時折無性に食べたくなるんだ。──過去に思いを馳せて静かに笑った兄の願いを叶えるべく、昼過ぎから厨房の一角を借りたマッシュがせっせと作った料理の数々。普段城で食べている手の込んだメニューではなく、旅の間にありあわせの材料を用いて仲間たちと囲んだ食卓によく上がった懐かしい味。
 本日のエドガーの予定は滞りなくほぼ終わり、後は二人で旅の思い出話でもしながら水入らずで食事をしようとワゴンに出来上がった料理を乗せ、マッシュがせっせと兄の私室と厨房を行ったり来たりし終えた頃。
 ばたばたと城内が騒がしくなったことに気づいたマッシュが執務室を覗くと、かっちりとした服のままのエドガーが申し訳なさそうな顔を向けた。
 急使を迎えることになった、すまないが先に食べていてくれ──マッシュの返事が間に合わないほど急いで大臣と共に足早に去って行った兄の背中を見つめ、マッシュは軽く肩を落とす。
 一時間待っても会談は終わらなかった。そろそろ空腹が気になり始めた頃、料理長が手早く用意したフルコースが続々と運ばれて行くのを確認して、会談が会食となったことをマッシュも理解する。
 これは仕方がない。溜息をついたマッシュは冷めた料理を一人で食べようかとワゴンにかけたクロスをめくりかけて、しかし腹は減っているのに不思議と食べたい気分にもなれず、主人が不在の兄の部屋でぼんやりとソファを陣取っていた。
 いつの間にかウトウトと船を漕いでいた時、ドアの開く音でハッと意識を取り戻したマッシュは、疲れた顔のエドガーが部屋に帰ってきたのを迎えるべく立ち上がった。そしてさり気なく時計に視線を向け、随分と進んだ針に苦笑する。
「お疲れ様」
 料理が無駄になってしまったなと残念に思いつつも、顔に出さないようににこやかな笑みを見せたマッシュに対し、エドガーは何か言いにくそうに軽く視線を部屋に巡らせた。
 その時、ぐうと奇妙な音が二人の間から響いてきた。ぱっと顔を赤くするエドガーと、目を丸くするマッシュ。今のがエドガーの腹の音であると察して驚くマッシュに、エドガーは気まずげに眉を寄せて言い訳するように口を尖らせる。
「この時間までほとんど何も食べてなくて、な……。使者の前では無理矢理腹の虫を黙らせていたんだが」
「で、でも、料理長が作ったやつは? 部屋にどんどん運ばれてただろ?」
「勿論使者には食べてもらったさ。俺も飲み物くらいは手をつけた。……だが今日はお前が飯を作ってくれる約束だっただろう? ずっと楽しみにしていたんだ。会談が終わるまでと我慢していたんだが、こんな時間になってしまった……。すまんな、流石にもう下げてしまったか?」
 そう答えて、明らかに気落ちした表情で上目遣いにマッシュを見上げてから、また部屋の中を探るようにさり気なく視線を彷徨わせるエドガーの意図にマッシュはようやく気付いた。
 目立つところにあると気持ちが沈むからと部屋の隅に追いやっていたワゴンの元へ、足早に駆けたマッシュはガラガラと料理を運んでくる。白いクロスを取り払うと、エドガーの顔が輝いた。
「お前も手をつけていないのか」
「う、ん、何か食欲湧かなくて……」
 言い終わらないうちにマッシュの腹からもぐうと音が鳴り、二人は顔を見合わせて吹き出す。照れ臭そうに笑い合って、マッシュはワゴンからテーブルへと皿を移し、エドガーはグラスを用意して、揃って深夜のパーティーの準備を始めた。
「温め直して来ようか?」
「いや、冷めても充分美味い」
 かつての旅を思い起こしながら、懐かしい話に花を咲かせてマッシュの手作り料理を頬張るエドガーの綻んだ笑顔を見て、マッシュも先程までの憂鬱が嘘のように喜びに顔を緩めた。
 貴方の美味しいは俺の嬉しい── 一人きりだと二倍になる寂しさの代わりに、二人でなら美味しさも嬉しさも何倍にもなるのだと、マッシュは改めて胸に刻んだ。

(2018.05.19)