萌えシチュエーション15題より
「7.泥酔して思わずホンネ」
(使用元:TOY様 http://toy.ohuda.com/)


 肌を寄せ合って口づけを交わす仲ではあるのだけれど、我が愛しの想い人はなかなかに気難しい。
 いつも凛々しく涼やかな佇まいの彼の人は、多少の愛の言葉では隙のない微笑みくらいしか覗かせてはくれない。昔からその品のある沈着ぶりに憧れていたのだから、変わらない格好良さは愛しさそのものなのだけれど、自分の気持ちばかりが空回っている気がしないでもない。
 愛を込めて抱き締めれば馬鹿力で息が苦しいと怒り、頬を擦り寄せれば髭面が痛いと顔を押し退けられる。だからと言って全く触れずにいると、何処と無く不機嫌な気配を漂わせてくる。
 嫌われているのではないのだろうと、自分を慰め手厳しい言葉は聞き流したりしていた。とはいえ、やはり不安になる時は何度もあったのだ。



 *



 軽くセッツァーの酒に付き合ってくると告げたエドガーが部屋を出てから早二時間。
 眠る前に身体を軽く解していたマッシュも流石に時計を気にし始め、とうとう日付が変わってもなお戻ってくる気配のないエドガーを迎えに行こうと立ち上がった。
 訪れた食堂のテーブルには確かにエドガーとその隣にセッツァー、更に向かいにロックまでいた。セッツァーは涼しい顔だが、こちらをチラリと見上げたロックの首はかなりの赤さに染まり、目がすっかり据わっている。
 これは相当飲んだなと、珍しく背中を丸めてテーブルに両肘をついているエドガーの背後に近づいたマッシュは、項垂れるように頭を垂らしている兄の背に優しく触れた。
「兄貴。大丈夫か?」
 エドガーが答えるより先に、セッツァーが呆れた溜息混じりにマッシュに顔を向けて口を開いた。
「ロックの荒れ具合をお前の兄貴が揶揄ったもんだから、ロックもムキになってな。くだらねえ言い争いの果てに飲み比べしてこのザマだ」
「飲み比べ? だって兄貴相当強いぞ」
「ロックが来たのはそこそこ飲んだ後だったからな。まあそいつなりの慰めだったんだろうが」
「何でロックは荒れてたんだよ」
「痴話喧嘩」
 冷ややかに眼差しを細めるセリスの顔を思い浮かべたマッシュは、納得して肩を竦める。
 グラスの底に浅く残った琥珀色に浮かぶ氷をカランと鳴らし、セッツァーがにやりと唇に笑みを乗せた。
「お前が来てくれて助かったよ、二人運ぶのは難儀だと思ってたところだ。そいつ、回収してくれ」
 兄を荷物のように言われてムッとするマッシュだったが、確かにセッツァーが一人でエドガーとロックの二人を介抱するのは厳しいだろう。
 迎えに来て正解だったと肩を下ろしながら息を吐いたマッシュは、頭を垂らしたままのエドガーの背にもう一度触れる。
「兄貴、部屋戻ろう。立てるか?」
 返事のないエドガーの背中を少し強めにゆさゆさと揺するが、やはり反応がない。酔い過ぎて具合でも悪くなったかと不安に眉を顰めたマッシュがエドガーの顔を覗き込もうとした時、ゆらりと頭を持ち上げたエドガーが半分ほど落ちた瞼でマッシュを見上げ、口元を締まりなく緩めて笑った。
 そのエドガーらしからぬ気の抜けた笑顔にギョッとしたマッシュは、思わずセッツァーを見る。セッツァーは懐から新しく煙草を取り出している最中で、エドガーの表情には気づいていない──マッシュは慌ててエドガーの腕を取って自らの肩に回し、やや強引に立たせてだらりとした身体を引っ張り上げた。
「じゃ、じゃあな、おやすみ」
「おー、おやすみ」
 愛想のない返事を聞くか聞かないかで早々に歩き出したマッシュは、脚に力を入れる気がないエドガーを引きずりながら部屋へと急ぐ。
 このまるで警戒心のない兄の顔を、仲間とはいえ他人に見せてたまるか。普段決してここまで表情を緩めることのないエドガーの、無邪気すぎる笑顔はマッシュにとっても滅多に見られない貴重なものだった。
 何の含みもない、子供の頃のように素直な表情で笑うエドガーは実は相当に珍しい。人に本心を覗かせないのは職業柄だろうか、相手が誰であっても一枚壁を用意するエドガーは、笑顔も何処かしら余所余所しいことが常だった。
 そのエドガーが周りにマッシュ以外の人間がいるところであんなにふにゃふにゃに笑うとは、予想よりも遥かに酒量は多かったのかもしれない──部屋に着くなりベッドへ兄を転がしたマッシュは、急いで水差しからコップに水を注いだ。
「兄貴、ほら水。飲めるか?」
 サイドテーブルにコップを置き、マッシュに転がされた格好のままベッドでだらりとしているエドガーの背を抱き起こして、そこでマッシュはまた声を詰まらせた。
 目尻を赤く染めてどろりと垂らし、にこにこと口角を上げて頬を緩めるエドガーの蕩け切った笑顔が目の前にある。酔うと上機嫌になるきらいがエドガーにあるのは分かっていたが、酩酊状態までは確かめたことがなかった。
 率直に言って可愛いとしか言葉が出てこないのだが、それをそのまま伝えたら本人は怒るだろう。抱き締めたくなる衝動を抑えながら、水を飲ませようとマッシュがコップに手を伸ばしかけた時、首をぎゅっと締め付けるような圧迫感に目を丸くする。
