二つの愛




「撃ち方やめ!」
 鼓膜にピリリと刺さるような、それでいて耳に障りのない声で掛けられた号令が、演習場に木霊していた弓音を裂いて突き抜ける。
 兵士たちはその指示を聞き逃すことなく、即座に引き金から指を離して構えていたオートボウガンを下ろした。その迅速に揃った動きを満足気に眺めたエドガーは、砂混じりの風で踊る前髪が時折視界を掠めるのも厭わずに、泰然と微笑んだ。
「やはり陛下が指揮を取られると兵たちが引き締まりますな」
「そうか」
 背後の大臣に軽く顔を向けたエドガーは満更でもない様子で目を細め、そのまま小さなウィンクを見せる。
 事実、本日の演習は国王が直々に指揮を取ると聞いて浮き足立っていた兵たちだったが、エドガーが現れるなり普段より増した集中力で瞠目すべき成果を見せていた。
 大臣の反対側で腰に手を当てて立っていたマッシュは、エドガーが再び正面を向くゆっくりとした動きをじっと目で追っている。
 斜め後方から伺える、長い睫毛の下で透き通った青い瞳が兵たちを見定めている。威圧とは違う、緊張感を与えながらも一人一人を鼓舞するような深い眼差しは、どんな称賛の言葉よりも彼らを勇気付ける褒美となるだろう。
 その身を前にして自然と頭が垂れてしまう、これが王の資質なのだとマッシュは腕組みをする。長として臣下の前に立つ兄は所作の全てに品と威厳があり、その唇から発する声の瑞々しさは耳を震わせて胸を打つ。
 膝をついて王の言葉を受ける兵たちが頬を紅潮させ鼻を膨らませている。その気持ちはよく分かる、とマッシュはエドガーの横顔を見守りながら目を細めた。
 王たる兄はその威光が眩し過ぎて、時に直視するのも困難なほど。耳通りの良い声が背筋にピリッと芯を入れ、心地良く心身を支配して行く。
 ああ、何て誇らしい姿だろう──マッシュは固く握り締めた拳を静かに胸に当てた。
 驕らず、騙らず、飄々としていながらも常に真摯に民に寄り添う姿に人は惹かれ慕う。マッシュもまた偉大な砂漠の王を心から敬う国民の一人である。
 この賢君を命ある限り護り抜く。誇張ではなく、本心から敬服する唯一の存在だった。マッシュはフィガロの民と共にこの国を統治する太陽王に心酔し、エドガーが主君として肉親としてだけでなく一人の男性としても偽りなく魅力的な人間だと感じていた。
 あの声に命じられれば、どんな過酷な戦場へも躊躇いなく飛び出して行ける。あの眼差しに見つめられれば、たちまちのうちに気分が高揚し力が湧いてくる。
 名君の誉れ高いフィガロの王に仕える喜びを噛み締めて、マッシュは陽の光にも負けない輝きを持つエドガーの金色の髪が緩やかな熱風に靡くのを、恍惚の目で見守っていた。



