萌えシチュエーション15題より
「2.意地の張り合いでこじれる喧嘩」
(使用元:TOY様 http://toy.ohuda.com/)


 戦闘終わりに無事を確かめ合うため集った顔を見渡して、隣に立った兄エドガーの左頬に小さな擦り傷を見つけた時、条件反射のように手をかざしていた。
 マッシュがチャクラを施すと傷は綺麗に塞がり、兄も元通りになった頬を指先で確かめて穏やかに微笑んでくれた。
 兄が喜んでくれるのは嬉しいし、兄のためなら何だってできる。ただその想いだけで自分が技を使うことは何一つ負担だなどと考えてはいなかったのだけれど、同じことを兄がするとなると話は別だった。
「マッシュ、お前も傷が」
 肘から二の腕にかけて、外側がぱっくり切れて血が出ていたのに気づかずにいたマッシュは、ひょいと覗き込んだ腕の傷に軽く眉を寄せた。舐めて治る程度のサイズではないと判断し、無意識にティナを探して視線を巡らせたマッシュの手首を優しく握った兄が、「俺が」と口を開きかけたのを遮ったのに悪意などありはしなかった。
「いや、兄貴はいいよ」
 兄がつい先日ケアルを覚えたばかりなのは知っていた。慣れない魔法を使った後は疲労がいつもよりも大きいことも。
 ただでさえ激しい戦闘の後で疲弊した兄に、余計な労力をかけさせるなんてとんでもないと首を横に振ったマッシュの前で、兄の表情が強張ったことをほんの少し不思議に思った程度でやり過ごしてしまったのがいけなかった。
 ティナ、と呼びかけるとすぐに駆けつけてくれたティナが軽やかにケアルをかける。元通りになった腕を満足げに軽く振るマッシュの隣で、兄の額に影が落ちていたことに、その時は気づきもしなかった。


 兄の様子がおかしいとはっきり分かったのは翌日だった。
 珍しく夜に部屋に来ることを拒み、朝もあまり目を合わせてくれない。他の仲間たちに対する態度はいつも通りであるのを目撃したマッシュは、何が原因で兄を怒らせたのかと首を捻った。
 その日の夜も兄は部屋に来ようとはせず、マッシュを招き入れることをも拒否した。割り当てられたファルコン号の部屋を隔てる壁は薄く、隣の部屋の兄の様子が気になってつい聞き耳を立ててみると、何やらブツブツ呟く声が聞こえて来る。
 魔法の詠唱だ──はっきりとは聞こえないが言葉のリズムでそう勘付いたマッシュは、最初は何故兄が部屋に篭って魔法を唱えているのかとんと理由が分からなかった。
 しかし兄が部屋で一人詠唱を繰り返す夜が二晩三晩と続くうち、だんだんとマッシュも兄の不機嫌の理由に気付き始めた。兄が唱えているのはケアルだ。不慣れな魔法を夜な夜な練習しているのは、もしやあの日に兄からの回復魔法を断ったのが原因ではないだろうか。
 それを直接兄に問い詰めたのがまた悪かった。作戦会議後にいつも最後まで部屋に残る兄を待ち構え、現れたマッシュに兄は眉を顰めた。
「兄貴、もしかして毎晩ケアルの練習してるのか?」
 問い質すが兄は口を噤み、マッシュからふいと顔を逸らしてしまう。そのあからさまな態度にカチンときたマッシュは、つい語調を荒げてしまった。
「なんでそんな無駄なことしてるんだよ」
 ぽろりと言葉が出るや否や、兄の目が鋭くマッシュを射抜いて神経質に細められた。
「無駄、だと?」
「そうだよ。兄貴は魔法は得意じゃないだろ。無理して覚えなくても、ティナやセリスもいるんだ……兄貴は兄貴のできることを」
「俺の魔法は役には立たんから不要だと言いたいのか」
「……そこまでは言ってないよ」
 地を這うような兄の低い声で完全に機嫌を損ねたことを察したマッシュは、言わんとする意図が伝わらないもどかしさに焦れた。
 兄はフィガロの王であり、日々の戦闘の他にも果たすべき仕事が他の人間より多い。それら全てを誰にも文句を言われないようこなすだけでも大変なのに、更に荷を課す必要はないはずだ。
 魔法が得意な人間はパーティー内に何人もいるのだから、彼らに任せておけばいい。兄がそこまで負担を負うことはない──そう言いたいのだが、兄はそのように受け取ってはくれなかったらしい。
 マッシュの脇をすり抜けて行こうとする兄の肩を、咄嗟に掴んだ手は振り払われた。背を向けて去っていく兄の後ろ姿を見つめながら、マッシュは頭をがりがりと掻き毟る。



