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 フィガロに産まれた双子の王子は髪の色も瞳の色も笑顔も泣き顔も全て一緒。背格好もほとんど変わらず、並ぶとどちらがどちらか分からない。
 同じ長さの髪を結って揃いの服を着て立てば、城の人々は首を傾げ、親にも等しい乳母でさえも自信なさげに苦笑する。
 口を開けば溌剌たる声、兄王子のエドガー様。
 弟王子のマシアス様は、おっとりとした温雅な声。
 黙っていると瓜二つ、違えて失礼のないようにと、兄王子には紺碧の、弟王子には緑青色のリボンやタイが用意され、いつでも仲良く傍にいる双子の王子に目印をつけた。
 身体の弱い弟王子が頻繁に寝込むため、少しずつ兄弟の体格に差が出始めた八歳頃まで、二人はそれぞれのカラーを身につけて城の人々に見守られていた。



 勝手知ったる城の中、二人で仕組んだ悪戯のせいで乳母であるフランセスカからのお小言を受けるのが怖くて、エドガーとマッシュは普段は入ることを禁じられている秘密の通路を走っていた。
 下ろせば肩を少し過ぎるだろう金の髪を色違いのリボンで結び、シャツの襟に施されたタイも色違いでお揃いにした双子の兄弟。青は兄のエドガー、緑は弟のマッシュ。あまりに見た目がそっくりのため周囲が間違えないよう、二人が身につけるものは常にそれぞれのカラーで区別されていた。
 後ろから追っ手が来ないか時々振り返りながら、二人は奥へ奥へと走っていく。
 少し先を行く緑のリボンを追いながら、青いリボンも必死で揺れた。
「あんまりおくに行くと、もどれなくなるよっ……」
「だいじょうぶ、どうせもう少しで行きどまりだ。へやにはぜんぶかぎがかかってるし、だれもいないし……」
 言葉通り、回廊の途中にある部屋はどれも鍵がかかっているようで開くことはなく、遠くにぼんやりと道の終点となる壁が見える。
 しかし人気のない仄暗い廊下に響く靴音は、小さな王子たちを震え上がらせるには充分なほど薄気味悪いものだった。
「かえろう……」
 青のリボンをつけたエドガーが緑のリボンのマッシュの袖を引く。マッシュが不服そうに頬を膨らませた時、ギイと奥から扉の開く音がして二人は顔を見合わせた。
 咄嗟に緑のリボンのマッシュは隠れる場所を探した。しかし素っ気ない廊下は小さな兄弟を匿う装飾品のひとつも飾られていない。
 思わず背中に青のリボンのエドガーを庇ったと同時に、開いた扉から二人の大柄な男が姿を現し、小さな二つのシルエットを認めて驚いたように足を止める。
「なんだ? 何でこんなところにガキが……」
「……待て、髪のリボンにタイ……青と緑だ。双子の王子だ」
 男達が意味深な目配せを交わし、じりじりと距離を詰めてくる。男達の格好は騎士だが顔に見覚えはない。王子と知りながらのこの態度に不穏なものを感じた緑のリボンのマッシュは、顎を引き男達を睨みつけた。
「手間が省けたな……予定が早まったがこのチャンスを逃す手はない」
「どちらが第一王子だ?」
「青のリボンだ」
 向かって右の男が答えたその途端、左の男が恐るべき速度で幼い双子との間合いを詰めて緑のリボンのマッシュの腕を掴んだ。マッシュが咄嗟に腕を引く間も無く、放り投げられるように振り回されて廊下の隅に飛ばされる。
「わあっ……」
 地に伏したマッシュが顔を上げた時、青のリボンのエドガーは男の腕でひょいと抱え上げられていた。ざわっと全身の毛を逆立たせたマッシュは、縺れた足で立ち上がって兄弟を抱える男の足にしがみつく。
「何をする、はなせ!!」
「第二王子はどうする?」
 小さな抗議を蚊ほどにも思っていないのか、男はしがみつかれた足を気にすることなくもう一人の男に尋ねた。尋ねられた男は軽く首を横に振る。
「不要だ。消して行こう」
 その言葉が終わるか終わらないかで男は足を振り上げ、掴まっていた身体は呆気なく落とされる。尻餅をついたマッシュはそのまま後ろへずり下がり、男たちのただならぬ気配と揺るがない殺気を感じ取った。
 襟元の緑のタイを握り締めたマッシュは、今自分に出来ることを必死で考えていた。震える指を握り込み、大きく息を胸いっぱいに吸い込んで、渾身の力で声を振り絞る。
「だれか──っ!!!」
 男たちがぎょっとした。他に人影のない回廊のアーチ状の天井に甲高い声が反響する。
「だれか、たすけて──っ!! 人さらいだ──っ!!!」
「黙らせろ!」
 手ぶらの男が腕を伸ばしてくる。転げるように立ち上がって逃げ躱し、もう一人の男に囚われている兄弟を仰ぎ見ると、顔全体を覆い隠さんばかりの大きな手で口を押さえつけられ動けなくされていた。
 かあっと頭に上る血で熱くなった顔を紅潮させ、緑のリボンを揺らしながら同じ血が流れる兄弟を捕らえた男に突進した。頭から突っ込もうと体勢を低く構えた瞬間、脇から感じた強烈な殺気に思わず振り向いて身を引くと、こめかみ辺りに焼けるような熱が走った。
 バランスを崩して転倒した身体を起こし切る前に、ぼんやりとした灯りの下で鈍く光る剣の切っ先を目の前に突きつけられて息を呑む。
