診断メーカーより
「『I love you』をマッシュ風に訳すと「抱かせてください」」


 地響きと共に崩れ落ちてくる岩石を腕と拳で払い退け、すぐ後ろについてくる兄の姿を何度も振り返って確認しながら、ようやく見えた出口の光にホッと安堵の息を吐きかけた。
 しかしその光を塞ぐ勢いで崩れ行く周囲の岩壁に追い立てられ、後少しで陽の元に出られるという位置で大きく揺らいだ天井の気配に思わず足を止めた瞬間、後ろから恐ろしく強い力で突き飛ばされた。
 光の下に弾き出されたのと、背後で耳を劈く轟音が響いたのとはほぼ同時だった。マッシュが振り返った時、洞窟の入り口であり出口だった場所はただの崩れた岩石が積み上がった壁と化し、後ろにいたはずの兄の姿は何処にもなかった。
「……あ、にき……?」
 掠れた声は自分のものだとすぐには気づかないほど震え、呼びかけに応える音もない。マッシュは呆然と青い瞳を見開いて、その場に力なく膝をついた。
 時間にしたらほんの数十秒だったのかもしれない。永遠のように感じた絶望は、聞き覚えのあるエンジン音に遮られた。
 崩れて重なっていた岩石の一部が震えてカラカラと転がり、一瞬の間の後に内から弾け飛ぶようにぽっかりと穴が開いたその向こう、ドリルを構えたエドガーが肩で息をしながら立っていた。
 歪に開いた出口を潜るようにして外への脱出を果たしたエドガーは、汗でも浮かんでいたのか額を腕で擦って大きく息をつく。そしてあちこちが黒ずんで汚れた顔でやれやれと微笑んだ。
「間一髪だったな。あと少し位置がズレていたら岩の下敷きになっていた」
 いつものように戯けた口調で肩を竦めながら、地面に膝をついたままのマッシュの元に悠々と歩いて来たエドガーは、弟に立ち上がる気配がないことを不審に思った。
 大きく開いた目を微かに潤ませて小刻みに揺らし、黙ったままじっとエドガーを見上げるマッシュのうつろな視線に異変を感じたエドガーは、ドリルを地に下ろしてマッシュに目線を合わせるため片膝をつく。
「マッシュ? どうした?」
「……あにき」
 まるで気の入らない弱々しい声を受け、エドガーは微かに眉を寄せてマッシュの頬に指で触れた。
 その薄汚れた指先の熱を肌で感じたマッシュがぴくりと身体を揺らし、それからみるみる眉を垂らして僅かに開いた唇を戦慄かせ、持ち上げた腕はエドガーを包まんと構えられたのだが両方とも大きく震えて動きが定まらない。
 エドガーははっきり戸惑った。再会してから、ここまで平常心を失った弟の姿を見るのは初めてだった。
「……マッシュ。俺は無事だ」
「……あ……」
「大丈夫だ、怪我もほとんどない。……ここにいる」
 その途端ぐしゃりと崩れたマッシュの表情に胸を打たれたエドガーは言葉を失い、自身も思わず眉尻を下げて睫毛を震わせながらマッシュを見つめる。
 マッシュは何度か言葉を発しかけて、恐らくはそのどれもがまともな音にならずにただ空気を噛み、ようやく搾り出した声は涙混じりで聞き取り難いものではあった。
「……抱かせて、くれ……」
 それでもしっかりと把握したエドガーは、黙って大きく頷く。直後、震えていたマッシュの両腕がエドガーを力強く捉え、締め上げる勢いで抱き竦めた。
 押し付けられた厚い胸から速すぎる鼓動が伝わってくる。エドガーは目眩を感じるような息苦しさも厭わずにマッシュの胸に顔を擦り付け、不規則に揺れる背に手を伸ばして同じ強さで抱き返した。
 太陽の位置が変わり影が大きく伸びるまで、二人はそのまま動かなかった。

(2018.03.07)