘定の起伏が激しい自分と、いつも冷静で穏やかに物事を語るカミューとは、内に秘めたものが似ているのではないかと思っていた。
 目指す場所は同じ。と、そう思っていたかった。
 マイクロトフにとっての特別な相手は、ただの友人として括るには少し様子が違っていた。その気持ちをマイクロトフ本人も持て余してのだが、かといって整理をつけたいということもなく。
 今のままの曖昧な優しい時間が、マイクロトフには大切だった。
「休暇、かぶらないな」
 ふと、話を区切ってカミューがそんなことを切り出した。
「ああ……」
 正騎士になってしまえば、自分の意志で休暇を申し出るのはよほどのことでないと難しい。なんの権限もないただの平騎士には仕方のないことだ。おまけに赤と青では日々のスケジュールもかなり異なっており、カミューと休暇を合わせるなんてごく稀な偶然に頼らなければ無理そうだった。
「仕方ない、昇進あるのみだな。出かける約束は大切にとっておくよ」
「腐らんように祈ってる」
 笑い合い、二人は廊下で別れた。
 カミューがいなくなると、自然と表情が落ちる自分が嫌になる――マイクロトフは微かに痛む胸にそっと指先を這わせる。
「……いかんな」
 一人呟き、マイクロトフはふっと肩の力を抜いた。
 夕飯時のせいか、廊下には人の姿が増えてきた。食堂に向かう群れがそろそろできる頃だろう。
 まだ食事をとる気になれなくて、マイクロトフは人込みに背を向ける。この城で一人になれる場所はそう多くはないが、この時間なら別だった。
 マイクロトフはこれまでも何度か訪れたことのある、静かな図書館へと足を速めた。


 思ったとおり、ほとんど人はいなかった。
 チラホラと見える姿はみな本に没頭しているか、マイクロトフのように何らか理由があって一人になりたかったのかもしれない。マイクロトフは図書館の奥の部屋へと迷わず進む。
 歴史書が多く所蔵されている本棚を通り過ぎ、小さなテーブルの上にランプが置かれただけの読書コーナーへ足を向け、立ち止まる。
 ――先客がいる。
 机に突っ伏していた男は、足音で振り向いた。その嘆きとも恨みともつかない重い眼差しにマイクロトフは怯んだ。眼差しだけではない、彼の顔には見覚えがあった。
「……」
 つい、はっと目を見開いてしまった。
『あれが殉職者の”恋人”?』
 一瞬でも言葉を失ったマイクロトフを、彼は見逃さなかったらしい。
「青騎士……マイクロトフか」
「……何故名前を?」
「自分が有名人の自覚がないようだ。練習試合では連勝続き、先日も記録更新されたとか」
 皮肉めいた彼の笑いには、言葉よりももっとどす黒い影がかかってマイクロトフも困惑する。
 そんなつもりはなくとも、彼を見る目に噂がフィルターをかけている。もしも彼のことを何ひとつ知らない状況なら、こんな狼狽え方はしなかったはずなのだ。
 これでは、まるで。
(……周りの奴らと変わらん)
 そしてそれは彼にも伝わっていたらしい、彼は突然引きつったような笑い声をあげた。
「青騎士マイクロトフはお固くて朴念仁だと聞いていたが、噂話には聡くていらっしゃるようだ。どいつもこいつもご丁寧に俺を観察しなければ気が済まないらしい」
「そうじゃない」
 もうどうごまかしたって無理だろう、マイクロトフが噂を知っているのは事実だ。腹を括って、彼を正面から向き合える位置まで近寄った。
「君の……ご友人は気の毒だったが、それを邪推するような気はない」
「ご友人、ね。本気でそう思ってるのか?」
 彼の自嘲めいた笑いが胸に刺さる。
 ――ああ、あいつは友人でいたいと思っているだろうさ。
 自嘲めいた声は己のものなのだろうか。
「ご友人、その通りだ。俺はそう思ってた。あいつにもそう思ってほしかった。馬鹿なやつだ、バレまくってやがる。」
 彼はドンと机に拳を叩きつけ、マイクロトフから目を逸らして俯いた。机上のランプが揺れ、室内を照らすオレンジの光がゆらゆら大きくなったり小さくなったり、影を伸ばして闇を呼んで。
 彼の荒い呼吸と、マイクロトフの潜めた息が、僅かに室内の湿度を上げた。連日の雨で図書室の空気は重く冷たい。
「友人でいたかったのに、ではなぜあいつは俺の目の前で死んだ! 想いを俺に背負わせ、そして目の前で消えたんだ! あいつは死んでも俺を縛り付ける……!」
「……」
「そして、俺はきっとどこかで……そんなアイツがいなくなって、ほっとしているんだ……」
 最後はすでに嗚咽に混じり、よく聞き取ることはできなかった。
 しばし口を閉ざしていたマイクロトフは、淀んだ空気にそっと指を差し入れるように、静かな声で話し始める。
「……きっと彼は、君を守りたかっただけだ」
「……ああ」
「彼は騎士の務めを果たした」
 蹲るように机に項垂れていた彼が、突然立ち上がってマイクロトフを睨みつけた。
「ならば俺の苦しみは、やつの想いに応えなかった報いとでもいうのか!?」
「違う、戦場に他意などない!」
 いや、戦場だからこそ。自分の言った言葉をすぐに頭が否定し、その矛盾に息が苦しい。
「何が違うものか……あいつは、これからも、永劫俺の心を縛り、呪いの言葉を吐き続けるんだ。俺は後ろ指を指され、あいつが残していったやり場のない想いを抱えさせられて、ひっそり死んでいくんだよ……」



 そして、俺はきっとどこかで……そんなアイツがいなくなって、ほっとしているんだ……



 ほっとしているんだ。
 ほっとしているんだ。
 いなくなってほっとしているんだ……




 それなのに、心はいつまでも縛られる。







 ***


 正騎士になって二度目の夏がくる。
 今年の太陽も雲を跳ね飛ばす勢いで、畑仕事には随分と影響が出ているようだった。
 去年の冬に騎士の紋章を宿したマイクロトフは、日焼けした腕で剣を振る。
 剣は人を守り、己を守るもの。そのためには他の誰かを滅ぼさなければならない、その重み。
 志半ばで倒れた騎士にも、それぞれの強い意思があったはず。
 ならばせめて、その想いだけを独りぼっちにしないように。
 きっと自分は、目の前でカミューに振り下ろされる剣の前に立つだろう。それが騎士の紋章の力だろうと、そうでなかろうと、胸を張って立ちたいのだ。
(それは逃げだと言われるだろうか)
 それでもいい。マイクロトフは微かに微笑む。
 それでも、カミューが自分に捕らわれなければそれでいい。
 出会いさえも呪うような、深い慟哭に突き落とさなければそれでいい。
 だってきっと優しい彼は、マイクロトフの僅かな想いを知ってしまっても、自分を責めたりしないだろうから。
 剣は人を守り、己を守るもの。その重みは果てしない。
 自分が潰れていては何も始まらない。
「マイクロトフ」
「ああ、今行く、カミュー」
 その肩に並ぶ自分が、騎士として在れるように。
 騎士の名に誓おう、我が命、剣の元に。






まずは2000HITのキリリクという時点で
腹をかっさばかなければならないような。
「思いを自覚する青」がリクエストでしたが、
なんか書きたいことがぼんやりテーマとしてあって、
でもそれを形にするのが難しくて
ちょっとよく分からないラストになっちまいました。
でも書き上げられてほっとした。
リクエスト本当にありがとうございました。
大変遅くなり申し訳ありませんでした……