「……では獲物はこれで」
 訓練用にずらりと並んだ剣の中から手にしたレイピアを一度目の高さに掲げ、柄を向けて差し出してきたエドガーに対し、マッシュは弱ったように眉を垂らして首を横に振った。
「俺も? もう剣術なんて忘れちまったよ」
「そう言うな。これくらいのハンデがないと勝負にならんからな」
 半ば押し付けるようにレイピアの柄をマッシュに握らせたエドガーは、自身も同じものを手に取って軽く切っ先を振る。
 すらりと細身の剣をその手に構えるだけで絵になるエドガーに肩を竦め、マッシュも渋々レイピアの振り心地を確認した。
 拳を武器と定めて以来、幼少時に齧った剣や槍の類は基本の構えすらすっかり忘れた。元々身体で覚えるほどには身についていなかったため、抜けて行くのもあっという間だった。
 今こうしてレイピアの柄を握ってみると、持ち方ひとつ取っても怪しいものだった。どうやったって対面のエドガーのように様にはならないだろう。
 時折兄のエドガーは、今回のように気まぐれを起こすことがあった。兵士に混じって修行をしているマッシュを探して訓練場にふらりと現れ、手合わせを持ちかけるのだ。
 先の戦いでエドガーが十二分に強い戦士であることはマッシュも把握している。強い相手との手合わせは願ったり叶ったりで断る理由はないのだが、エドガー曰くまともにやり合うには力の差がありすぎるのだとか。
 マッシュとしては兄の実力がそこまで自分に劣るとは思えないのだが、あれこれもっともらしい言葉で言いくるめられてしまえば反論などできるはずもない。
 ──本音はただ面白がってるだけじゃないのか。
 限りなく真に近い推測だろうなと溜息をつきつつ、マッシュはレイピアの切っ先を下げて構えた。どうせ作法など覚えていないのだから、やりやすいようにやればいい。
 対してエドガーはレイピアの切っ先をマッシュの喉元に向けた。軽く左手を上げ、成程あれが本来の構えかと感心しつつも自分の振りを直そうとはせず、マッシュはそのまま間合いを測る。
 二人の戯れに付き合わされる兵士たちは訓練場の端に追いやられ、ぐるりと王族の兄弟を囲んで固唾を飲んで見守っている。半ば呆れ顔の兵士長が、審判役として駆り出された。
「始め!」
 合図を受け軸足を踏み出したマッシュは、下から振り上げるように兄に向かって斬りつけた。その剣先が身体に触れる前にエドガーは掬うような動作で剣身を受け、ブレードが重なったまま自身の剣を前方に滑らせて距離を詰める。
 上から剣身を押さえ込みつつの攻撃を防ぐ剣さばきなどできるはずもなく、マッシュはたまらず後ろに飛び退いた。踵から踏み出すエドガーのステップとはまるで違う動きだった。
 マッシュの足が地に着いた途端、エドガーの素早い突きが眼前に迫り来る。慌てて縦に構えたレイピアで捌くものの、受け止め方が不利と見るとエドガーの攻撃が勢いを増した。
「そら、そら、受けてばかりでは勝負にならんぞ」
「わ、分かってるよっ……」
 鮮やかな突きは喉元だけでなく、油断すると鳩尾や足をも狙って来る。レイピアの両刃を巧みに活かすエドガーに対し、マッシュは防戦一方になっていた。
 再び後ろに大きく退いたマッシュは、絶妙な間合いで一度足を止めたエドガーをじっと見据える。その肩は荒い呼吸で緩やかに上下していた。対峙するエドガーもまた肩が動いている。有利な立場ではあるが、城に戻って以来内向きの仕事で日々を過ごすエドガーはマッシュに比べて体力で劣る。
 ならば長期戦をと普通であれば目論むのだろうが、マッシュはそうしたまどろっこしい作戦に興味はなかった。にんまり笑い、力強く地を蹴り上げて高く飛び上がったマッシュは、掲げた剣を振り下ろす。
 咄嗟にエドガーは恐らくは剣先が届く距離を測り、タイミングを合わせて迎え討つために構えを取った。本来であれば剣身がぶつかるその一寸手前、空中で身体を捻ったマッシュがくるりと一回り回って数秒の貴重な時間差を生み出した。
 カッと目を見開いたエドガーは、肘を曲げて振り上げた左手の籠手で斬撃を受け、同時に鋭く右の剣先をマッシュの喉元に突き付けた。