 ***



 耳の後方から不規則なリズムの息遣いが聞こえてくる。
 時折喉を詰まらせるように息が止まり、再び短く荒い呼気がハッハッと漏れ出す度に、恐らくは無自覚に背中をまさぐっている指が鋭く爪を立ててきた。
「まだ指だけだよ、兄貴」
 喉仏を圧迫する二の腕がほんの少し苦しくて、意図せず掠れた声でマッシュが囁くと、首を絞めている張本人が肩に乗せた顎を不機嫌に擦り付けてくる。
「分かっ、てるっ……!」
 何も纏っていない下肢をマッシュの太腿に乗せ、胸をぴたりと合わせて背にしがみつくように跨っているエドガーの臀部を両手で掴んでいるマッシュは、手の中の双丘を割り開き、蕾の奥へ右手の中指をほぼ根元まで潜らせていた。
 たっぷりの香油に浸した指で内壁をゆっくりと広げながら、先端で敏感な場所を探る。指の腹に圧を込める度にエドガーの腰が怖気付いて浮き上がるのを、しっかりと尻を掴んだマッシュの手がその都度引き戻していた。
 マッシュに全身を密着させているエドガーの身体が強張るタイミングは、指の動きにはっきり連動している。何処をどんな風に触れればエドガーが反応するのかよく知っているマッシュは、じわじわと肝心な場所に指を近づけてエドガーの速くなる呼吸と小さく漏れる喘ぎ声に聴き入っていた。
 ピクピクと震える肩や顎の振動が肌から伝わってくる。焦らすようにぐるりと周辺を撫でた後に不意打ちでそこをちょんと突いてやると、ビクリと腿が跳ねて蕾は指を締め付けた。イメージ通りの反応に嬉しくなって、マッシュはエドガーの髪を後頭部から背にかけて何度も撫で梳く。
 柔らかな毛先から汗ばんだ肌へと手のひらを滑らせ、痙攣にも似た小さな揺れを不規則に繰り返す腰を撫で回しながら、マッシュは肩と頬でエドガーの頭を挟むように頬擦りした。愛情表現でありながら、捕らえた身体を逃がさないためでもあった。
 突き入れた指の第一関節を緩く曲げて触れる微かな膨らみ。これまで何度も触れてきたこの場所を刺激し続けると、エドガーがどんな反応をするのかマッシュはすでに熟知している。
「ウッ……く……ん」
 エドガーの両膝に力が込められ、マッシュの太い腰を挟んで締め付ける。噛み締めた歯の隙間から漏れ出る声は切なげで耳に甘い。
 指の動きから遠慮を無くし、マッシュは的確にエドガーの悦ぶ場所を攻め始めた。息を吐くのと同時に小さく聴こえる鼻にかかった喘ぎ声が愛おしくて、背に立てられた爪の痛みも気にならなくなる。
 もっと良くしてあげたい。グズグズに解れている濡れた孔に差し込む指を一本増やして、拡げながら一点を突く。
 うう、と啜り泣きにも似た高くか細い声と共に、背中に齧り付いている腕がグッと硬くなる。快楽を抑え込むような仕草がいじらしい──堪えなくていいんだよと、一度こめかみにキスを落としてから突き刺した指を強く擦り付けた。
「うぁっ……」
 ビクンと跳ね上がった顎が直後力なくマッシュの肩に落ちて、強張っていた四肢もだらりと垂れる。
 マッシュに全体重を預けて肩で息をするエドガーの頭を撫で、マッシュはゆっくりと指を抜いた。
「可愛い」
 思わず呟いてからしまったと唇を噛む。案の定、脱力していたエドガーがゆらりと頭を擡げて至近距離でマッシュを睨みつけた。
 マッシュは苦笑いし、鋭い視線から逃れるために瞼に唇を寄せて無理矢理青い瞳を閉ざした。そのまま額と頬に口づけ、すっかり乾いてしまった唇にもたくさんの小さなキスを贈る。
 本人には禁句であるが、可愛くてたまらない。引き締まった身体のあちこちを小刻みに震わせるところも、子供のようにしがみついて爪や歯を立てるところも、昼間は兵たちを奮い立たせるあの凜とした声が甘ったれた嬌声に変わるところも、全部が全部可愛らしくて愛しい。
 砂漠の空を思わせる青い瞳をいじらしく揺らし、縁に揃う砂漠の砂と同じ金色の睫毛を薄っすら濡らして、まるで日頃の帝王たる姿は別人格であるように鳴りを潜めてしまう。
 欲望に素直になれずに羞恥を堪えてこちらを見上げてくる様は、愛らしさそのもので頭から噛み付いてしまいたくなる。
 砂地で重量のある機械を担ぐために鍛えられた腕や足腰も、この腕の中にはすっぽりと収めて閉じ込めてしまえるから余計にそう思うのだろうか。
 間違いなくこの人は敬服する兄であり我が主君で、しかし自分にだけ見ることを許されたもうひとつの顔がある。
 彼を守る為に力を得た自分だけが、この颯爽とした偉大な男の可愛らしい一面を目に焼き付けることができるのだ──マッシュは昂る感情のままに口付けを繰り返し、息も絶え絶えのエドガーの身体を掻き抱いてその背をシーツに押し付けた。
「可愛い」
 今度は故意に耳に注ぎ込むように囁いて、そのまま耳朶を唇に含んだ。
「可愛い、兄貴……食っちまいてえ」
「……っ」
 舌を耳穴に捩じ込むとエドガーの顎が高く上がった。覆い被さる背中に弱々しく手を回したエドガーは、せめてもの抵抗なのか甘噛みに似た強さで爪を立てた。
「お前っ……、耳元で、喋るなっ……その声、自覚しろ……っ」
 張りのない掠れ声でのささやかな抗議は、寧ろ抑えようとしていた征服欲を煽ってくる。
 ──よく言う。自分こそその甘ったるくて艶っぽい声で俺を狂わせる癖に──
 うるさい口を深い口付けで黙らせて、しなやかな筋肉を纏った脚を抱え上げた。
 腰を充てがうために一度上半身を起こし、その先の行為に焦がれるエドガーの潤んだ眼差しを見下ろして、ああ、やはり愛しいと飽きるほど呟いた言葉を今夜もまた繰り返す。
 すでに猛っていたものの先端を押し当てると、柔らかく解されたその場所は抵抗なく肉を飲み込んで行く。指の時とは比べ物にならない性急さで腰を深く沈めた途端、エドガーの足の爪先がピンと伸びた。
「あ!」
 悲鳴じみた声はしっとりと濡れて聞こえた。背中がザワッと興奮で粟立ったマッシュは、大きく開かせた両脚の奥に容赦無く腰を打ち付ける。
「あっ! あっ、あっ、ああ、」
 その声に一片でも拒否の色が滲むのなら、マッシュはすぐにその身を剥がしてそれ以上触れようとはしないだろう。
 感情のままに突き上げるのは、今腕の中に囲い込んだ人が悦びに悶えているからだ。美しい金の髪を振り乱して、泣き喚きながらもっと奥へとしがみ付いてくる、その浅ましさと逞しさがたまらなく好きだった。
「ああっ、あん、あん、ああー……」
 開きっぱなしで内側から零れた唾液を顎まで垂らし、恍惚の眼差しで見上げてくるエドガーの瞳の中に同じ顔の自分を見て、胸の奥をギュウと握り潰された気分になったマッシュは噛み付くように唇を合わせる。
 軽く歯と歯が擦れ合い、根元から先端まで深く舌を絡め合って、胸も腰もこれ以上近づくのは難しい程に密着させた身体は、まるで一つの塊に見えた。
 夜の間中愛おしさで抱き潰したこの身体は、朝日が昇れば神々しさに目を細めて跪く存在になる。
 どちらの姿も愛して止まない。
 どうか二つの愛を受け入れて、と力を込めた腕と同じ力で抱き返されて、マッシュは思わず顔を綻ばせた。