一年ぶりのマッシュとの再会から数日、最初こそ久しぶりの仲間とのやりとりに若干の遠慮と緊張を隠せなかったセリスだったが、個性的な仲間たちの中でも一際朗らかな裏表のない男であるマッシュに対して言葉が砕けて行くのに時間はかからなかった。 若い男女が二人きりで旅をしているというのに、マッシュの態度はあまりに紳士的でセリスが不安を感じる隙もなかった。戦闘の時は率先してセリスの前に立ち、敵の攻撃を一身に受ける。勝利の後はセリスを気遣い、些細な怪我でも心配してくれるのだが、それらの一連の行動に一切の下心がないのは彼の純粋な瞳の様子からもよく分かった。 頼もしい仲間と再会できて良かった──マッシュと行動を共にしていると一人だった時に漠然と胸を覆っていた不安が少しずつ晴れて行くようで、この先の旅もきっと良い結果が待っていると思えるようになっていた。仲間たちは生きていて、必ず会うことができる。希望を胸にその日の旅を終え、疲れを癒すために選んだ宿の酒場で、再会して初めて交わす乾杯に二人は微笑み合った。 「お互いの無事を祝って」 マッシュの言葉にセリスは頷き、グラスに口をつける。喉を通る液体が体の内側で熱を帯び、ほっと思わず吐息が漏れた。 マッシュはセリスに比べて豪快に杯を煽り、彼の大きな手の中ではままごとのように小さく見えるグラスの中身がもう半分に減ってしまった。思えば世界が引き裂かれる前に彼とこうして差し向かいで酒を飲んだことはなかったかもしれない。セリスが頼んだものより度が強いアルコールを選んだ彼は、けろりとして二口目でグラスを空にしてしまった。即お代わりを注文する気持ちの良い飲みっぷりにセリスは思わず笑う。 「水でも飲んでるみたいね」 「ん? ああ、おっしょうさん……俺の師匠は酒豪でさ、成人してからはしょっちゅう付き合わされたからなあ」 「エドガーも強いの?」 「うーん、どうかな。別れる前はお互い子供だったし……十年ぶりに会ってから飲んだのは数回だし。でも、兄貴のことだから強いんじゃないかな」 「そうね、そんなイメージ」 だよな、とマッシュも笑う。共通の仲間を話題に出すのは思いの外楽しいものだった。自分だけではない、誰かと思い出話を共用できることがどれだけ心を安心させてくれるか、セリスはマッシュと再会して存分に思い知った。 「みんな、きっと何処かにいるのよね」 「ああ」 「……会いたいな。早く。」 独り言のように呟いた時、マッシュが握るグラスの中でカランと氷が音を立てた。ほんの少し不自然に間が空き、マッシュもまた独り言のようにぽつりと零す。 「……ロックに?」 その名前はセリスの心臓を縮めるのに充分すぎる威力で、取り繕うなどできるはずもなくセリスの顔は真っ赤に染まる。 「な、何、急に」 慌てるセリスを見て揶揄うでもなくマッシュは優しく笑った。その落ち着いた瞳を見て、ふとセリスは頭に浮かんだ疑問を口にする。 「……マッシュは、好きな人、いるの?」 言ってからセリスははっとした。──これではまるで自分がロックを好きだと宣言してるのも同然ではないか。 しかしマッシュはセリスの言葉の揚げ足を取るでもなく、新しいグラスの中身をぐいと一口含むと事もなく告げた。 「いるよ」 セリスは素直に驚いた。 「恋人、いるの?」 「いや。俺の片思い」 さらりと返すマッシュにまた驚き、セリスは聞きかじった彼の生い立ちを思い出す。十七まで城で暮らし、それから修行三昧で十年。仲間として旅をするようになってから、彼の傍に女性の影など見た記憶はない。 聞いて良いものか迷ったが、好奇心が勝る。マッシュならきっと答えたくない質問には素直にそう言ってくれるはず、とセリスは疑問を口にした。 「片思いって……長いの?」 「まあな。ガキの頃からだから」 「そんなに?」 「意外?」 マッシュがにやりと笑う。あ、この表情はエドガーに似ている、とセリスは既視感を楽しみながら正直に首を縦に振った。 「だってこんな話今までしたことなかったし」 「だよな。俺も人に話すの初めてかも」 「そうなの? ……聞かれるの、嫌?」 「嫌なら話さないよ」 軽く口角を上げてまたグラスに口付けるマッシュの横顔は、こうして見ると実に端正で男らしい。彼の磊落な性格が良くも悪くも邪魔をしているのか、マッシュはエドガーと違って男前というイメージがあまりなかったのだが、ところがどうして彼も充分に整った顔立ちをしている。 