「ッ……」
 顔ごと顎を引いた状態で固まったマッシュが、左手を挙げて降参の意思表示をした。エドガーが剣を下ろすと二人を取り巻く兵士達から歓声が上がる。
「ふっふっ、剣技ならばまだ負けんな」
「ちえ、今度はクローでやらせてくれよ」
「それじゃあ面白くない。次は槍か短剣だな」
 得意分野ばかりを列挙するエドガーをマッシュは不貞腐れた目で睨む。そのあからさまな表情を見て機嫌良く笑ったエドガーは、軽く汗が浮かんだ額を指先でひと撫でし、兵士長を振り返った。
「邪魔をしたな。では、私はこれで失礼しよう」
 王の微笑みに兵士達は揃って崇敬の眼差しを向け、軽やかに身を翻すエドガーの背を見送った。
「俺も今日は上がるよ。お先に」
 首周りを解すように回したマッシュもまた軽く手を上げて兵士長に挨拶し、エドガーの後に続く。
 二人が去った訓練場はしばし興奮のどよめきに包まれていた。




「……あっ……、あっ……」
 シャワールームの手前にある脱衣スペースにて、浅く短い呼吸の合間に鼻にかかった嬌声が響いている。
 前をはだけたシャツは未だエドガーの背を覆ったまま、しかし下半身は何も身につけておらず、冷たい床に四つん這いで高く突き出した双丘の中央は、マッシュの猛ったものを深く呑み込んでいた。
 マッシュもまた上半身の衣類は腹が出る程度にずり上げられているのみで、エドガーを貫くために下衣の前を寛げている他は脱衣の形跡がない。脱ぐ間も惜しんで繋がることを選んだ二人は、シャワーを浴びるという主目的すら後回しにして欲に溺れて喘いでいた。
 ここまでがワンセットなのだ、と熱に浮かされたようにぼんやりした思考でマッシュは考える。
 気まぐれに手合わせを求める兄の、昂った心を鎮めるまでの一連の儀式。発情期の動物のように分かりやすく欲情したエドガーを、ベッドで抱くよりはやや乱暴に組み敷いて貪るのがいつもの流れ。
 床に頬を擦り付けて甲高い声を上げるエドガーは、マッシュに貫かれる度びくびくと腰を揺らす。内股気味に膝立ちで踏ん張っている太腿は震え、今にもへたり込んでしまいそうな状態であるのをマッシュの太い腕が逃さぬように捕まえていた。
「あっ、あっ、うあっ、待っ……」
 秘所を真上から突き刺すように腰を打ち付けると、弾かれたように顔を上げて前方に視線を向けたエドガーが、がりがりと不快な音を立てて床に爪をめり込ませた。そのままマッシュから離れようと前進しかける身体を抱き竦め、後ろから首の前に回した腕で肩を掴んで逃げ道を封じる。
 完全に固定された身体を遠慮なしに貫かれ、悲鳴じみた声を漏らしたエドガーの口の端からだらだらと垂れた唾液が床を汚した。
 いつからこの獣のような行為に耽るようになったのか、はっきりとは覚えていない。ただ、手合わせで高揚するのは闘争欲だけではなく、性欲もであるということをもう何度も思い知らされている。
 そしてその事実に興奮するのはエドガーだけではない。
 シャワーを浴びて熱が醒めればエドガーはいつもの澄まし顔に戻り、狂おしい情事の片鱗すら覗かせなくなってしまう。そうなる前に、出来るだけ痕跡を刻みつけるように、マッシュはもうやめてと哀願する兄の白い背を血走った目で凝視しながら腰を振る。
 突き付けられた切っ先。その鋭さを凌駕する強い視線。命こそ懸かっていなくとも、愛する相手との本気のやり取りは興奮せずにいられない。
 床に伏した頭を上げさせるように兄を抱き起こせば、涎と涙で顔を濡らしたエドガーが息も絶え絶えに振り向いた。その開きっぱなしの唇に噛み付くようなキスをして、マッシュはエドガーと共にまだ濃度の下がらない情事に浸る。
 次があるなら勝利してからがいい。敗者の負け惜しみのようなセックスではなく、真の意味で屈服させたことに対する最上の興奮を味わえるだろう──お互いにね、と小さく呟き、下からの突き上げで我を忘れて鳴き声を上げるエドガーをマッシュの腕がきつく抱き締めた。
 この腕を解くのはもう少し後でいい。汗を流すにはまだ早い。

(2018.05.09)