「面倒かけさせるな。大人しくしてりゃ苦しまずに済む」
 じろりと見下ろされた視線には何の感情も含まれていない。全身が震えて声などすでに絞り出せもしなかった。
 どうする、どうすると頭が空回ってこの状況の打開策が見つからない。すうっと一度上に上がった切っ先が下りることへの覚悟を決めた時、
「痛っ……! こ、このガキっ……」
 もう一人の男がふいに悲鳴を上げて身悶えた。抱えていた青のリボンのエドガーが指に噛み付いたようだった。男は噛まれた指を解放すべく小さな身体を床に叩きつけ、冷たい床に落ちたエドガーが嗚咽を漏らしてこちらを見る。
 マッシュが手を伸ばすとエドガーも応えようと手のひらを向けた。その手が届く前に、眼前に現れた剣の煌めきが二人の間を遮る。
「残念だったな」
 二人は目を閉じ身体を丸めた。訪れる瞬間をただ黙って受け入れることへの悔しさで胸を満たしながら、……しかしその瞬間はなかなかやって来なかった。
 ドサ、と鈍い音が耳に届き、恐る恐る目を開けた二人の傍には男たちが倒れていた。そのこめかみと額に刺さるボウガンの矢に気付いた時、回廊の向こう側から騒々しい大量の足音が押し寄せてきた。
「エドガー様、マシアス様!!」
「ご無事ですか!」
 見知った臣下たちの声を聞き、二人の瞳に涙が潤む。ボウガンや剣を構えた数人の兵士たちは双子の元に駆け寄って、残りは倒れている男たちを拘束した。手足の垂らし方を見ると一人はすでに事切れているようだった。
「エドガー様、お怪我は!?」
 青のリボンのエドガーが兵士に囲まれ外傷を確認されている。緑のリボンのマッシュはこめかみから垂らした血が頬を伝っているのに気づき、手の甲で拭った。
「マシアス様がお怪我を」
「擦り傷のようだ、第一王子のエドガー様のご無事の確認が先だ」
 兵士たちの囁き声が耳に届き、無言で緑のタイを握り締めたその時。
「何事だ」
 ふと遠くから投げられたよく通る低い声に臣下たちは姿勢を正した。マントを靡かせながら早足に歩いてくる長身のシルエットは、紛れもなく父王の佇まい。さっと海を割るように左右に分かれる兵士の間を真っ直ぐ進み出た父王は、まだ地に尻をついたままの緑のリボンをつけたマッシュと、兵の中にいる青いリボンのエドガーを順番に見て、その無事への安堵のためかふうっと小さく息をつく。
 そして腰を屈め、二人の方向それぞれに両の手を伸ばして、マッシュに向かって「エドガー」、エドガーに向かって「マシアス」と呼びかけた。
 動揺に騒めく兵士に囲まれたエドガーとマッシュの双子の兄弟は、青と緑のカラーに惑わされずに自分たちを正しく見破った父の優しい眼差しを目にし、涙を零しながらよたよたと歩み寄ってその胸に身を預けた。


 元々は些細な悪戯だった。色を取り替えっこすると周りはエドガーがマッシュで、マッシュがエドガーだと信じて疑わなかった。それが面白くて何度となく繰り返し、随分前から目印は実は意味をなさなくなっていた。
 厨房から夜のデザートを盗み出したのが緑のリボンのマッシュだったことからフランセスカに疑われて逃げ出したのが発端で、危うく騎士に扮した賊に命すら奪われるところだったのだから、もう悪戯はやめなさいとこっ酷く叱られたのを大人になった今でもよく覚えている。
 あの青と緑の色分けは、本当は優先順位であると理解したのはもっとずっと後になってからだった。兄王子は王位の第一継承者であり、身体の弱い弟王子にいつ万が一のことがあるか分からないからと、何かあった時は青の王子を守るべしという認識が城の兵士たちにあったことは恐らく事実だ。実際色を取り違えたことに気づいたのはあの時の父のみで、城の人間はエドガーとマッシュを色でしか見ていなかった。二人の意識がお互いにのみ強く向くようになったのはそんなことも原因にあるのだろう。
 柔らかで弾力のあるマッシュの胸に頭を乗せていると、先程から丁寧に髪を撫でてくれているマッシュがふとエドガーの前髪を掻き上げて右のこめかみに触れた。
「跡、残ってるんだな」
 マッシュの指の腹が優しく傷跡をなぞる。
「ん? ああ、小さいけどな」
「俺がすぐとっ捕まったせいだよな……」
「仕方がないだろう、大人相手だったんだ。頼りないお前が暴漢に噛み付いた時は感動したぞ」
 ふふと忍び笑いを漏らしてマッシュの胸に頬を寄せると、背中に回された腕に力が込められる。
 今では体格は完全に差が開き、誰一人としてエドガーとマッシュを見間違える者はいない。カラーで分けずとも王の姿のエドガーを全ての臣下が守るだろう。しかし彼らを押し退けて最前列で自分を守るマッシュの姿を想像し、エドガーの頬が緩む。
「もう二度と兄貴に傷なんか付けさせないからな」
 力強くエドガーを抱き寄せるマッシュの声に聴き惚れて、少し身を起こして顔を持ち上げたエドガーは無精髭が残る無骨な頬に口付けた。
 期待してるよと微笑むと、笑顔で細めたマッシュの目の中に同じ顔の自分を見て、エドガーはまた笑う。あの日届かなかった手を手繰り寄せ、しっかりと繋いだ。