きちんと着飾ればさぞや女性が放っておかないだろう。セリスはマッシュの想い人に純粋な興味を抱いていた。 「……どんな人か、聞いていい?」 舐めるようにグラスの中身を口に含み、恐々尋ねる。マッシュは軽く笑った。それが肯定の返事らしかった。 「その人、優しい人?」 「優しいよ。優しくて、強い人」 「強い……?」 好きな相手を形容するには珍しい言葉に、思わずセリスは聞き返す。 「うん。強くて、辛いことを顔に出さない。いつも笑顔で見守ってくれる人」 「へえ……」 その人を思い出しているのか、軽く瞼を伏せたマッシュの表情が実に柔らかくなった。それはセリスにとっては初めて見るマッシュの顔だった。 「年上、なのかしら」 包容力のある女性をイメージし、想像でマッシュの隣に並べてみた。 「いや、同じ」 「同じ年なの? ……大人っぽい人なのね」 「まあ、うん、そうだな」 マッシュが苦笑いする。セリスはかつてブラックジャック号でガウと大人気なく喧嘩していたマッシュを思い出し、子供っぽさの残るマッシュにはお似合いなのではなどと考えた。 「美人?」 「……俺が知ってる人の中で一番綺麗な人だ」 「マッシュ、面食いなんだ」 「はは、そうかもな」 マッシュは照れ臭そうに笑ってまたグラスを大きく傾けた。セリスも釣られるようにアルコールを含み、知らぬうちに酔いは回っていたのかもしれない。膨らむ好奇心を素直にぶつけることに抵抗がなくなっていた。 「どんな人かな。髪は長いの? 黒髪? ブロンド? 瞳の色は何色かしら。マッシュの隣なら背が高くても低くても小さく見えるわね。マッシュもちゃんとすればハンサムなんだし、そんなに綺麗な人ならきっとお似合いだわ」 「ちゃんとすればってなんだよ」 饒舌なセリスにマッシュは苦笑し、どこか遠くを見るように目を細めた。セリスの追求を躱そうとしないマッシュもまた、彼の思った以上に酔っていたのだろうか。 「……綺麗な長いブロンドで、海みたいに澄んだ青い目の人だよ。背は俺の方が高いけど」 「それは当たり前じゃない」 マッシュが冗談を言ったのだと思い、セリスは笑ってマッシュの肩を叩いた。ところが優しく笑みを浮かべるマッシュの目は少しも揶揄を含んでおらず、セリスはそこで初めて何かに気づく。 少し躊躇って、セリスは口を開いた。 「……告白、しないの?」 マッシュはグラスを見つめ、微笑んだまま首を横に振る。 「できない」 「どうして」 「……たとえ肩を並べても、絶対に触れちゃいけない人だから。それでもいいんだ。幸せでいてくれればそれでいい。そのためなら、俺の一生賭けて守ってみせる」 マッシュの低い声はセリスにと言うよりは自分に言い聞かせているようでもあった。 カラン、とまた氷がグラスにぶつかり音を立てる。セリスの表情から笑顔は消えていた。 今、セリスの頭を確かに過ぎった人影があった。その名前を口にすることは憚られた。ただひとつ、最後の質問をするべきか──セリスは迷い、ついに口を開いた。 「……マッシュ」 「……ん?」 「その人、私の知っている人?」 マッシュはセリスを振り返り、何も言わずに穏やかに微笑んだ。否定も肯定もない、ひたすらに静かな笑みだった。 セリスが言葉を失っている間に、マッシュはグラスに残っていた酒を一気に飲み干す。さて、と区切りをつけるようにマッシュは立ち上がり、セリスの肩をぽんと叩く。 「そろそろお開きにしよう。明日のために休まないとな」 「あ……、うん、そう、ね」 「おやすみ、セリス」 「……おやすみなさい、マッシュ」 マッシュは後ろ手に手を振ってセリスを残して酒場を後にした。一人になったセリスはまだ残っている自分のグラスの中身を空にする気になれず、そのまま手を離して立ち上がる。 マッシュは後悔のない表情をしていた。彼の想い人が生きていることを全く疑っていない目だった。あの強さを手に入れるまで、彼はどれだけの年月を費やして来たのだろう。 自分も弱音を吐いてはいられない──明日からまた始まる旅のために体と心を休めなければ。愛する人に会いたい気持ちはマッシュと同じ。この想いに自信を持とう、そう思わせてくれたマッシュの微笑みを胸にしまう。 これは、二人の秘密。決して誰にも告げるまいと、セリスはマッシュが大切に守って来た想いを抱えるように、胸に拳を押し当てた。 |