TIGHT ROPE






 太陽が真上を通り過ぎてから一刻。
 茂みを走り抜けて身体に擦れる枝の音、自分ともうひとつの荒い呼吸。




 一歩進むごとに背後から伸びる腕を愛剣で薙ぎ払い、振り返っては剣を振りまた進む。繰り返しているうちに振り向く回数が徐々に少なくなり、やがて赤と青の騎士団長服を着たカミューとマイクロトフは走ることに専念するようになった。
 複数の足音が自分たちだけのものになったことが分かっても、二人は足を休めなかった。
 やけに蒸し暑い日だった、太陽の光に勝る湿度のこもった空気の中。
 纏わりつく垂れ下がった枝の葉を払い除け、目指す先が定めてあるのか分からないくらいに駆け抜けた森の中、二人の足を崖がようやく止めた。


 追っ手はどれだけ減らしたのだろうか。それでもまだ迫る気配を肌が遠くに感じている。
「だから囮は俺だけで良いと言ったんだ」
「冗談、お前一人にしたら森で迷うのがオチだろう」
 揶揄の混じるカミューの口調に嫌味さは感じられなかった。
 目線は合わせずに、カミューもマイクロトフも崖の下を見つめていた。意識は背後に、心は遥か遠くへ。握りしめた愛剣の柄、こもる力が汗ばむ手袋の下で固く拳を握らせた。
 地上に深く根を下ろす木々の葉はびっしりと茂り、崖上から見下ろすと柔らかそうに膨らんでいる。風はなく、土も乾いている。足は滑らず、足跡も残らず、そしてここで道は切れた。
 飛べない距離ではないかもしれない、しかし一人ならば他の道を探したかもしれない。
 マイクロトフはカミューを見た。カミューも同じくマイクロトフを見て、少々苦い笑みを浮かべた。

 何を怖れることがある。
 腰に愛剣、傍らには最高の友。

 ふいにマイクロトフが破顔した。
 カミューも釣られて歯を見せた。
「死ぬなよ」
「無論だ!」
 どちらともなく伸ばした手の、指をきつく絡めた瞬間、脚は大地を蹴り上げていた。







 揺れて揺れて舞い降りる、光よりも早く命よりも遅く、広がるのは空、廻るは星の音。
 身体で感じる秒速のスローモーション。
 柔らかく皮膚を切り裂く空気の流れ。
 大気に塗れて塵となって、張り詰めた転がる心、瞼に映るは彼の人の笑顔。
 このまま闇が訪れても、脳が覚えているだろう、大地と空が逆転したこの景色を。






 ***




 頬に当たる風がひたひたと覚醒を促し、マイクロトフはバネのように身体を起こした。全身がミシミシと音を立て、範囲が広過ぎて把握し切れないが身体をしこたま打ち付けたのは確かだろう。
 すぐ傍らでは同じくカミューが擦り剥いた腕を摩っていた。腰の剣が存在していることを確かめながら、マイクロトフは早口に尋ねる。
「俺はどのくらい落ちていた?」
「分からない。私も今起きた」
 二人は同時に空を見た。――太陽はまだ昇っている。
「まだそれほど経っていない。行けるか」
「誰かの強運のおかげだな」
 立ち上がったカミューはどこかに引っ掛けたのか、裂けた手袋を脱ぎ捨てた。マイクロトフは破れた騎士服の裾を引き千切り、足元を身軽にする。
 では、と走る体勢を取ったカミューにマイクロトフが待てと合図をする。足を留めた相棒にカミューは不思議な表情を素直に見せ、マイクロトフはそんなカミューの正面に立つ。
「カミュー、俺を殴っていい」
「……? 理由を聞いても?」
「飛んだ時、一瞬もう駄目だと思った。」
 真面目な目でそんなことを言う男にカミューは目を丸くさせ、それから吹き出した。
「それならお前が私を殴れ、マイクロトフ」
「何故だ」
「私は完全に駄目だと思った」
 マイクロトフは間を置いて鮮やかな笑顔を零し、白い歯が覗いて形良く歪んだ彼の口がカミューの口唇に噛み付いた。





 太陽を背に、風を追い越して走り抜ける。
 青い空、青い土地、きつく結んだ指の温もり。









ついに赤青オトコ同盟が100名も突破致しました。
御参加下さったレディの皆様、本当に有難うございます。
相変わらずオトコらしい騎士もそうでない騎士も、
ますます好きになってもらえたらいいなあと思います。
これからも赤青オトコ同盟をひっそり可愛がってやって下さい。

2002.10.18 蒼玻玲拝

↑当時のコメントそのままです。
Monjoi!よりこっちの話のほうが
無理してなくて好きです。