 思いの外拗らせてしまったのだとマッシュが理解するまで更に数日を要した。兄は確かに昔から頑固な面があったが、更に意固地になってしまったのか、夜の部屋への立ち入り禁止は続き魔法の練習も欠かしてはいないようだ。
 ならば勝手にしろと、モヤモヤする気持ちを抱えながらまともに兄と話しもせずに迎えたあくる日の戦闘。
 魔物の群れの最後の一匹に手こずり、あと一息というところまで追い詰めた時に気が緩んでしまったのか、利き足の右脛に手酷い打撃を食らったマッシュは、とどめのオーラキャノンを放つための軸足をやられたことに焦って仲間を振り返った。
 頼みのティナとセリスが遠くに弾き飛ばされている。起き上がってこちらに向かっているようだが、次の一撃までに間に合う距離ではない──威力が半減するが致し方ないとマッシュが構えを取りかけた時、
「マッシュ!」
 呼びかけが耳に飛び込んできたと同時に、その声が魔法の詠唱を始めた。マッシュが振り向くと、声の主である兄が少し前に比べて随分と素早くスムーズに魔法を唱えている。
 魔物の最後の反撃よりもいく秒か速く兄が施したケアルで痛みの消えた右脚を踏ん張り、マッシュは渾身のオーラキャノンを放った。魔物の消滅を見届けて、肩から力を抜いたマッシュはバツが悪そうに兄を振り返る。
「どうだ」
 不敵な笑みを浮かべる兄に、マッシュは眉を下げて微笑んだ。
「助かったよ。……悪かった」
「俺はお前と対等で在りたいんだ」
「うん……ごめん」
 素直に頭を下げると、兄の笑みが柔らかく変化した。黙って差し出された拳を見たマッシュは、兄の努力を讃えるべく笑い返して自らの拳を当てた。



「お前は時々無神経が過ぎるぞ」
「う、うん」
「俺のケアルを断っておきながら、目の前でティナに頼むなんて……」
「だから、悪かったって……」
 近付く残夜を気にも留めず、時折ウトウトと瞼を下げるマッシュの胸の上にでんと身体を乗り上げて、兄の文句は懇々と垂れ流された。
 久方ぶりに夜を共にし、互いの肌を貪った疲労は同じ度合いであるはずなのに、余程不平が溜まっていたのか兄の小言は止まらない。
「こら、寝るな」
「でも……、もう三時過ぎたよ……」
「三時がなんだ、お前のせいで何日も独り寝させられたんだぞ」
「それは俺だって同じ……うっ」
 ほとんど目を瞑った状態で答えていたマッシュの瞼がばちっと開く。強制的にマッシュを起こそうと、兄が腹の下でだらりと萎れていたものを口に含み出した。
「ちょ、待って、そんな、」
「うるふぁい」
 もごもごと喋りながら動かされる舌と唇が、無理矢理マッシュの雄の本能を揺り起こす。弱々しく伸ばした手で兄の髪を掴んだマッシュは、悩ましげに眉を寄せて熱い息を吐き出した。
「……もう、知らないからな……!」
 がばっと身を起こし、下半身から引き剥がすようにこちらを向かせた兄に乱暴に口付けて、胸に収めてベッドにその背を押し付けた。待ってましたとばかりに背部に回る腕は暖かく、マッシュは眠気を気合いで追い出して兄の身体を掻き抱く。
 プライドが高くて意地っ張りで努力家で淋しがりの兄へ、ありったけの愛と謝罪を込めて。

(2018.05.04)