 顔を向けずとも分かる、エドガーがマッシュの首に齧り付くように腕を回している。その上頬をすりすりとマッシュに寄せて、んふふ、と楽しそうな含み声を漏らし始めた。
 どきんと心臓を鳴らして硬直したマッシュだったが、いつもの癖で思わず顔を遠ざけようと頭を仰け反らせた。朝に軽く剃ったきりの顎は今や髭に覆われており、痛いと苦情が出る前に対処しなければと、身体に染み付いた行動だった。
 ところがエドガーはそんなマッシュの後頭部に手を伸ばし、ぐいっと自分に向かって引き寄せた。マッシュがぽかんとしているのも構わず、無精髭が生えた頬に自ら頬擦りするエドガーは心地よさげにと目を閉じている。
「あ……、兄貴……? 髭、痛くない、のか……?」
「……気持ち良い……」
 うっとりと呟くエドガーの吐息が耳にかかり、マッシュの肩が竦んだ。普段ならば髭が肌に触れると痛いと押し退けられるのに、これはどうしたことかと動揺で目が泳ぐ。
「い、いつも、痛いから嫌だって……」
「だって、……照れ臭いだろ」
 鼻にかかった声で告げられた言葉に身悶えして下唇を噛みつつ、マッシュは顔だけでなく身体ごと擦り寄せてくるエドガーを抱き返すべきか迷って手を戦慄かせる。するとエドガーがマッシュの眼前に顔を突き出し、やや不満げに唇を尖らせた。
「ぎゅってしてくれ。ぎゅって」
 ストレートな要求にたじろぐマッシュを無視して、エドガーは自らマッシュに抱きついて苦しいくらいに腕を締め付けて来る。日頃マッシュがこんなことをしようものなら息ができないと振り解かれていたのだが、エドガーの思いがけない力強さにクラクラと目眩を感じたマッシュは意を決して昂る気持ちのまま兄を抱き締めた。
 一瞬息が詰まったような仕草を胸の中で見せたエドガーは、それでも満足げに細く長い息を吐いた。きつく抱き締めても怒られないのが新鮮で嬉しくて、マッシュはほんの少しアルコールと煙草の臭いが混じりつつも香油の良い香りが残るエドガーの髪に顔を埋める。
「……お前に、痛いくらい抱き締められて、息ができないくらい何度もキスされるの、本当は物凄く好きだよ」
 酔いのせいか、ふわふわと夢見心地な声色でエドガーがボソリと口にした。
「しつこいって何度言われても隙見てキスしてくるのも好きだし、髭剃り忘れた日は頑張って顔逸らそうとしてるのも、きっちり剃ってる時は遠慮なく顔をくっつけてくるのも、凄くいじらしくて、かわいい」
 普段の行動についていろいろとエドガーに見透かされていると分かり、マッシュの顔が熱くなる。
「ちょっと強引に脱がされるのも、気絶しそうなくらい滅茶苦茶に突かれるのも、抜かないで二回目するのも、いつも怒るけど、本当は怒ってない……」
 まともに聞いているのが耐えられない──悶えて転がりたくなるのを堪えつつ耳まで赤くなったマッシュは、甘ったれた口調で平時ならば絶対に口にしないようなことをぺらぺらと話す兄を信じられない気持ちで抱き締めていた。
 ひょっとしてこれは夢で、自分の願望が出てきてしまっただろうか? 頬を抓ろうにもエドガーで腕は塞がっている。目をチカチカさせて状況把握に必死になったせいで腕が緩んだのか、不意にマッシュの頬をエドガーが両手でむにっと掴んで左右に引っ張った。
 皮膚が伸ばされるじんわりした痛みに夢ではないことを実感しながら、マッシュは縁が赤く染まった上目遣いで気恥ずかしそうに見つめてくるエドガーに魅入られた。息のかかる距離で見つめ合ったことなど今まで何度あっただろうか──いつもならばぷいっと目を逸らすエドガーの仕草を思い起こし、感激でマッシュの目尻が自然と下がった。
「全部好きだけど、お前、カッコ悪い兄貴は嫌だろ……? デレデレしてるの、見たくないだろ?」
 エドガーが語る理想から離れた姿より、今の自分の方が余程酷い顔をしているだろうなと思いつつ、マッシュは陶酔の表情のまま首を横に振る。
「そんなこと、ないよ……、俺だって、どんな兄貴でも全部好きだ」
「べたべたして甘ったれても?」
「頼られてるみたいで、嬉しい」
 マッシュが即座に返すと、エドガーは再びふにゃふにゃに柔らかい笑顔を見せた。喜びを前面に押し出した屈託のない笑みに完全に胸を射抜かれ、もうこのまま押し倒してしまおうかとマッシュがエドガーを抱く腕に力を込めようとした時、先手を取ったエドガーがマッシュをギュッと抱き締めた。
「ロックがなあ、どうしても格好をつけてしまうんだと」
「う、うん」
「それでセリスの心からの信頼を得られていない、不安にさせてしまうと」
「……うん」
「お前も、不安になったりするか?」
 そう尋ねながら自分の方が不安そうな声を出したエドガーに思わず眉を寄せて微笑んだマッシュは、ありったけの力で腕の中の身体を抱き竦めた。
「カッコつけてる兄貴も、今みたいに素直な兄貴も、全部全部好きだから、大丈夫だよ」
 腕の中でふふふと嬉しそうな笑い声が籠る。その直後、マッシュと同じ強さで抱きついていた身体がぐにゃりと溶けた。
 驚いて腕を緩めると、四肢から力を抜いたエドガーはすでにすうすうと寝息を立てていた。そのあどけない寝顔に苦笑いを零し、マッシュは額と頬に口づけを落とす。
 本当に全部好きだよと、夢の住人となった兄に心からの言葉を囁いて。



