まだ仲間が寝静まっている朝ぼらけの頃、飛空艇の外で基礎鍛錬に汗を流したマッシュは、早朝の清んだ空気を胸いっぱいに気持ち良く吸い込んだ。 実に清々しい気分で飛空艇に戻り、水を被ったかのように汗で濡れた身体を浄めようとシャワールームに立ち寄ったマッシュは、鏡に映った姿を見てご機嫌だった笑顔を強張らせた。 鏡に向かって右側の首筋、赤紫に鬱血した親指大の痕がくっきりと浮かび上がっている。それが何なのか思い出すと同時に痕が紛れるほど全身を真っ赤に染めたマッシュは、誰もいないシャワールームだと言うのに思わず首筋を大きな手のひらで覆い隠した。 そう言えば昨夜の兄は声を殺すために首筋に顔を押し付けていた──行為に夢中で、吸い付かれていたこともここまで目立つ痕が残っていたことも気づかなかった。 マッシュは手早くシャワーを済ませ、仲間の誰にも会わないようにきょろきょろ辺りを確認しながら、未だ兄が眠っている部屋に滑り込むように戻って来た。 思った通り、マッシュがいなくなったベッドのスペースも広く占領して兄のエドガーが寝息を立てている。夕べ盛り上がったままで衣類を身につけておらず、うつ伏せに眠った姿で毛布が腰までずり下がり、露わになった白い背中は眩しかった。 煩悩を追い払うべくぶるぶると頭を振ったマッシュは、その滑らかな背中に手を当てて優しく揺さぶる。 「兄貴」 一度の呼びかけではエドガーはぴくとも反応しなかった。今度はもう少し強めに、腰を屈めたマッシュはエドガーの耳元に唇を寄せて揺り起こす。 「兄貴、朝だよ」 「う……、ん」 艶かしい唸り声と共にごろりと仰向けに寝返りを打ったエドガーは、睫毛の隙間から美しい青が見えるか見えないか程度に瞼を開く。まだ夢の世界に片足を突っ込んでいるようで、寝惚けた様子で伸ばされたエドガーの両腕がマッシュの首に絡み付き、強い力で引き寄せてきた。 「わっ……」 予想していなかった行動にマッシュが前のめりになる。ベッドの端に手を乗せて支えにしたものの、しがみついたエドガーはマッシュの左肩に顔を埋め、軽い痛みを伴う程に吸い付いてきた。 「いてっ……」 慌てて頭を引き剥がすが、時すでに遅し。まだ微睡んでいる兄をベッドに転がし、急いで部屋の壁にかかった鏡で現状を確認したマッシュは、エドガーが口をつけた左鎖骨付近に新たな真紅の痕がついているのを見つけて眉を垂らした。 首回りに痕をつけるなと釘をさすために起こそうとしたはずが、痕が増えるとは何たる不覚。これでは仲間の前に出られないではないか──マッシュは垂らした眉をむすっと持ち上げ、まだむにゃむにゃと寝惚けているエドガーの元へ引き返す。 「兄貴、もう起きてくれよ」 先程よりも乱暴に兄の身体を揺さぶると、ようやくとろんと目を開いたエドガーが顔を上げた。 「……もう朝か」 「朝か、じゃないよ。見ろよこれ、どうすんだよ」 いつも着用しているタンクトップから完全にはみ出ている二箇所の痕を指差して訴えるマッシュに対し、寝起きですぐには頭が回らないのかぼんやりした表情でマッシュの首周辺を眺めていたエドガーは、徐々に覚醒してきた青い眼で何度も瞬きをし、そうしてニヤリと笑みを見せた。 「なかなか扇情的だ」 「何言ってんだよ。皆に見られちまうだろ」 「虫刺されだとでも言っておけばいいだろう」 「こんな虫刺されがあるかよ……すぐバレる」 「そうか? どれ」 ちょいちょいとエドガーが人差し指を曲げてマッシュを招き、マッシュは不審げに眉を顰めながらも軽く背中を曲げてエドガーに顔を近づけた。 上目遣いにニッと捕食者の微笑みを浮かべたエドガーは、マッシュの頭をがばっと腕に捕らえ、うなじ、首筋、耳の裏と至る所に大小のキスを降らせた。頭をホールドされて目を白黒させながらバタつかせたマッシュの手がエドガーを剥がすまで、土砂降りのキスの雨はマッシュの顎の下から鎖骨にかけて大量の紅色の痕を残していた。 「あ、ああ〜、増やしてどうすんだよ〜!」 「はっはっは、それだけあればキスマークだとは思われないだろう」 完全に悪戯っ子の顔になっている兄を睨みつけ、鏡の前で首回りが蕁麻疹のように斑点だらけになっているのを確認したマッシュは青くなった。 「た、確かにどっちかっつーと病気みたいだけど」 「だろう。よし、もっと増やそう」 「えっ……ちょっ……うわっ」 全裸でベッドからひょいと下りたエドガーが視界に入って目のやり場に困っているマッシュの背に、負ぶさるように飛びついたエドガーは尚もチュッチュッと肩や背中を吸い始めた。大慌てで走り回るマッシュだが、背中に貼りついたエドガーは離れない。 隣のセッツァーの部屋から怒りの壁殴打を食らうまで、早朝から二人の攻防はわいわいと騒がしく続いた。 「うっわ……その跡、何……? じんましん……?」 顔を引きつらせたリルムがマッシュの上半身を見上げて後ずさる。 「……虫刺されかな……」 「草ん中ででも寝てたの……? 気持ち悪い……薬塗っといた方がいいよ……」 曖昧に笑ったマッシュはそれ以上答えず、心成しかいつもより背中を丸めて人目を気にするように通り過ぎる。 首から肩まで無数の紫斑に覆われたマッシュの肌は見た目が痛々しく、仲間に会う度心配され続けて申し訳なくなる程だった。 身体を縮めて歩くマッシュを遠巻きに眺め、流石にやり過ぎたと反省するエドガーは珍しくマスクをつけていた。その横に、朝早くから隣の部屋の騒音で叩き起こされて不機嫌なセッツァーが並ぶ。 「随分でけぇ虫だな?」 「……今朝は失礼した」 「てめぇのそのマスクは何だよ」 「吸い過ぎて唇が腫れた」 「馬鹿か」 心底呆れた口調で吐き捨てたセッツァーを尻目に、次は目立たないところにつけてやろうと決意しつつヒリつく唇を押さえるエドガーだった。 |