ボーダーライン




 足の爪先の半歩前に一本長い線を引く。

 この線の意味することが分かるかと男に問うと、それを理解するために離れたと男は答えた。
 この線を越える勇気があるかと男に問うと、そのために強くなったと男は答えた。

 二人の間に引かれた一本の線を中心に対となって佇み、この手を伸ばすべきか躊躇う。
 線を越えて手を伸ばせば男は引いてくれるだろう。しかしそれを選ばせる勇気が自分にはあるか。
 線に切れ目はなく迂回することは許されない。自分の意志でこの線を越えるか、男が越えてくるのを待つか。
 手を伸ばすべきか否か。
 越えてしまえば海より深い業を背負うことになる。その道に引きずり込む覚悟が果たして自分に出来ているだろうか?
 躊躇いは無言の時を産む。何も言わず動かない自分を長いこと慈愛の眼差しで見つめていた男は、ふとその形の良い眉を顰めて顔を曇らせた。

 ミシミシと軋む音が背後から聞こえてはいた。
 居場所を追い詰めるように少しずつ少しずつ削り取られて行く足場がもうほとんど残っていないことにも気づいてはいた。
 それでもそこから動けなかった。動くべきか此の期に及んでまだ惑い、いっそこのまま共に崩れてしまおうかと選ぶことを諦めようともしていた。
 踵に当たる地面が砂のように柔らかくなり風に溶けて消えた。
 バランスを失い背後に倒れた体が奈落に堕ちる瞬間、我武者羅に手を伸ばして自分の腕を掴み上げた男に荒々しく引き寄せられた。
 男の足は線を踏み越えていた。








 汗だくで目覚めた視線の先は薄闇の天井だった。
 瞬きを二度、三度と繰り返して意識を現実に取り戻し、乱れている呼吸に気づいて落ち着けるために深呼吸をする。何か夢を見ていたと状況を把握しつつあったエドガーが息を吐き切ると、毛布を握り締めていた指先にほんの少し熱が戻ったことが分かり、全身が冷たい汗で冷えてしまっていることにも気づいた。
 そして右半身に触れているとても暖かい存在を思い出して静かに首を向ける。
 規則的な寝息を立てて眠っている弟の寝顔は穏やかで、閉じられた瞼の向こうに隠れている色が見えないせいか酷く高潔でストイックに見えた。
 しかしエドガーはすでに、この瞳が開けば青い炎が凶暴なほどに自分を惹きつけて離さないことを知っていた。

 ──結局最後はお前に選ばせてしまった。

 胸を突く痛みはこの先二度消えることはなく、それでも構わないと思わせるような甘い疼きを二度と忘れられないことも知ってしまった。