 *



「うーん……」
 机上に両肘をついて頭を垂らし、こめかみを押さえて渋く顔を顰めたエドガーは、目覚めてから昼近くになった今でもずっと唸り続けていた。
 二日酔いに効くというさっぱりしたハーブティーを運んできたマッシュは、エドガーとは裏腹に機嫌の良い笑顔で呻く兄を見守っている。
「記憶をなくすほど酔ったのは久々だな……。いつ部屋に戻って来たのか全く思い出せん」
「へえ〜、そっかあ」
「それどころかロックやセッツァーと何の話をしていたかも覚えていない……。なあ、俺は昨夜どんな様子だった?」
 探るような目でじろりと睨むエドガーに対し、マッシュはにこやかながらも何処か含みのある笑みを浮かべて首を横に振ってみせた。
「別に? いつも通りの、カッコいい兄貴だったよ」
「……お前何か怪しいな」
「ぜーんぜん」
 綻ぶ口元を隠すためにエドガーを背中から抱き込んだマッシュを、エドガーが肘でぐいと押し退ける。
「暑苦しいから寄るな。俺は頭が痛いんだ」
「はーい」
「寄るなって言ってるだろう」
「はいはい」
 生返事で抱き締め続けていると、ブツブツ文句を言いながらもエドガーは大人しくなった。
 マッシュからは見えない顔が照れ臭そうに緩んでいる様を想像し、マッシュもまた緩めた頬をエドガーの頭に擦り寄せた。

(2018.06.04)